史上最低最悪の海軍記念日⑧
ソロモン海:マキラ島沖
やはり対空火力の弱さを読まれている。空を仰ぐなり、リー少将は直観した。
戦艦『ワシントン』、『サウスダコタ』の2隻を残すのみとなった第64任務部隊の直上では、恐るべき白き翼が悠々と大きな円を描いている。ラバウルあるいはポートモレスビーから飛来したベティ――長大なる航続距離と軽快なる運動性能、そして雷撃能力とを兼ね備えた、日本海軍が誇る一式陸上攻撃機だ。その数は16。先程襲撃してきた11機と合わせると、恐らくこれが敵の出し得る全てなのだろう。
準備万端整った状態であったなら、この程度の敵機など恐るるに足らなかったかもしれない。
合計36門もの高角砲をもって撃ちまくれば、何機かを撃墜することが、そうでなくとも編隊を乱すことが可能だからだ。英極東艦隊の2戦艦が航空雷撃によって撃沈されたのは、対空火力があまりに貧弱だったが故、敵機が雷撃に最も適した位置を容易に占めることができたため。海軍の情報部門はそう分析しており、それとまったく変わらぬ理屈が、今まさに第64任務部隊へと降りかかろうとしていた。
いや、もっと悪いのかもしれない。熾烈なる夜戦の結果、高角砲は元の半分ほどしか残っておらず、5インチ砲弾もまた切れかけているからだ。加えて随伴艦は1隻として残っていないのである。
「この空襲さえ凌ぎ切れば、敵機ももはや襲ってはこないでしょう」
自分自身を落ち着かせんと試みるような口調で参謀長は分析し、
「幾ら敵機の航続距離が長いとしても、ここより先は帰還不能点の向こう側であるはずです」
「だろうな。こここそが我等が正念場という訳だ」
「お任せください。必ずや回避してご覧に入れます」
艦長のデイビス大佐が疲労を滲ませながらも、自信満々に声を張り上げた。
実際、『ワシントン』は就役から1年半近くが経過しているため、乗組員の練度もそれなりに高まっている。幾ら対空火力が減殺されていようと、足回りが生きてさえいれば、回避運動は可能である。
また航空雷撃を躱す自信も十分にあった。
1時間ほど前には、11機のベティが海面を這うようにして接近し、次々と航空魚雷を投下してきた。しかし巧みな操艦により、『ワシントン』はその全てを回避したのである。ついでに襲ってきたうちの1機を返り討ちにもしたほどだ。
「敵攻撃機1、撃墜!」
「やった、やったぞ!」
たまには高角砲弾も命中するらしい。艦の誰もが喝采を上げた。
左翼を打ち砕かれたベティは、白く塗られた腹面と濃緑色をした上面とを連続的に入れ替え、黒々とした噴煙を棚引かせながら、一路海面向かって落下していく。
「さあ、来るなら来い」
敵機を不敵に睨みながら、リーは鼻を鳴らしてみせる。
雷撃は『ワシントン』に集中してもらいたいものだと思った。後続する『サウスダコタ』は就役から7か月ほどである関係で、乗組員の技量がそこまで高まっていない。ガダルカナル沖での夜戦で被害を受け、速力も25ノットまでしか出せない。そうした事実を踏まえれば、こちらに攻撃が集中する方が、全員が生き残れる確率が高まるのである。
そして果せるかな、敵機の群れは期待した通りに動き始めた。
「……二手に分かれたか」
艦内の緊張が一気に高まった。
分裂した群れのそれぞれの機が次々と緩降下旋回を開始し、艦隊両翼へと遷移していく。眺める分には優雅な、しかし血の凍るような一糸乱れぬ運動をもって、ベティは海面付近へと降り立った。その過程で更に1機を脱落させることに成功したものの、まず右舷側の8機が、幾分遅れて左舷側の7機が、驚くべき技量でもって突っ込んできた。
「撃ちまくれ!」
「1機たりとも近付けるな!」
機関砲が唸りを上げ、空薬莢がガチャガチャと音を立てて散らばる。
しかし濃密ならざる射撃は、低高度で迫る敵機を捕捉するに至らない。それらが抱きし兵器を投じるや否や、デイビスが面舵一杯を命じた。猛烈な勢いで海面に叩きつけられながらも機能を喪わず、地獄の泡を立てて駛走する8基の航空魚雷。『ワシントン』はこの恐るべき槍衾を、間一髪で避けることに成功した。投弾し終えた機ではあったが、もう1機を撃墜することにも成功する。
だが幸運はそこで打ち止めだった。加えてどちらに舵を切ろうと命中させるのが、左右同時雷撃の意義に違いなかった。
左舷より放たれた魚雷のうち2発が、『ワシントン』の艦首付近および艦中央に突き刺さった。轟然たる大音響とともに水柱が立ち上り、艦の誰もが激震に見舞われる。男達の生理的恐怖を呼び起こさんばかりに艦体が軋んだ。破孔より流れ込んだ濁流が無慈悲に艦の浮力を奪い、ジリリと鳴り響く警報音の中、艦の血小板たる者どもが一心不乱に艦内を駆けていく。
「ううむ、やられてしまったか」
リーは何ともなさげに言い、真っ青になったデイビスを安堵させる。
無論、この程度の被害で『ワシントン』が沈むことなどあり得ない。だが沈没に一歩近づいてしまったこと、それから最高速力が6ノットほど落ちたことだけは間違いなかった。
重巡洋艦『愛宕』は中破判定の損害を受けながらも、3隻の僚艦とともに追撃を行っていた。
艦齢のため速力が落ち気味な重雷装艦『北上』であっても、30ノットは優に出る。故に敵戦艦2隻に追い付くことはそこまでの難題という訳でもなく、陸攻隊が雷撃を成功させた直後に接触に成功。以来、それを保ち続けている。
ただし主砲の射程内に踏み込むことは、大変に危険極まりなかった。
何しろ16インチ砲を9門も備えた新型戦艦2隻であり、万が一被弾でもしようものなら重巡洋艦であれ爆沈しかねない。故に射程ぎりぎりのところに入ったり出たりを繰り返し、また頭を取っての雷撃戦と見せかけて転針を強要するなど、砲弾の射耗や乗組員の疲弊を誘う戦術を採っていた。
「ですが、あまり乗ってこなくなりましたな」
敵戦艦が依然直進を続けているのを認めつつ、『愛宕』艦長の伊集院大佐が言う。
「とすれば、頃合いでしょうか?」
「うむ。まあ前代未聞の戦法だ、当たれば儲けものと思うくらいでいこう」
近藤中将は折れた腕の痛みを堪えつつも、何とも楽しげに微笑む。
昨日の夜戦において16インチ砲弾を食らった際、彼もまた負傷したのだった。だがその程度、指揮統制に問題を及ぼさない。
「全艦、水雷戦用意」
命令は復唱され、発光信号でもって全艦に伝達された。
重巡洋艦『愛宕』に重雷装艦『北上』、駆逐艦『雪風』と『時雨』が、必殺の槍を構えていく。最大射程40キロを誇る九三式魚雷、魚雷発射管に装填された合計72発を放つのだ。敵艦隊が直進し続けるとしても、命中率は1%あればいい方だろうが、だとしても1発も当たらぬ確率は半分を切る。この先の使い道を考えれば、悪くない賭けではなかろうか。
「距離三五〇で雷撃始め」
近藤は屹然と命じ、乗艦を敵主砲の射程内に分け入らせる。
16インチ砲弾の威力は身をもって体験している。しかし最大射程付近では滅多に当たるものでもない。とすれば大した強がりもいらぬというものだ。
「敵艦発砲!」
「敵一番艦との距離、三五〇」
2つの報告はほぼ同時に飛んできた。
「魚雷、撃てェ!」
号令一下、愛宕は次々と魚雷を放って反転し、僚艦もそれに倣った。
傍から見れば、発砲に恐れをなして逃げたとしかなるまい。だからこそ欺瞞ともなる訳だ。命中までの何十分間を、誰もが固唾を飲んで見守ろうとするので、近藤は少しばかり冗談を言って場を和ませる。当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。
「時間!」
時計員が叫んだ数秒後、見張り員が双眼鏡に映る水柱を確認した。
たった1発ばかりではあったが、前代未聞の長距離雷撃は有効打を得たようだった。
明日も18時頃に更新します。
ガダルカナル砲撃の後、全速力での遁走を始めた戦艦『ワシントン』、『サウスダコタ』ですが、徐々に速力を失っていきます。彼女達の運命や如何に。




