史上最低最悪の海軍記念日⑦
太平洋:ナウル島南方沖
「まさかこんなことになるとはな」
黎明。聯合艦隊司令長官たる山本五十六大将は、戦艦『大和』の司令長官公室にて頭を抱えていた。
深夜のガダルカナル島沖で繰り広げられた、想定外の一大砲雷撃戦。その損害は開戦以来最大となった。まず金剛型戦艦の末っ子たる戦艦『霧島』は、どうにか戦闘能力を取り戻した後、長坂橋の燕人張飛が如く立ち塞がったサウスダコタ級戦艦と撃ち合って沈没。姉なる『比叡』もまた、辛うじて喪失だけは避けられはしたものの、向こう1年は身動きの取れぬほどの深手を負った。更に重巡洋艦『高雄』は夜戦の劈頭に弾薬庫誘爆で轟沈、軽巡洋艦『長良』と駆逐艦『暁』、『綾波』、『夕立』、『夕暮』もまた喪われ、無事な艦などほとんど存在しないあり様だった。
無論のこと、挙げたる戦果も相応に大きくはある。
件のサウスダコタ級戦艦は『霧島』に致命傷を与えた直後、砲戦の隙に指呼の間まで忍び寄っていた水雷戦隊から数十射線もの魚雷を浴び、右舷に8発もの水柱を立ち上らせてあっという間に転覆した。護衛として軽巡洋艦1隻と駆逐艦6隻がいたようだが、これらも全て海の藻屑である。とすれば痛み分けとも言えなくもないが、これまで連戦連勝を繰り返してきただけに、聯合艦隊司令部の面々が受けた衝撃は予想以上だった。
「しかもこの大損害に加えて、基地航空隊が壊滅状態か……」
「陸攻と零戦をまとめて80機近くやられたのは確かに痛手です。しかし、再建は十分可能かと。宿舎で寝ておったお陰で、パイロットも割合無事だったみたいですからね」
事もなげにそう嘯くは、首席参謀の黒島亀人である。
項垂れ気味に長机を囲む参謀達の中で、奇人だの仙人だの変態だのと呼ばれているこの男だけが飄々としている。それから相変わらず体を拭ってもいないのか、正直なところ臭い。
「ともかくも今はしょげておる場合ではありません。一刻も早く逃げ出した米戦艦を撃沈し、この戦いを痛み分けから我々の勝利に変える必要があります。残り2隻とも米の新型です、ここで沈めておけば勝利と言えるでしょう」
「だが、どうするのがよいのだね?」
参謀長の宇垣纒少将が尋ね、
「ガダルカナルの飛行場は暫く使えんぞ。ラバウルとポートモレスビーから陸攻隊を出すとしても、ぎりぎりの進出距離だ。一応のところ『愛宕』以下4隻に追尾を命じてはおるが、これも戦艦相手に正面からは戦えはせん。しかも残りの2隻はかなりの高速艦であるようだから、この『大和』をもってしても追い付けるか分からん。何か妙案があるのか?」
「話は簡単、空母を使えばよいのです。英軍のビスマルク追撃戦でも鍵を握ったのは空母です」
「うん、何か使えるのがおったかな?」
山本が首を傾げ、
「北太平洋とインド洋にほぼ出払っておるぞ。トラックの『翔鶴』は今からだと間に合わんし、航空隊の錬成がまだだ」
「他にもいるでしょう、自分みたいに無茶苦茶で出鱈目なのが」
「ん、ああ、そういえば1隻だけあの辺におったか」
山本はどうにか思い出した。満洲の貨客船だった頃、腹心の大西少将が食中毒に遭ったという忌まわしき記憶とともに。
まあそれはともかくとしても、航空母艦『天鷹』を擁する角田機動部隊もまた、ガダルカナルからの緊急電を受信してそちらに向かっているはずである。オーストラリア本土爆撃の後、木曜島の攻略を手伝わせる予定ではあったが――魚雷は一応積んでいるとは思うが、補給は大丈夫なのだろうか。
「あとあれな、25ノットしか出んだろう?」
「大丈夫です、問題ありません。大至急、角田機動部隊にここへ急ぐよう命じてください」
黒島は机上に広げられた世界地図の一点をスパッと指差し、
「まったく『天鷹』なんつったら聯合艦隊の面汚しにして恥晒しのやくざ艦かもしれませんが、今はあの艦が一番の鍵になります。この際、贅沢なんて言っておられませんよ」
「なるほど、よく分かった。早速向かわせるとしよう」
普段通りの面持ちに戻った山本は、鷹揚に肯いてみせる。
何とかなるかもしれないと思った。ここで敵戦艦を2隻とも撃沈すれば、聯合艦隊としても体面が立つ。それに新型戦艦の損耗があまりにも大きいとかで、米の大型艦建造順位が入れ替わるといった影響もあるかもしれない。その辺りを含め、一度何処かで今後の大戦略を取りまとめておく必要があるだろう。
「あと黒島参謀、さっき『天鷹』を自分みたいと言っておったが、貴官は聯合艦隊の面汚しで恥晒しのやくざ者なんかね?」
「ははは、これは一本取られました」
司令長官公室に笑い声が木霊し、幾人かがそれに釣られる。そういった雰囲気作りも案外と重要なのだ。
珊瑚海:ニューカレドニア島北西沖
「よしよしよし、俺の時代が来たんじゃないかこれ! 全速前進、減速厳禁だ!」
高谷大佐は大変に上機嫌であった。
機動部隊指揮官の角田少将を通してのものであれ、聯合艦隊司令長官から直々に命令を仰せつかったようなものである。これで舞い上がらぬ方がおかしかろう。
「ガダルカナルで沈んだ『霧島』と『高雄』の仇討ちだぞ。ここで敵戦艦2隻を見事撃沈し、聯合艦隊に航空母艦『天鷹』ありと知らしめてやろうではないか。ダツオ、バクチ、ジェット奔流攻撃を仕掛けるのだ!」
「どういう戦法なんですか、それ?」
航空隊の打井少佐と博田大尉がお互い顔を見合わせ、聞いたこともないなと肯く。
当然、高谷がその場の雰囲気ででっち上げた口から出任せであるから、中身があろうはずもない。打井の肩に止まったアッズ太郎が"Retarded"などと鳴くので、インド丸かウナギに食わせてしまうぞと凄む。まったくオウム相手に大人げない。
「とにかくだ、善は急げと昔から言うだろう」
高谷は一応大急ぎで頭を捻り、
「そうだ。相手は戦艦だけなんだから、艦爆と艦攻だけで攻撃隊を編成してもいいだろう。でもって爆弾と魚雷を抱いて出撃、ガダルカナルに着陸させるというのはどうだ? これなら今からでもやれる」
「ガダルカナルの飛行場は壊滅状態だそうですが」
チビ猿のパプ助にマーマイト乾パンを食べさせながら、航海長の鳴門少佐が一言。
ブルドーザーがあるから復旧もそれなりに早いかもしれないが、それでも数日間は滑走路が使い物にならないのである。しかも艦砲射撃で弾薬庫が爆発してしまったから、降りたら再補給ができないというオマケまでつく。
「それと山本長官直々に、ここへ行けって言われておるじゃないですか」
「俺だって海原の戦いで勝って出世したいんだ」
「艦長、お願いですから我儘言い過ぎんでくださいね」
相変わらずの調子で馬鹿みたいな議論もどきが続く。
そうして数分してからようやく、本題に戻らないかということになった。重要なのは現在の『天鷹』がどれだけの戦闘能力を有しているかということで、これを角田少将に報告せねばならなかったことを高谷も思い出す。
「して、我等が『天鷹』の戦闘能力は、現状どれほどか?」
「ええと、艦載機の損耗は大丈夫です。ただし魚雷が12本しかないです、前に巡洋艦を攻撃するのとかに使っちゃいましたし。まあ1発も当たりませんでしたけど」
「あ……」
飛行長の諏訪少佐が大きからぬ声で説明し、高谷は声にならぬ呻きを上げる。
「なお残りの魚雷のうち4本は調整が上手くいってないんですね。鉱油エビ天のせいでまた魚雷整備長が寝込んじゃってますし。一方で25番と6番なら山のようにあります。爆撃任務なら問題ないですね」
「スッパ、今は大型艦をどう仕留めるかって話なんだぞ!? とにかく……ええと、80番ならどうだ?」
「それも残り8発。でも多分、うちのフネに敵戦艦沈める任務は回ってこないんですね」
唐突な分析に、幾人かがどういうことかと尋ねる。
ただし血の気の多い人間達は、完璧に白けてしまって、どういった理由からなのかをさっぱり聞かなかった。特に高谷などは、8発ずつの魚雷と大型爆弾でもって戦艦1隻を沈める方法はないかと、無為に考えを巡らせるばかり。元よりそんな芸当は期待されてもいないとは、露も思わぬ性格なのである。
明日も18時頃に更新します。
大追撃戦開始……という時でも、『天鷹』はkonozamaです。『ワシントン』、『サウスダコタ』に追い縋れるのでしょうか?




