地中海遠征大航海①
地中海:マルタ島沖
「おおッ、やった! やったぞ!」
黒煙を吹き上げ、海をのたうつ平面的な敵艦。その姿をしかと目に焼き付けながら、ブレイズ大尉は勝鬨を上げた。
それはまさしく、イタリヤ海軍が昨年の末に戦線投入した航空母艦『アクィラ』である。地中海の天使だとか新ローマ帝国の守護者だとか謳われ、就役に際してはムッソリーニ統領に濁流が如き感涙を流さしめた彼女だが、寄せられたる大期待とは裏腹に、作戦能力をすっかり喪失してしまっていた。
ブレイズの愛機がヴォート社のF4Uであることからも明らかな通り、攻撃隊は爆装した戦闘機が中心である。
故に航空雷撃は一切行われておらず、撃沈まで持っていけるかは分からない。だが500ポンドと1000ポンドの爆弾を合計4発も食らって、まったくの無事ということはないだろう。少なくとも数ヶ月間くらいは入渠を余儀なくされるに違いなく、イタリヤの工業力を鑑みれば更に伸びるかもしれない。
「とすれば、どちらでも問題ないか」
R2800エンジンの唸りに心地よさを覚えつつ、ブレイズは結論付ける。
実際、今後の展開を考えればそれで十分だった。アルジェリアの東部では未だにロンメル軍団が変幻自在の戦いを繰り広げ、連合国軍部隊を翻弄し続けているので、盤面を一息に覆すべく、サルディーニャ島に強襲上陸する作戦が議論されているらしい。それを実施する上での最大の脅威は、かくの如く取り除かれたのである。
「勝った、地中海戦線完……といったところか?」
「おいおい、油断し過ぎだぜ」
「まあ帰艦したらミートボールスパゲティでも食おうじゃないか」
大手柄を手土産としたパイロット達は、航空無線で他愛なく談笑しまくる。
巡洋艦改装のインディペンデンス級航空母艦3隻を中核とする比較的軽量な機動部隊が、危険なマルタ島沖にまで殴り込んでの戦果である。機体が揚力で浮き上がるように、気分がやたらと浮き立つのも、致し方ないといったところだろう。
「まあイタ公の空母は、これでいなくなりはしたもんな」
ブレイズはそう独りごち、あれこれ難しく考えるのを止めた。
同型艦のスパローだかスパゲッティだかは未だ建造の途上で、陸軍のB-24が爆撃で工事を遅らせもしたらしい。とすれば彼の言葉に間違いなどないはずだった。
トリンコマリー:第二航空艦隊司令部
「ええと……この大事な時期に、わざわざ地中海くんだりまで行けというのですか?」
与えられたる命令に、高谷少将は公然と不平を零す。
「しかもジブラルタル爆撃をやるというのならまだしも、外国艦船のオモリをしてこいと?」
「聯合艦隊広しといえど、貴官ほど文句ばかりな将官もおらん」
第二航空艦隊司令長官たる角田中将もまた、溜息混じりに叱責した。
『天鷹』のみを擁する第七航空戦隊は、これより新生第二特務艦隊に組み込まれる。その目的たるはまずイタリヤ海軍の特設航空母艦『ファルコ』、つまりは極東で行き場を失っていた貨客船『コンテ・デ・ヴェルデ』を佐世保にて改装した艦を、長靴型半島の踵に当たるタラントまで送り届けることである。
またそれが完了した次は、旭日旗を掲げることとなったダンケルク級高速戦艦2隻をシンガポールにまで連れ帰る任務。こちらは粘り強い対仏交渉と、ヴィシー政府の対米英嫌がらせ精神の賜物であった。
「正直なところ……勝手に行かせ、また勝手に来させればいいのではないかと」
「それだと途中で沈むかもしれん。さっき説明しただろう、ちゃんと聞け」
角田は心底呆れ気味な口調で言う。
それからここ最近のインド洋情勢について改める。一度はマダガスカル島攻略に失敗した連合国軍であったが、最近はまた再度の上陸作戦を目論んでいる気配が濃厚だ。その前触れということなのか、あるいは日独航路の遮断が至上命題とされたが故か、アラビア海では潜水艦による被害が増加し始めている。鹵獲した『ブラックフィッシュ』を調査した結果、米海軍は魚雷の不具合を解消したと判明したし、また電探を用いた積極的襲撃術を磨くなど、かなり油断ならぬ存在となりつつあった。
それに加えて厄介なのが、ナイロビの辺りから頻繁に飛んでくるB-24である。
南アフリカでの政変を4個師団でもってひっくり返した米英は、ケープタウンに機関車や貨車を山ほど運んできて、ケニヤの辺りにまで達する強固な輸送路を構築してしまったのだ。ボーア人の由緒正しきコマンドウがその運行を妨害してはいるらしいが、決定的打撃を与えるにはまるで至っていない。そうして大量の燃料や爆弾、交換用のエンジンなどを得て活力百倍となった爆撃機部隊が、バブ・エル・マンデブ海峡やアデン湾で船舶を襲うようになった。
無論、ジブチには有力な戦闘機部隊が配置されていたりはする。数は少ないが、メッサーシュミットの新型すらいたりする。だがそれでも、敵機の跳梁を阻止し切れてはいない状況だった。
「加えてこの間、アフリカ東岸の鉄道を爆撃しにいった四航戦の『隼鷹』が、返り討ちに遭って中破したのを覚えておるな?」
「あの『隼鷹』ですから、何か調子こいたのでしょう」
「そういう雑言は止めにしろ。ともかくも危険に満ちたる海域にて、イタリヤ海軍の新空母を護衛し、それから聯合艦隊の新顔を連れて帰るのだ。間違いなく重要任務なのだから、不平不満ばかり垂らしてないで精一杯励んでこい」
「しかし敵主力艦はおらんではありませんか」
「流石の俺も怒るぞ、おい」
そこまで言われては致し方ない、命令を受領しさっさと退散することにした。
鬱憤晴らしに酒でも飲みたいところだった。とはいえ陽が暮れてもいないから、水交社の喫茶店にて紅茶でもしばくとする。味や香りの違いなんてものはよく分からないが、セイロン茶葉は名高いから、何となく高級な気分になるのだ。
「だが……やはり我等が征くべきは南太平洋ではないのか?」
高谷は紅茶を啜りながら新聞を開き、ううむと首を傾げる。
あまり詳細な情報は記載されてはいないが、このところ巡洋艦改装空母を中核とする快速機動部隊がガダルカナル島周辺海域に出没し、一撃離脱的な作戦を繰り返すなどしていた。三面で触れられている貨物船『栄光丸』などは、まさにその犠牲に他ならない。記事にはどうしてか、
『南方××島に漂着せる元乗組員、現地土人を見事懐柔』
『冒険ダン吉もびっくりの手際』
といった内容ばかりが書かれているが、そもそも船が沈められては拙いのである。
加えて厄介なのは、機動部隊主力を用いて掃討する訳にはいかぬところだった。
真珠湾やサンディエゴの港には、エセックス級航空母艦が既に5隻も勢揃いしているという。対する聯合艦隊は新たに『大鳳』を戦列に加えはしたものの、戦力としてはそれで拮抗といったような状態だから、おいそれと動かせぬという事情があった。
「とすれば……」
かような敵部隊を排除するには、やはり『天鷹』がうってつけ。高谷はそう断じようとした。
だが日本語でもフランス語でもないような、妙に軽佻浮薄な感のある外国言語が響いてきて、思考が盛大に掻き乱されてしまった。何のことはないイタリヤ語で、何となく理解できそうな単語を無理くり繋げていくと、まず間違いなく女の話をしているものと分かった。しかも話者の片割れはあろうことか陸奥大佐で、もう一方が『ファルコ』のタマロ大佐。艦長会議に備えて上陸してきたのだろうが、どうして毎度こういうのとかち合うのだろうか。
「おいムッツリ、いったい何を喋っておる?」
「おや司令官、こちらにおいででしたか」
陸奥はこれまたケロリとし、
「これより欧州への出征となりそうですから、タマロ大佐と機動部隊戦術について打ち合わせをしておったところです」
「なりそうではなく、先程なった」
「おお、左様ですか」
「うむ。それからもう1つ、尋常小学校の子供でも分かるような嘘を公然と吐くんじゃない。もう少し海軍将校らしい慎みというか、分相応のスマートさというか、何かそういうものを持ったらどうなんだ?」
気分が大層ゲンナリし、高谷はどうしたものかと肩をすくめる。
もっともそれに倍する以上の心労と頭痛を、角田中将を始めとする幾人かは、第七航空戦隊を取り扱う際に味わっていたりする。そんな入れ子構造に自分が組み込まれているなど、彼は露も思ったりしないのではあるが。
次回は5月12日 18時頃に更新の予定です。
イタリヤ海軍が誇る航空母艦『アクィラ』は登場と同時に大破してしまいました。
その代わりとばかりに『天鷹』が地中海へと向かっていきます。いったい何を引き起こしてくれるのやら……。




