妖精(バンシー)
妖精は可愛らしいのが相場だよね。
ツイッター➡︎飯倉九郎@E_cla_ss
自販機がないなら、汲めばいいじゃん。
原始的提案だった。
水は汚いが、しかし飲めないことはないだろう。少なくとも、この国の人間はそうして生きていたのだから。死んでるけれど。
滅ぼされた家々を抜け、崖沿いを10分ほど東へ進む。
すると音が聴こえてきて、草木をかき分けるとそこには滝があった。巨大な滝。
「おお。大自然」
というほどでもない。
ただ滝の下には、清流のたまり場ができていて、そこからさらに流れて海へと流れ落ちている。その清流は濁りが少なく綺麗で、七海は昨日のクソまずいスープ以外に何も口にしていないことに気づき、小走りで清流へと近づいた。
水をすくい、顔を寄せ、口に流し込む。
「っか〜〜〜! 魔人的うまさだ」
生き返ったと言わんばかりに叫んで、今度は持参した木のバケツに水を汲む。少し水漏れがするが、問題ないだろう。
「これで水は確保できたな……ん?」
声がする。
声、というよりも少し騒がしい音。
それは滝の脇にあった岩の隙間から聞こえてくる。
「人……人かな?」
淡い期待を寄せて、近づいていく。
近づく声。
恐る恐る隙間をくぐると、その奥には岩壁で隠れていただけの青々しい森が広がっていた。その正面、木漏れ日が漏れ落ちるその場所に、一件の家屋があった。
それはミアンと違い、綺麗な三角屋根の洋屋敷といった感じだ。
その中から楽しげな声が響いていくる。
音楽でも奏でているのだろうか。
「すみませーん」
聞こえるわけもない小さな声で言うも、もちろん家の中の声はやまない。
察するに、楽しい昼食でも取っているのだろうか。
「すみませーん!」
声を大にする。
だがそれは家の中までは届かなかったようだ。
「明らかに怪しい」
こんななにもない森の中に、ぽつんと一軒家だ。
おかしいと思わない方がおかしい。
だがしかし、好奇心は警戒心を凌駕する。
何より、この状況を打破できるのであれば、わずかな可能性にかける他ない。
こんこん、と戸を鳴らす。
それでも誰かが気づいて様子を見に来る気配はない。
ぐぎゅるるる~。
香ばしい香りが漂ってきて、たまらずお腹を鳴らす。この家の住人が音に鈍感で助かった。
「あけ……開けますよ」
きいと音を鳴らし、ゆっくりと扉が開く。
家の中は想像通りな、木造のカントリーな雰囲気のリビングが広がっている。
「え……」
そしてそこには、母がいた。立ってこちらを見ている。
テーブルには父と妹までいる。
その服装は、七海の世界の洋服ではなく、絹で編んだような、むしろこの異世界らしい服装に見える。
「あら七海。おはよう」
母の声だ。明るい声色に、それが異常だと頭で理解していても心がほっとなごんでしまう。
「おはよう七海」
「はよーお兄ちゃん」
続けて父と妹が言ってこちらを見る。
しかしよく見れば、妹は七海のよく知る妹ではなく、見知らぬ少女だった。
十歳くらいだろうか。
無垢な瞳がひどく愛らしい、人に好かれそうなそばかすの女の子。
「どうしたの? 早く食べましょう。七海、こっちの席に座って?」
4つ並んだテーブル。その一つをさして母は言う。
そこには涎が垂れてしまいそうなほどに美味しそうな、温かな料理が並んでいる。
正直今にでもかぶりついてしまいたいほどに。
「いえ、大丈夫です」
しかし七海はきっぱりとそう断ってみせた。
「え?」
母は困惑する。
「どうして? せっかく用意したのに」
「何を言ってるんだ七海。早く座りなさい」
父も追い討ちをかけるように言ってくる。
「そうだよお兄ちゃん。私お腹すいたよー!」
妹らしき少女もそう続ける。
「いや、誰だよお前」
「は? お兄ちゃんひどーい! 私だよ?」
「妹はいるけど、そんな顔じゃない」
そう言った途端、妹と名乗るそばかすの少女の顔がぴたりと無表情になった。
その表情が、寒気がするほど恐ろしい。
ぞくりとして母を見る。母は変わらずの微笑みで七海を見ている。
「何言っているの? 早く、食べましょ」
「どんだけそのご飯食べさせたいんですか。絶対薬か何か盛ってるでしょ」
「七海! お母さんになんて言い方をするんだ! 謝りなさい!」
「父さんは僕を名前では呼ばないよ」
今度は父の表情が無にかえる。
まるで電池の切れたロボットみたいに。
「嘘だけどね。本当は名前で呼ぶ」
再度母に視線を向ける。
「どうして?」
「どうしてって……どう見ても怪しいじゃないですか。精神不安定なファンタジー映画の主人公じゃないんですから、惑わされないですよ。そもそもうちはこんな家に住んでないし。両親はそんな服着ないし、妹も別人だし。設定詰めるの甘すぎでしょ。ご飯は美味しそうだけど」
「お母さんが、わからないの?」
「……そう言われたらわからない気がします。でも少なくとも、僕の母さんは、僕の父さんは、そんな人じゃない」
「どうして……どうして……ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」
母――母の姿を模した何かが、発狂したように叫び出した。
大きな口を開けて、耳をつんざくような奇声を。
その綺麗だった顔はみるみる内に崩れていき、その顔はあっという間に醜く灰色の化け物へと変わった。
「え、え、え、え、え!?」
冷静だった七海も、一瞬の出来事に困惑を隠せずきょどる。
暖かだった家も同じように闇に溶けるように消えていき、気がつけばそこは湿った真っ暗な森の中だった。
先程まで家族の姿を模していた、灰色の半透明の化け物が、風に揺られるように七海の上空を飛び回る。その絶望を絵に書いたような顔は、まるで魂を吸いとる死神だ。
その時、暗く視界の悪い森の中で、何かがうごめいた。
それは木々にまとわりつくようにうごめく影。
「へ、蛇……」
そう思って一歩後ろへと下がった。
だがその七海の身体を何かが一瞬にして巻き付け、上空へと持ち上げる。
「お、おおっ!?」
身体に巻き付くのはぬめっとした質感の、蛇――ではない。
その先を辿っていくと、そこにいたのは家のように巨大なタコに似た化け物だ。
「うっそでしょう」
陸にタコがいることすら驚きではあるが、その巨大さたるや、もはや人の想像を遥かに越える。
「うああああああああああああああああああ!!」
七海を掴んだ長い触手を振り回し、七海の身体は木々の屋根を突き破って遥か上空へと持ち上げられる。
景色など見ている余裕もなく、今度はまるで遊園地のアトラクションのように、真下へ振り落とされる。
「おほおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
変な声が出た。ふざけているわけではなく、声が漏れ出たのだ。
その時、七海の恐怖に呼応するように、後ろポケットに入れた碧色の短剣が激しく光った。巨大なタコのような化け物は、その光に怯んだのか、地面に叩きつける直前で七海の身体を手放した。単四電池のように地面を転がる七海。
反射的に身体を起こし顔をあげるも、頭が回って焦点が合わない。
どっちがどっちだとはっきりしない頭を振るって目を動かす。
すると後ろから、バキバキと木々の折れる音が響いてきて、七海は恐る恐る振り返った。
木々を押し倒して近づいてくる、タコのような巨大な化け物と、そして七海に幻惑を見せた灰色の死神。
「無理無理無理無理無理」
速攻で抵抗することを諦め、七海は先ほど入ってきた岩の隙間へと猛ダッシュした。
魂を吸いとるような表現しがたい奇声を発しながら近づいていくる死神に、七海が短剣を振るうと、それを嫌がるように死神は距離をとる。
そうやってなんとか牽制しつつ、七海はすんでのところで岩の隙間へと飛び込んだ。
景色が一瞬にして明るくなり、先ほどまで見ていた滝へとたどり着く。
明るいところが苦手なのか。死神とタコの怪物は岩の隙間から姿を出さず、静かな様子だった。
「ふう。確信。異世界だわここ」
そう七海が汗をぬぐった時だった。
「オオオオオオオオオオオ!!」
と、低いうめき声と共に、目の前の岩壁が吹き飛んだ。
中から出てきたのはあのタコの化け物だ。
「いやあああああああああ!」
まるで女子のような悲鳴をあげ、七海は反対方向へと再度走り出した。
だがその先は断崖絶壁。すぐに七海は急ブレーキをかけて止まった。
七海の足元、遥か下には海が広がっている。
「ゲームだったら落ちても大丈夫! ゲームだったら落ちても大丈夫! ゲームだったら落ちても大丈夫! だけど無理!!」
飛び込む勇気はない。
七海は振り返り、タコの化け物へと向き合った。
その城壁のように大きな身体を揺らし突進してくる化け物。七海は振り回される触手に向かって碧色の短剣を突き刺した。
するとその箇所から、ボンッ! と音を立てて触手が破裂して消える。
二本、三本と触手が吹き飛ばされ、タコの化け物は怒りか痛みか、さらに奇声をあげて突進してくる。
その顔にあった、大きな口をがばりと開け、七海を飲み込まんと。
「えくすなんとか、なんとーか!」
タコに短剣を向けてとりあえず叫ぶ七海。
再び短剣が碧色に発光し、タコの化け物が怯んだのを見て、七海は短剣をタコの頬辺りに突き刺した。
すると同じようにタコの頬が破裂して、タコはその反動でその身を左へと逸らした。七海の身体をかすめ、七海の後方へと流れていく。
そして勢い余って、その巨大な身体が断崖絶壁から向こうへと落ちていく。
タコの化け物はその無数の足を器用に使って、なんとか落下しないように抵抗していたが、その大きな身体が仇になったのか。垂直に落ちていく身を支えることができずに遥か下方へと落ちていく。
七海はすぐさま崖から距離を取るように走った。
そして数秒後、タコの化け物が海面に叩きつけられたのだろう音と、多少の水しぶきが上がった。
「ああいうのって、余裕こいて崖から見下ろしたら、触手に引っ張られて一緒に落ちて行くのがオチだからな……落ちるだけに」
しょーもない独り言を呟いて、七海は地面に大の字に寝転がった。




