大騒動! 伊豆温泉図演合宿⑨
沼津市:海軍病院
「ははは、挟まっちまった……」
真っ白に燃え尽きたが如き敵潜水艦長は、捕虜として収容所へと移送される途中、始終そう漏らしていたという。
それはともかく、伊豆一帯は大変なる賑わいとなっていた。浜辺や岩礁にクジラが打ち上げられることはままあるが、まさか鉄のクジラが打ち上げられるとは誰も思わぬからだ。この前代未聞という他ない事件の噂が流れるや否や、物珍しさから野次馬がドンドコ集まってくる。しかも性質の悪い漁師なんかが、小舟に見物客をいっぱいに乗せて近寄ってきたりもするので、調査のためやってきた者達は揃って閉口したとのことである。
とはいえそうした地方の喧騒は、海軍内でのそれに比べれば他愛ないものであろう。
如何なる因果か帰路にて座礁しはしたものの、ほぼ絶対的安全圏と思っていた駿河湾にまで米海軍の潜水艦に侵入され、被害は僅かであったとはいえ本土を砲撃されたことには違いないからだ。それどころか一時は武装工作員にまで上陸され、挙句の果てに沼津御用邸が狙われかけたのだとという。防衛体制のあからさまな脆弱性を白日の下に晒され、面目が丸潰れになった訳だから、誰それの首が跳んだとかいう話まで聞こえてくる。
それに聯合艦隊は海中に潜む脅威を甘く見過ぎていたのではないか。昨月、戦艦『陸奥』がフィリピン沖で魚雷3発を食らって沈没しかけたことと併せ、かような声も高まっているとのことだ。
「まあその意味では、あれを鹵獲できてよかったのかもしれんな」
病院の談話室にて、松葉杖姿の大西中将はケロリと笑う。
潜水艦の砲撃が齎した被害は確かに僅かで、大半は山林をなぎ倒すだけで終わったのだが、どうしてか宿泊中の旅館にだけは命中してしまった。結果、彼は相伴に与っていた源田大佐ともども、名誉の戦傷と相成ったのである。
「座礁の衝撃で電池室に汚水が流入、塩素ガスが発生したとか何とかで、まともに機密書類の処分もできていないまま捕まったそうじゃないか。災い転じて福となりそうなものよ」
「暗号表などに関しては、敵も大急ぎで更新したりするんでしょうが」
同じく負傷した源田もなかなか元気で、
「電探や水測機器、教本の類なんかは我が軍のそれを改善する上でも参考になるはずです」
「道理だな」
「はい。敵潜を丸ごとごといただいたのですから、対潜戦闘訓練の標的としてはまったく申し分ない。加えて調査が進めば、他にもあれこれと出てくるかもしれません」
「とすれば……やはりなかなかな収穫だ。無茶苦茶な投機作戦を立ててくれた敵サンと、敵サンを追い詰めながらも肝心のところで取り逃がしてくれた誰かさんのお陰となりそうだ。そうだろう?」
「ええ……そんな言い方はないでしょう」
病院に見舞いにやってきた高谷少将は、何とも困ったような面持ちを浮かべる。
爆薬をしこたま積み込んだオンボロ艇は、狙いを定めて脱出したはずなのだが、どうしてか針路が反れて無駄になってしまった。呆然と成り行きを眺めるしかなかったその瞬間の、悔しさしかない記憶が鮮明に蘇ってくる。しかも随伴のドイツ人大尉は、侍みたいな言葉を喋る癖に泳げんなどと抜かすから、何もかもが散々だった。
「もう少しで俺が撃沈……まではいかなくとも、撃破するところだったのに」
「おいおい。それじゃ今頃、あの潜水艦が海の底だったかもしれんじゃないか」
「といっても狙いを外しましたじゃ戦果にならん」
相変わらず残念な気配を存分に滲ませ、
「ついでにあのコソコソと上陸しておったイタリヤ人もどきどもについては、地方に無用の混乱を招きかねないからと、箝口令が敷かれちまった始末。これじゃそっちの手柄までなくなっちまったも同然だ」
「貴様な、そうやって腐るなよ」
大西はさほど不快でない溜息をつき、少しばかり真剣な顔。
「確かに少し前までは、米国製魚雷は当たっても爆発しない不良品のポンコツと馬鹿にできたが……ここ最近、敵潜による被害が妙に増えてきた気配がある。連中も本気になってきとるんだろう。そうした現実を踏まえれば、貴様がまた指揮を執る『天鷹』だって潜水艦の餌食になるかもしれん訳で、その可能性を大幅に低減できたと思えば実に喜ばしいはずだ。いざ関ケ原に馳せ参じようって時に、途中で罠にかかって討ち取られましたではお話にならん」
「いや、確かにそりゃそうかもしれんがな……」
高谷は返答に詰まり、如何ともし難い具合に眉を顰める。
大西の言っていることが正しいのは明白。だがどうにも釈然としない気分。元々あまり足りていない頭を捻り、その理由を暫し考察してみたところ、妙な既視感があるからではと思い至った。
結局のところ自分は、戦争が始まってこの方、毎度毎度こんな具合に愚痴っているのだ。
まったく評価がなされていないという訳ではない。戦時体制が故であっても少将に昇進した。だが狙った通りの手柄を挙げ得たことが未だなく、それでいて本意に非ざるところばかり妙に好評という、奇妙奇天烈な悪循環が延々と続いているのである。潜水艦は軍艦ではないにしろ、今回の一件もその類型と見做すことができそうだ。
そして寒気のする予感が脳裏を過った。今次大戦はこの後、どのような結末を迎えるのかは分からぬが――いい加減にヨシとかやってそうな神の悪戯的采配で、主力艦撃沈の戦功に恵まれぬまま停戦の時を迎えてしまうのではなかろうか。
「いやいやいや、そうなっては困る!」
「出し抜けに何だ、おい?」
「すまん、ちょいと懸念するところが……おや?」
絹を裂くような悲鳴。これまた何とも出し抜けに、下の階より響いてきたそれが、高谷の耳朶を強打した。
すわ何事か、彼は警戒の色を露わにする。もしや未だ伊豆山中に潜伏していた敵の生き残りが、白昼堂々襲ってきたのかもしれぬとの危惧が脳裏を過る。異国に取り残されたとあっては、自棄を起こすのも自然な成り行きで、故に拙いことになるかもしれない。
そうして高谷は三日月刀を手に、様子を見てくると駆け出した。
とはいえ懸念されたような事態ではないことは、ざわめきの中を通り過ぎる過程で把握できた。不可解なほど悲観的に過ぎるきらいのある婦人が、夫の容態を盛大に勘違いした末、とんでもない声量で悲鳴を上げて気絶したというだけの話だった。まったく人騒がせと言う他ない。
ただ夫なる人物の顔にはやたら見覚えがあった。ケバケバしい色合いのオウムを肩に乗せている彼は、あからさまなまでに打井少佐なのである。
「ダツオじゃないか。いったい何がどうなっておるのだ?」
「いえ、その……自分もちょいと火傷を負いまして」
「何時の話だ?」
「この間の、チンピラゴロツキを追いかけた時にですね……」
普段の喧しさと打って変わって、今日の打井の声には妙に元気がない。
家内が気を失ってしまっているのだから当然だろうとも思ったが、どうにもそれだけでもない雰囲気だ。
「大したことないと思って放っておいたんですが、どうにも痛くなってきたもんで、念のため治療に来た訳ですが」
「何故そんなんで大騒ぎになる?」
「ええと、それはその……」
「Spiritus of fire」
無礼千万なお喋りオウムのアッズ太郎が、妙な雰囲気を破るように囀った。
すると打井が茹でたタコみたいに顔を赤らめ、今すぐ焼き鳥にしてやるといきり立つ。しかもパタパタと飛んで逃げるアッズ太郎に本気で掴みかかろうとするので、きつい目をした看護婦に「病院ではお静かに」と強烈なる苦言を呈される始末。落ち着かせ、事情を聞くだけでも大変だ。
「で、要するに……あの変なアフリカ酒を股間に零して、しかも弾みで火が点いちまったと?」
「少将、あんまり大きな声で言わんでください」
「ああ、こりゃすまんな」
高谷は猛烈に不可思議なる顔を浮かべる。
つまるところ夜の運動は暫く控えろと医者に言われたのを、両玉全摘か何かと家内に勘違いされたというのが、先の絶叫騒動の顛末らしい。変な溜息しか出てこないような現実だ。
「まあ何だ、連合国軍の反攻は太平洋においても始まろうとしておるのだ。となればこれまで以上に気合を入れて敵と相対し、赫々たる戦果を挙げていかねばならぬ訳で、くだらぬ怪我をしておる暇などありゃせんぞ」
気まずい限りの空気を掃うべく、今後の戦局を憂うような、多少は真面目ぶったことを高谷は口にしてみた。
それでも耳を澄ませば、聞こえてくるのはアッズ太郎のしょうもない鳴き声。先程の懸念がぶり返し、色々と大丈夫なのだろうかと不安になってもくるが――国家の存亡を賭けた大戦の真っ只中にあって、根本的なところがずれているとはさっぱり思いもせぬ辺り、まったくもって仕方ない。
またも大捕り物? となってしまった今回をもって、中盤も終了という形になります。
流石にストックも心許なくなってきましたが……終盤となる106話以降は、4月15日以降、3日おき更新くらいで進めていく予定ですので、何卒よろしくお願いいたします。
次回以降、来るべき米機動部隊との最終決戦に向け、動き出していくこととなります。
万全の態勢をもって邀撃に臨む聯合艦隊と、再建なった米機動部隊。両者が鎬を削る中、『天鷹』は如何なる役回りを演じるのか。色々とご期待いただければ幸いです。




