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魔人さんは動かない  作者: 色川玉彩
第6章
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ただいま

長距離走るのって体力よりも、集中力だと思う。

だから無理。

 魔人イヴィドギが玉座に座り始めてから十度目の朝が来た。

 あと幾度(いくど)朝を迎えれば、この生は尽きるのだろうか。

 一向に腹は減らず、一向に(のど)は乾かない。そして一向に惨劇の記憶が薄れることはない。目を開ければ夢であったと、そう思わない日はない。

 あの軽薄な異世界人はどこへ行ったのだろうか。

 ここ数日その姿を見ていない。この国を脱し、ソーラスへと向かったのだろうか。無謀にもその身一つで。

 だとすれば既に森の中で蛮族(ばんぞく)に身ぐるみを()がされるか、妖精に(たぶら)かされるかして、動植物の(えさ)となっている頃だろう。

 惜しくはない。

 ただ、あの男の持っていた短剣だけが、心残りだ。

 唯一この世界で魔人を殺せる可能性を持った武器。

 まさに神の兵器と言ってもいいあの短剣があれば。

 あれがあれば。


「っ」


 もはや波と海鳥の鳴き声しかしないはずのこの国に、聞き慣れた不穏な音が響いてくる。


「ごきげんよう。魔人」


 現れたのは、白いローブを(まと)った初老の女。

 ソーラスの女王、アナム・ソーラス。

 イヴィドギは目も向けず、返事をしない。


「おや。そろそろ体力が落ち始めたのかしら? それとも、話すことすら面倒になったのかしら。どちらにせよ、歓迎されていないことは確かね」


 気にも止めずアナムは馬を降りた。


「他国の城中に馬で踏み入るとは、魔人を恨むあまり礼儀を忘れたか」

「城中? はて、城などどこにあるのでしょう。あるのは馬舎よりも劣悪な環境にある魔種の巣窟だけでは?」


 ぼろぼろになった城を揶揄(やゆ)する、明らかな挑発。


「怒りすらも湧かん。貴様も()りんな」

「魔人の消滅はこの世界の悲願ですよ。諦められるわけがないでしょう。再び世界を常闇(とこやみ)にするわけにはいかないのです」

「して、今回はどうやって殺す? 地獄の業火で熱するか? 大蛇の牙で毒殺するか? はたまた雷を落としてみるか? どれでも試してみるが良い。私を、殺してみせよ」

「いいえ。そのどれでもありません。我々は、神器を得ました」

「神器?」


 アナムがローブの内から取り出したのは、碧色(へきしょく)に輝く(いびつ)意匠(いしょう)がこされた短剣。

 それはあの、異世界人が持っていたものだ。


「初めて、驚く顔が見れましたね」

「貴様……あの異世界人を殺したのか?」

「魔人と一緒にしないでください。彼はソーラスで元気にしていますよ。今は年に一度の祭を楽しんでいるでしょう。我々も、早く戻って祭りに参加しなけなければ。彼らの家族も夫の帰りを待っています」


 アナムの後方、滅びた町には埋め尽くさんばかりの兵士たちが待機していた。

 その数は視界に入る限りで千はいるだろう。

 たった魔人一人に対し、ソーラスの精鋭部隊がこぞって出征してきたのだ。


「……ではその短剣をどこで手に入れた」

「異世界の少年に協力していただいたのです。世界の毒である魔人を殺すために」

「協力、か」


 そうかなるほど。この世界で生き抜くためには、協力は必要だろう。

 あの少年もまた、大勢に身を(ゆだ)ねたのだ。

 生き抜くために。

 そしてそれは、正しい。


「では私は、死ねるのだな?」

「ええ。ようやく」


 碧色の短剣を手に、アナムが歩み寄ってくる。



 心の底から願った最後が、そこにある。



「その前に」


 アナムは言って、イヴィドギの足元へとなにかを投げた。

 それは四角い石板に描かれた、この国の紋章だ。鋭い牙を持った魚のような四足歩行の生き物の絵が描かれている。


「貴女の国の紋章です。何故何の信仰も持たない魔人が、このような紋章を(かか)げたのですか?」

「説明する意味があるか」

「私は魔人を畏怖の対象として以上に、研究の対象として興味があるのです。貴女がいなくなっても、いずれまた魔人は起こるでしょう。そしてその時、同じように滅することができるとは限りません。我々人類は、非情にも襲い来る脅威に対して、確実な対処法を見つけるまで、知識と経験を積み重ねていかなければならないのです。だから教えてほしい。魔人の、心を、少しでも」

酔狂(すいきょう)な奴だな」


 イヴィドギは納得したかのように、静かに目を閉じ、口を開いた。


「……私が初めて意識を持った時。私は海の中にいた。その時既に呼吸の仕方を知っていて、泳ぎ方も知っていた。不思議な感覚だ。何も知らないはずなのに、自分がやるべきことがわかっていた。私の周りには色とりどりの魚たちがいて、それらはまるで私の誕生を喜んでくれているように遊泳していた」

「ほう」

「魔人の始まりは誰も知らぬ。私とてわからぬ。フォトンが寄り集まって成ったものという見方もあるが、私は、魔人は他の生物から進化し人の姿となった存在ではないか……そう思えて仕方がないのだ。だから私にとって、海に住まう彼らは家族であり、起源であると、そう思っている」

「だから、自分のかつての姿を、紋章に描き起こしたと」

「この姿形に深い意味はない。かつて仲の良かった人間の子供が、私の話を聞いて描いてくれたものだ」


 イヴィドギは愛おしそうに石版を見つめる。


「そう。大海に()んでいた生物が、人の形に進化したのが貴女だと……」


 アナムはその足で石板を踏み潰した。


(みにく)い魚類が陸へと上がるな。海の藻屑(もくず)に帰るがいいわ」


 振り上げる。その右手に持った碧色(へきしょく)の短剣を。

 魔人を殺せる、唯一の神器を。


 しかし、イヴィドギに振り抜いたその短剣は、彼女へ届かなかった。

 

 振り抜きはした。

 本来であれば、その刃はイヴィドギの脳へと到達しているはずだ。

 なのに、その短剣の刃がない。

 七海によって抜刀された刃が、再び柄の中に収まってしまっている。


「どう、して」


 それに驚きを隠せないのは、イヴィドギだけではなくアナムもだった。


「どうした……早く殺せ」

「どうして……どうして!」

「アナム様!」


 外からの声に振り替えると、兵士の一人が困惑した様子で駆けてきた。


「報告です。たった今、ソーラスよりナナミ殿が到着されました。どちらにお通しいたしましょうか?」

「なんですって?」


 覚えのない報告に、アナムは外へと出た。

 待機させていた討伐軍の隊列の奥。

 そこからふらふらと、見覚えのある衣服を纏った男が近づいてくる。


「お母様。あいつ……」


 同行していたファラが近寄り、同じように視線を向ける。

 隊列が、その男の道を開けるように左右に割れていく。

 そして、その男――吉良(きら)七海(ななみ)は城前まで辿り着いた。


「貴方、何をしに来たのですか?」


 アナムが声を掛けるも、七海は汗だくで疲れきった表情で黙って脇を抜けていく。そしてそのまま玉座の間へと入っていった。

 ファラと二人、顔を見合わせて追うように中へと入る。

 七海は脇腹を押さえながらイヴィドギの前まで行くと、そこで力尽きたように前のめりに倒れた。


「貴様……」


 驚いたように声を漏らしたのはイヴィドギだ。


「どうしてここに」

「いや……なんか、やっぱこっちの方が、水が合うなあと……」


 地面に突っ伏しながら、七海は笑う。ただ笑うのもしんどそうだ。


「どうやって来たの?」


 堪らず後ろからファラが尋ねた。


「馬……向こうで買って……途中、森で、変な弓を持った人たちに襲われて……」

「蛮族か……その脇腹、射たれたの?」

「いや、これはその後、走ってたから……僕あんまり、長距離得意じゃないので」

「走って逃げたってこと? 森の民は容赦ないはずよ。貴方みたいな人間を逃がすとは思えない」

「いやいや……そういう人たちがいるってのは聞いてたので、ソーラスから持ってきたお金とか、貴金属とか、いろいろ配ったら喜んで通してくれました……あ、でも予想外だったのは馬もとられたことです。おかげでひたすら走るハメになって……ここに辿りつくまでの旅路で一本映画、作れる程ですよ」


 少しは落ち着いてきたのか、七海は力を振り絞って立ち上がった。


「魔人さん。ただいま」


 七海はそう言って小さく笑った。

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