驚異の原子動力潜水艦計画
ワシントンD.C.:アナコスティア海軍施設
ロス・ガンという人物は、アインシュタインやオッペンハイマー、ノイマンほどではないかもしれないが、この時代のアメリカを生きた綺羅星の如き科学者の1人だった。
無線や電子工学といった領域への興味から学に志し、若い頃から軍の嘱託として航空無線の研究に従事、対空射撃訓練に用いる無人標的機の礎を築いたりもした。その後にイエール大学で博士号を取得、就職先とした海軍研究所で宇宙自然科学や気象学を専攻し、何十という論文を記すという業績を残したのである。
だが今、ガンが注力しているのは、最先端の原子物理学を実用へと持っていくことだ。
高名な物理学者のフェルミが講演を行った際、ウラニウムの連鎖的核分裂が確認されたと言及したのだが、ガンはその瞬間に潜水艦に革新を齎すことができるという結論に到達していた。酸素を必要としない核分裂反応を動力利用すれば、蓄電池の残量を気にする必要もなくなり、海中を自由自在に動き回ることが可能となる。それこそ実質的には可潜艦でしかない現在の潜水艦を、読んで字の如き存在に進化させると直観したのだ。
「ファンタスティックで物凄くホットなアイデアがあるなんて!」
「是非やってくれ、海軍にイノベーション旋風を巻き起こそう!」
当時の所長は歓喜し、二つ返事で予算を割いてくれもした。
ガンもまた合衆国の守りを鉄壁にできると思った。本物の"潜水艦"が完成すれば、ドイツや日本がどれだけの脅威であろうと、その海軍力を一方的に叩き潰せるからである。
とはいえそれは茨の道であったと、ここ5年ほどの間に痛感する破目にもなった。
まず核分裂動力そのものに関して、天然ウラニウムを用いた機関は実用化困難と断じざるを得なかった。理論上は中性子減速材として重水あるいは黒鉛を利用することで、天然ウラニウムを臨界させられはする。とはいえ重水は高額かつ必要量の入手が絶望的、黒鉛の方は艦艇用とするには構造規模が大きくなり過ぎると判明したのである。
となると残った選択肢は、高濃縮ウラニウムを用いた軽水減速炉のみ。
ただこの濃縮という作業がとんでもない曲者だった。天然ウラニウム鉱石に僅かに含まれる核分裂性のウラニウム235は、大半を占める役立たずのウラニウム238と、原子量にして1%ちょっとしか違わない。にもかかわらず前者の割合を高めねばならぬのだから並大抵でない。同僚のアベルソンが考案した熱拡散方式はあまり効率的でなさそうだったが、他によさそうな選択肢も思いつかなかったので、戦争が勃発したというのにケチ臭い予算をやり繰りして何とかアナコスティアの実証プラントを稼働させ、フィラデルフィア海軍造船所において本格的生産施設の建設に漕ぎ着けたのだ。
しかし……難題はそれだけに留まりすらしなかった。
陸軍主導で始まった核分裂爆弾研究、後にマンハッタン計画として統合されるそれに、人的および物的、それから予算的な資源が集中する運びとなってしまった。それどころか海軍に対する嫌がらせなのか、まともに技術情報すら寄越さず、挙げ句の果てに苦心して集めた技術者をヘッドハントしていく始末なのである。
「核分裂爆弾など非現実的で、この戦争に間に合うとも思えぬから、実用可能性の高いこちらに予算を回すべきだ」
「忌々しい大和型戦艦や食中毒空母を撃沈し、太平洋の制海権を奪還するには、革新的潜水艦が不可欠」
「海軍研究所としては、陸軍の計画に大反対である」
ガンはかような文書を方々に送り、核分裂動力を開発する必要性を訴えまくった。
だがそうした努力に対する最終的な回答は、
「よくやってくれた。褒美にフィラデルフィアの濃縮施設をマンハッタン計画に役立てる権利をやろう」
という無慈悲なまでに絶望的な内容だったのだ。
しかも目に余るほど一方的な決定に抗議する間もなく、陸軍省の役人が多数の憲兵を連れて乗り込んできて、濃縮施設を無理矢理に接収してしまったのである。
「畜生、やってられるか馬鹿野郎!」
自棄になったガンはそう叫び、書簡を拳銃で蜂の巣にした末に痛飲した。
それでも神はガンを見捨ててはいなかった。付け加えるなら、腹立たしくあったとしても、文章は最後まで読むべきだった。何故なら数日後にかかってきた電話の主が、彼に驚くべき内容を伝えるからである。
「つ、つまり……核分裂動力潜水艦計画は潰えていないのですか?」
「その通りだ」
目を丸くするガンに、フォレスタル海軍長官が厳かに告げる。
就任して間もないこの雲上人が、わざわざ研究の現場を前触れもなくやってきて、疑いようもない口調でそう言っているのだ。正直に言って、奇跡のような光景だった。
「ただし、核融合燃料はウラニウムではなくなる」
「えっ……?」
「ん、ああ間違えた。核分裂燃料か、専門用語は分かり難くて困る」
フォレスタルは苦笑いし、
「とにかくだ、核分裂燃料はプロトニウム……ああ、プルトニウムだったか。プルトニウムを使って核分裂動力をものにするのだ。そいつで動く潜水艦が、1ダースほど欲しいからな」
「何と、本当に驚きです」
ガンは瞳孔を更に拡大させ、渡りに船どころか渡りにアイオワ級戦艦な提案を傾聴する。
雲上人の口ぶりからするに、自分はその技術最高責任者として抜擢されるに違いない。何時の間にやら世界の全てがご都合主義的に変わっていたかのようで、水を得た核分裂性物質の如く全身が興奮した。臨界しているも同然だ。傍から見れば、チェレンコフ放射で青く光っていてもおかしくない。
だがその一方、ガンの頭脳は怜悧に稼働していた。
組織力学については素人ではあったが、こんな急転直下の地殻変動的展開は通常あり得ないと分かる。そもそも今まさに話題に上がっている新元素の情報すら、陸軍の連中が囲い込んでしまっていたほどなのだ。
「ただ海軍長官、プルトニウムに関しては……」
「皆まで言わんでも分かる。情報がさっぱりないと言いたいのだろう? 聞いたところによるとウラニウムと大して変わらんらしいが、まあ既に試作しておった核分裂炉のそれを含め、全部グローブスの奴に吐き出させる。だから安心したまえ」
「は、はあ」
ガンは流石に怖くなってきて、
「その、いったい何がどうなったのでしょうか?」
「君は外で公言しないだろうし、したら機密漏洩で刑務所送りだから特別に教えるが……どうもプルトニウム核分裂爆弾自体が、原理的に作れぬかもしれんという話でな。実のところプルトニウムに関しては生産がかなり進んでいたのだが、最悪な可能性が今更になって浮上して、密かな大騒ぎになっておる」
「そんなことがあり得るのですか!?」
「核物理学をやってる学者は皆、今の君みたいに素っ頓狂な反応をしとる」
フォレスタルはさもありなんと肯き、唐突に葉巻を嗜み始める。
その間に秘書官が鞄から封筒を取り出し、そっと手渡してきた。核分裂爆弾において想定されていたのは、核分裂性物質の塊2つをぶつけて超臨界に持っていく方式。しかしそれはウラニウムには使えるようではあるが、早期爆発の問題からプルトニウムでは困難と判明した。弥縫策としてノイマンが爆縮なる新方式を提案しているが、やたらと緻密な計算が必要となるようで、設計完了までどれほどの年月が必要か分からない。要約するならそんな具合の報告書だった。
そして記述された内容を咀嚼していくにつれ、ガンの背筋に強烈なる電流が走り出す。まさに心地よい針の刺激で、訳もなく輝いてしまいそうになる。
「大まかなところは、それで理解できただろう」
フォレスタルは葉巻を吸い終え、莞爾と微笑む。
「戦艦が何隻か揃いそうな額の国費を投じて生産したプルトニウムは、最悪の場合、核分裂爆弾の材料としては完璧な役立たずになってしまう。だが動力としては十分使えるらしいから、我々海軍が君のやっていた熱拡散プラントと引き換えに、プルトニウムの半分をいただくこととした。フィラデルフィアの施設で陸軍のボンクラ連中が無礼千万な対応をしてくれたのは、つまるところこの取引が悔しくてたまらんからだったのだよ」
「なるほど。疑いようもなく理解できました!」
「よし。とにかく予算も人員も物資も可能な限り付けるから、既存の潜水艦にそのままポン付けできそうなプルトニウム動力機関を、大急ぎで作ってくれ。それがあれば少なくとも太平洋では大勝利だから、できれば1年以内でだ。やってくれるよな?」
「はい。絶対に実現してみせます!」
ガンは一生涯で最も力強く返答した。
これほどやり甲斐があり、国家と命を賭して戦う将兵のためになる仕事はあるまい。溌溂たる意欲を得た彼の脳は、既に誰に何を任せるべきかという、プロジェクト管理者として必須の業務を開始していた。
次回は6月11日 18時頃に更新の予定です。本日は更新予定が狂ってしまい、申し訳ございません。
遂に合衆国が原子力潜水艦計画を始動させました。
史実では1953年に完成した原子力潜水艦ですが、実際にはもっと早期に実用化に至った可能性があり(技術的にはマンハッタン計画で製造された超臨界型の核分裂兵器の方が困難と言えます)、その鍵を握っていたのがこのロス・ガンというほぼ無名の物理学者です。原子力潜水艦といえばリッコーバー提督ばかりが浮かびますが、その前に基礎研究を積み上げていたのがガンです。
ではどうすれば彼が夢見ていた原子力潜水艦が完成し得るか? 昭和19年になっても聯合艦隊が意気軒高で強力な潜水艦が求められている環境と、プルトニウム核分裂爆弾計画の一時的な停滞(ガンバレル式プルトニウム核分裂爆弾は原理的に製造困難と判明したため大混乱に陥った、というのは史実の流れでもあります)を機に、バックアップとして原子力潜水艦計画が浮上するという流れを考えてみました。
架空戦記的な超兵器計画と、その裏側にある架空の科学史を、楽しんでいただければ何よりです。




