史上最低最悪の海軍記念日②
珊瑚海:ルイジアード諸島沖
世界史上初めて艦隊同士が視界外で殴り合った海域に、航空母艦『天鷹』は5か月ぶりに戻ってきていた。
角田機動部隊の一員として、木曜島を占領するためである。和歌山県出身者であればあるいは、この地名にすぐピンときたかもしれない。豪州大陸北端のヨーク岬半島とニューギニア島を隔てる150キロほどの海峡は、300に近い数の島が犇めく多島海となっている。その南端に近い辺りに木曜島と呼ばれる島があり、真珠貝が大漁であったものだから、素潜り漁が盛んだった串本の住民などが多く出稼ぎに行ったり、そのまま住み着いたりしていたが故である。
もっとも今は日豪が戦争中であるものだから、真珠など採られてはおるまい。
実際、日本人労働者は全員収容所に送られていたし、島は軍事拠点に変わっていた。海峡を防衛するための飛行場や水上機基地が築かれ、あちこちに高射砲や沿岸砲が据えられている。であればさっさと占領してしまおうと、大本営の誰かが言い出したらしい。日本軍は既にニューギニア全島を占領していたから兵力を捻出することは可能であったし、将来連合国軍がニューギニアへの反攻上陸を企てるとしたら、間違いなくその根拠地の1つとなると考えられたためだ。
加えて木曜島を占領すればトレス海峡の封鎖が可能であり、豪州北西部が容易に干上がると予想された。
「まあ、確かにあの島を取ってしまえば後々楽かァ」
あまり精気の籠っていない声色で、高谷はぼんやりと呟く。
このところ妙に元気がなかった。ガダルカナル島で飲んだ椰子ジュースだとか、適当に作ったヤシガニ料理だとかが、変な作用を及ぼしたのかもしれない。
「どうあっても無視はできない……島っぽいしなァ」
「小回りの利く艦を置いたり、機雷でも撒いたりしておけば……通せんぼできますねェ」
航海長の鳴門少佐もどうにものぼせ気味で、
「ぶっちゃけあの辺、海の難所ではあるんですけどねェ」
「メイロなァ、フネを座礁させんでくれよォ。珊瑚海って海こそ綺麗かもしれんが、暗礁とか多そうだしなァ」
「そこははい、分かっておりますのでェ」
気の抜けたサイダーのような会話が続く。
何故自分達はタウンズビル爆撃に向かっているのだったかと高谷が問い、いやいやあそこの爆撃機に上陸作戦を妨害されんようにするためでしょうと鳴門が答えたりする。普段なら敵戦艦はいねえか敵空母はいねえかと五月蠅い人間が、こうも消沈していると調子が狂いそうなものだが、乗組員が揃ってこんな調子だから余計に悪い。角田機動部隊の将旗が重巡洋艦『利根』に掲げられているのも、まったく無理からぬ話だ。
なお普段通りなのといったら――チビ猿のパプ助だとかネズミ捕り三等水兵のインド丸だとか、要するに動物達ばかりである。
「そういえばあれ、何でしたっけ……」
鳴門は唐突に、しかし数十秒かけて思い出し、
「ああそうだ、輸送船団。どうするんでしょねェ? 何か、サモアから出たらしいですけど」
「知らん。陸攻隊が始末するとか、するんだろ……」
高谷は本当にどうでもよさそうな口調で言った。
ガダルカナル島はこのところ陸上攻撃機の集積地になり始めていて、対岸のツラギ島に展開する飛行艇部隊と合わせて、周辺海域に脅威を撒き散らしている。輸送船は既に十数万トン沈めたという。であればまあ今回の船団に関しても、珊瑚海を通るのであれば、構わず叩きまくったりするのだろう。
そしてそれでもって会話が続かなくなってしまったので、鳴門も改めて海図を、少々散漫な注意力でもって眺めたりし始める。
「戦はあとどれだけ続くんだろうなァ……」
それが厭戦の言葉でない辺りが、まったく因果なところである。
ニューカレドニア島:南太平洋地域司令部
ウィリアム・ハルゼー中将がヌーメアにやってきたのは、つい最近のことである。
理由は前任者のゴームレーなる人物が大変な愚鈍で、作戦計画書に「もう駄目だ」だの「手に負えない」だの泣き言を連ねる始末だったからだ。当然それらは再提出であったし、度が過ぎるのでニミッツ大将が解任してしまったのだ。
とはいえ指揮官が変わったから、戦闘力が急に倍増する――という訳もない。
実際、何もかもが酷いあり様だった。北太平洋でSP3船団が襲撃され、その後も伊号潜水艦が大暴れした結果、補給計画が滅茶苦茶になってしまったためだ。着々と飛行場建設が進められているソロモン諸島への爆撃とか、ポートモレスビーの無力化とかは、ガソリンや爆弾が届かないのでさっぱり進捗していない。
しかも着任早々、シドニーのマッカーサー大将が増援の催促と文句を喚きまくってくれたものだから、
「フィリピンからすごすご逃げ出してきた負け犬に名誉なんてありません!」
と雷鳴が如く怒鳴った挙句、電話機に拳銃弾を叩き込んでしまった。
もっとも何か月か後、マッカーサーと直に会って談判した際には、「目と目があった瞬間に好感を抱いた」とか言い出したりする。まったく人間とは分からぬものである。
「それにしても何だ、何故奴等は食い付いてこんのだ……」
チョコ味のアイスクリームを苛立たしげに舐めながら、ハルゼーは頭を捻る。
忌々しい食中毒客船改装の航空母艦を沈める計画を実行してみたら、何故かそっぽを向かれてしまった。ソロモン諸島やニューギニアに残地させた連絡員の報告を総合すると、『天鷹』以下10隻ほどの艦隊は、出航するや否や南西に舵を取り、オーストラリア北部を爆撃し始めたという。
「船団攻撃に投じられることの多い空母ですから、絶対に上手くいくはずです」
などと自信満々に言っていた参謀は、真っ青になって即刻辞職を願い出たほどだ。
これ見よがしに編成・航行させ、囮として機能させるはずだった船団は、今もフィジー西方沖を航行している。貴重な燃料の無駄遣いに終わってしまうかもしれない。
「おい、何かいい方法を思いつかんか?」
バニラアイスクリームを美味そうに食べている参謀が目に付いたので、気さくに尋ねてみる。
「ちょうど舐めとるバニラみたいに真っ新で、真っ白な頭で考えてみてほしいところだな」
「そうですね……」
参謀は少し考え込んだ後に手を叩き、
「リー少将の第64任務部隊をソロモン諸島に突っ込ませるというのは如何でしょう? 元々が敵空母に突っ込ませる計画だったのですから、速度0ノットの陸上空母を撃破してくればいいのではないかと。あと多分、輸送船とか犇めいています。沈めてしまえば奴等もコメが食えなくて逃げ帰るかと」
「なるほど、大変に気に入った」
「あと敵空母ですが、南太平洋に展開しているのは例の食中毒空母だけらしいです。残りは千島列島ですとか、インド洋ですとか……英軍も不甲斐ないもんですよね、セイロン守備隊がもう降伏し始めたとか」
「紳士気取りどもが紅茶欠乏症にでも罹ったんだろう」
「やはり男児たるもの、ブラックのコーヒーですか」
「その通り、だがまあそれはいい。貴官の案を採りたいから、詳細を急ぎ詰めろ。とにかく苦境にあっては反撃の嚆矢となり、受け身を脱することが一番重要だ。無論それは我々であり、我等が高速戦艦部隊であらねばならん」
ハルゼーは一気に上機嫌になった。チョコ味を急いで平らげ、自分もバニラ味を食べることにする。
まったく積極的提案をしてくる部下は宝石よりも貴重だ。臆病者のゴームレーには豚に真珠だったのだろうが、自分であれば問題ない。指揮官交代で戦艦の砲戦力が倍増したりはしないとしても、悲観主義的態度や優柔不断さを排することにより、落ち込み分を取り戻すことは十二分に可能なのだ。
なおハルゼーは作戦目標変更について太平洋艦隊司令部にきちんと具申した。
オーストラリアの動揺を抑え、米豪連絡線を維持する上では、ガダルカナル島航空基地の無力化もまた有効である。ニミッツ大将がそれを容れたことは言うまでもない。
明日も18時頃に更新します。
史実でも木曜島(本当にThursday Islandという名前です)は連合国の前哨拠点となっておりましたが、実はここ要所になり得るのでは? と考えて登場させてみました。




