風雲ガダルカナル⑦
トラック諸島:夏島
ガダルカナル作戦成功す。大本営は実に華々しく報道した。
豪州北岸からソロモン諸島全域に亘る広範な戦場において航空機数百を撃墜破し、複数の特設航空母艦を含む艦艇多数を撃沈したという発表内容は、多少の誤差や誇張はあるにしても概ね正確だ。更にその上で最前線となった島嶼に増援部隊と武器弾薬を送り込み、米海兵隊を追い落とす準備が整ったというのだから、市井が沸いて提灯行列となるのも当然だろう。
もっとも事情を把握している者からすると、失笑を禁じ得ない部分もあった。
何しろ抑揚の独特なるアナウンサーが、陸海軍の緊密なる協力体制が作戦を成功に導いたなどと、一切恥じらうことなく言ってのけるのだ。まあ外形的な事実関係の説明としては、あるいは銃後に対する宣撫のあり方としては、疑いようもなく妥当なのかもしれないが……当初は軍令部と参謀本部の反目が続いていて合同作戦など影も形もなく、全てが現地指揮官の独断専行と臨機応変と言えばそれらしく聞こえる成り行き任せの結果ともなると、やはり変テコな顔を浮かべる他なくなってしまいそうである。
なお第七航空戦隊を中核とする機動部隊に関しては、積極果敢な陽動によって敵航空戦力を誘引した云々と、大いに絶賛されてしまっていた。とすれば司令官の高谷少将は有頂天になっていそうなものだが、実態はその逆だった。
「貴様な、戻ってくるなり何なのだ」
第三航空艦隊の山口中将はあからさまに怪訝な顔をし、
「先程からずっと上の空になっておるじゃあないか。ガダルカナル増援成功の立役者だというのだろう、威張り腐られても正直困るが、そんなアーパーみたいな面ばかり浮かべてどうする?」
「ああ、うん、そうだな……」
高谷は一瞬ハッとなるも、再びポンコツになってしまう。
機械的に箸を動かし、酒を喉へと注いでいく。折角トラックの小松料亭で飲み食いしているというのに、味蕾が機能しているのか限りなく怪しいところだった。
そうした壊滅的態度には、山口もほとほと困り果てた。
出鱈目で無茶苦茶な経緯で始まったものではあるが、敵艦多数撃沈という結果は出たし、第2師団救援のなった陸軍も大いに歓喜してしまっている。そのため誰もが高谷の処遇に悩んでいる状況で、とりあえず豪州空襲についてあれこれ聴取する心算であったのだが……この調子ではそれも困難を極めそうである。
それでも同じ釜の飯を食った同期である。山口は辛抱強く待つこととした。
辛気臭い時間が流れること数分。高谷強めの酒を一息に呷ると、ようやくのこと口を開く。
「どうも俺は、ボンクラの無鉄砲に過ぎたかもしれん」
「率直に言って甚だしく今更だ、明日はトラックに雪が降りそうだな」
挑発的な物言いに高谷が一切反応しないので、山口は事態の深刻さを察し、
「いったいどうした? 変なものでも食ったか?」
「いや、チョイと小突けば敵機動部隊が出てくる、それを撃滅してやろうと念じて豪州を空襲した訳なのだが……今思うならば、あれは拙かった。高高度索敵機がすぐさま飛んできおるし、それが誘導電波を輻射して航空機をわんさか呼び寄せてくる」
しかも無線誘導兵器まで使用してきたと高谷は付け足し、
「うちのメイロが妙な操艦の腕前を発揮したものだから、『天鷹』はどうにか生き残ったものの、危うく撃沈されるところであった。敵情認識の不足もここに極まれり、言行だの努力だのに悖るとこだらけだ」
「とはいえあの場で寺本中将と合力したのは、まったく良い判断だったとは思うぞ」
「それは、そうだ。だが『白雲』や『松』は沈められちまったし、『五十鈴』の損害も酷い。俺がまったくの考えなしで、敵を軽く見ておったが故に生じた被害だ。しかも空襲の最中だったから、海に投げ出された兵をなかなか助けてやれなんだ」
「なるほど」
山口もまた神妙な面持ちで同期を見やった。
それから高谷に関しては、今回は独立部隊を率いての出撃ではあったが――その際に「名ばかり航空戦隊司令官の汚名返上」などと言って送り出したことを思い出す。
実のところ海軍にあっては、少将と大佐の間にある溝は思った以上に大きい。
それが何故かといえば、海の上では単艦での戦闘が稀であるからだ。規模がどうあれ艦隊には指揮官がおり、艦長はその序列の下で全力を尽くし、座乗する艦に全責任を負う。一方で少将から上は前者の立場となり、真の意味での決断を要求される訳であるから、見るべき景色が明確に異なってくるのである。
その意味では、高谷は間違いなく新米だったのだ。加えて自分は直属の上官であるし、珊瑚海に近付かせたくなければ、そう明記するべきだっただろうと己を戒める。
(であれば……)
山口は思考を整理し、些か強引なやり方で高谷に酒を呷らせた。
それから眼光を研ぎ澄ませる。元々この人間は上手くいって艦長止まり……というより軍縮だの何だのがあった中で、今まで残れた方が奇跡と言われていたくらいの"欠物"であった。だが世界大戦真っ只中とあっては、指揮官は幾人いても足りやしない。足らぬなら工夫して引き上げなければならないのだ。
「そうだな……確かに俺がその場にいたら、ぶん殴っても止めたとは思う」
「やるべきじゃなかったかね、やはり?」
「そこは俺の落ち度でもあるし、何よりそいつは違う。色々と問題だらけでヒヤヒヤものの展開であったにせよ、貴様が豪州方面の連合国航空戦力に痛撃を与えたのは紛れもない事実であるし……盛んに報道されておる通り、ガダルカナル島沖での戦果や増援の成功にも繋がった訳だ。まともな人間が司令官だったら、こんな展開にはならなかったと考えると、結果論的には貴様でなければ駄目だったということになる」
「そこが心底、分からんところだよ」
「当たり前だ。簡単に分かるようなら司令官なんぞいらん」
厳かなだけでない口調で山口は続け、
「貴様が試験でいい成績を取ったと聞いた覚えはないし、平素からの学習整理をもっと大事にしろとは思うが、司令官とか提督とかいう仕事はだ、それだけで上手くいくようなもんでもないだろう。だったら、貴様も分からなさに堪えろ」
「ふむ……」
「それに貴様、間違いなく運が良い。誤断と独断があったにせよ、こう言ってはあれだが、取り返しのつく損害しか被っておらんのだからな。世の中にはこうした場で致命的な結果を招いて腹を召す他なくなった者もおろうし、あろうことか貴様はあちこちを巻き込んで、災いを福に転じさせてしまった。とすれば相当の強運の持ち主で、かなりの伸びしろがあるということになる」
そこで発破をかけんと一呼吸置き、
「だったらクヨクヨしておらんでそれを活かせ。骨を枯らしちまったと思うなら将となって功をなせ。それが死んでいった者達に報いる唯一のやり方だ。来るべき米機動部隊主力との決戦にあっては、貴様の伸びしろも間違いなく必要となるのだから、是が非でも伸ばせ。いいな?」
「相分かり申した!」
活火山の爆発が如き大音声が轟き、鬱々とした雰囲気があっという間に吹き飛んだ。
続いて甲高い悲鳴と、ガラスやら瀬戸物やらがガチャリと割れる響き。あまりにも突拍子もなかったので、酒か何かを運搬していた廊下の芸者が、見事にスッ転んでしまったようである。
それでも――高谷は完璧に復活したようだった。
身体に不足している滋養分を補おうとしてか、ウオーッと咆哮して眼前に並んでいる料理を食いまくり、酒を片っ端から空けていく。蛮的という他ないその様子には、山口も確かな安堵を覚えた。
「いや、俺はどうかしておった。まったくガラでもない、今思うと恥ずかしくて顔が炎上しそうだ」
「その意気やよし。まあ今回の件で貴様も一皮剥けたはずだ、今後もよろしく頼む」
「おおそうだ、久しぶりに剣道の試合でもせんか? 何だか負ける気がしなくてな」
「よし。ペルシヤ湾で揮ったというその腕前、見せてみよ」
闘魂を抑え切れぬとばかりの高谷に、山口は豪気な笑みを浮かべてみせた。
海兵40期で右に出る者はなしと謳われた剣豪と、そこに一歩及ばなかった猛将。腕を鳴らした2名の再戦が、トラック諸島において催されることとなったのである。
そして大勢を前に行われた試合の結果はといえば――それぞれ一本ずつ取った末、山口が先取して勝利した。
高谷が一瞬だけフラつき、そこで決まったのだ。潔く負けを認めながらも己が敗因を探った彼は、どうしてか前日に届いたブランデーを、ムッツリやメイロなどと一緒に嗜んでいたのを思い出した。そしてその真なる送り主が眼前の人物と理解し、司令長官はまさしく宮本武蔵と感服したのだった。
次回は7月5日 18時頃に更新の予定です。
ガダルカナル戦はこれにて一段落……といったところでしょうか?
佐官と将官の間は予想以上に大きいという話は、実際に見聞きしたことが幾らかあります。内部での競争の激しさに加え、求められるものがガラリと変わる。それこそがそう言われる所以なのかと考えています。
本来はとっくに出世競争から脱落してそうな高谷少将ですが、戦時の大拡張が故に将官となり、否が応でも階級に適合せざるを得なくなっていきます。




