紅海啓開体当たり③
アジスアベバ:空軍基地
このところ東アフリカの連合国軍は、とにもかくにも酷いあり様としか言いようがない。
セイロン島とスエズ運河が陥落して以来、補給という概念が忘れ去られたような状況に陥っていた。例えばドイツのロンメル軍団に破れた英連邦軍の一部は、陸伝いにスーダンへと逃れたが、そこで身動きが取れなくなった。列強がモザイク状に蚕食したアフリカには、大陸縦貫鉄道の類がまともに整備されていないから、地中海沿岸以外は陸の孤島も同然なのだ。ポートスーダンの港から物資燃料が入らねば作戦行動能力が回復せず、かつ日本の機動部隊がインド洋を荒らし回った影響で、それが叶う可能性は限りなく小さくなっているのである。
「年が明ければ、色々と反撃の準備も整うだろう」
気楽な人間はそう言って周囲を励ましたものだ。
だが1943年に突入しても、そんな兆しはさっぱり見えてこない。それどころか余計に悪化しているとしか思えなかった。アラビア半島南岸は日本軍に占領されてしまうし、つい先週にはソコトラ島が陥落。直後にモガディシュとモンバサが空襲されて多くの輸送船が沈み、南アフリカではボーア人による親独・反政府運動が燎原の火の如く広がっているというあり様だ。
そして頼みの海軍は、まともな艦艇をさっぱり寄越さない。本国と西地中海を防衛し、大西洋でUボートと戦うだけで手一杯であるからだ。
「であるからして、我々が苦労しておるという訳か」
英国空軍第5航空団のリヴィングストン少佐は紅茶を嗜みながら、これまでの旅程を振り返る。
南アフリカからタンザニアにかけて伸びる、セシル・ローズの夢の欠片たる鉄道。それを用いてドドマなる街に集積された爆弾と燃料、関連部品などを、アブロ・ランカスター爆撃機を何往復もさせてエチオピアはアジスアベバまで運んだのである。
「海路が当てにならぬとしても、凄まじいまでの非効率だ。ここまで珍妙な作戦もそうはあるまい」
「お陰でドイツ本土空襲が停滞気味とのことで」
第一小隊のマイルズ大尉が肩をすくめ、
「あのちょび髭野郎が調子に乗らぬか、正直心配になります」
「まったくだ。とはいえここで紅海の封鎖を突破されるとなると、インド洋で日独が握手だ。そうなるともっと面倒なことになるというのも、まあ事実に違いなかろうな」
「ですかね」
マイルズは空虚に笑い、現地の穀物で作ったマフィンもどきを口に含む。
それから紅茶を少し飲む。アッサムの上質な茶葉であるようだ。インドの混乱もあって供給はとうに途絶えているが、事前に大量に備蓄してあったようで、未だ楽しむことができるのである。
「とりあえず海軍が何とか態勢を立て直すまで、我々が頑張らねば」
「植民地人の助けをかなり借りることになりそうなのが、特に気に入らんところだ」
リヴィングストンは不機嫌そうに言い、同じくマフィンもどきを食す。
時計を一瞥したところ、そろそろ索敵機が帰投する頃合いかと思われた。だがその前にすっ飛んできたのは血相を変えた伝令兵で、大声で驚くべき内容を告げる。
「アデン湾に航空母艦3隻を中核とする敵艦隊が出現しました!」
ソマリ州:山岳地帯
「おやおや、随分と騒がしい事になっているようだ」
イタリヤ陸軍のデロッシ中尉は、双眼鏡でもって空を眺めていた。
所属はもはや何処だったか分からない。英陸軍のエチオピア侵攻を受けて部隊は2年前に壊滅、しかしその後も仲間とともに延々とゲリラ戦を続けてきたからだ。捕虜になってしまっては冒険も終わりであったし、ロンメル軍団の活躍は盛んに報じられていたから、そのうち最後まで抵抗を続けた英雄として凱旋できるのではとの想いがあった。
だがそれより早く日本軍が上陸してきそうだというのは、なかなかに予想外な展開だった。
何処からともなく現れた藤木という中尉が言うには、英軍が機雷を撒いていったバブ・エル・マンデブ海峡を掃除してジブチを占領するので、是非そこを拠点にエチオピア奪還を進めて欲しいとのこと。不思議な利他精神である。
「情けは人のためならず、という諺がありまして」
流暢なイタリヤ語で藤木は言い、
「まあ親切心は回り回って自分のところにも戻ってくる、という意味ですかね」
「マッキャベリが聞いたら馬鹿にしそうですね」
「かもしれません。とはいえ同じ敵と交戦中の同盟国同士であれば、まあ問題ないでしょう。スエズ運河を塞いでおった残骸も、何とか片付いたようですし」
そんなことを言いながら、藤木とその仲間達は無線機の準備をしていく。
エチオピアに集結中の空軍部隊の動きについて通報するためだ。見たところ戦闘機部隊がアデン湾の方へと向かっているようだから、確かに艦隊か何かがやってきているのだろう。
ただ無線で通信をされるとなると、当然ながら英軍に嗅ぎつけられる。
とするとこの慣れ親しんだ隠れ家ともお別れしなければならぬ訳で、それを思うと少々寂しくもなった。
「まあでも、気にしても仕方ないか。英雄の凱旋なんだからな」
「ええ。是非、ローマで新聞の一面でも飾ってください」
「その前に乾杯でもしちゃいますか? 英軍から分捕ったウィスキーがまだ何本かありますし、食い切れぬものは近所の村人にでもくれてやらねばなりませんので、コンビーフの缶も開けてしまうのも」
「無線を使ったらすぐ移動しないと不味いのではありませんか?」
「おっとっと」
それが決定打となって、開けるのはコンビーフの缶だけとなる。
アルゼンチンか何処かで作られた牛肉を味わいつつ、デロッシは久々に故郷の料理を味わいたいと思い始めた。海産物料理をこよなく愛する点において、ナポリ気質と大和魂は似ているのかもしれない。
アデン湾:六号掃海金物
角田中将の機動部隊がイエメンの航空基地や港湾を破壊していた頃、ようやく六号掃海金物はアデン湾中腹へと到着した。
推進軸がいかれているのはどうにもならぬから、8ノットという亀が如き速度でしか航行できないのだ。傍から見ればいいカモにしか映らぬだろうが、それでも航空母艦『隼鷹』、『飛鷹』を始めとする有力な艦艇が周辺を抑え、潜水艦を沈めたりしているから、何とかやってこれたということである。
「明後日の正午くらいから、仕事始めとなりそうだな」
世界がすっかり宵闇に包まれた頃。鳴門少佐は仮設の艇長室にて夕食を摂りつつぼやく。
元は結構な貨客船だったにしろ、道具扱いされるほどだから、調理器具は壊れたまま放置されている。衝突の際、タラやジャガイモを揚げるための油に火が付き、そのまま真っ黒焦げになってしまったのだ。お陰で護衛の艦艇から食事を差し入れてもらっている始末で、小型艦のそれは兵と士官とに差が付けられない。定期的に食中毒を起こしたりはするものの、航空母艦『天鷹』は恵まれていたのだと思うのは、こういったところであった。
まあともかくも今は栄養をつけ、掃海任務に備えるのがいいだろう。そう思って匙を動かす。
なお献立はといったら、現地調達のし易さが故か羊肉カレーと豆のトマト煮込み。当初は長粒品種なコメの扱い方が分からず大変な思いをしたり、特有の香りに戸惑ったりしたそうだが、最近は色々と改善されたらしく問題ない。あとは味噌汁があれば、何となく故郷の味といった雰囲気になるものだ。
「さて……」
食器を従兵に片付けさせ、美味なセイロン紅茶を嗜んだ後、鳴門はブリッジへと戻った。
すると突然、船内に物々しい雰囲気が満ち始めたことに気付く。悍ましい音響が微かに聞こえてもくるようだ。
「いったい何事だ?」
「艇長、敵の空襲です。大編隊が急速接近中!」
「分かった。対空見張りを厳とせよ」
鳴門はすかさず命じた。
ただ、見張る以上のことはできそうにない。フネそのものが使い捨ての掃海具であるから、対空火器など積んでもいなければ、操作をする要員もいない。ついでに舵の利きも最悪だから、回避行動もまともに取れぬに違いない。
「まあ、だったら高みの見物とさせてもらおう」
護衛の各艦が一斉に動き、探照灯が漆黒の空を切り裂く中、大胆を装った声で強がった。
ただ鳴門の内心はといえば、それなりの恐怖が滲んでもいた。空襲の可能性があることは現地諜報員からの報告で分かっていたが、まさか夜間爆撃とは。滅多に当たるものではないにしろ、英空軍侮り難しといったところである。
次回は1月8日の18時頃に更新の予定です。更新時刻がばらつき気味で申し訳ございません。
アフリカの鉄道網を見ていると、インド洋の制海権を喪失した状態でスエズが陥落したとなると、ほぼ東アフリカの補給線が自動的に寸断されるのではと思えてきます。
なおイタリヤ軍ですが、グイレット騎兵大尉など、史実でも昭和18年くらいまでエチオピアでゲリラ的な抵抗を続けていた将兵が実在しております。




