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風雲ガダルカナル⑤

珊瑚海:ルイジアード諸島沖



「絶対に許さんぞ食中毒空母! じわりじわりとなぶり殺しにしてくれる!」


 南西太平洋地域連合軍最高司令官たるマッカーサー大将は、ケアンズ空襲の報に接するや激怒した。

 加えて有力な航空母艦を何処かへ持って行ってしまった海軍にも、これまた激烈なる憤怒を滾らせ、役立たずだ何だと吐き捨てまくる。たった1日で幾つのコーンパイプが破壊されてしまったのか、もはや分からぬほどである。


 それから片っ端から航空機を集め、敵機動部隊を空襲せよと命じた。

 もしかするとこの時点で、言い知れぬ悪い予感を覚えた者もいたかもしれない。何故なら開戦から半年経ったかどうかといった頃、ラバウルに航空母艦が停泊中との情報を受けた彼は、あらん限りの爆撃機を集めてそれを攻撃させた。変チクリンな艦橋の戦艦を撃沈したらしくはあるとはいえ、陸軍航空隊は随分と損耗してしまい、それによって生じた哨戒力の減少が珊瑚海での敗退に繋がったと評価できるかもしれないためだ。

 もっともそれを面と向かって指摘できる者などいるはずもない。それに蓋然性は低いとはいえ、シドニーが空襲される可能性も皆無ではなかった。そのため諸々の任務が中止となり、敵機動部隊に対する索敵攻撃に集中することとなったのである。


「その先鋒が、まさに俺等という訳だ」


 与圧された機内で、テーラー大尉は声に敵愾心を滲ませる。

 彼の愛機は長距離爆撃機B-29、そのレーダー偵察型だった。高度1万メートルの漆黒の闇に包まれた空から、地表面の様子を目視で探るのは著しく困難に違いない。しかし最先端の機材を用いれば話は別。ケアンズを爆撃してさっさと逃げ帰ろうとする艦隊を、電磁波の眼でもって確かに捉え、既に何時間も接触を保っているのだ。


「敵艦隊上空に俺等が張り付いて位置を送り、誘導電波を出し続ければ、夜明けとともに攻撃が始められる」


「ですね。大尉、コーヒーをどうぞ」


「おう。こいつはすまんな」


 副操縦士のジャクソンが持ってきたカップを受け取り、芳しき芳香によって士気を高める。

 それから配給のチョコを齧った。カロリー供給を第一に考えた軍用品だから、正直あまり上品な味ではない。気紛れに腕時計を一瞥すれば、時刻は午前4時を回ったところ。


「あと幾らか頑張れば、俺等の任務も完了だ。基地に戻ったら食中毒空母沈没のニュースを肴にビールで乾杯、Tボーンステーキをグレイビーソースたっぷりのポテトと一緒に食いたいものだな」


「まったくで。しかし落とす爆弾がないってのも辛いものですね」


「そうだな……いや、ちょっと待て」


 テーラーは少し前に便意を催したことを思い出す。

 大型機の任務はほぼ24時間働かなければならぬものだったりするから、機内にトイレが備え付けられている。なお操縦席からそこまで辿り着くまでが大変で、その途中の漏らしてしまう奴がいたりするのだが……クソまみれになるべきは眼下の連中だ。


「いいこと思いついた。お前、奴等の上空でトイレの中身をぶちまけろ」


「ええッ、当たりますかね?」


「万が一当たれば儲けものだ。そうでなくとも奴等の鼻がひん曲がり、対空砲火が薄くなるかもしれん」


 かような具合に"爆撃"は実行され、成層圏から放出された汚物が秒速50メートル超で海面を目指す。

 流石にそれが命中したりはしなかったが――そうこうしているうちに夜は明け、僅かに湾曲した水平線が白くなり始めた。爆弾や魚雷を満載し、各地の滑走路を離陸していく航空機の群れを、テーラーは何度も脳裏に思い描く。





 連合国から目の敵にされているだけあって、『天鷹』への対艦攻撃は激烈を極めていた。

 上空に殴り込んできた重爆撃機がポロポロと爆弾を投下し、あちこちに水柱が屹立する。水平爆撃であるから命中率は相当に低いが、次から次へとウンカみたいに湧いてきては投弾していくので、直掩機で捌き切れない状況なのだ。


 ただ圧倒的なる敵を前にしても、零戦隊は奮戦し続けているようだった。

 その秘訣は、迎撃管制の改善にある。タラントでのたくっている間に、フットボールの試合で更に悪名を高めた打井少佐が『天鷹』にやってきて、ドイツ仕込みの防空戦術に関する講釈を垂れていった。テレフンケン製の電子機器を前提としたものだったりしたので、すぐに全てを真似るとはいかなかったが――流石は泣く子も殴るダツオであった。不平を腕力でねじ伏せ、北米作戦での戦訓だとかあくまで敵機撃墜のためだとか獅子吼するその姿に、誰もが納得せざるを得なかったのである。

 そして見よう見真似ながら訓練してみたところ、なかなかいけるかもしれぬと分かり……まさにその効用が実戦において表れたようだ。襲来した敵編隊に多くの機が殺到し、ダンゴになってしまうという現象は、別の原因もあるとしても見られていない。


「とはいえ流石に多勢に無勢……うひッ!」


 デンパこと通信参謀の佃少佐が、これまた素っ頓狂な声を上げた。

 どういう訳か、刺激を受けると吃逆が出る体質なのである。それを臆病な精神性が故と見做され、また今次大戦は欧米列強を影から支配する爬虫人類の陰謀という異常発言が過ぎたので、第七航空戦隊へと投棄されてしまった訳だが……今の彼はいたって冷静である。


「敵編隊、六時方向から艦隊直上に向かう。距離20」


「げッ、どの隊も間に合わないな……」


 急造自作品の影絵式戦況表示装置をガチャガチャと兵が動かす中、佃は重苦しく呻く。

 実際その通りで、邀撃を指示できそうな直掩隊は、『海鷹』のものを含めて見当たらない。間に合わないというより、どの隊も既存の敵と空中戦を繰り広げていて、まともな通話すら不可能だった。


 そんな中、最後の守りとなるべく、軽巡洋艦『五十鈴』が射撃を開始する。

 改装で防空艦となった彼女は、そのせいか既に1発被弾しているが、それでも火力に衰えはないようである。高度4000を保って驀進する敵編隊を照準し、6門の高角砲を撃ちまくる。胃の痛い時間が幾らか経過した後、B-17もしくはB-24と見られる大型機が1機、脱落したことが報告された。

 だが元々、高射装置で管制された砲弾を1000発撃ち込んで、1発か2発当たるといった兵器。戦果はそれで打ち止めだった。


「敵編隊、間もなく直上……あッ、投下」


「面舵」


 『天鷹』は回避運動を開始、尚も射撃を継続していた駆逐艦『沖波』と衝突しかける。

 敵編隊はどうしてかその間も直進。落下中の爆弾がチラチラ光っていると、対空見張り員が奇妙な報告を上げてきた。


「ん、これはもしや……うへッ!」


 幾分近い水中爆発の衝撃に吃逆などしつつ、佃は脳を冴え渡らせた。

 バブ・エル・マンデブ海峡通過に際して米軍機が使ったと思しき無線誘導兵器が、またも投下されたのかもしれぬ。そう直観して確認を取ると、やはり不審電波の輻射が確認されたとのこと。


「いや、いや……拙いだろう、これ」


 妙に能天気な口調ながら、佃は慄然としていた。

 連合国軍の爆撃精度は今後、顕著に高まるかもしれない。何かしら対策を講じねば、大変な事態に発展しそうだ。





「これはちょいと、よろしくないかもしれんな……」


 ちょいとどころでないのは、高谷少将がかなりの冷や汗を流していることからも分かる。

 重爆撃機による波状攻撃を受けても尚、悪運に恵まれたる『天鷹』は依然として健在であったが、僚艦の『海鷹』は至近弾とロケット弾を複数食らって速度を落としている。佃が伝えてきた恐怖の無線誘導兵器は、雲の影に隠れたら案外当たらなかったのだが――頼みの軽巡洋艦『五十鈴』はほぼ戦闘力を喪失、駆逐艦の『白雲』と『松』に至っては爆弾の直撃を食らって轟沈してしまった。


 しかもそれを見計らったように80機ほどの敵航空部隊が現れたのだ。

 これは護衛戦闘機と急降下爆撃機という軽快な単発機からなるもので、まさに真打に違いなかった。数的にも消耗し気力の面でも憔悴した直掩隊に、それらを阻止し得る余力などあるはずもない。既にこの上なく厄介なSB2Cヘルダイバーが、執拗に獲物を付け狙う大草原のハゲタカの如く、艦隊上空をぐるりぐるりと旋回しているのである。

 蜂の巣を突くどころかぶん殴ったような騒ぎに、敵機動部隊を誘き出すために豪州爆撃というのは無謀だったかと高谷も今更ながら思う。もっとも後悔先に立たずなのは言うまでもない。


「その、少将」


 見通しが暗む中、唐突に声が響き、高谷はその方を振り向く。

 航海参謀の鳴門中佐であった。普段の遅刻魔然とした締まりのなさは、今に限っては消えている。


「自分、舵よろしいでしょうか?」


「うん、出し抜けだな……」


 高谷は改めて鳴門の表情を見やり、言外に滲む自信のほどを感じ取った。

 とはいえそれもそうかもしれない。『天鷹』が航空母艦として就役し、仮装巡洋艦の斬り込みで大破して戻るまでの間、航海長をやっていたのはこいつなのだ。しかも後任が何時まで経っても送られてこないから、今も二足の草鞋に近いという。


「ムッツリ、これまでの操艦お見事」


 高谷はまずこれまでの分を労い、


「だが少々、疲労が出てきておるようだ……回避運動を継続するに当たって支障はないか?」


「そうですね……意地を通して被弾しては元も子もない、ここは鳴門中佐に任せましょう」


 逡巡の時間は僅か。艦長の陸奥大佐もなかなかのものである。

 あるいは司令官という形であれ高谷が未だに上にいるので、これまた副長気分が抜けていないのかもしれないが――ともかくもよろしく頼むと、気障な口調で告げて颯爽と退く。


 そうして舵へと取り付いた鳴門は、急場にあって覚醒したかの如き雰囲気を一身に漂わせた。


「敵機、急降下!」


「取舵一杯」


 鳴門は露ほどの躊躇なく、流れるように舵を切る。

 息を吸って吐くかのように自然で、見る人をして一切の不安を微塵も覚えさせぬ操艦ぶりだった。これはいける。艦橋に居合わせた誰もが論理を超越した直感を得、それは艦全体に急速に伝播していく。


 『天鷹』を捕捉撃滅するべく急降下したのは、ヘルダイバーの1個中隊。

 一斉に仕掛けてきたそれらは果せるかな、軌道を修正し切れなかった。恐るべき威力の1000ポンド爆弾は海面に突っ込むばかりで、被害は至近弾の断片や機銃掃射によって負傷した兵が幾人か出たのみだった。

 間もなく後続する中隊が、我こそは我こそはと躍り出て、これまた一気に突っ込んできた。対して鳴門はまるで動じず、今度こそ被弾するのではとの危惧を軽々といなし、再び至近弾のみで切り抜ける。


「おおッ、まっこと見事!」


 誰もが信じられぬと目を見張り、ともすれば動揺までした後、隈なき絶賛の声を異口同音に漏らす

 だがこれは奇跡に非ず、必然なり。鳴門は一挙手一投足でもってそう語り、尚も悠然と舵を取り続ける。彼の技量に追随できたヘルダイバーは、その後も遂に出現することはなかった。


 かくして真打なる者どもの襲撃は失敗に終わり、『天鷹』は土壇場で踏みとどまったのである。

 突然に開花したかに見える爆撃回避技術の要諦は何か。誰もそれが気になって仕方がないといった様子であったが、空襲が終わるや否や鳴門がフラッと失神し、頭を強打してしまったから大変だ。

次回は6月29日 18時頃に更新の予定です。


どうにか空襲を生き延びた『天鷹』ですが、連合国軍の航空攻撃も熾烈さを増しています。

史実では既に本土空襲が始まり出していた時期ですが、本作品では未だその段階には至っておりません。そのため連合国軍の切り札たるB-29も、レーダー偵察型のような改造機が増えそうで、それが聯合艦隊にとっては目の上のタンコブになりそうです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 松型登場(出オチ!) ガダルカナル以降の大消耗への対応で、一時的ながらも週刊駆逐艦を成し遂げた、戦時急造かつ個人的には傑作と思う艦ですが、この世界では連合艦隊急拡大への対応で出てきたのかな…
[一言] マッカーサーフリーザ様
[良い点] 伊勢の中瀬泝大佐か日向の野村留吉大佐が乗り移ったのではないかと思うほど、鳴門中佐は見事に操艦してみせましたね。 そういえば、この世界で伊勢や日向って航空戦艦になってるんでしたっけ? [一言…
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