史上最低最悪の海軍記念日⑩
エスピリトゥサント島:パリクロ湾上空
「はっはっは、調子乗るんじゃねえ!」
艦爆隊の五斗山中尉は大変に上機嫌で、狂相を思い切り歪める。
攻撃目標たるパリクロ湾飛行場が見事に炎上していた。9機で突っ込んで、命中は半分以上。滑走路に大穴が穿たれ、航空機の運用は当面できそうにない。空に上がっていた米軍機は、早々に零戦隊が追い散らしてしまったから、そのうち低空に降りて機銃掃射でも仕掛け、列線に並んだ敵戦闘機を地上撃破したりするのではなかろうか。
加えて何より、ふざけた偽善野郎の米英人が酷い目に遭うのが、五斗山には楽しくて仕方がない。
事情は素晴らしく個人的だ。豊島区にある彼の実家の近所に、立教大学で教えていたアメリカ人教授の一家がおり、そこの長男というのがチャールストンだの何だのをやって女学生によくモテた。それが腹立たしかったので自分もやってみたのだが、元々の人相も相俟ってさっぱりで、以後米英何するものぞとハイカラ撲滅主義に走ったのである。
ただそんな無茶苦茶な理由で戦争をやっていると、案外バチが当たったりするものだ。
「がはッ!」
五斗山は激痛に呻き、被弾に気付く。
当たったのはバチどころか炸裂した高射砲弾の断片だった。右足から先の感覚がなく、血の気が失せていくのが嫌でも分かる。燃料計も急速に0へと近づいていて、後部座席からの応答も皆無。帰還は全く望めそうにない。
「こりゃ、後には引けねえな」
弱々しく呟きつつ、薄れる目を何とか凝らして眼下を臨む。
できるだけ大きな目標に突っ込んでやりたかった。ほぼ白黒映画みたいになった視界の中に、湾内で舵を切る俎板みたいな艦があった。空母だ、自爆の巻き添えに粉々にするにはちょうど良い。
「死ぬのは手前等もだろ! くたばれェ!」
そんな絶叫とともに、九九艦爆は目標へと突入した。
五斗山にとっては残念なことに、実のところそれは航空母艦ではなかった。だがある意味、それ以上に致命的な一撃だった。何故なら自爆攻撃によって爆発炎上したのは、油槽船『サビーネ』だったからである。
珊瑚海:エスピリトゥサント島沖
「糞、見事にしてやられたな……」
エスピリトゥサント島空襲の報を受け、リー少将はギリギリと歯を軋ませた。
敵機はほぼ真西へと去っていったという。とすればその先200海里くらいのところに、敵機動部隊が遊弋しているのだろう。とすると予定していた航路を取ることは困難だった。先程の空襲は飛行場の破壊を目的としていたようだが、恐らくはこちらがまだ射程外であったため、まずは目障りな基地を破壊してしまおうとの意図のものと考えたものと予想された。
とすれば制空権を獲得した日本海軍は、次には魚雷や徹甲爆弾を積んだ攻撃隊を送り込んでくるに違いなく、その威力はあまりにも致死的という他なかった。
しかも第64任務部隊は相変わらず、敵の小艦隊によって捕捉されたままだった。
パリクロ湾飛行場にはそれを排除するための航空戦力が一応はあり、爆撃の用意もしていたとのことだが、先手を取られて滑走路上で撃破されてしまったようだ。ついでに撃墜した敵機が油槽船『サビーネ』に突入、炎上中との報も届いている。最悪、海上で立ち往生という可能性すら浮上していた。
「このまま予定針路で突っ切るという方がよい、と考える者はいるだろうか?」
リーは念のため、会議室に集った参謀達に尋ねてみる。
当然ながら沈黙が続いた。対空火力が期待できない状態で、艦載機の反復攻撃を受けながらエロマンガ島沖まで辿り着くなど、無謀もいいところだろう。
「提督、相手はそこまで足の速い空母ではありません」
参謀長はそう断じ、
「例の食中毒空母が、オーストラリア辺りから急行してきたものと考えられます」
「だろうな」
隠密裏に真珠湾を出た頃の記憶を思い出し、リーは少しばかり苦笑した。
「元々はといえば、我々の目標はあの空母だったのだな。囮の船団に食い付いたところで全速力で突撃し、水上砲戦でもって沈めてしまえという無理難題だ。向こうがわざわざ近くまでやってきたというのなら……いっそ我々もここで面舵を取り、突っ込んで撃ち合いに持ち込んだりできんものかな」
「残念ながら……その前提は既に破綻しているかと。こちらの位置の秘匿と28ノットの速力、現状では不可欠の要素のいずれもありません。ついでに燃料もです。21ノットで走っていては、あと1日持つかという程度ですから」
「まあ当然、そいつは冗談だ。こんな状況だ、冗談の1つくらい言ってもいいだろう」
リーは力なく笑い、あまりにも無理な可能性を打ち消した。
仮に本当に何かの拍子に会敵できてしまったとしても、機動部隊には護衛艦艇が当然随伴している。重巡洋艦を1隻くらい食えるかもしれないが、結局は集中的な雷撃を食らって沈む未来しか見えてこない。言うまでもなくそれでは駄目なのだ。
「やはりここは東に針路を取るべきでしょう」
航海参謀が沈痛な面持ちで言い、
「とにかく機動部隊に捕捉されるのは避けねばなりません。あるいは、1時間でも遅らせなければなりません。その上で……エロマンガ島で合流するはずだった護衛艦艇に急ぎ北上するよう要請、エスピリトゥサント島東方350海里で邂逅、多少の燃料を融通してもらった上でフィジーへと逃れる案が妥当ではないかと」
「加えて近傍の基地航空隊に、あの小賢しく鬱陶しい小艦隊を爆撃してもらいましょう」
水上機が夜戦で全損して以来仕事のなかった航空参謀も挙手し、
「やはりこちらの位置が掴まれたままではどうにもなりません」
「なるほど……うん、それが妥当なところではあるよな」
リーは道理を踏まえてそう評価する。
だが彼の直観は、何か見逃してはいないかと喧しく囁きかけてきた。過程をすっ飛ばして驚くべき結論を提示してくる超自然的なそれは、これまで幾つかの局面において、間違いなく役立ってきた。違和感は確かに存在しており、丹念に紐解けていれば、非常識的ながら道理の通った活路を見出すことができたのかもしれない。
しかしリーには余裕がなかった。時間を浪費すればするだけ、敵機動部隊の射程に踏み込むからだ。
合衆国が誇る新型戦艦2隻の命運が、自分の一存にのみかかっている。かような凄まじい重圧と一連の海空戦によって蓄積した疲労の中で、根拠はないがただひたすら俺を信じろと参謀達に説くことが、どれほど困難なことかは記すまでもないだろう。傍からは全くの見当違いとしか思われぬであろう直観に、何千という将兵の生命を賭することが、どれほど尋常でない行いかは言葉にするまでもないだろう。
「よし、航海参謀の案でいこう。針路0-9-0だ。ただちに護衛艦艇と合流する手筈を整えてくれ。それから爆撃の要請もだ。何としてでも生き残り、真珠湾に帰ろう」
リーは渾身の力を込めて決断した。
それから大きく息を吐き出すと、崩れ落ちるかのように机に突っ伏した。全身が重りでも課せられたかのようで、ただ疲労感ばかりが脳裏に渦巻いていた。
「提督、ご決断ありがとうございました」
どんな結果になろうと恨みはない。参謀長は言外にそう滲ませる。
指揮官とは孤独なものだ。文字面だけ読む分には容易い。だがそれは生粋のリーダーとして生き、実績を積み上げてきた者の精神すら、容易く圧し折ってしまうものに他ならない。だからこそ、たとえ決断が間違いで行き先が地獄だったとしても、理解があるというのは嬉しいものなのだ。
かくして戦艦『ワシントン』は取り舵し、『サウスダコタ』もまた追随した。
ガダルカナル島沖より熾烈なる旅を続けてきた第64任務部隊の運命は、ここに定まった。定めた針路の先で彼等が遭遇することとなるのが、世界最大の戦艦たる『大和』であるのは言うまでもない。
明日も18時頃に更新します。
追撃戦もいよいよ佳境。どんな結果に終わろうと、決断とは尊いものと思いたいものです。




