マダガスカルまだ助かる②
タラント:宿舎
「うわッ、酷いなこれは……」
戦艦『ジャン・バール』回航委員長の陸奥中佐は、朝刊一面にでかでかと掲載された写真に目を剥いた。
およそ700年の昔より、華の都なるパリとそこに住まう人々を見守ってきたノートルダム大聖堂。白亜の貴婦人とも称されるこの大寺院の、濛々たる煤煙を吹き上げて炎上する様が、モノクロながら酷く克明に撮られていたからである。
「卑劣! 米爆撃機、深夜のパリ中心部を焼夷弾攻撃」
「罹災したる大聖堂の惨状に無定見国家の退廃的精神性を見たり」
紙面に躍るかような文言が示す通り、それは米軍の空襲によって齎された被害である。
解説を読み取っていくとそれは、枢軸側への加担を決めつつあるヴィシー政府に対する、物理的警告を意図したものなのだろうと推測できた。ただ事が米軍の思惑通りに運んだかというと、これまた見事なまでに正反対の結果となってしまったようだ。メルセルケビール沖海戦やモロッコ侵攻など、度重なる攻撃や領土侵犯に業を煮やしてきたフランス人達は、精神の拠り所なる歴史的建築物を破壊されるに至り、ゲルマンよりもアングロサクソンを嫌悪するようになったのである。
無論、それがフランスの宣戦布告にすぐ結び付くかというと、怪しいところではあろう。
とはいえ何らかの形で、対米英戦への協力を申し出てくるのは間違いなさそうだ。加えてそれは聯合艦隊にとっては朗報になると陸奥は踏んでいた。実のところ因縁しかないような独伊両国と違って、日仏間には然程の諍いはない。ならば新型戦艦数隻を含む海軍艦艇の買収あるいは借用に関する交渉にも、これで弾みがつくのではなかろうか。
「案外、棚から牡丹餅となるかもしれんな」
適当に呟きながら、士官食堂で朝飯など摂る。
ところで遣欧が決まって以来、牡丹餅は久しく食べていない。祖国の味とは恋しいものだ。そんなこと薄をぼんやり思っていると、最近よくつるんでいるイタリヤ海軍のマラゾッキ中佐が、やたらと甘そうな献立とともに現れた。どうでもいい話ではあるが、彼は陸奥を始めとする幾人かに、大変しょうもない渾名をつけられている。
「おや、朝帰りかな?」
陸奥は嗅覚を鋭く利かせ、
「いやはや、まったく精が出るものだね。感心感心」
「分かるか?」
「分からん訳がないってものだろう」
「敵わんな。何、ちょいと壮行会があったのだよ。その後は普段通りだけれども」
マラゾッキは歯を見せて笑った。
それからジャムをべったりと塗ったクロワッサンを、カプチーノに浸してムシャムシャと食べる。
「つまるところ、我等が『リットリオ』嬢と『インペロ』嬢の出撃が決まった。結構な大遠征になるそうで、皆で士気を高める必要があったのだよ」
「へえ、積極的なものだ。いったい何処へ向かうのだね?」
「インド洋で日本海軍と合同作戦をやることになるそうだ」
なかなかに意外な回答で、
「この間、米英軍がマダガスカルに上陸しただろう? あそこの総督から援軍要請があったので、伊日合同艦隊を編成するか何かして、思い切り叩き潰しにいくという訳だ。ついでにお代としてヴィシー政府から艦艇やら兵器やらをいただく手筈らしい」
「なるほど。フランス娘も引っ張りだこだ」
陸奥は軽やかに笑いつつ、『リシュリュー』まで手に入るなら大幅な戦力増だと思う。
もっとも『ジャン・バール』の艤装進捗率が98%になったきり1か月が過ぎてしまったように、フランス艦にはどうにも一筋縄でいかぬところもあった。そこを含めて乗りこなしてこそ、そう自分に言い聞かせる。
モザンビーク海峡:マダガスカル南西岸沖
「うん、まだ水際戦闘が続いておるのかね?」
揚陸指揮艦『カトクティン』の司令室にて、海兵隊きっての闘将ホーランド・スミス少将は意外そうに尋ねた。
壁にはマダガスカル島の大きな地図。その南西岸に当たるトゥリラなる港町の周辺に、あれやこれやと印がつけられている。米英の戦艦5隻と護衛空母6隻でもって、水際陣地と砲兵陣地を徹底的に叩きのめしたはずが、未だ激しく抵抗されているとのこと。海兵第1師団で先遣した2個大隊は、どちらも損害が15%前後に達しているようだ。
「フランス陸軍はヘタレの降伏猿集団だから、敵と相見えるや空砲を撃ってすぐ降伏する。しかも半分以上がセネガルやザンビア生まれの学のない植民地兵。2か月前に増援があったとはいえ、それなりに士気の高い本国軍は3割くらいしかいない。ダーバンではそう聞いていたが、随分と話が違うじゃないか」
「どうもその3割が、この付近に配置されていたのかもしれません」
参謀長が忌々しげに言い、
「しかも報告を総合するに、かなり装備の優良な連中のようで。情報局とやらもまったく役立たずです」
「元々あんなものは当てにならん、特に前線に関する問題についてはな」
スミスは思い切り吐き捨て、
「ともかく肉弾戦にかけては海兵の右に出る者などこの世に存在せんから、ありったけの砲弾を見舞って、その間に突撃させるのだ。駆逐艦を浜辺ぎりぎりまで接近させ、水平射撃で撃ちまくる……うん、その割に海軍は動きが鈍いんじゃないか?」
「お言葉ですが中将、既に2隻が損傷しており……」
「喧しい!」
海軍の連絡将校をすかさず一喝し、
「やれと言ったらやれ、急げと言ったら急げ。海軍は海兵隊がどう戦っているのか分かっておらん。硝煙弾雨とろくでもない悪臭の中、血と泥に塗れながら敵と戦うのが海兵だ。フネなんぞ本国で幾らでも作っておるのだ、沈んでも構わんという覚悟を携え、援護に行かねば申し訳が立たんだろうが」
「加えて上陸を急がねばならぬのも、真珠湾を叩かれて以来勝負を引き分け以上に持ち込んだことのない、如何ともし難い海軍の不甲斐なさが故でもありますぞ」
参謀長もすかさず上官に追従し、更に幾人かがそうだそうだと騒ぐ。
「ジャップ野郎やジャガイモ野郎の増援部隊が現れ、船団ごと攻撃される可能性があるというから、我々はあたら若者の血で時間を購おうとしておるのです。それなのにグズグズとされていては、まったくお話になりませんな」
「それとも何だ、海の上でのんべんたらりとめくら撃ちするのが海軍の流儀かね?」
「い、いえ……ともかくも急がせます」
「よろしい。さっさと行ってこい」
連絡将校は慄いた様子で司令室を辞していく。
組織間の連携を取り持つといえば聞こえがいいが、つまるところ両者から面罵され、サンドバッグにされるような立場であったりするから、連絡将校というのも楽な仕事ではない。
とはいえその後に開催されたのは、参謀達による大罵倒大会だった。
海軍には海軍の事情があろうことは、誰もが承知するところだ。だがそれを知った上で敢えて我を通してこそ、麾下にある将兵を守り、責任を全うできると彼等は信じていた。加えて余程トンチンカンなことを言い出したとかでない限り、スタッフに過ぎぬ人間が指揮官に口答えするなど、あってはならぬことである。
だが――言霊というのは古今東西を問わぬのだろうか。
「まったく、沈むのが怖くて戦ができるかというものだ」
誰かがそう言った直後、『カトクティン』は激震に見舞われた。
付近に長らく潜伏していたフランス海軍の潜水艦『アンリ・ポアンカレ』が、予想だにしなかった雷撃を成功させたのである。這う這うの体で退艦する破目になった海兵第1師団司令部の面々は、海原に放り出されることへの根源的な恐怖を実感しつつも、やはり海軍の至らなさに対する偏見を深めていた。
次回は3月1日 18時頃に更新の予定です。
ノートルダム大聖堂が史実より76年ほど早く焼けてしまいました。1発だけなら誤爆かもしれない?
なおインド洋への増援が決まったイタリア海軍、史実では燃料不足のためまともに行動できない状況でしたが、本作品の世界ではどうなるでしょうか? ご期待いただければ幸いです。




