インド洋放漫作戦⑦
ラッカディブ海:モルディブ北東沖
英東洋艦隊がどうなったかというと、悲惨の一語に尽きた。
コロンボ港に襲い掛かった南雲機動部隊の攻撃隊が、その途上で航跡を捉えたからである。ただちに対艦攻撃に備えていた部隊が発艦し、恐るべき技量でもって航空母艦『ヴィクトリアス』に魚雷5本を命中させ、あっという間に転覆させてしまったのだ。空は期待のシーハリケーンが防衛していたが、零戦隊があっという間に蹴散らした。
以来、翌日の午後3時に至るまでの間に、英東洋艦隊は壊滅的な損害を被った。
航空母艦は集中的に狙われたため1隻も残らず、戦艦も健在なのは『レゾリューション』と『ラミリーズ』のみ。『ロイヤル・ソブリン』は既に海の藻屑で、『リヴェンジ』は陸上砲台になった。浸水による沈没を回避するため、インド南端のカンニヤークマリに乗り上げたのであるが、日本軍に仕返しなどできそうにもない。
そして旗艦だった『ウォースパイト』は魚雷2発を受け、12ノットという這うような速度で進んでいる。しかもそれすら過去形になろうとしていた。
「ここまでとはな……」
サマヴィル中将がうめく。先日まで座乗していた戦艦の舷側に、またも水柱が立ち上った。
流石の南雲機動部隊も息切れしたのか、現れたのは8機の攻撃機だけだった。だが最後まで仲間を救わんと奮闘する各艦の対空砲火をものともせず、吸い寄せられるかのように『ウォースパイト』へと肉薄、見事雷撃を成功させてしまった。敵ながら天晴れなどという言い回しが日本にはあるらしいが、天晴れどころかカンカン照りであった。
そうして空襲が終わった後、『ウォースパイト』から発光信号で状況報告がなされる。
辛うじて沈没には至らずに済みそうだが、出し得る速力は最大5ノット。この地獄が如き海を脱する能わざる速力で、応急処置によって回復する見込みもほぼないという。彼女の浮かぶ海原の真下には、大勢のあらた兵を呑み込んだ悍ましき怪物が潜んでいて、新たなる馳走に舌なめずりしているかのようだった。
「アッズの工作艦を呼ぶことはできぬかな?」
「長官、既にアッズ環礁は敵に発見され、空襲すら受けております」
「ああ、そうだった」
薄ぼんやりとした面持ちで、サマヴィルはこれまでの経緯を思い出す。
アッズ環礁を空襲したのが件の改装航空母艦であることは、状況からして明白だった。肝心なところで盤面をひっくり返していく、甚だしく厄介な敵だった。何としてでも討ち取りたいと思うものの、海軍軍人としての人生がとうに閉じている自分には、その機会などあるまいと項垂れる。
とはいえ軍法会議が開廷されるまでの間に、できることをせねばならない。
それが何であるかは言うまでもなかった。残照に照らされた海は血のように赤く、よろめき進む気高き老戦艦もまた、己が運命を受け入れているかのようであった。
「もはや万策尽きた。『ウォースパイト』に総員退艦を命ずる。乗組員の救助を完了した後、魚雷をもって自沈処分せしめよ」
「了解いたしました」
異議を唱える者などいるはずもなく、力ない復唱がなされていく。
傾き切った戦艦から乗組員が脱出し、軽巡洋艦『ドラゴン』と駆逐艦2隻が救助に当たった。それから数刻。艦長以下数名を残すのみとなった戦艦『ウォースパイト』の左舷に次々と水柱が聳え、ギリギリと鈍い音を立てながら沈んでいく。最期を見届けた残余の艦は、満天の星が煌く空の下、全速力でアラビア海方面へと遁走した。
ある意味でそれは、アッズ環礁が発見されたが故の損耗だった。
とすれば『天鷹』が主力艦を自沈に追い込んだと言えなくもないのだが、今は世界大戦真っ只中。彼女のはみ出し気味な乗組員達が、そんなことを知る方法などあるはずもない。
インド洋:アッズ環礁沖
一般にドクロ旗といえば海賊だが、極めて限定的な局面において、現在の英国海軍もドクロ旗を使うことがあった。
それ故、無理矢理なこじ付けに過ぎる面はあるにしろ、英国海軍は海賊だと言えなくもない。そのため彼等から貴重な財産を奪った場合、「海賊から海賊した」ということになるのではなかろうか。退治した追剥から外套と毛帽子を追剥してしまう、昔のバンカラ小説の如しである。
「わはは、これは愉快爽快!」
燃え上がるアッズ環礁を眺めながら、高谷大佐は鬼ヶ島征伐の桃太郎気分で笑っていた。
重巡洋艦『足柄』の原少将が、いっそ環礁を直接砲撃、可能なら陸戦隊を編成して占拠してしまおうと言い出したのだ。実に豪快で大胆な発案であった。南雲機動部隊の大戦果に指を咥えるばかりだった誰もがそれを聞いて沸騰、艦載機による空襲を反復しつつ、全速力で殴り込みと相成ったのである。
その結果については言うまでもない、大成功である。
航空母艦『天鷹』を別とすれば、まともな砲戦艦は『足柄』と『五十鈴』、『川内』くらいだから、桃太郎と呼ぶには若干心許ない。だが鬼ヶ島にコソコソした貧弱で痩せぎすの鬼しか住んでいなければ問題なかった。アッズ環礁は隠密裏に整備された拠点だったようで、沿岸砲も一応は据えてあるといった程度でしかなく、航空爆弾や20㎝砲弾があっという間に火点をすり潰してしまった。残りは『天鷹』艦首の15.2㎝連装砲、あるいは高角砲の水平射撃でも、お釣りが出るほどである。
しかも環礁には貨物船やらタンカーやらが犇めいていた。航空母艦というのが後者を誤認しただけと判明した時は、随分とガッカリしたものだが、捕まえておけば聯合艦隊の燃料事情改善に資するだろう。
「潰してしまえ鬼ヶ島」
「分捕りものをエンヤラヤ」
尋常小学唱歌が何処からともなく聞こえてくるので、
「海賊から海賊であるから、こちらもドクロ旗でも掲げてやりたい」
などと高谷が放言したりする始末。
重大な国際法違反との指摘が途端に入り、冗談だとすぐ釈明するも、あまり冗談に聞こえないから困ったものである。乗組員が総じて大波に乗っている状況では、実際にやってしまいかねない。
「それで、どれほど鹵獲できているかな」
「今のところタンカー4隻に貨物船7隻、よく分からないのが数隻」
陸奥副長があれこれ数え、
「それと艦長、南雲機動部隊から『金剛』と『比叡』、あと5隻くらいが分遣されるそうですよ」
「うん、こちらの手柄まで横取りする気か南雲中将は!?」
「先程は手数が足らんとぼやいておったじゃないですか」
「そうだったっけ、わはは」
えらく出鱈目な調子だった。それでもまた1隻、貨物船の鹵獲が増えたりする。
勝手に機関を動かそうものなら容赦なく艦橋を破壊。白旗を揚げながら撃ってくる不届き千番の船があったので、それについては高射砲の水平射撃で御手討ちである。いざという時には英東洋艦隊をここに逃げ込ませる心算だったのか、鹵獲船腹量は随分な数値となっており、船長どもを従わせるのも一苦労だ。
そうした中、報告にやってきた戦闘機隊の打井少佐が、妙なものを連れているのに気付く。
彼の肩にはケバケバしい色合いの、やたらとクチバシの大きな鳥が留まっているのだ。ちょうど餌をもらいにやってきていた猫のインド丸が、謎の不審鳥類を見るやフーッと唸る。
ついでにツリ目、出っ歯、黄色い盆暗などと、ろくでもない英単語を早口で喋りまくる始末。
「無礼千万なこと抜かす鳥だな。ダツオ、何だそいつは?」
「オウムですよ」
「そうじゃなくてな」
「いや、着艦し終えた時に唐突に飛んできたんですよ。大方どっかの船で飼われておって、けしからん語を吹き込まれとったんでしょう。折角ですからこいつを飼い慣らし、八紘一宇とか五族共和とか、もっとまともな言葉を覚えさせてやろうかと。ちなみにアッズ太郎と名付けました」
「オスなんかね、そいつ?」
高谷は大いに首を傾げ、こらまた随分と変テコな成り行きと思った。
ネズミの駆逐にかけては天下一品のインド丸と比べ、このアッズ太郎はあまり役立ちそうな気がしない。とはいえ普段は色んなものをぶち壊す打井が、本当に楽しげにクルミをやっているので、搭乗員の慰安に寄与するかもしれないと考えることとした。
ともかくもそんな具合で、『天鷹』のインド洋作戦は幕を下ろした。
大本営は英東洋艦隊撃滅を高らかに報じ、南雲機動部隊の栄光を讃えに讃えた。アッズ環礁での一大海賊作戦の扱いはといえば、同時期に行われたベンガル湾機動作戦より軽んじられたほどで、新聞の三面に記事が載るといった程度だった。もっともそうした報道姿勢が別の疑心暗鬼を生み出すのだが、それはまた別の話である。
明日も18時頃に更新します。インド洋作戦はこれにて終了といった具合です。
セイロン沖海戦で英海軍が致命的な打撃を受け、更にはアッズ環礁まで陥落してしまいました。これが如何なる戦略影響を及ぼしてくるか、ご期待いただければ幸いです。




