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フランス戦艦回航作戦④

地中海:マルタ島沖



 第二次世界大戦中盤の潜水艦戦。その焦点の1つは、間違いなく地中海だった。

 ダカールに続いてカサブランカを占領し、アフリカ沿岸の奪還をまず行わんとしていた米英にとって、変幻自在の戦術をもって連合国軍を翻弄し、遂にはスエズを陥落せしめたロンメル軍団の弱体化は急務と言う他ない。そのため補給路を脅かして戦車を動けぬ鉄の塊に変えるべく、持てる潜水艦戦力のかなりの割合が、ジブラルタルに集められていた。数百年に亘って大英帝国が海上覇権の礎となってきたそこを拠点に、鋼鉄の鯨達が船団攻撃任務を遂行するのである。


 ただ、かの作戦について率直に記すなら、まるで割に合わないといったところだった。

 タラントからトリポリ、アレクサンドリアなどへと延びる航路上に、常時10隻近く展開させたものの、イタリヤ海軍相手に苦戦を強いられている。昨月のマルタ島陥落により、サルディーニャ以東の制海権が完璧に失われてしまったためだ。対潜艦艇や航空機が自由に行動できてしまっている以上、致し方ない話とも考えられるが、船舶10万トン弱の戦果に対して未帰還となった潜水艦は1ダースを超えるとなると、特に用兵側は容易には納得しないだろう。

 挙句、根拠地のジブラルタルまでがUボートの群れに囲まれ、独伊空軍の長距離爆撃機による空襲や特殊潜航艇による港湾攻撃まで受けているとなると、士気を保つことすら困難になってくる。


「だからこそ、ここで我々が戦果を挙げるのだ」


 潜水艦『グリーンリング』艦長のグラント少佐は、声に十分な戦意を漲らせる。

 新鋭のガトー級二番艦にして既に歴戦の彼女に、潜水艦隊司令部からの命令が届いたのは、つい先刻のことだった。潜伏海域を変更せよというそれに一度は憤ったものの、続きを読めばそんなものは吹き飛んだ。


「ツーロンからタラントに向け、戦艦『ジャン・バール』が移動するとの情報を、在仏の勇敢なる協力者が掴んだ。ラヴァルとかいうドイツ人のケツを舐めることしか頭にない変態性癖野郎によって、彼女はジャップどもに身売りされてしまったのだ。放っておけば連中の好き放題にされてしまうし、我々にだって牙を剥くだろう。故にその途上で撃沈しろとの命令が下った」


「ああッ、何てことだ」


「かわいそう過ぎるよ」


 艦の将兵達が思わず呻き、嘆いたりする。

 彼等に何処か嘲ったような気配があるのは、ダカール占領の過程で生じた捕虜のうち、自由フランスの側で戦おうとする者が予想より随分と少なかったが故だろうか?


「ともかくもそういう訳だ、本艦はこれよりボニファシオ海峡へと進出、戦艦『ジャン・バール』の回航を阻止する」


「おおッ」


 グラントの言葉に艦内が控えめに沸き立つ。

 なお目的地はコルシカ島とサルディーニャ島を隔てる、幅10マイルもない狭隘な海峡である。


「あの艦に乗組員はまともな数がおらんはずだから、1発でも当てれば水浸しになって沈むだろう。まあ例によって魚雷がポンコツだから、2発は命中させないと厳しいかもしれないが、まあ諸君であれば造作もあるまい。敵中ど真ん中で警備も厳重だろうが、慎重かつ大胆に進めば大金星は目の前だ」


 そんな演説をぶった後、グラントは航海長に転針を命じる。

 前祝いとばかりにアイスクリームが振る舞われ、士気は大いに高まった。彼等は既に沈めた心算でいたのだ。ただそうした態度は、往々にして高くついてしまうものである。





ツーロン:市街地



「それじゃ、色々と世話になったな」


 正装した陸奥はトランクケースを手に、玄関へと向かっていく。

 回航の準備は整ったから、今日限りでここともお別れだ。無論のことマリィとも。お陰で昨晩は随分と奮戦したもので、彼女も少しばかり眠たそうだった。


 惜別の情。何とも嬉しいことに、それはマリィの顔にも間違いなく滲んでいた。

 ただ少々見当違いで、こちらの方がもっと度合いが大きい。裏切者は決して栄えないのだ。成功の暁には裏切りと呼ばれなくなるからだが、企みが上手く運ぶ可能性は潰えた。何しろ昨日、浮上航行中の米潜水艦をイタリヤ空軍の哨戒機が捕捉、これを撃沈せしめたのだ。欺瞞情報に踊らされた1隻に違いなく、その出所はよく分かっている。


「運命が許すならば、また何処かで」


「許していただけますかしら?」


「日本語では一期一会と言うからな。僕は海軍軍人だから、戦死してしまうかもしれない」


 マリィの顔に僅かな罪悪感が浮かぶのを察し、


「それに君にも人生が待っているはずだ、優先するのはそちらだろう。とはいえ、覚えていてくれると嬉しい」


「分かりました、覚えておきます」


「ありがとう。それでは、また」


 陸奥は扉の外へと踏み出し、迎えのプジョーの傍らに佇む運転手に荷物を預ける。

 そうして後部座席へと乗り込み、軍港へ向かうよう伝える。エンジンがかかり、車はゆっくりと動き出す。窓の外に向かってニコリと微笑み、角に差し掛かるまで手を振った。次の寄港地はタラントで、滞在期間もそれなりに長い。過ぎ去っていく煉瓦造りの家々を眺めながら、今度は地元の女の子をどう口説こうかと考える。


(だがやはり、気に入らんな)


 マリィの面影はどうにも消え難い。

 恐らくは彼女のこれからが、如実に想像できてしまうからなのだろう。欺瞞情報を掴んで潜水艦乗りなどを死に至らしめた末端に、抵抗組織だか諜報機関だかが支払う報酬は、荒縄か鉛弾かの二者択一。ついでにその前に組織の連中がやることといったら――その光景が思い浮かび、無性に腹が立ってきた。


「ああ、忘れていた」


 とぼけた口調でそう言い、


「出張所に向かってくれ。所長に野暮用がある」


「了解いたしました」


 運転手は平坦に応じ、プジョーは行き先を変更する。

 まったく自分は独占欲も旺盛なのだな。陸奥は心の内で、何とも誇らしげに自嘲した。





 新聞の一面を賑わせていたのは、ジブラルタル空襲に関する記事だった。

 ドイツ空軍の新型爆撃機がサルディーニャ島を離陸した後、かの要衝を白昼堂々襲撃し、未帰還機0で飛行場破壊任務を完遂した。空撮写真は実際、轟々と燃え上がる滑走路を写しており、当面は利用するのが難しそうに見える。とすれば同盟国が大戦果を挙げたという訳で、実に喜ばしい限り。


 もっとも在馬連絡所出張所の質素な事務室にてパイプを燻らす所長は、そのくらいとうに把握していた。

 紙面を覗いていたのは、紙面広告を用いた重要な業務連絡がないかを確認するためだ。幾分安っぽい紙をペラペラと捲る。連合国軍のダカール上陸を受けて独仏協議が開催、聯合艦隊の南太平洋作戦によってニューカレドニア島の反乱軍が動揺、枢軸同盟諸国間で化石燃料技術に関する協力協定が締結。かような報道を横目に眺めつつ、特に事もなしと判断した。


「だったらまあ、頼まれてやるか……」


 急な来客が残していった急な用事。所長はそれを思い出す。

 依頼主は今まさに出港せんとしている戦艦『ジャン・バール』にあって、彼女をタラントまで回航させることの重要性と比べれば、その内容は本当に些細なもの。それでも引き受けると言ってしまった以上、手は回しておかねばならない。


「収支としては、黒字超過だからな」


 面倒臭そうな声でぼやきながら、所長は喫煙を一時中断する。

 そうして受話器を取って幾つか電話をかけた後、総務部の雲という大尉を呼び寄せた。総務部は総合任務部の略である。


「杏野所長、お呼びでしょうか?」


「ああ。雲君、ちょいとエスコートを頼めるかね?」


 引き出しをゴソゴソとやって写真を取り出し、


「この女性をどうにか助けてやってほしいと懇願されてね」


「御国に仇をなそうとした輩をですか? こちらが逆手に取れたとはいえ、何を考えておるのでしょう?」


「さあ、情でも移ったんじゃないか? だがまあそんなことはどうでもいい。嗅覚と味覚が文字通りに優れた人間の依頼を放り投げ、失望させるのは得策ではないというだけだ」


「なるほど。了解いたしました」


 興味のなさそうな声で雲は受領し、さっさと部屋を辞していった。

 何処の誰だか分からぬ連中が動き出す。

次回は1月18日 18時頃に更新の予定です。


地中海で苦戦続きの米英潜水艦部隊ですが、これまた見事な方向に誘導されてしまい……?

なお所長と総務部の大尉は二人合わせてアンノウンです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 陸奥中佐の働きは実に大きいですね。 こうした情報戦の積み重ねが勝利につながると思います。 陸奥中佐はこのまま諜報部門に移っても、立派に活躍してくれそうです。
[良い点] 二人合わせてアンノウン…割とこういうネタ好きです [一言] 他の情報源には当たらなかったんですかね? …とも思いましたがまぁ回航委員長ですからね…そりゃ一番のソースですね
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