大騒動! 伊豆温泉図演合宿⑦
駿河湾:戸田村沖
「あの薄ら馬鹿ども、やっぱりしくじりやがったか」
潜水艦『ブラックフィッシュ』艦長たるダヴィッドソン少佐の相は、苦虫を噛み潰したかのよう。
緊急連絡の受信のため、定期的にアンテナを浮上させるという危険極まりないことをしていたが、作戦中止を報せる符牒化信号を受信してしまったのである。
敵中ど真ん中に潜航するという難行苦行は完全な徒労に終わり、もはや状況は損か大損かの一方。
しかも後者の"損"には当然ながら、艦と乗組員全員の生命までもが含まれる。ヘマをやらかした特殊部隊の盆暗どもも、その場のノリで浸透作戦を立案したとしか思えぬ戦略情報局の連中も、誰も彼もが憎くてたまらない。いったい何故、自分はこんな目に遭わねばならぬのかと毒づきたくなった。
「だが……これもまた、神の与えたもうた試練か」
ダヴィッドソンはすかさず十字を切り、
「戦争は上手くいくことも上手くいかないこともある。何の因果か、我々に不運が回ってきただけのこと。ここを知恵と勇気でもって切り抜ければ、幸運の女神も微笑むだろう」
「はい。艦長が何時も仰られる通り、恨み言は状況の改善に寄与しません」
「そうだ。ともかくも我等が務めを果たそう」
形式的には副長に、実質的には全乗組員に対し、諭すような口調で言う。
少なくとも艦内の人間には、一切瑕疵などないのである。かような状況を勘案するならば、苛立った態度が百害あって一利なしであることは、火を見るよりも明らかと言わざるを得ぬ。
「潜望鏡上げ」
将兵の運命を次に繋げるべく、ダヴィッドソンは厳かに命じた。
経験豊富な先任下士官が潜望鏡に取り付き、周辺をサッと警戒する。要した時間は一般には長いとは言い難いが、敵中で孤立した潜水艦乗組員にとっては恐ろしいほど長く感じられた。
「艦長、異常ありません」
息をつく者は少なかったが、誰もが内心、その言葉に安堵を覚える。
「よし……浮上する。盆暗どもを迎えにいこう」
腕時計を一瞥した後、ダヴィッドソンは決断した。
艦のタンク内に溜めていた海水が、圧搾空気によって吐き出されていく。そうして浮力を確保した『ブラックフィッシュ』は、クジラ類に由来する艦名に見合わぬほどゆっくりと、真っ暗な波間にその身を晒す。地理を考えれば何とも幸運なことに、その姿を目の当たりにした者はなかった。電子的、音響的な機器によっても、彼女は捕捉されてはいなかった。
だがそれでも――技量や練度では太刀打ちできぬ不運を連れてきてしまう者も、世の中には確実に存在するのである。
戸田村:沿岸地帯
「おッ、あそこから脱出する心算か」
茂みにその身を隠した打井"二等兵曹"は、眼前の光景にほくそ笑む。
類稀なほどに利く彼の夜目は、怪しからぬ敵性集団を間違いなく捉え続けていた。伊豆半島西岸のゴツゴツした岩肌にて、微かなる明かりを頼りに、彼等は大急ぎで作業を進めている。どうやら魚雷か何かを改造した水中移動装置をもって沖へと侵入し、また離脱せんとしているようだった。
「チンピラゴロツキども、絶対逃がさんからな」
そう何度も繰り返しつつ、逸る気を抑制する。
負傷者を幾人か抱え、武装を海中に投棄しつつあるとはいえ、相手は依然大人数。気分としては今すぐ吶喊し、刀の錆にしてやりたいところだが、それを選べば全てが水泡に帰してしまう。
(よゥし……ものは試しだ)
謎の瓶の蓋を思い切って開き、その中身を少しばかり舐めてみる。
その瞬間、電撃だか稲妻だか分からぬような感覚が脳天を直撃し、破壊的に過ぎる芳香が鼻孔を突き抜ける。やはりアルコール度数96%は伊達ではない。アドンコだかウドン粉だか知らんが、流石は秘境の銘酒と言われるだけはあった。
そんな具合に打井は士気を高め、本来の目的をしかと心に焼き付ける。
幾分もったいない話ではあるが、世界有数の強烈さを誇るであろう酒の大部分は、本来的でない目的に役立てねばならぬ。2人がかりでの説得となりはしたが、瓶を後生大事に携えていたスタイン大尉も最終的には快諾してくれたし、アフリカ大陸に住まう黒色人種の醸造家も、まさか己が製品が不逞米英人を誅するに用いられるとは思うまい。
ならば――彼等が恩義に報いるためにも、確実を期して作戦行動を取らねばならないのだ。
(むッ、動き出しおった)
魚雷改造の水中移動装置で脱出を図る者どもを、打井は目を皿のようにして追跡した。
当然、彼等が進行方向の先には、薄ぼんやりとではあるが艦影が見える。不逞の輩はそこへと逃げ込まんとしているのだ。圧倒的なる敵愾心が煌々と燃え盛った。強奪した軍服の一部を引き破り、隠密裏に火を起こすなど諸々の準備を整えつつ、好機はまだかとヤキモキする。
そうして待つこと数十秒。遠巻きながら発動音が、遂に聞こえてきた。
「このッ……せいッ!」
蓋代わりに瓶の口に詰められ、アルコールをよく吸った布切れ。その先端を火で炙り、渾身の力を込めて投擲する。
即席のモロトフ・カクテルと化した銘酒の瓶が、勢いよく地面に叩きつけられるなり、アッという間に火炎が広がった。付近の枯草は奇跡的に湿気っていなかったのか、予想以上の燃焼具合である。
「少将、後は頼みましたよ!」
打井は出し得る限りの声で絶叫した。
これより敵潜水艦が血祭りに挙げられるのだと思うと、股間まで熱くなってくる。というか本当に熱い。
駿河湾:戸田村沖
「おおッ、感謝するぞダツオ!」
発動艇を駆りつつ、高谷"一等兵曹"は感極まる。
ほとんど酒精でできた酒でもって敵工作員の脱出地点を炎上させ、目印とするという策が、見事なまでに決まったのだ。となればあとはこちらが奮闘するのみ。
「茶之介、何か見えるか?」
「二次方向に敵影見ゆ。距離、およそ1000」
「ヨーソロー!」
スタイン大尉もまた視力優秀。彼の索敵結果を信じて舵を切ると、確かに暗闇に艦影が浮かび上がった。
ガラガラと鳴るエンジンの音が頼もしい。モノは大瀬崎で音響機器の研究用に使われていたオンボロ艇だ。兵曹無勢が唐突に何だと怪訝な顔をする実験所の連中を、少将の皇軍手帖でもって絶句させ、問答無用で接収したのである。
言うまでもないことだが、オンボロ艇には爆発物が積み込んである。
海軍のちょっとワルな下士官などは、海にダイナマイトを投げ込んで大漁大漁とやったりするが、今回は獲物が潜水艦なのだから桁違いに規模がでかい。荒くれの捕鯨船乗りですら、こんな獲物を仕留められはしないだろう。とすれば自分は『白鯨』のエイハブ船長すら腰を抜かすような人間となる訳で、そう思うと実に愉快で爽快でたまらない。
「敵艦に発砲炎を認む!」
「こなくそッ!」
高谷は負けじと咆哮し、艇のエンジンもまた唸りを上げる。
真っ暗闇を切って次々と飛来する、やたらと野太い光弾は、敵艦が備えし20㎜機関砲より放たれたものであろう。だが未熟な水兵が大慌てで撃っているのか、さっぱり脅威でないと実感できるくらいの照準だ。であれば臆する必要など露ほどもなく、彼我の距離はグングン詰まっていく。
「茶之介、このまま……うおッ!」
油断に対する戒めとばかりに、機関砲弾が頬を掠めていった。
気付けば火力密度も上がっている。しかしここで退く定めであるはずがない。
「ええい、とにもかくにも突っ込むぞ!」
「承知。アドンコの、恨み晴らさで、おくべきか」
「ほう、なるほど。短歌で啖呵ってか」
小まめに巧みに舵を切りつつ、高谷はガハハと豪気に笑う。
「ならばこいつは、さしずめアドンコ体当たりってところだ。茶之介、10秒後に脱出」
「承知つかまつる……いざッ!」
「ヨーソロー!」
大音声での掛け声。ドボンと海原へ飛び込む音が連続する。
そうして主を失って数秒の後、オンボロ艇は遂に被弾し炎上。とはいえ慣性とは容易に打ち消せぬもので、かつ暫くはエンジンが動作し続けていたものだから、最終航程の200メートルほどを勢いのまま駆け抜けていった。
「よし、そのまま……ああッ!?」
水府流の横泳ぎをしつつ結末を凝視していた高谷は、最後の最後で言葉を失った。
体当たりさせるはずだったオンボロ艇が、何故か衝突の直前で面舵し、敵潜水艦の艦尾をすり抜けてしまったのである。
次回は4月10日 18時頃に更新の予定です。
敵潜水艦を追い詰めたはずが……最後の最後で外してしまいました。このまま逃がしてしまうのでしょうか?
それにしても突然、真夜中に森の中から現れて「敵潜水艦を沈めるから舟艇を貸せ」とか言ってくる海軍少将(しかも下士官の格好をしている)とかいたら、信じられないものを見る目をしてしまいそうです。




