猛烈横着MO攻略④
ソロモン海:ダントルカストー諸島沖
山の天気は変わり易いというが、海の天気だって変わり易い。
特に富士山どころか新高よりも高いオーエン・スタンレーの峰々に貫かれたニューギニア島の近縁ともなれば、それもまた尚更のことだろう。前触れもなく風がビュービュー吹き始めたと思ったら、空には黒々とした積乱雲が育っていて、すぐさま土砂降りの雨に見舞われる。スコールと呼ばれる気象だ。
朝方にあっては大変珍しいそれは、生き物にとっては恵みの雨と言えるのかもしれない。
当然、生きている将兵にとっても同様だった。航空母艦『天鷹』の飛行甲板には、非番の乗組員達が半裸になって飛び出している。下段格納庫に押し込まれ気味な陸軍の兵隊達もゾロゾロやってきて、石鹸で体を綺麗に磨いたりする。出航からまだ間もないとはいえ、海の上では真水ほど貴重なものはないから、誰も彼も大喜びだ。
ついでにスコールの下は敵機にも見つかり難い。とすると何とも嬉しい限りである。
「いやはや、ポートモレスビーまでずっとこのままであってもらいたいな」
心地よい雨を浴びながら、高谷は気象学者が呆れそうなことを言う。
一応それが滅茶苦茶な物言いであることは、彼もまた理解していた。むしろ理解できぬ馬鹿者だったら水兵にもなれぬだろう。天を仰げば一目瞭然、真っ暗なのは自分達の上だけで、すぐ横には青い空と白い雲が広がっていたりする。
とはいえ既に敵機動部隊が複数群発見されたようであり、何時艦載機の大群が襲ってくるか分からぬのもまた事実。
そんな緊張を、僅かな間であれ解すことができたならば、将兵の士気も充実し今後の作戦への寄与も大きかろう。手柄はまるで望めぬとしても、ここで油断して被弾でもしようものなら、余計に栄光は遠のいてしまう。日々の積み重ねこそが大事なのだと、さっぱり柄にないことを呟き、周囲の様子を見渡した。
「ちょいと甕を持ってこい。カルピスを作って皆で飲もうじゃないか」
「ほれ、今のうちに洗濯してしまおうぜ」
「馬鹿、石鹸を食おうとする奴があるか!」
そんな調子で兵がワイワイガヤガヤやっている。
「この辺りの島では太古の昔より、クラと呼ばれる興味深い慣習があって……」
などと小難しい人類学的話題を披露するのは、身体を洗い終えた抜山主計少佐。これまた実に主計長らしい。
ただ少々ギョッとなったのは、飛行甲板上で座禅めいたことをしている陸海軍混成の一団。その筆頭はといえば、どうにも苦手で仕方ない大本営参謀。雲海をゴロゴロ走る稲妻に、禿頭がピカリと輝いたりする。
「ははは、敵地にあってのこの驟雨、もしかすると神風やもしれぬと思いましてな」
大本営参謀は祈願を終えるや大胆不敵に笑い、
「戦も間近でしょうから、皆で武運長久を祈っておったという訳です」
「なるほど。それはまた立派な心掛けですな」
「ええ。自分も兵を預かる身ですから、こうした修練が欠かせません」
まったく邪心なく放たれる言葉に、高谷はちょっと困惑してしまう。
前線視察の名目で来ておるはずだろうに、何で指揮官になった心算でおるのだ。これでは本来の指揮官たる少将殿なんかは、さぞやり難いに違いない。面倒ごとは御免だから声には出さぬが、さっさと揚陸を済ませてしまいたいとの想いが一層強まる。
「まあでも、たまには神頼みも悪くないかもしれんなあ」
高谷は軽佻浮薄なことを呟き、ザンザカ振りの雨の中、首を左右して近傍を見回した。
梶岡少将の座する軽巡洋艦『夕張』がまず目に留まる。それから彼女に率いられた第六水雷戦隊が、波に揉まれながらも輸送船12隻を守っていた。ただ敵大型艦に突っ込まれたりでもしたら、大変なことになりそうな陣容だ。
それから少しばかり遠くを展望してみる。
まともに見えはしなかったが、晴れた空の下を、航空母艦『祥鳳』と第六戦隊の重巡洋艦が波を蹴立てているはずだった。ヨークタウン級だのを中核とする敵機動部隊が相手では、やはり心許なさしか残らないから、なるべく見つからぬようにと祈るのが吉だ。
だが日頃のいい加減さ、不信心さが祟ったのか、いきなりそれが裏切られてしまった。
唐突に『祥鳳』が発光信号を送ってきたと思ったら、艦隊が急に慌ただしく動き始める。それは被発見の報せであり、ポートモレスビー攻略部隊に対しても、北方に避退せよとの命令が間を置かず届く。
「やれやれ、面倒なことになってきたな」
五航戦は何をやっているのかと心中で毒づきつつ、高谷は平静を装って言う。
ただし準備は相応に抜かりはなかった。敵艦載機の攻撃で飛行甲板に穴が穿たれたり、最悪『天鷹』が沈んだりしたら、当然手柄を挙げる機会も消え失せる。それだけは何としてでも防がねばならない。
珊瑚海:ルイジアード諸島沖
航空母艦『ヨークタウン』および『レキシントン』から、次々と艦載機が発艦していった。
搭乗するのが戦闘機であれ急降下爆撃機であれ、パイロット達は凄まじい戦意を等しく滾らせている。航空母艦2隻を中核とする艦隊を索敵機が発見したとの報があり、真珠湾の仇を討つ機会が遂にやってきたのだと、皆が等しく思っていた。爆弾や魚雷を見事命中させたパイロットは無条件に英雄であり、全員が我こそはと心に誓っていた。
なお件の索敵機は、100機に近い攻撃隊が発進し終えた頃に戻ってきた。
そのクルーは割れんばかりの絶賛をもって迎えられた。忌々しく憎たらしい敵機動部隊の先手を取り、一撃を食らわせる機を掴んで生き延びた彼等こそ、誰よりも英雄的であるに違いない。指揮官たるフレッチャー少将から入隊間もない二等水兵に至るまで、同じ想いを共有していた。
だがそうした熱狂は、思いもよらぬ形でぶち壊れることになる。
「ええと、巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と打電したはずですが……」
「何だって!?」
報告に艦の誰もが凍り付いた。戸惑う通信員も、間もなく真っ青になる。
大金星かと思ったら、電鍵を打ち間違えた末の、とんでもない大誤報だったのだ。その後、件の通信員がどうなったのかはよく分からないが――攻撃隊は天にあり、世はなべて事だらけ。
「全く、何という体たらくだ!」
フレッチャーは怒り心頭に発しまくっていた。
訂正があっただけマシではあったにせよ、そんな戯言を口にする者などいるはずもない。巡洋艦2隻という戦果は得られるかもしれないが、その代償は第17任務部隊の壊滅かもしれなかった。直掩機が撃墜したとはいえ、既にでかい飛行艇に見つかってしまっており、本命の敵機動部隊は何処にいるのか分からない。
「ううむ、どうしたものか」
「やはりここは敵の揚陸部隊を叩くべきでしょう」
参謀長は決然たる口調で言う。
件のろくでもない索敵機が戻ってくるのと前後して、トロブリアンド諸島沖に新たな敵艦隊が発見されたのだ。位置および構成からして、ポートモレスビー侵攻が目的に違いない。
「揚陸部隊には少なくとも空母が1隻含まれております。これを沈めてしまえば今後の戦況も多少有利となるでしょうし、今ならまだ目標変更が可能です」
「そうだな。だがもう1隻はどうしたのだろうかな」
フレッチャーは瞬時に思考を取りまとめる。
艦橋のない艦だとの報告であったから、恐らく索敵機が発見したのは『祥鳳』だろう。日本海軍の中では小型の航空母艦で、搭載機数は20の後半から30ほどと見積もられている。
「可能ならそちらも沈めてしまいたいところだ」
「報告では輸送船は6隻とのこと、一度に壊滅する可能性を低減するため、分進しているのかもしれません。ひとまずここは叩けるものから叩く以外に選択肢などないかと」
「そうだな。よし、攻撃隊に目標変更を命じろ」
フレッチャーは決断した。とにかく目の前の敵を倒すしかなかった。
すぐさま『ヨークタウン』から無線で命令変更が伝達される。攻撃隊指揮官から了解とともに返ってきたのは、ろくでもない4字語を俳句めいて並べた何かであった。
明日も18時頃に更新します。
ハチャメチャな誤認の末、米攻撃隊が発進を開始しました。果たして『天鷹』の運命や如何に……?




