油断大敵燃料事情
トラック諸島:夏島
戦場では生命を賭して戦わねばならぬ軍人に、休養の時が必要なのは言うまでもない。
だが少々長過ぎるのではないか。このところ、高谷大佐はそう思い始めていた。休養が短過ぎれば心身が疲弊するばかりだが、長過ぎても性根が腐るだけであって、自分達は後者に寄り始めているのではないか。そんな切迫した危惧を、そもそも腐る性根があるのかも分からない人物が抱いていたのである。
特に現在、インド洋から太平洋にかけての戦況は、膠着状態というか停滞気味になっている。
こんな時こそ果敢に攻勢に出て、更なる打撃を連合国に与えるべきではなかろうか。実際、将兵の士気は十分以上に高まっているのだから、最大限積極活用しなければ宝の持ち腐れである。聯合艦隊司令部は、山本司令長官は、いったい何を考えているのか。ミッドウェーで『加賀』と『龍驤』が沈んだからと、臆病風に吹かれたのではあるまいな。高谷がそんな風に苛立っていると、第四航空戦隊司令官の角田少将が軽く説明してくれた。
つまるところ、燃料事情が心許ない。故に現在、打って出難いというのである。
「何ですかァ、そいつは。酷い話じゃないですか」
「酷い話だから、ジリ貧になる前に戦争となった訳だろう」
「我が『天鷹』はパレンバン作戦の支援もしましたよ。お陰で油田がほぼ無傷で手に入ったそうです。でも何故、未だに油がないとかケチ臭いことばかり言うんですか、聯合艦隊司令部は?」
「セイロン作戦をやるから足らんとか、奪ったばかりでまともに稼働しておらんとか、まあ色々あるんだろう」
角田はケロリと言ってのけ、所用があるからといなくなる。
考えてみれば、確かにそうだったかもしれない。米国が日本にはもう石油を売らんと言い出すものだから、油田のある蘭印に侵攻する作戦を実施したのである。いやいや、ならばオランダとだけ戦争をすればよかったのではないか? 本国がドイツに占領されているはずだから、仏印みたいに進駐するだけで済んだかもしれない。いや、これは素人考えなのだろう。
まあしかし、オランダの植民地如きを攻め落とすだけでは面白くもなんともない。
元々が軽巡洋艦をちょっとしか持っておらん国だから、戦艦や航空母艦を沈める機会が最初から皆無なのである。それを考えれば米英との戦争であってよかったともなるが、艦隊を動かす燃料が足らんでは困ってしまう。早いところ燃料の都合をつけて、米豪遮断作戦に打って出、戦果を挙げたいものだ。米国も昔みたいに石油を売ってくれないものか――いや交戦中の敵国に塩を送る馬鹿が何処にいる、何を言っているのだ俺はと流石に思い返す。
ともかくもそんな訳で、高谷は関連資料と称するものを何処からか持ち出してきて、水交社で煙草を吹かしたりサイダーなど飲んだりしながら、ジッと睨みつけているのである。
「なるほど、艦長にしては珍しいですね」
またもただ飯ただ酒狙いでやってきた抜山主計少佐が、適当な表情を浮かべて言う。
「明日はトラックに雪が降るかもしれません」
「8月に雪なんぞ降る訳があるか。そんなだからヌケサクと呼ばれるんだぞ」
原油の生産や輸出に関する図表を睨みつけていたからか、嫌味は高谷の耳を素通りしてしまった。
なお抜山のことをヌケサクと当たり前のように呼んでいる人間は、地球上に数人くらいしかいないだろう。
「しかし何なのだ、これは? テキサスとオクラホマでは何故こんな狂った量が出るんだ?」
高谷は図表に記された数値を凝視しつつ唸り、
「年間2億kl。パレンバンと桁が2つも違うし、ここらだけで世界の半分以上だ。しかも次点がカリフォルニアの4000万klとか、ちょっとおかしいだろう」
「何故と言われましても、元々そういう土地柄だとしか。ああ、数百万年前くらい昔の北米大陸中西部は全部浅瀬で、藻とかアオコみたいのの死骸がヘドロとなって海底にどんどん溜まり、それが石油になったとかいう説を聞いたことがありますね」
「なるほど、ヘドロがペトロか。面白いな」
高谷はケラケラと笑い、抜山は例によって苦笑。当然、ヘドロとペトロリアムに関連などない。
「とすると今から藻を育てまくったら、石油を作れたりするんだろうか? いやまあ俺が思いつく程度だから、とっくに誰かが試してはいて、多分さっぱりだったんだろう。石炭や……ええと、何だこれは、ページ岩?」
「艦長、それは"ケツガン"と読みます」
「おお、流石はヌケサク。まあ何だ、石炭や頁岩をわざわざ石油にしようという研究をやっとるくらいだしな」
そう言って人造石油関連の入門書の表紙を一瞥する。
なになに入門とつく培風館の書籍は、だいたい理工系学部卒でないと読み解けない。門の先にあるのが本職の科学者か技術者だからで、なんともチンプンカンプンな化学式や計算式が並んでいる。日本語の書籍になっているだけありがたいくらいの代物だが、素人では日本語として読むことすら困難である。
ただそれでも、あらすじ部分に書いてある内容だけは理解できた。
岩石状のものを液状とすることで可搬性を高め、内燃機関で利用可能とするというのは、確かに合理的発想であるとも思える。それに石炭や頁岩は埋蔵量が結構ある上に産地の偏りが小さいから、これを人造石油とする技術を実現することにより、化石燃料資源的に安定した国家を目指すことが可能との説明は大変に分かり易い。
「しかし、本当にどうかしておる」
高谷は入門書のページをちょっと捲り、石炭と原油の産地を示した地図を見比べる。
原油生産の1位は米国、2位はソ連邦、3位はベネズエラだが英の勢力圏で、つまるところ9割近くが敵中にあった。加えてアジアから遠く離れた場所にばかり主要な油田がある始末。パレンバンを擁する蘭印は、順位こそ5位につけてはおるが、生産量は米国のそれの5%にも満たぬ。まったく凄まじいまでの寡占状態である。
「というより、ずるい。何であちらには石油がこんなにあるんだ? というより石油だけじゃない。穏やかな五大湖を使って鉄鉱石を運んでおるし、鉄鉱石は品質がいいのが出るようだし、ピッツバーグには優良炭が転がっておる」
「今更そんなこと言っても始まらんでしょう、戦争をやってる訳ですから。なおこのところドイツ軍はスターリングラードに大規模な攻勢を仕掛けておりますが……」
抜山が世界地図の一角、バクー油田と記されたところの少し北の辺りを指差し、
「スターリングラードで勝利すれば、コーカサス一帯がドイツの占領するところとなるやもしれません。この攻勢の狙いは恐らくそこにあります。そうなるとソ連邦は油切れで講和に追い込まれるので、シベリヤ鉄道経由で我が国にも供給があるかもしれません」
「なるほどなるほど。我々が太平洋で大戦果を挙げるためにも、総統とかいうチョビ髭のオッサンには是非頑張ってもらいたいところだ。だが何でもかんでもドイツ頼みばかりというのも気に入らない、何か他にいい手がないか検討するべきかもしれんな」
「具体案は何かあるんですか?」
「ない、それはこれから考える心算だ。さて久々に頭を使ったものだから、ちょっと小腹が空いてきおった」
やたらと敷居の高い入門書だとか各種統計便覧だとかを片付け、高谷はスクッと立ち上がる。
「飯にしよう。ヌケサク、お前も付き合えよ」
「ははは、喜んで」
抜山のただ飯ただ酒作戦がまたも成功を収めたことは言うまでもない。
明日も18時頃に更新します。
中東の油田開発が本格化するまで、世界の原油生産のほぼ2/3が北米だったというのは、何時見ても凄い話だな……となります。




