米製タンカー略取の計
伊万里湾:鷹島沖
駆逐艦『樫』は海防艦『佐渡』、『松輪』とともに、シンガポールへと向かう油槽船11隻を護送する予定だった。
これだけの規模の重要船舶に対して、随伴艦が僅か3隻である。バレンツ海や大西洋、地中海といった海狼の主戦場に慣れた人間からすれば、自殺行為にしか見えぬかもしれない。とはいえここはアジアである。米潜水艦の脅威は東シナ海や南シナ海にはほとんど及んでいないため、この程度でも何とかなってしまうのだ。
ただ紛れもない面倒のうちのひとつは、船団の編成に時間がかかることである。
遅れたら独航で追従してこいとは言えぬから、貨物船なり油槽船なりが揃うのを待って出航せねばならない。当然、海上護衛総隊はそうした遅延を計算に入れて運航計画を立てるのだが、機関の不具合だとか割り当てられたはずの重油が配給されないとかで、毎度間に合わない船が出てくる。まったく難儀なこと極まりない。
そしてそうした例に漏れず、駆逐艦『樫』もまた随分と待たされているのだった。
「なあ、この『ばんか丸』とかいうタンカー、何処の船か知っておるか?」
「分からん。でかい船ではあるようだから、特TL型か何かかね?」
「速度も最大15ノット以上出るとのこと。優良船には違いないな」
着任からまだ間もない若い士官達が、真夏の熱気に耐えながら、暇潰しにあれこれ喋る。
いったい何巡目であったか、当人ですら覚えていないといった具合である。始終顔を突き合わせていると、ネタも底を突いてしまうし、新情報もさっぱり齎されぬから、会話も途切れてしまいがちであった。
そうして話題が二転三転した後、目の前の鷹島は元寇の激戦地であったから、日蒙友好公園を建てたらどうかという、少々どうかした議が弾み出した。
するとちょうど士官室へとやってきた駆逐艦長の黒木少佐が、元軍10万が悉く鏖殺された地ではなかったかと苦笑する。対して提案者である水雷長は、ここで妙チクリンな頑なさを発揮し、むしろ慰霊のためにも良いのではと頑張った。まさしく恩讐の彼方の歴史であるから、確かにそうした考えもあるのかもしれない。
「まあそれはそうとだ」
黒木は鎌倉的なる題を転じさせ、
「あと数時間ほどで、件の『ばんか丸』は到着するそうだ」
「おおッ、本当ですか。大遅刻魔の面を早く拝みたいですな」
「うむ。だが奴の面を見た瞬間、早まって主砲をぶっ放したりするなよ」
その台詞に、尉官達は揃って不思議な顔を浮かべた。
当然、誰もが意味するところを知らんと欲した。黒木は何やら楽しげなる表情を絶やさぬから、大変に気になるところであったが、じきに分かるの一点張りを貫かれてしまった。
それから数時間を幾分超過した頃。西の空に陽が暮れ始めた頃、ようやくのこと『ばんか丸』が現れた。
帽振れで出迎える準備をしていた者達は、茜色に染まった彼女の船影を見て思わず己が目を疑い、異口同音に驚嘆の声を発した。
「あ、ありゃあ……米国のT2型タンカーじゃないか」
斉斉哈爾:市街地
「なるほど、これはまた上手い手を考えついたものだな」
満洲北部にて秘密業務中の花村調査一課長は、感心して独りごちる。
会社の経費で借りている、地理的環境と価格を考えれば及第点とは評せそうなホテルの一等室。そこで彼が香りの強い外国煙草など吸いながら読んでいたのは、かつての級友たる岸本という人物からの、一般郵便を経由せず送付された便りであった。
具体的にはまず、北樺太石油会社に関する内容が記されていた。
つまるところ、ここ最近になって原油搬出量が急激に伸び始めたというのだ。それも年換算に直してみると、最盛期の昭和7年頃を突破する勢いとのこと。支那事変が勃発した頃より、権益の解消を目論むソ連邦によって度重なる操業妨害、労働者の組織的なサボタージュ等を受け、大幅に生産高を減らしてきたのが同社である。当然、増産に向けた設備や人員の強化など一切行われていないはずだから、あまりにも不可解な現象と判断せざるを得ないだろう。
そしてその解答として挙げられていたのが、千島沖やオホーツク海で頻発する誤射事件や海難事故だった。
「宗谷海峡付近を航行中のソ連邦油槽船『ナホトカ』号、防護機雷に接触して大破炎上」
「得撫島に漂着したるロシヤ船員13名、羅津を経由し無事送還さる」
「相次ぐ誤射に駐日大使マリク氏は遺憾の意を表明。損害賠償と再発防止の徹底を要求」
同封された新聞記事の切り抜きに躍るは、かような具合の文字列。
驚くべきことに、これらが八百長だというのだ。機雷に接触しただの誤射されただのと報じられた船舶は、実際にはそのほとんどが無事で、こっそり小樽の港なんかに入ってきている。要するに事故や事件によって喪われたものとして船籍を抹消し、損害賠償という形を取って船ごと購入するという日ソ合作なのだった。そうした上で、何処からか湧いて出たことになる積荷、例えば原油やガソリンなどを、オハやカタングリで採油されたものとして計上する――それが北樺太石油会社の"増産"の正体だというのである。
北米はシアトルからウラジオストックに向けて航行する赤い星の船舶は、米国製のタンカーや貨物船を船籍だけ変更したものばかりではあるが、このところ随分と数が増えているようだ。
インド洋航路の途絶やバレンツ海でのドイツ海軍の活発なる活動により、米英からの支援物資を受け取るのが困難となっているソ連邦にとって、それらは命綱と呼ぶべきものに違いない。ただ世界地図をサッと眺めれば一目瞭然なように、津軽海峡あるいは宗谷海峡を通らねばならない。かような地理学的、地政学的事情を鑑みるならば――北太平洋航路を安定的に利用するため、モスクワが積荷や船舶の一部を取引材料としてくることは別段不自然でもなく、ソ連邦を足がかりとした対連合講和を目論んでいる日本側の利害とも一致するという分析だった。
「それに……誤射による沈没という形であれば、アメリカだけでなくドイツの目をも欺瞞できるか」
花村は煙草を燻らせ黙考し、暫しの後にそう結論付けた。
中立条約を維持しつつも、私掠船的な手法によって航路妨害を始めている。外側からはそう見えそうだからだ。
(とはいえ……)
自分の得ている情報の幾つかと、符合しない面があるのもまた事実。
紫煙をゆったりと吐き出す花村の脳裏に浮かんだのは、遥か中東に絡む問題である。すったもんだの末に英軍を放逐し、北部の占領地を残しつつも中立を取り戻したイラン。将来的なインド洋制海権の流動化に備え、シベリヤ鉄道経由で原油を輸入する計画が進んでいたのだが――ここにきてソ連邦の非協力姿勢が急に目立つようになったのだ。
もっとも満洲経由の労務者の移送や主だった物資、資源の秘密取引に関しては、特に目立った影響は出ていないようだ。
とすれば本当に技術的な問題であるのかもしれない。あるいはバクー油田が未だ孤立しており、稼働率も大幅に低下していることから、彼等もまたイランの原油を欲しがっているのかもしれない。しかし明確に言語とするのは難しいながらも、どうにも引っ掛かるところがあるような気がしてならなかった。
(ならば……一端ここは視点を変えてみた方がよさそうだ)
花村はそう直観し、自らをスターリンの立場に置いて考察を進めてみた。
かの仇敵なるグルジヤ人は今、相当の苦境にあるはずだった。ロシヤ南部の奪還と黒海への打通を目指した攻勢が完全に頓挫し、100万に近い将兵が喪われたと見られているが、実のところそればかりでない。人的なそれを含めたあらゆる資源が不足している影響で、事態の改善が見られなければあと15か月程度でソ連邦は生産能力面での破断界に到達、戦争遂行どころでなくなる――かような見方が当のクレムリン中枢に広がりつつあるらしいのだ。
そうした状況を踏まえれば、ドイツとの戦闘が今後より優位となるという確証を、モスクワが掴んだのかもしれなかった。
ソ連邦のような特殊な国家との取引は、相互の軍事力によって大幅に左右されるし、最悪の場合は武力による収奪という選択がなされる。無論、極東での軍事衝突という可能性は現状ではかなり低くはあるとしても、力関係の変動が見込まれた場合、実情に見合うレートを要求してくることは充分にあり得る。イラン石油の輸入を巡る動きは、まさにその一環と考えるべきなのかもしれなかった。
そして負け続けで大損害を続出させているソ連軍が、突如としてその作戦遂行能力を強化し、ドイツ軍を駆逐し始めるとはいかないだろう。
(なるほど……これも米英が欧州第二戦線構築の準備を完了させたことの傍証かもしれんか)
結論を得た花村は、ゆっくりと煙草を嗜んだ。
あるいは想定以上の兵力でもって、大陸欧州へと渡る心算かもしれない。彼はおもむろに立ち上がり、手足を伸ばすなどした後、金庫からノートを取り出した。ズラリと記載された符牒を用い、急ぎ文章を作成していく。
次回は7月8日 18時頃に更新の予定です。
太平洋以外の補給ルートを実質的に失ったソ連邦が、なりふり構わぬ手段に打って出ます。
一方、欧州でも米英による大陸反攻の気配が。果たしてこの世界は、いったい何処に着地するのでしょうか?
ちなみに鷹島、今は休村中のようですが、実際に「鷹島モンゴル村」という施設があります。ゲルに泊まってみたいですね。




