インド洋放漫作戦③
インド洋:セイロン南方沖
南雲中将は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の艦隊を除かねばならぬと決意した。
心中マニアックな某文豪に書き殴らせたならば、そんな具合となるのだろうか。イガグリ頭の南雲にはまともな頭髪がない気もするけれども、怒髪天を突くほどの怒りだったのは間違いないらしい。
ともかくも歴戦の航空母艦5隻を基幹とする機動部隊は、セレベス島はスターリング湾を出撃し、チモール島の北を通ってインド洋に押し入った。
地球上の如何なる軍も押し留められぬ精鋭である。その溢れ出さんばかりの怒気が四方八方に発散されていたからであろうか、4月1日早朝、偶然にもフリーマントルへの帰路にあった米潜水艦『スキップジャック』が艦隊を捕捉する。かの艦の乗組員は実に優秀だった。金剛型戦艦への雷撃に成功した上、爆雷の嵐を生き延びたほどなのだから。
惜しむらくは、あるいは日本海軍にとって幸運だったのは、2発も命中した魚雷がいずれも不発だったことだろう。当時のアメリカ製魚雷はずっとそんな調子で、改修のため高名なアインシュタイン博士が駆り出されたりしたのである。
ただそれ以上に重要なのは、機動部隊の位置が打電されたことだった。
信号はコロンボにも届いていたし、オーストラリア北部のダーウィンでも受信された。セイロン島南方沖に集結中の英東洋艦隊主力、その旗艦たる戦艦『ウォースパイト』の無線アンテナもまた、潜水艦からの通報を捉えていた。面倒があるとすれば、米英両海軍で電文の書式が微妙に違っていることくらいだ。
「ほう、これは僥倖」
報告を受けるや、サマヴィル中将はほくそ笑んだ。
敵艦隊の巡航速力などは見当がつくし、攻撃目標が何処かは既に判明している。とすれば敵位置の報告は、何時敵が来寇するかという情報に早変わりする。それに合わせ、迎撃陣を固めることもできるという訳だ。
「念のため尋ねておくが、エイプリルフールの冗談とか言わんだろうな?」
「無論です」
参謀長は幾分語気を強め、
「かような状況でふざける愚か者は、縄で縛って海に放り投げねばなりません」
「ふむ。とすれば詳らかでない理由によって、攻撃が遅延しているということか」
サマヴィル中将は首を傾げ、それから淹れたての紅茶をゆっくりと味わう。
澄んだ色合いの上質なセイロン茶で、次第に頭が冴えてくるような気がした。
「まあ予定は未定と言うものであるし、戦争であれば尚更。そんなこともあろうな。それで、日本の機動部隊がセイロンにやってくるとしたら何時になりそうだね?」
「5日未明には攻撃圏内に入るのではないかと」
「うむ。正しい読みだ」
参謀長の冷静沈着な回答に、サマヴィルは何度か首肯する。
彼の視線はティーカップに注がれた紅茶に釘付けとなった。勇猛果敢で偉大なる先祖達が、茶葉を求めて七つの海に漕ぎ出し、結果として世界に冠たる大英帝国を築き上げた歴史が思い出される。支払いに必要な銀を阿片で賄った例もあった気もするが、まあそれは置いておこう。
ともかくもここインド洋こそが帝国の隆盛を支えたのであり、制海権の喪失は帝国の瓦解を意味する。紅茶の供給もまた消滅してしまう。それだけはあってはならぬと、サマヴィルは意を決した。
「よし。ひとまずトリンコマリーに帰投するとしよう」
「えッ、よろしいのですか?」
「かの港の防空体制は貧弱、しかしアッズより補給の便は良い」
正確に記すなら、モルディブ南方のアッズ環礁は、防空体制という意味ではより貧弱だった。
ただかの艦隊根拠地はいわば秘密基地であり、存在を秘匿してきたものだから、見つからぬ限り攻撃を受けないのである。
「少なくとも4日までは、セイロンは安全なのであろう。ならば我等が停泊中に真珠湾の二の舞となる可能性は考慮する必要もないから、急ぎトリンコマリーに移動するべきだ。必要なだけ水や燃料を積み込み、兵に短いながらも上陸と休養の時を与え、それから全力で迎撃に当たるがよかろう」
「なるほど。それが良いかと思われます。迎撃作戦については如何いたしましょう?」
「貴官がまとめてくれた案の通りにいこう」
サマヴィルは決断した。
優速の機動部隊相手に戦艦をぶつけることは困難であるし、巡洋戦艦『レナウン』がいるならまだしも、23ノットが精々の旧式艦ばかりで話にならない。艦隊航空戦力に関しては質、量ともに圧倒的としか言えぬほど差が開いており、正面から戦っても勝ち目はないに等しい――それが間違いなく現状だった。
であれば夜間空襲に賭ける。たったひとつの冴えたやり方だった。
日本海軍はやたらと深夜に水雷戦をやりたがるという話もあった記憶があるが、これまで各地で行われた戦闘を見る限り、夜間航空作戦に関しては興味がないらしい。特に艦隊でそれを実施するには、パイロットの練度だけではどうにもならぬ山積みの問題を、手間と時間をかけて解決していかねばならないからだ。
とすれば付け入る隙はそこしかなかった。確かに航空母艦には旧式機ばかり載っているが、それらが夜間雷撃訓練を済ませているとは思うまい。
「ただし参謀長、索敵計画をもう一度、洗い直してみてくれ」
そう要請し、更にサマヴィルは思案を巡らす。
「それと至急空軍と連絡を取り、索敵計画の調整を済ませて欲しい。可能な限り4日のうちに日本の機動部隊を捕捉、追跡する態勢を取っておき……深夜、奴等が攻撃隊を放つために準備しているところを雷撃機で襲うのだ。そのためには空軍との協力が欠かせない。必要なら要員を艦載機に乗せて今すぐ発つのだ」
「了解いたしました。ただちに計画を立案いたします」
参謀長はたちまちすっ飛んでいった。
詳細が詰め終わるなり、航空参謀を乗せたアルバコア雷撃機が発艦する。行き先はコロンボ。空軍との作戦のすり合わせを終えたら、ただちにトリンコマリーへと移動、そこで再度乗艦させるといった寸法だ。
「大事なのは先手必勝、見敵必殺の精神だ」
サマヴィルは紅茶を飲み干しつつ、そう呟いた。
サバン島の空襲は、勘違いと行き当たりばったりな状況で命じたものだが、曲がりなりにも先んじたからこそ虚を突く形となった。ならば計画的に先んじれば、より大きな成果が得られるに違いない。
明日も18時頃に更新します。
心中マニアックな某文豪のところで『異世界失格』を思い出していました。
米軍の魚雷というと、史実でも昭和18年6月に米潜水艦『トリガー』が『飛鷹』への雷撃に成功するも、起爆したのが1発だけ……ということがありましたね。




