act-1
時に、平成50年。
悪化する地球環境は、ついに人類に裁きの鉄槌を下した。
とはいっても、天変地異で文明が滅ぼされたのではない。
文明に止めを刺したのは、人類そのものだった。
ある日の事、一人の金持ちの娘が、ヨットを使って海を渡った。
国連で開催される、会議に出席する為だ。
………とはいっても、金で雇った人員に無理をさせて、遭難とハプニングを繰り返して、やっと海を渡っただけだ。
その人員は到着と同時に、飛行機で国に帰ったらしい。
娘は、地球温暖化を進める現代社会を、スピーチで痛烈に批判した。
「あなた達大人は私達から未来を奪おうとしている」「私達を裏切り、経済のためだけに消費を進めるのであれば、私は大人を許さない」と、高らかに言った。
一定に社会に関わり、それが無数の歯車のかみ合いで出来ている事を知っている者は、これが単に理想論と綺麗事をかき混ぜただけの、暴論であると解るだろう。
そんな事を言った所で、社会を動かしてゆく以上は妥協をしなければならない。
………だが、残念な事に、彼女は不登校児の上に精神的な障"がい"者であり、また同性愛者だった。
世界中の多くの人間が、彼女に賛同し、同情した。
「大きな黒い犬問題」の解決せぬ社会において、実際に社会を動かす大人よりも、様々なハンデを抱えた少女の方が、権力があったのだ。
そして国連の決定により、一国ごとに国内の発電所で発電する電力を制限する法が制定された。
少女の名を取って「ゴレタ法」と呼ばれるこの法は、多くの国の経済に大打撃を与えた。
そして、発電する電力は政治家や金持ちといった上流階級が殆ど独占し、
そうでない者はクーラーはおろか、電子レンジすら使えないという、階級社会が生まれた。
それでも、人類というのは貪欲な物で、消費する為のエネルギーを求め、それを武力で奪い合う時代に突入した。
下級の国民は、上流階級がエネルギーを得る為の戦いの駒として消費される時代。
数多の血が流れ、それと引き換えに回復してゆく地球環境。
………人類文明は、少しずつ、だが確実に、破滅へと向かっていた。
act-1
旧東京都・渋谷。
かつて若者の街と呼ばれたここも、今では浮浪者とならず者が蔓延る廃墟の街。
シンボルのように立っていた数字のついたビルも、既に中には店も何もない。
蔓の巻き付いた10と、地面に落下した9の看板が、寂しさを感じさせる。
そんな、渋谷の一角。
BAR・S (バー・エス)という看板がかけられた、地下に繋がる階段。
そこを下ってゆくと、店の中に入れる。
電気の通っていないこの場所は、アルコール式のランプが各所に設置され、昼間だというのに夜中の店のような妖しさを醸し出している。
そこは、酒場である。
現在の日本において、飲酒は「健康を害し家庭を崩壊させる悪」と社会に認知され、成人していても許可証が無ければ飲酒は禁止されている。
だがここは、高い値段と引き換えに、許可証無しでの飲酒の出来る場所。
詰まる所の、闇バーである。
だが、この街に住まう者達にとって、そんな事はどうでもいい。
政府の監視の目が行き届かないというのもあるのだろうが、
すぐ近くの死に怯え、貧困に苦しむ彼等からすれば「飲まなきゃやってられない」のである。
「ごらテメェッ!なんてモン見せてやがる!」
そんな店の中で、大柄な男が、小柄な男に掴みかかっている。
どちらも、攻撃的かつ威圧的なファッションに身を包んでおり、「カタギ」の人間ではない事は見てとれる。
違法バーの客なのだ、まともな人間が居ると思う方が間違っている。
「俺はハーレム物の"ANIME"が見てぇつったんだ!なのに百合なんざ持って来やがって………!」
「な、何言ってんですか!百合の方がハーレムなんかよりもずっと素晴らしいじゃないですか!ちゃんと見れば、魅力に気付くはずで………」
「だ!か!ら!俺はその百合が大嫌いだつってんだよゴラァッ!!」
男達が揉めているのは、「ANIME」と呼ばれる、所謂電子ドラッグが原因だ。
彼等のいる机に置かれた、端末状の物がそれである。
ANIMEは、専用のヘッドギアにセットして使う。
使っている間、使用者はそのANIMEに記録された物語の主人公を疑似体験する事ができる。
日本では、フェミニストを初めとする社会運動によって違法となり、公には作られていない。
つまり彼等は、裏社会で作られた違法の物を使っているのだ。
「………マスター、いつもの一杯」
そんな喧騒をバックに、一人の男がカウンターの前に座り、バーのマスターに注文をしている。
マスターもまた、喧騒など聞こえないかのように、一杯の飲み物をグラスに入れて差し出す。
「マスカットサイダーでございます」
「ウム」
マスターから差し出されたマスカットサイダーを、男はぐいっと飲む。
口の中に広がる、炭酸の感覚。
「………ふう」
半分ほど飲んだ後、男は一息つく。
男は若かった。
いや、若すぎた。
本来なら、まだ学校に通っているような年齢である。
しかしながら、黒い短髪の髪はボサボサで、日本人特有の茶色い瞳の目は、疲れきっている。
子供でありながら、まるで死んだ魚のように、くたびれた顔をしていた。
そして安物の服の上から、茶色く分厚い防寒マントを羽織っている。
昼間は猛暑、夜は極寒の日本において、簡単に脱着ができるこのマントは必需品である。
なのだが、そのマントのせいもあって、まるで彼は行き場のない放浪民族………ジプシーのようにも見えてくる。
「ねェン、ランド♡」
「………なんだ、ミルキィ」
その男………「ランド」に、馴れ馴れしく、そして色っぽく絡んできた女は「ミルキィ」という。
身体は申し分ないのだが、どうやら脳にいく栄養が胸に回っているらしく、言動や態度からも頭の悪さが滲み出ている。
胸元が大きく開き、太ももの中間までの長さしかないスカートのメイド服からも解る通り、BAR・Sで働くホステスのようなものである。
ミルキィ、と名乗るには、彼女の顔は日本人の特徴を持ちすぎている。
偽名である事はまるわかりだ。
「今日も、アルコールは飲まないのぉ?」
「まだ未成年だからな」
「そんなの、この街では関係ないよぉ?」
「俺がそうしたいんだよ」
「ふふっ♡本当、いい子ねぇランドは」
ランドもミルキィも、未成年である。
本来なら法と親に守られるハズなのだが、彼等の貧困がそれを許さなかった。
たとえばミルキィの親は、両方が働いている。
だが、それで得られる賃金は少なく、とても生きていけない。
社会福祉に頼ろうにも「ズルい奴等は許さない!」という日本人の国民性のお陰で、これまた雀の涙ほどの支援しか受けられず、それ以前に審査も厳しい。
その為に、ミルキィは生活の為に、その若い身体を使って金を稼がなければならないのだ。
本来なら、学校に通う為の、時間と時代を消費して。
「………所で、マスカットサイダーって事は、また仕事ぉ?」
「ああ、まあな」
ミルキィに見つめられながらも、ランドは表情一つ変える事なく、マスカットサイダーを飲み干した。
「マスター、ごちそうさま」
「ありがとうございます」
マスカットサイダーの代金として、金貨を一枚取り出し、マスターに渡す。
経済の安定しない今の日本においては、紙幣よりもこういった金そのものの方が価値がある。
とくに、こういった場所では。
「儲かったら、また「指名」してねェ~ん♡」
「ああ、考えとくよ」
ゆっさゆっさと乳房を揺らしながら手を振るミルキィに、ランドはこの日初めての笑顔で返す。
そして、BAR・Sを後にした………。
………………
………ランド。
漢字表記では「蘭道」。
戸籍上では「羽生蘭道」。
母の顔は知らない。
名前も知らない。
父の事は知っている。
ろくに仕事もせず、憂さ晴らしに自分を殴ってくる。
学校には行っていない。
そんな父親が行かせるハズもなく、またランド自身も生きていかねばならない為、学校なんてとても無理だ。
そんな場合、子供も働かなければならない。
日本において、法律上「は」子供は守られて、学校に行かなければならないが、それはあくまで上流階級の話。
ランドのような貧困層は、国も、法律も、社会保障も守ってくれない。
だから、自力でどうかにかしなくてはならない。
女の場合は、ミルキィのように身体を売る。
そして、男の場合は………。
………………
旧東京郊外。
その、荒れ地としか表現できない場所に、一機の輸送機。
とはいっても、50mほどの長さを持ち、高さは18mほどと、かなり大きい。
ジェットエンジンとプロペラによる複合飛行システムを持つその機体は「ブラックウィドー」と名付けられている。
名前の通り黒いカラーを持つそれは、かつてアメリカ軍で運用された戦術輸送機。
その機体には「彼等」の事を示す「紫のワニ」のマークが記されていた。
それは「彼等」の最前線基地であり、また「彼等」の本社そのものなのだ。
「失礼します」
ブラックウィドー内。
操縦席に位置する「ブリッジ」に、ランドは顔を出した。
薄汚れたその場所には、他の「社員」が持ち込んだであろう、様々な物が置いてあった。
特に目を引く、壁に飾られた昔のグラビアのポスター。
胸の大きな女性がウインクしているそのポスターは、今の日本では絶滅したに等しい、古代の遺産ともいえる………かもしれない。
そしてそこには、彼の見知った人物が揃っていた。
「よっ、ランちゃん」
「どうも、ヨーさん」
ランドに声をかけたのは「ヨータ」。
メガネをかけた中年の男性で、ランドの同僚。
典型的な「時折セクハラをかますが基本的には気のいいおじさん」という奴だ。
少なくとも、上流階級の職場では一発でリストラ&通報fast刑務所行きだろう。
「時間ぴったり………流石はランドね」
「ありがとうございます、社長」
ランドを誉めた彼女は「マーガレット」。
「彼等」をまとめあげる社長であり、銀髪と堀の深い顔の見た目から解るように、この国の人間ではない。
そもそも「彼等」自体、今日本に留まっているだけであり、日本の企業ではない。
「じゃあ、ランドも揃った所で、今回のミッションについて説明するわね」
皆が見つめる中、マーガレットが前に出た。
すると、彼等が囲んでいたテーブルの上に、立体映像による地図が表示される。
今の時代、それほど珍しい物でもないシステムだ。
「今回のターゲットは、ここ「国際国立競技場」よ」
地図に、旧東京にあるスタジアムのような施設が表示された。
「よりによってオリンピックドームかよ………」
それを見たヨータが、苦笑いを浮かべた。
無理もない、ヨータの世代にとってそれは、忘れたい災いの象徴でもあるのだから。
「ここの地下に、強力な「エレクトロバッテリー」の反応が見られたわ、どうやら私達の「同業者」か何かが、ここを隠し場所にしているみたいね」
エレクトロバッテリー。
電池のようにして運用する、電力充電システム。
多くの場合は、家に備え付けられたソケットに差し込み、家庭用電力として使用されている。
国連がゴレタ法による「電力の制限」を円滑に推し進める事が出来たのは、このシステムが市民に普及していたからとも言える。
そのエレクトロバッテリーを。
しかも「強力」といえる程の電力を持った物を、何者かが国際国立競技場の地下に保管している。
と、なれば。
「今回の私達のミッションは、それを奪う事、いいわね?」
この手のミッションは、よく届く。
今や、満タンのエレクトロバッテリー自体が、巨大な金になる時代なのだ。
大方、金持ちや反社会勢力が、大金と引き換えに、エレクトロバッテリーの強奪を依頼してくる。
今回も、そういうミッションだろう。
「それでは、総員持ち場につけ!」
マーガレットの号令に合わせ、人々がそれぞれの持ち場へ走る。
オペレーター、整備士、そして………。
「行きましょうか、ヨーさん」
「合点承知のすけっ!」
ヨータとランドも、自らの使命を果たす為。
………そしてその後に待っているであろう「ボーナス」の為、自らの持ち場へと急ぐ。
「ブラックウィドー、エンジン起動!」
「機体、上昇します!」
プロペラを回転させ、機体の下部のVTOL機能を使い、ブラックウィドーがその巨体を天に舞わせる。
そしてジェットエンジンを吹かせ、目的の場所へと向かっていった。
………彼等。
すなわち「マスカットダイル社」は、傭兵企業。
依頼者の契約に従い、戦力を提供して、その対価に賃金を得る。
そしてランドは、そんな「傭兵」という仕事を生業としている。
繰り返し言うが、ランドは、本来なら社外によって守られるべき未成年である。
だが、国も社外も守ってくれない彼等は、自ら力をつけるしかなかった。
自分の身を自分で守る為に………。