ダッチハーバー転進作戦④
太平洋:ウナラスカ島南方沖
「是が非でも、『イントレピッド』を持ち帰るのだ!」
旗艦を『プリンストン』へと移したパウナル少将は、譫言のように繰り返した。
敵味方の識別を誤った挙句の致命的損害。それを許してしまった自分のキャリアは、取返しがつかぬほどにボロボロだ。それでも海軍と若き水兵達への義務感が潰えるはずもなく、1人でも、1隻でも多くを救わんと彼は奮闘し続ける。
1000ポンド以上の炸薬を備えた魚雷を2発も食らった『イントレピッド』は、自力航行能力を喪失してしまっていた。
それでも身動きの取れなくなった彼女の傍らには、惨劇を生き延びた駆逐艦が寄り添っている。どうにか曳航を試みているのだ。本来ならば重巡洋艦『ボストン』こそが、そうした任に一番適しているはずなのだが、彼女もまた被雷してしまっている。そして任務群で唯一健在な大型艦たる『プリンストン』は、当然なされるであろう敵に備えねばならぬから、これまた用をなさぬ状況だ。
「よし、行ってこい!」
「お前等が頼りだぞ!」
大勢の声援が響く中、カタパルト士官が大袈裟な身振り手振りでもって合図する。
射出スイッチが決断的に押された。油圧によって大加速度を与えられたF6Fが、轟々と明けの空へと羽ばたいていく。いつ見ても勇ましい、そう思わぬ合衆国海軍の水兵などいるはずもない。
「だが……嫌な朝焼けだ」
そんな言葉もまた自ずと漏れる。
昨日の戦闘でこちらの位置は割れたも同然であるから、間もなく忌々しい敵偵察機が現れ、空襲が行われるに違いない。星々の煌く夜空は過去のものとなり、眩い旭日の光が世界を包み込む。単純に天の運行を言い表しただけの言葉が、まったく別の意味を持ってしまいそうな状況だった。
「とはいえ、ここが踏ん張りどころでもあるか」
「ええ。あと4時間ほどで、救援も到着するはずです」
参謀長が頑張って声を弾ませ、
「そうすれば『イントレピッド』の曳航にも目途が付きましょう」
「そうだな。何とかそれまで持たせるのだ」
パウナルもどうにか力強く肯いてみせる。
ダッチハーバー奪還作戦は既に仕切り直しが決まり、水上打撃部隊や揚陸艦隊がアンカレッジへと引き返しつつあるのは事実。それでも重巡洋艦『ソルトレイクシティ』を含む5隻の小艦隊が、通り魔的な雷撃によって大打撃を被った第51任務部隊第1群の救援のため、大急ぎで向かってきているのだ。
とにもかくにも、これ以上の犠牲を払う訳にはいかなかった。
続々と姉妹が戦列に並びつつあるエセックス級航空母艦だが、最近になって就役のペースが顕著に落ちつつある。『大和』の実在性に対する恐怖のあまり失禁し、嘔吐した連中が、モンタナ級などという超戦艦を5隻も起工させてしまった影響だ。愚行の最たる例としか思えぬ話ではあったが、かように混乱した建艦行政が齎す戦力低下を最小限にするためにも、『イントレピッド』には母港に辿り着いてもらわねばならぬ。
(それに……それにだ)
パウナルは退艦の直前を思い出す。自ずと目頭が熱くなった。
未だ『イントレピッド』には何百という乗組員が残り、決死の復元作業を行っている。何事でもないかのように自分を見送ってくれた、真に英雄的なる彼等を連れ帰ることこそ、海軍将校としての自分に課せられた最後の責任に違いない。
ならば今はそのためにも、上空の守りを固めるべき。
そう思って強く拳を握ったところ、緊急の報告が飛び込んできた。艦の対空捜索レーダーが新たな反応を捉えたとのことだ。それが敵対的なものであることは、敵味方識別装置を用いるまでもなく分かるから、即座に直掩機に迎撃命令が伝達された。
「よし、CICに降りよう」
断固たる決意を胸に、パウナルは艦橋を後にする。
戦闘指揮所の扉を潜って間もなく、直掩機が会敵するよりも早く、敵索敵機が打電を始めたとの報告がなされた。いよいよ正念場。拳をガッチリ握ると同時に、重苦しい時間が流れ出す。
「おいおい、いったい敵空母は何処に消えたんだ……?」
何故かヒデキという渾名を付けられた秋元中尉は、眼下の光景を眺めつつ唸る。
確かに敵艦隊は捕捉している。しかし俎板のように平べったい艦影は、どういう訳か見当たらない。エセックス級と思しき航空母艦が曳航中であるとの報を偵察機が1時間半前に送ってきたから、間違いなく付近にいるはずなのだが――海面にあるのは戦艦あるいは巡洋艦と思しきフネと、それに追随する数隻の駆逐艦だけという状況であった。
加えて敵の高角砲群は、まだ滅多に当たらぬ距離ではあるとはいえ、容赦なくドカドカ撃ってくる。
そうした熾烈なる空に円弧を描きつつ、命令を待つというのは大変な難行に他ならない。敵直掩機が殴り込んでこないのがせめてもの救いと言えそうだが、ともかくも胴体に25番爆弾を懸吊などしているものだから、持ち味の軽快さや航続距離がさっぱり活かせぬ状況なのである。
「やるのか、やらんのか……どちらだ?」
「攻撃はじめ」
隊長機からの号令が航空無線越しに届き、
「目標、敵一番艦。第一中隊から順にかかれ」
「よゥし!」
待ってましたとばかりに喝采し、意識を猛烈に昂ぶらせる。
緩やかな旋回を続けていた第一中隊の零戦が8機、サッと翼を翻し、素早く突撃態勢を取った。確かに綺麗な動きだとは思う。とはいえ問題はその後、艦爆から転科した秋元は、あれでは当たらぬと直感できてしまったのだ。
そしてそうした言語化し難い経験則は、ものの見事に的中してしまった。
8機がかかったにもかかわらず、爆弾は明後日の方向に飛んでいき、徒なる水柱を立てるだけに終わった。しかもその過程で、対空火力に絡め取られる機まで出るあり様。忸怩たる思いに歯が軋む。
「次は俺が相手になってやる!」
仇討ちとばかりに秋元は大音声で叫んだ。
操縦桿をグッと握り、列機の並びを確認した後、緩降下へと突入する。スロットルを最大まで開き、揚力によって浮き上がらんとする愛機を強引に抑え付けながら、目標を照準器に捉えていった。次々と放たれる野太い光弾が自分の近傍へと集中する中、厳つい艦影が急速に拡大していく。
「食らえ!」
投下。懸吊を解かれた25番爆弾が空を切り裂く。
空手の達者なる秋元が得意とする閃光正拳突きよろしく、それは敵艦目掛けて一直線。後部甲板へと吸い込まれていった後、背負い式に据えられた第四砲塔を爆砕した。
とはいえ――結局のところ戦果は、それ以上挙がらなかった。
空中戦をやることばかり考えている連中に、いきなり爆撃をやれと言っても、やはり無理があるのである。
第七航空戦隊司令官の高谷少将は、今度こそ敵主力艦撃沈だと息巻いていた。
たとえそれが重雷装艦に手酷くやられ、まさに青息吐息といった艦であっても問題ない。米国の膨大なる工業力を鑑みたならば、ここで取り逃がせば数か月後に苦労するのは火を見るより明らか。故に全力で止めを刺しに行ったところで、卑怯と謗られるいわれはないというものだ。それに相手は曳航中だというから、命中率に劣る零戦の緩降下爆撃でも全弾命中が狙えそうなものである。
だがしかし――満を持して発進させた攻撃隊は、明後日の方向へと飛んで行ってしまった。
実のところ原因はコンパスの故障である。出撃前にずれを直さねばならぬのを、『天鷹』整備班がすっかり忘れていたものだから、揃いも揃って変な方向に進んでしまったのだ。後部座席に航法要員がいる機体だったら、天測でもって異常に気付いたかもしれないが、単座の零戦ばかり出したものだからどうしようもない。気付いた時には既に手遅れで、帰還時に集団遭難しなかっただけ儲けものと思った方がよいくらいだろう。
「とはいえ……どうしてこうなった!?」
高谷は怒り心頭というよりは、嫌がらせめいた運命に言葉もないといった様相。
正直なところ、誰かのせいにしたい気分ではあるのだが、司令官が誰かを考えれば、自分の顔しか浮かばない。直接的には部下の過失であったとしても、監督責任からは逃れられぬのである。
「それに……何だ、巡洋艦1隻くらい沈められんかったのか?」
「だから当たらんと言ったではありませんか」
飛行隊長の博田少佐が腹をさすりながら指弾し、
「特にチョコマカ動くのを相手とするなら、専門の訓練が不可欠です」
「うむむ」
返す言葉もさっぱり見当たらぬ。
「とりあえず第二次攻撃隊を早急に編成いたしましょう」
『天鷹』艦長に納まっている陸奥大佐が助け舟を出し、
「初っ端に40機以上発進させましたから、すぐに用意できるのは12機くらいですが……とにかくさっさとやるが吉かと」
「そうだな、よし急ぐぞ!」
まだ戦功を挙げる機会が消滅した訳ではない。高谷は己にそう言い聞かせる。
敵空母がまだ1隻、小型のものではあるが健在とのことだから、零戦を全て爆装させて出撃させる訳にはいくまい。それでも敵の位置は掴んでいるはずだから、取り逃がすこともあるまいと踏む。
とはいえそうした予想は、考えもしなかった形で裏切られてしまった。
重巡洋艦『利根』から射出された水上偵察機が、敵艦隊上空へと向かったのであるが、かの機のペアはとんでもない光景を目撃することとなった。そしてその報告が『天鷹』へと齎されるや、高谷の顎は地面に突き刺さらんばかりとなる。
「何、馬鹿な……敵空母が転覆、沈没しちまったっていうのか!?」
次回は4月30日 18時頃に更新の予定です。
いきなり戦闘機に爆撃をさせても上手くいくはずもなく……と思いきや、大変なことに。
出撃前にコンパスのずれを直すのを忘れたというのは完璧に初歩的なミスですが、実際これがあり得る話だったりするので要注意。




