北東太平洋の一攫千金③
太平洋:ホニア断裂帯付近
雷跡。見張り員がそう叫んだ時には既に、被害は確定的となっていた。
それから数十秒。舵が利き始めるより早く、凄まじい衝撃が戦艦『ニューメキシコ』を襲った。猛烈な爆発音とともに左舷に大きな水中が聳え立ち、不運なる水兵達を弾き飛ばす。大きく穿たれた破孔から濁流が雪崩れ込み、艦の浮力と乗組員の生命とを容赦なく奪い取っていく。
「ダメージコントロール!」
艦長のブラウン大佐はすぐさま発令した。
警報が鳴り響く中、対処要員が角材やロープ、金槌、消火器などを持って駆ける。浸水中の区画へと恐れることなく飛び込み、血や重油の混ざった海水を全身に浴びながら、ただちに破孔を塞いでいく。乗組員が一丸となっての早業だ。迅速になされた作業によって、また唸りを上げる排水ポンプの機械力によって、浸水は何とか抑えることができた。
だが齎された被害報告にブラウンは愕然とした。
機関が故障し航行不能に陥ったというのである。恐らく修復は可能とのことだが、まずもってそれは船乗りを最も恐怖させるものの1つに違いない。それからもう1つ、極めて重大な問題が浮上していた。
「糞、これでは丸裸となるではないか……」
SP3船団を護衛する20隻超の水上艦艇。その指揮を務めるターナー少将は、憤怒に任せて執務机を蹴り壊す。
旗艦たる『ニューメキシコ』は船団防衛の要であり、必要とあらば40隻の高速輸送船のため身を挺するはずだった。だがこのざまである。足の止まった艦にそんな真似ができるはずもない。敵の潜水艦を撃沈という報も間もなく飛んできたが、そんなものは何の慰めにもならない。
「概算でいい、修理にかかる時間は?」
「6時間以内には完了するかと」
恐ろしい形相で尋ねるターナーに、ブラウンはすぐさま答える。
「なお被害状況からして、復旧後の最高速力は推定16ノット」
「このまま進むとすると……ほぼ丸1日、戦艦の護衛を受けられぬという訳か」
胃がギリギリと痛む。ターナーは秘蔵のウィスキーを少しばかり舐めた。
それからどうするかを思案する。今現在、SP3船団はハワイからも西海岸からも支援を得るのが困難な最悪の海域を航行中だ。一刻も早く真珠湾に辿り着きたいのは誰もが同じだろうが、そんな地獄めいたところを戦艦なしで進ませるというのは、正直なところ自殺行為に見えてしまう。
(もっとも……)
護衛空母『ロングアイランド』やアトランタ級軽巡洋艦の2隻は無事ではあった。
有力な水上打撃部隊との交戦が予想される場合を除けば、船団護衛における戦艦の役目は基本的に被害の吸収である。それが今回の被雷であるならば――ターナーは再びウィスキーを呷り、決断する。
「旗艦を『サンディエゴ』に移す。6時間以内に直して、全速力で追い付け。いいな?」
「了解いたしました」
ブラウンの返答を聞くよりも早く、ターナーは移動準備に取り掛かった。
将旗を移し終えるや、SP3船団は少しばかり転針し、従来通りの速力で目的地を目指す。先程は不運にも魚雷を食らいはしたものの、哨戒機を飛ばすことのできる10ノット超の船団は、そう易々と潜水艦に捕捉されるものではない。それはオペレーションズリサーチとかいう数学的手法でも示されている。
「まあ、何とかなるだろう。このままハワイまで突っ切るのだ」
太平洋:メンドシノ断裂帯付近
本当に海原ばかりが続く海域を、旭日旗を掲げた艦隊が堂々と突き進んでいく。
航空母艦『隼鷹』、『天鷹』からなる第四航空戦隊に、重巡洋艦『高雄』と第一水雷戦隊の5隻が随伴している。北東太平洋の波は決して穏やかではなく、時折陣形が乱れたりする。主に護衛されるべき2隻が、あまり上手くない操艦をするからだった。
そうした作戦航海の真っ最中に、何とも間抜けな事件が勃発した。
発端はといえば、『天鷹』副長の陸奥中佐がウナギを連れ、飛行甲板を散歩していたことにある。それが非常識極まりない行動であるのは言うまでもないが、とにもかくにも僚艦から奇異の目が寄せられたのだ。双眼鏡を覗いていた水兵が目を疑い、仲間達が唖然とする。何事かと駆けつけた甲板士官の顎が外れた。
「貴艦ハ動物運搬船ナリヤ?」
そんな内容の発光信号が『隼鷹』から発せられたのも、まあ致し方ない事だろう。
「何だあいつら、馬鹿にしやがって!」
自分達の日頃の無軌道ぶりを一切顧みることなく、高谷大佐は大いに憤った。
だが奇特なことに、単純に罵倒を返しても面白くないと彼は思った。同じくむかっ腹を立てている佐官達と、まだまだ大量にある干し鮭を無心に齧りながら相談した結果が、
「然リ。好戦的猛獣多数ニツキ細心ノ注意ヲ要ス」
というバンカラの気風全開の返答である。その後も、
「大変危険ニツキ毒殺処分ヲ推奨ス」
「汎用対米決戦猛獣デアル。艦隊戦力ヲ低下セシメル提言ハ控エラレタシ」
「ナラバ猛獣ガ戦果ヲ教エラレタシ。寡聞ニシテ聞カズ」
なんて無茶苦茶な応酬が鷹の名を冠した航空母艦の間で続く始末。
全く呆れ果てる他ない話だが、第四航空戦隊司令官の角田覚治少将は豪気に笑うばかり。意固地になった連中が双方にいた関係で、発光信号を用いた愚行は更に十数分続いてしまった。もっとも片割れが『天鷹』である。僚艦に高角砲を向けるような超絶愚行に走らなかっただけでも、賞賛に値すると言うべきかもしれない。
「ううん……まったく『隼鷹』の奴等、腹が立つなァ」
「艦長、『高雄』索敵二番機が敵護送船団発見を打電した後、消息を絶ちました」
「何、まことか? 攻撃隊発艦準備だ、急がせろ!」
悪口大会のことなど一瞬で忘却し、高谷はすかさず命令する。
捕捉したのは輸送船数十隻を誇る、かなり巨大な船団のようだった。緯度経度や日時からしてサンフランシスコ沖の潜水艦が通報してきたものに違いなく、見事に攻撃圏内にあった。これを木っ端微塵に粉砕してしまえば、間違いなくハワイ諸島は窮地に陥るだろう。さすれば大喝采である。
そうして先程までとは打って変わって、極めて実戦的な発光信号がバンバカ交わされる。
角田は一挙に60機もの戦力を叩きつけるという。高谷としても全く異論はない。敵護送船団には小型ながら航空母艦1隻が含まれており、『高雄』の索敵二番機は直掩機に撃墜されたようだから、零戦もそれぞれ3個小隊ずつ出すこととなった。なおそのうちの1個は爆装させ、敵戦力次第で柔軟対応させよとの命令である。
「いいかお前等、まずはでかいのから沈めてこい!」
艦載機が飛行甲板に持ち上げられ、エンジンが唸りを上げる中、高谷は搭乗員達に訓示する。
「戦艦とか空母とか、小難しいことを考えず、とにかく大物を狙え。輸送船なんて後から幾らでも食える。中には弁当の玉子焼きを最後まで残したがる性格の奴もおるかもしれんが、今日は真っ先に食べるのだ」
「合点承知の助」
整然と並んだ搭乗員達が、何とも不敵な笑みを浮かべる。まさに好戦的猛獣であった。
程なく発艦始めの合図があり、彼等も愛機に飛び乗っていく。手始めに戦闘機隊が軽やかに舞い上がり、続けて艦爆、艦攻と重たいものを抱えている機が空へと旅立っていった。空中集合を終えた艦載機の群れは、天をも震わせるような発動音を撒き散らしながら、一路南東に向かって突き進む。
「ん……だが何か忘れているような気がするな」
「敵護送船団に戦艦が含まれていないって話ですか?」
陸奥が何気なく応じ、
「索敵機の報告になかったのが不思議ですよね。サンフランシスコ沖を出た時にはピタリとくっ付いておったはずなんですが、いったい何処に消えてしまったのか……あれ艦長、どうかなされましたか?」
高谷はカチンコチンになってまともに返答もできない。
ただ小声で敵戦艦撃沈がうんたらかんたらと、譫言のように繰り返し呟くばかりである。
明日も18時頃に更新します。
何だか『天鷹』と『隼鷹』が犬猿の仲っぽくなってしまいました。




