風雲ガダルカナル④
ヨーク岬半島:ケアンズ近郊
「うおッ、いったい何が起こっているんだ今日は……!?」
「今は戦闘に集中してくれ。一時方向、距離10マイルに敵機」
唐突に始まった日本軍の大規模航空攻撃に、邀撃管制室は飽和しそうな状況だ。
スラリと細長い胴体をしたフランクが多数、オーストラリア北東の空を我が物顔で飛び回る。機体の性能だけでなく、パイロットも腕利きを揃えてきたようで、彼等と対峙した米英豪の連合航空軍は押され気味だった。
しかも熾烈を極める制空戦闘の間隙を突いて、歴戦のオスカーが次々と低空へと侵入してくる。
それらは高射機関砲が撃ち上げる弾幕を軽やかに掻い潜り、1機また1機と、翼下に抱きたる爆弾を投下していく。続けて機銃掃射も敢行してきた。掩体への退避が間に合わなかったB-17が爆風を食らって擱座し、P-38が燃え盛るジュラルミンのオブジェへと変わる。ひと際大きな黒煙は、燃料庫があるはずの場所から濛々と上がっていた。
「糞、まんまとしてやられた」
基地司令たる米陸軍大佐は毒づくも、
「だが……敵とて犠牲は少なくないはずだ。ここで踏ん張れば、勝ちが見えてくる」
といった具合に正論へとすぐさま立ち返った。
実際これはニューギニア航空戦の一環であって、オーストラリア航空戦ではない。舞台は主にポートモレスビーやケレマといった地域で、護衛戦闘機を伴った100機超の爆撃機が、連日のように襲撃を仕掛けているのがここ数か月の日常なのだ。
恐らくそうした戦況が、日本軍に乾坤一擲の攻撃を決断させたに違いない。
勇気は称えられるもの、敵の大将はそう教わったのだろう。それを無謀という言葉が相応しいものにするためには、今この場での奮戦と増援、それから冷静沈着な指揮が何より重要だった。航空無線越しに友軍の断末魔も聞こえてきはするが、それ以上に敵機撃墜を伝える喝采の方が多いのだ。
「グレートバリアー31号が新たな機影多数を捕捉」
その報告に室内に緊張が走り、
「IFF応答なし。5時方向より約240ノットで急速接近中」
「敵味方識別急げ」
これには基地司令も大いに頭を抱え、チョイと地図を一瞥した。
グレートバリアーというのはオーストラリア北東沖に広がる大珊瑚礁の上に建設された、真珠のネックレスの如き対空監視哨だ。31号はケアンズとタウンズビルのほぼ中間にあるため、幾つかの航空基地からの増援が一直線に飛んでくる場合はその近傍を通るはずである。しかも敵味方識別装置はまだ一部の機にしか搭載されていないから、まったくもって悩ましい。
「あッ、味方です。当該の機影はオーストラリア空軍第85飛行隊」
「分かった。迎撃管制の準備を急げ」
一応の安堵が場に満ち、新たな援軍にどの敵を割り当てるかが迅速に決定される。
そんな中、基地司令は妙な胸騒ぎを覚えた。言葉にし難い違和感があったのだ。そうした感性はだいたい当たりだが、それを現実に活用できる人間は僅かでしかない。
グレートバリアリーフ:ケアンズ沖
「爆撃目標に直接向かわず南に大回りし、豪州大珊瑚礁に沿って飛行せよ」
「飛行時間と燃料消費量は増大するが、予想外の方向からの侵入となるので奇襲性が高まる」
ポートモレスビーに飛んでいった航空参謀に代わり、博田少佐が提出した作戦案はかような内容だった。
秋元中尉のような零戦乗りにとっては結構な負担であるが、率先垂範であるから文句は言えぬ。それにこれまでの迎撃の度合いを鑑みれば、博打は概ね成功。苦労して飛んだ甲斐があったというものだ。
「だが、そろそろ出てくるだろう……」
「十時下方に敵編隊」
航空無線越しの落ち着き払った一報は、腕前と飲酒量はピカ一の野宮飛曹長のものだ。
確かにその方を目を凝らしてみると、豆粒みたいな影が幾つか、雲の合間に連なっているのが見つかった。
「8機、ほぼ同航、ノンビリ飛んどります」
「偶数番小隊はかかれ。逃すなよ」
隊長機より命令が飛んできた。
「宜候ッ!」
まさに第二小隊の長たる秋元は即応し、ゴクリと唾液を飲み込む。
幾らかスロットルを開いた後、鋭く操縦桿を倒して左降下旋回。金星エンジンの轟々たる咆哮と、全身を貫く加速度とが、強烈なる闘争本能を呼び覚ましていく。全神経が張り詰めていくのが心地よかった。
それから反転。視界が僅かに霞んだ後、敵編隊はほぼ真正面にあった。
照準器のスイッチを入れ、照準環を点灯させる。徐々にその中央に、敵の一番機を捉えていく。どうやら相手はP-40であるようで、主翼には有袋静物を描いた紋章。
「何だお前、ウォーホークか」
秋元は鮫口の絵みたいに舌なめずりし、
「どのように殺してやろうか!?」
などと絶叫しながら、敵機に照準を合わせていく。
まずは両翼の13.2㎜機銃でもって掃射。豪州人のパイロットは、機体に火花が散って初めて状況を理解したようだ。しかも長機でありながら飛行経験が不十分だったのか、反応が随分と鈍かった。空においては致命傷に他ならぬ。
「食らえッ!」
武装を20㎜機関砲に切り替え、ドドッと強烈な一撃をかます。
5発に1発の曳光弾によって分かる弾道は、かつての小便弾とは打って変わって、必殺の閃光正拳突きよろしく真っ直ぐだ。
そして敵機は20㎜機関砲弾を2発も食らい、盛大に炎を吹いて墜落していった。
更に後続する僚機が戦果を拡大させた。辛うじて生き残ったP-40にしても、急降下でもって死地からの離脱を図っている。生き残るための選択としては間違いなく正しいが、当面はこちらの脅威となることはないだろう。
「1機撃墜、幸先いい感じだぜ!」
六時をスパッと確認した後、秋元は機嫌のよい声を上げる。
それから「戦はまだまだこれから」と気を引き締め、鋭利な双眸でもって真正面を凝視した。飛行機雲が幾重にも折り重なるそこでは、第七航空戦隊に条件付きながら協力してくれた陸軍の気のいい連中が、アングロサクソン系の同業者と壮絶なる死闘を繰り広げているのだ。
「よゥし、やったろうじゃないか!」
秋元は気炎を吐きつつ、ふと二時方向を一瞥した。
爆弾を抱いた彗星艦爆や天山艦攻が増速し、攻撃目標たるケアンズに向けて突き進んでいた。自分は彼等の盾となるべくここにいるのであり、敵機の尻を追い回すとしても、それは前述の責務を果たすためでなければならない。戦闘中は忘れがちなるその認識を、彼は六割頭で思い出す。
ポートモレスビー:第四航空軍司令部
「やりました、やりました! ケアンズ、ポートダグラスの両飛行場は炎上中!」
「よくぞやってくれた」
胸中に充満したる万感の想いを、第四航空軍の寺本中将は短い言葉に込めた。
攻撃に随行し、現地を高高度から俯瞰している百式司偵が追加で打電してきたところによると、少なくとも単発機以外の運用が半月ほど不可能となりそうな程度の打撃を与えたとのこと。損害もまた少なくはなかろうが、B-17やB-24といった大型機も多数、滑走路上で撃破したというから、今後の戦局も幾らか有利となりそうである。
「幾ら戦略守勢とはいえ、迎撃ばかりではジリ貧になる一方」
「何処かで機を見て逆襲作戦を実施し、敵に痛撃を与えねばならぬ」
かような信念を有していた寺本は、元々反撃準備を怠りなく進めていた。
普段行っているような少数機による散発的な爆撃ではなく、100機超の航空機を集結し、豪州北東岸の有力なる飛行場に叩きつける心算だった。ただ問題はそれを何時、どのように行うかであった。米英豪連合軍はその圧倒的補給力をもって攻めの姿勢をまるで崩さず、守りも十分に固めていたから、下手をすれば徒に部隊を消耗するだけに終わりかねない。加えてガダルカナル島での戦闘始まり、海軍が例によって臍を曲げていることから、そちらに兵力を割かねばならぬ公算も高かった。
そうした中で割り込んできたのが、高谷少将率いる機動部隊だった。
しかも出し抜けに連絡機を寄越してきて、豪州爆撃をやるので協力をと要請してくるものだから、応対した誰もが変な顔を浮かべて呆れたものだ。だが指揮官が誰かを知った途端に態度を翻す者も結構いた。加えてソロモン諸島やニューギニアを荒らし回る米快速機動部隊に何度も煮え湯を飲まされていた寺本は、これこそ奇貨とできるかもしれぬと直観し、参謀達に急ぎ検討させて確信を得たのである。
そして在ラバウルの今村中将の了解を得た上で、ここは陸海軍合同の作戦を遂行すべしと断じ、見事に賭けに勝った訳だった。流石は今甘寧将軍、軍神の見込んだ男だけはあると、誰も彼もが歓喜に打ち震える。
「もっとも、まだ前段作戦が片付いただけに過ぎん」
浮き立つ精神を戒めるべく、寺島は厳かな口調に続ける。
「第2師団救援は未だならず。だが孤島に取り残されし友軍を、我々は決して見捨てたりなどしない。峨号作戦の発動を命じる。ただちに航空戦力を機動せしめよ」
「了解いたしました!」
司令部要員達は一斉に動き出し、第6および第7飛行師団所属の戦隊が命令を実行に移していく。
空母を含む艦隊によって豪州が空襲されたとなれば、しかもその中核が『天鷹』ともなれば、連合国軍は通常の作戦を中断してでも捜索と反撃を行おうとするだろう。とすれば迎撃飛行隊を含めた戦力を抽出する余地が生まれるから、その間隙を突いてラバウルやブーゲンビルにそれら兵力を集結、ガダルカナル島上空の制空権を一時的に奪取するのだ。制空権が確保できていれば、増援を送り込む余地も生じるというものである。
「だから『天鷹』よ……ここで沈んでなどくれるなよ」
殺到する連合国軍航空部隊の脅威を脳裏に浮かべつつ、寺本はまったく切実に彼女の武運を祈った。
ガダルカナル島に特種船を送る際の護衛と見込んでいるが故の部分も当然あるが――それ以上に今後の戦局に資する何かを、聯合艦隊の鼻つまみ者といった扱いの航空母艦に、彼は感じ取っていたのである。
次回は6月26日 18時頃に更新の予定です。
『天鷹』が豪州空襲に参加したことで、ニューギニア方面への圧力が低下。それをもって寺本中将はガダルカナル救援部隊の抽出するなど、状況はめまぐるしく動いていきます。ただでさえ連合国軍に目の敵にされている『天鷹』の運命や如何に?
なおグレートバリアーレーダー網、清々しいまでの環境破壊です。でもポートモレスビーが陥落したままだと、こんなものも建設されちゃうかも?




