日伊親善フットボール大合戦・下
タラント:運動場
「フットボールしようぜ! お前ボールな!」
「この野郎、貴様等の首で蹴鞠してやろうか!?」
フットボール場であるはずだったそこは、怒号と拳骨の飛び交うコロッセウムに変わっていた。
それまで球技で競っていた選手達は、瞬く間に暴力の虜となった。公然たる侮辱に憤ったイタリヤ人が、喧嘩上等な『天鷹』組に一撃を食らわせた訳であるから、燃え盛る炎にニトログリセリンを放り込んだようなものである。
しかもその燃え広がり方といったら尋常でない。
真っ先にコートへと乱入し始めたのは、打井隊長をお助けしろと息巻く『天鷹』航空隊、特に下士官兵の飛行機乗りであった。パイロットは士官というのが常識の欧州の地にて、何かと不遇をかこっていた彼等は、積もった鬱憤を晴らさんとばかりに大暴発し、イタリヤ選手を次から次へと殴りつける。そうなれば当然、反対側からも増援がやってきて取っ組み合いになる訳で、更には興奮した観客同士が場外乱闘をおっ始めるほどだった。
スポーツ愛好家の行状の悪さは昔から有名であるし、実のところ似たような事例はローマ帝国の昔よりありはするが、とにもかくにも手がつけられない。
「何をしている、いい加減にせんか!」
「止めろ、ちったァ落ち着け!」
高谷少将は制止の声を響かせる。真っ先に先陣を切りそうなものだが、一応は事態の収集に必死であった。
発端は突然に打井が殴打されたことである。言うまでもなくイタリヤの側に非があり、暴力行為に対する激烈なる怒りもあるのだが、流石に二国間親善試合となると飲み屋の喧嘩騒ぎとは訳が違う。それに下手をすると、今後の立身出世にまで響きかねないという懸念もあった。
とはいっても、目の前には頭に血を昇らせた連中ばかり。
当然どうにかなる気配などさっぱりなく、しかも観客あるいは暴徒があれこれ投擲してきたりする。それでも高谷は弾幕を掻い潜りながら、拙いことになりそうな連中を迅速に捜索し、引き剥がしにかかった。まずは必殺の閃光正拳突きで相手に大怪我をさせかねない、赤の反則切符で退場させられた秋元中尉からだ。
「野郎、もっと痛くしてやろうか!」
「ヒデキ、そこまでだ!」
一喝とともに飛び込んできた上官に、流石の秋元もハッとなる。
とはいえ問題はその直後。言うまでもなく、喧嘩とは独りでやるものではない。"Vaffanculo"なる罵声を伴った強烈無比なイタリヤ拳が、高谷の右の頬を打ってしまったのである。
ここで左の頬が差し出されると思う者がいたら――それは途方もない盆暗主義者くらいであろう。
「あッ、少将」
「てめぇは……俺を怒らせた!」
あっという間に怒気を突沸させ、高谷は一気に戦闘態勢へと移行。
即座に殴打してきたイタリヤ人に組みかかり、何発もの反撃をものともせず、セイヤッと一息に投げ飛ばす。続けて偶然そこへ躍り出てきた、何処かカポネを思わせる風体のもう1人を蹴り飛ばし、猛獣めいた雄叫びを上げる始末。そして頼もしい上官の参戦に、『天鷹』組は揃いも揃って戦闘意欲を昂ぶらせ、全身全霊でイタリヤ人の撃滅を図り出す。
「あーもう滅茶苦茶だよ……」
顔面蒼白な遠藤中将の、頭を抱えんばかりの嘆きが響く。
だが激烈を極めた喧嘩の熱気は、将官の座するところへと、瞬く間に波及してしまった。彼が訳の分からぬまま打擲されるに至るまで、そう長くはかからなかったのである。
阿修羅の如く暴れ回っていた日伊の軍人どもだが、治まる時もまたあっという間。
暴れん坊将軍というには三等低い打井少佐と、マランツィーノなるガタイのよい空軍大尉が、互いの頬に渾身の力を注ぎたる拳をめり込ませ合った。実に壮絶なる相打ちである。結果としてどちらの顔も大いに歪み、ノルウェーの有名な末法絵画めいた様相を呈してしまった。
するとどうしたことだろう。それが正視に堪えぬほど変テコだったからか、両者ともドッと吹き出した。
好き放題に殴り合っていたのは、血の気がやたら多いにしろ、熱し易く冷め易い連中だ。予想外に伝搬してきた軽快なる笑い声にまずキョトンとした彼等は、既に気が済むまで暴力行為に及んでいたが故か、見事に釣られて大人しくなっていく。とんでもない鎮静効果と瞠目せざるを得ないだろう。
「さっきまで殴り合っておいて何だが、結構やるじゃないかイタリヤ人」
「こちらこそ、大和魂というものを身をもって理解できたわい」
「これが同盟国の軍人かと思うとまったく頼もしいもんだ。枢軸同盟の勝利は決まったようなもんだな」
そんな具合の台詞が、日本語とイタリヤ語で飛び交う。
ほぼ意味など通じてはいないだろうが、拳は口ほどに物を言うのだ。まさしく肉体言語による会話の後、国籍を問わず倒れ伏す者に手を差し伸べるなど、なかなかに和気藹々とし始める。まったく、先程までの騒動が嘘のようだ。
「はあ、何とか鎮火したか」
遅まきながら我に返った高谷もまた、安息の溜息を吐き出した。
それから未だにイタリヤ人の首根っこをひっ掴んでいたことを思い出し、幾分気まずそうな面持ちで放してやる。
「戦意旺盛なのはよいが、こうもカッとなり過ぎるのはよろしくない」
「少将の普段のご指導ご鞭撻の賜物ではないですかね」
飄々と姿を現した『天鷹』副長の諏訪中佐が、そんなことをケロリと言う。
なお艦長のムッツリこと陸奥大佐は、投擲された有象無象が転がるフットボール場の片隅で、見事ゴミのように伸びている。女に現を抜かしているから喧嘩が弱いという偏見が、これまた強まりそうな伸び具合だ。
「まあ結果だけを見れば……これでよかったのかもしれんがな」
高谷は辺りの惨状を見回し、一方で友好的雰囲気を感じ取り、
「無理して蟠ったままいるより、一度殴り合ってスッキリした方がいいってこともあるだろう」
「国同士の戦でも、案外そんなことはあると聞くんですよね」
「そんなものかね?」
「ええ。勝敗がどうあれ、それなりに対等でないと最初から戦になりませんし……どうにも逆説的ではありますが、交戦相手国ほど事情を知りたいと思う国もないってことで。日露戦争後の両国関係が好例と聞くんですよね、その後の革命騒ぎで全部ぶち壊しになったそうですが」
「なるほど、そいつは確かに正しい面もあるのかもしれん」
妙な具合に感心し、神妙な顔でウンウンと首肯してみる。
ただそうしていると、諏訪がどうにも拙そうな表情を浮かべたのに気付いた。何か妙なことでもあったのか。そう思った刹那、足元がグラグラと揺れたのである。
「おい、そこな海軍の恥晒し」
声の主は第二特務艦隊司令長官たる遠藤中将だった。
しかも実に威嚇的なるそれはびっくり仰天、あろうことか足許から響いてくる。獣性を存分発揮しまくっていた関係か、見事なまでに踏んづけていたのだ。今更それに気付いた高谷は、絵の具でもぶちまけたかのように真っ青になり、大慌てで足をどける。
「あッ、中将……申し訳ございません」
「この不始末、よォく覚えておくからな。まあ色々覚悟しておけよ」
何とか立ち上がった遠藤は、おっかない捨て台詞とともに去っていく。
高谷は当然ながら冷や汗タラタラで、その様子を一瞥した諏訪は、失笑を堪え切れなかったようである。
「まったく……どうしてこうなった?」
「ダツオが浮かれついでに、タラント奇襲とか挑発的なこと叫んでしまってたんですよね、イタリヤ海軍は実際、英軍機に奇襲されて戦艦3隻をやられてますし」
「ああ、あの馬鹿タレめ……そんなん俺でもブン殴りたくなっちまうだろうが」
「向こうに暴力を謝らせる際、そこはダツオにも謝らせたらいいと思うんですよね。それはそうと、試合再開の運びのようで」
「うん、全てはその後だな」
高谷はパッと頭を切り替え、不祥事を一端忘れた。
そうして再開された試合は、喧嘩では押され気味だったことの反撃という訳か、イタリヤ選手の圧倒的大攻勢と相成った。幾らフットボールができる打井がいようと、流石に単独ではどうしようもなく、最終的に33-4という『天鷹』組の記録的大敗北に終わった。
余談だが、その結果に一番愕然としたのは、飛行隊長の博田少佐だった。
密かにフットボールを賭博の対象とし、どうせ喧嘩で試合中止になるだろうと踏んでいた彼は、一ヶ月分の俸給を棒に振ることになったのである。
次回は6月5日 18時頃に更新の予定です。
一応は『ファルコ』や仏高速戦艦の護衛のため、欧州遠征に赴いた訳ですが……ほぼ観光と喧嘩しかしてないような状況となってしまいました。
とはいえ米英の反攻も間近。行きはよいよい帰りは怖い……かもしれません。




