太平洋大海戦的机上空論
佐世保:市街地
久方ぶりに内地に戻ったこともあり、航空母艦『天鷹』の乗組員も懐かしい空気を存分に満喫していた。
羽の伸ばし方は十人十色と言いたいところだが、陸奥中佐を除く妻帯者は呼び寄せた家族と過ごしているし、それ以外はほぼ飲む打つ買うのどれかで説明がついてしまう。問題児だらけで知られる戦闘機隊も、酔っ払った挙句に店の畳をひっくり返したり、娼妓を引っ叩いたりするくらいで済んでいるようだ。
だが誰よりも荒れ放題になっているのが、艦長の高谷大佐である。
佐世保に上陸するなり、次はミッドウェーだ太平洋決戦だとの噂話を耳聡く聞きつけ、大変なまでに胸を膨らませた。一航戦、二航戦だけでは不安があるとかで、航空母艦のほぼ全力を投じる作戦だというから気分も高揚した。にもかかわらず、期待は見事なくらいに裏切られた。大湊に移動して細萱戊子郎中将の北方部隊に加われとの命令で、不承不承それを受領して以来、彼は軍服を着たゴロツキみたいになってしまっている。
北方部隊の行き先は当然ミッドウェーではない。手柄を上げる機会はまたも消え失せたのである。
「畜生、やってられるか!」
馴染みの寿司屋にて、高谷は自棄っぱちに叫ぶ。
それから卓上に並ぶ寿司をギラリと睨み、一心不乱に食べ始める。玉子を真っ先に口に放り込み、それからマグロ。ヒラメと思しき白身魚にイカ、トビッコの軍艦巻きと無造作に咀嚼し、半合ほど残っていた酒を一気に飲む。
「酒だ酒、もっと酒をくれ!」
「艦長、あんま飲み過ぎん方がいいですよ」
そう言って宥めるのは、例によって抜山主計少佐だった。
彼が金魚のフンみたいについてきているのは、高谷が馬鹿をやらかさないか心配であるが故……ではない。実のところ高谷は酒が入ると気が大きくなる性質なので、上手い事煽ててただ飯ただ酒にありつくためである。まったく主計将校らしい吝嗇ぶりだと呆れるところだ。
「飲み過ぎは体に毒ですし、酔い過ぎると足を滑らせてつまらん死に方をしたりします」
「いや、次は北方部隊だなんて方が頭に猛毒だ。何だったって、毎度毎度うちには面白くもない作戦ばかり回ってくるんだ。これが飲まずにやってられるか、ほらヌケサクも好きに飲め」
「はァ、ではお言葉に甘えさせていただきます」
抜山は抜け目なく応じ、追加の酒を持ってきた女将に耳打ち。
それが如何なる注文であるかは、だいたい高谷は気付かない。海軍の会計はだいたいツケ払いであるし、彼はそもそも預金通帳すらまともに見返さない性格だからである。
「それで……何の話だったか? 北方作戦には重大なる戦略的意義があるとか何だとか言っていたが、ありゃいったいどういう了見だ? 俺は山本長官にバクダン酒を送りたいという気分にしかならんぞ」
「いや、大戦全体を俯瞰してみれば、これは間違いなく重要な作戦です」
抜山はマグロやウニの寿司をペロリと平らげて長角皿をどけ、それからノートを卓上に広げる。
相変わらず手書きの荒い世界地図に、あれやこれやと走り書き。完璧に出来上っている高谷には、何十匹ものミミズがのたくっているようにしか見えない。
「米海軍を擂り潰して太平洋の制海権を確たるものとするという意味では、ミッドウェー作戦は間違いなく重要です。港のあちこちで噂になっているのも、米海軍を誘き出すためでしょう。間諜の類はまあその辺にいるでしょうから」
「それくらい、俺にだって分からァ」
「対して北方作戦ですが、その戦略的意義を考える上では、まず欧州戦線に着目する必要があります。というのも現在、独ソ両国はレニングラードからクリミヤに至る全域で激しくぶつかっており、昨年のモスクワ攻略失敗から立ち直ったドイツ軍が、そろそろ新たな攻勢を実施するのではないかと考えられておるからです」
「クリミヤといったら、ああ、100年くらい前に有名な看護婦が頑張ってたところか。ナイチンゲール、女だからそりゃあイチモツはないよな。まあどうでもいいか、それで?」
「はい。この際、ソ連邦にとって欠かせぬのが、米英からの補給物資です」
ページがパラパラと捲られ、
「以前説明いたしました通り、これは主にバレンツ海、ペルシヤ湾、北太平洋を経由して運ばれており、既に北太平洋以外は遮断されつつあります。東洋艦隊の壊滅によって英海軍が戦力不足に陥ったのを機に、ノルウェーに展開する独戦艦『ティルピッツ』が活動を活発化させておりますし、インド洋においても我等が重巡洋艦『足柄』が英船団を壊滅させるなど、これら航路の途絶は時間の問題といった状況です」
「だがなヌケサク、我等が帝国とソ連邦の間には、中立条約とかいうのがあるんじゃなかったか?」
高谷はぼんやりとした頭で何とか思い出し、
「まあ去年まではドイツとソ連邦の間にもあった気がするし、まったく複雑怪奇だが……ああ、そんなこと抜かして辞めた前に首相がいたんだったか。まあそれはそれとしてソ連邦相手に海上封鎖をやるなら、宗谷や津軽を通らせないと言えばあっという間だろう。そんな真似をしたら条約も糞もないだろうが」
「その通りです。だからこそアラスカ方面で我が軍が攻撃を仕掛ける場合、ソ連邦に対する揺さ振りとなるのです」
抜山は再びページを捲り、今次大戦要約とか題されたところでピシャリと止める。
何やら重要そうなことが書いてある気がするが、これまた頭がクラクラするので、内容が上手いこと呑み込めない。
「アラスカは米準州ですから攻撃をしても中立条約には反しませんし、それでいて北太平洋航路を根本から断つことにも繋がります。更にはいざとなれば、関東軍がシベリヤを攻撃するのではと、ソ連邦が疑心暗鬼に囚われる公算も高まるやもしれません。するとどうでしょう、ソ連邦はこれ以上の戦争継続は不可能と判断し、対独講和に追い込まれるのではないでしょうか? 我が国の狙いも恐らく独ソ講和の斡旋ではないかと考えられます」
「ほう、何となく筋が通っている気がするな。続けてくれ」
「はい。独ソ講和が成立した場合、対ソ戦という重しを失ったドイツ軍の戦力は、アフリカおよび中東方面に向けられます。英軍には恐らくドイツ軍の攻勢を阻止する能力はなく、同時に我が軍もインド方面への攻勢を実施するでしょうから、放っておけばインド洋一帯を喪失するだけ。あるいはスペインの枢軸側参戦とジブラルタル陥落もあり得るかもしれない。とすると英国もまた講和を考えざるを得ず、残る連合国はほぼ米国のみとなります。流石に米有権者といえど、この状況で更に艦隊が壊滅したともなれば、戦争継続を望まなくもなるでしょう」
「ふゥむ、なるほど……北方作戦如何によっては、大戦が一気に片付いちまう可能性が出るということか?」
「まさしくその通りです。つまり……」
「手柄がもう望めないってことじゃないか。冗談じゃない、ふざけるな!」
高谷は大いに怒り、しかしあり得そうな分析だとも思ったので、自棄酒を一気に呷る。
すると視界が途端にぐらつき、抜山の顏がグニャリと歪んだ。自由の利かなくなった身体は畳に大の字に倒れ、何もかも面倒臭くなったので、高谷はそのまま不貞寝することとした。
「いやはや」
抜山の呆れんばかりの声はほぼ届かなかった。当然ながら、その後に彼が何を注文するかを知る由もない。
明日も18時頃に更新します。
高谷大佐はあまり頭のよろしくない人物ですから、早く戦争が終わらねば……とか言ったりはしません。
なおタイトルですが、配属先希望の用紙に「艦隊勤務、太平洋大海戦的熱望」と書いた航空士官がいたそうで、そこから取ってみています。




