インド洋放漫作戦⑥
インド洋:セイロン島南方沖
昨日、航空母艦『天鷹』が遊弋していた辺りを、空前絶後の大艦隊が進んでいた。
揃って掲げる旭日旗の如く、昇る太陽に照らされた艨艟の群れ。記すべくもなく南雲機動部隊、航空母艦5隻、高速戦艦4隻を擁する無敵艦隊だ。無敵艦隊などという表現を用いると、スペインの事例を思い出して嫌な顔をする者もいるものだが……少なくとも抗し得る戦力が、現時点で地球上に存在しないことだけは確かだった。
その破壊力の根源たる航空隊は、飛行甲板に勢揃いし、轟々とエンジンの音を響かせていた。
徹夜で頑張った整備員を労いながら、マフラーも凛々しい搭乗員が次々と乗り込んでいく。目指すはコロンボ。大英帝国のインド洋覇権の牙城たるそこを打ち砕き、白人勢力を駆逐するのだ。もっとも日本帝国の同盟国がドイツとイタリヤで、特に前者などは驚くべき世界観を信奉していたりもするが――細かいことは気にしてはいけない。東洋は東洋、欧州は欧州なのである。
「そろそろ発艦だな」
「さっきから腕が鳴りまくりよ」
獰猛な目つきの搭乗員が、期待に胸を膨らませている。
だがどうしたことか――発艦待ての信号旗が掲げられてしまった。いったい何事かと誰もが訝る。
「何、敵艦隊とな!?」
南雲中将は仰天した。水平線上に妙な影との報があったが、それが何と英艦だったのである。
「して、敵の規模は?」
「6隻です。重巡洋艦2隻を先頭に急速接近中」
「何だその程度か、驚かせおって」
南雲は旗艦『赤城』を含む空母群に回避を、それから第三戦隊と第八戦隊に迎撃を命じた。
こちらも6隻、ただし金剛型戦艦4隻と利根型重巡洋艦2隻である。大口径砲の集中射撃に、英艦隊は怯むことなく突っ込んでくる。それでも元々の想定より遥かに格上の大艦隊に、偶発的に遭遇してしまった形だ。勝敗は最初から明白という他ない。
「敵一番艦、行き足止まった!」
「敵二番艦、轟沈! 轟沈!」
興奮した報告が木霊し、それから喝采が上がる。
事実、重巡洋艦『コーンウォール』は14インチ砲弾を次々と浴びてつんのめり、『ドーセットシャー』はキノコ雲に変わっていた。軽巡洋艦『エメラルド』も松明の如く炎上し、辛うじて撤退に成功したのは駆逐艦2隻のみ。
勇敢なる英国海軍将兵の戦果といえば、金剛型戦艦の装甲板を僅かに凹ませた程度でしかなかった。
「よし、気を取り直して攻撃隊発進!」
邪魔者を排除するや、航空母艦群は再び疾駆、100機を超える艦載機を放った。
歴戦の淵田中佐に率いられた大航空部隊だ。艦爆38機、艦攻54機がいずれも爆装して飛び立ち、36機の零戦がそれらを守る。
「頑張ってこいよ!」
「戦果を期待しておるぞ!」
艦隊の誰もが、大音声と帽振れでもって攻撃隊を見送った。
ただ空中集合が行われていた頃、コロンボの飛行場を発った索敵攻撃のブレンハイム爆撃機3機がそこに紛れ込み、まんまと爆撃に成功してしまった。投下された500ポンド爆弾のうちの1発が至近弾となり、『赤城』に海水を浴びせかける。それ以上の被害はなかったが、露天艦橋の南雲中将はずぶ濡れになった。
もしこれが当たっていたらといった仮想は、後世の歴史家の好むところである。
インド洋:モルディブ沖
「南雲機動部隊が敵巡洋艦戦隊と遭遇、これを撃滅した模様です」
「ううむ、我等も何か戦果を挙げねば……」
報告を受けるや否や、高谷大佐は切歯扼腕する。
だが赫々たるそれを挙げることが困難になりつつあるのを、彼は当然ながら理解しており、それ故に焦燥しまくっていた。航空母艦『天鷹』の役割は、主力たる南雲機動部隊の脇を固め、敵の増援を早期に警戒することにある。そのため今日はモルディブ沖に展開しているのだが――航空攻撃を受けるだけ受け、敵主力艦撃沈の殊勲は『赤城』や『蒼龍』のものとなりそうなのが、とかく悔しくて悔しくてたまらない。
「敵主力はこの辺に来ておったりはせんものかな?」
「敵戦艦は最高速力が23ノットですから、全力疾走しても無理と思います、はい」
メイロこと鳴門露伴少佐が、舵を取りながらのんびりと答える。
文豪っぽい名前の癖に文が苦とか言って憚らない航海長は、陸の上では始終道に迷って遅刻するのでこんな渾名だが、専門分野に関しては間違えることはない。
「スエズかマダガスカルから、新手が来るのを願うしかないですね」
「来ると思うか?」
「推測ですが米英とも主力艦に余裕ないと思います、はい。あ、豪州航路の船団とかなら、この辺りの港に逃げ込んだりしているかもしれません」
「むむむ……それでは面白くないし自慢にならん」
高谷は少し不機嫌になり、鳴門は適当に相槌を打ったりする。
もしかすると船団には、陸軍将兵1個師団が詰め込まれているかもしれない。それを悉く水漬く屍とすれば主力艦撃沈にも匹敵する功であるし、戦局への寄与もまた大であるから、不貞腐れる必要はない――そんなことを言う者も大勢いるだろうし、それもまた純然たる事実ではあるのだろう。
だがそうした外野的意見だけでは、海軍軍人はやっていけないものである。
それに主力艦を沈めるなり追い払うなりしてしまえば、船団など俎板の鯉も同じ。そう返されては反論もし難いから、やはり戦艦や航空母艦を討ち取りたい。大本営発表のなになに撃沈は我等が手柄と威張れるくらいにはなりたい。
「もっとも、無い袖は振れないとも言うんだよな」
高谷は諦め気味な溜息を吐き出した。
経験上、駄目な時は何をやっても駄目なのだ。そんな状況に焦って何かをしでかすと、余計に物事が悪い方向に進みもする。だからここはメイロの態度が正解だ、そんな風に自身に言って聞かせる。
「大海戦となれば、損傷艦も出ます。それもこの辺に逃げ込もうとするやもしれません」
「まるで落ち穂拾いだな……とりあえず、ここは厳に哨戒だ」
高谷はぼやきながら空を仰ぐ。
索敵に出ていた九七艦攻が、ちょうと戻ってきたところだった。フラップを広げ、着艦フックをワイヤに引っ掛ける。とはいえ機体は随分と傷付いていて、何があったのか気が気でない。
「英海軍の秘密基地です、ありゃあ」
腕に包帯を巻いた艦攻乗りの身延中尉が、痛みなど気にせず力説する。
赤道にほど近いモルディブの環礁を偵察していたら、妙に大きな滑走路やら原油タンクらしきものやらが見つかった。詳しく調べようと高度を落としたところ、高射砲でドカドカと撃たれたので、慌てて逃げ帰ったとのことである。戦闘機まで上がってきたというから、全く危ないところだったようだ。
なおその内容をすぐ打電しなかったのは、無線機が壊れていたが故らしい。
原因はよく分からないが、機械とは故障するものだし、家のラジオもすぐおかしくなる。とりあえず身延機が生還し、重大情報を持ち帰ってくれたことを、今は素直に喜ぶべきだと高谷大佐は思った。
「それで、戦艦か空母はおったか?」
「貨物船ばかりでしたがね」
身延の言葉に幾人かがガッカリする。
「ああでも、平べったいのがいたかもしれません」
「何だと、空母じゃないか! それは大変だ!」
高谷は血相を変え、ただちに『足柄』の原少将と連絡を取る。
当然、攻撃隊準備と相成った。アメリカが貨物船を改造し、英国に供与したという奴ではないか。そんな分析も出はしたが、航空母艦には違いないし、図体に違いはあるが『天鷹』だって似たようなものである。
そうして整備員が大急ぎで働き、2時間半ほどの後には、何とか攻撃隊が仕上がった。
零戦が12機、九七艦攻が16機という編成だった。泊地攻撃には十分と言えないかもしれないが、ぐずぐずしていては好機を逃すばかり。苛立ち気味だった搭乗員達も、好餌を前にした虎みたいになって、勢い勇んで出撃していく。
「とにかく戦果だ、戦果!」
そう繰り返す高谷の許に、更なる朗報が飛び込んだ。
明日も18時頃に更新します。
英東洋艦隊と戦ってて、とんでもないものを見つけてしまった。どうしよう?




