滅んだ国
基本会話ばっかりです。
この話は違うけど。
ツイッター➡︎飯倉九郎@E_cla_ss
吉良七海が目を覚ますと小さな入江にいた。
身体はすでに乾いている。
さっき自分の身に起こったことは、夢か幻か。
少なくとも体に異常は見当たらない。死んではいないようだ。
ゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。
七海が流され辿り着いたのは、入江にある浜だ。双方を断崖絶壁に挟まれ、開いたもう一方は長い坂道が続いている。
「修学旅行先に到着……なわけないよね」
七海はそう一人ぼやいて、顔を上げる。
右方の断崖絶壁の上に、壮大な建築物が見えた。海に張り出た崖の上に、小さな城が建っている。
そう、城だ。
まごう事なき、西洋城がそこにはある。
「目指すは長野県……だったはずなんだけどなぁ」
七海はそう唖然と見上げ言う。
自分の身体を見下ろした。ちゃんと高校の制服を着ていて、生身の感触がここにはある。
ただネクタイが歪んでいたのに気づき、それを締め直した。
「独り言で言いたいことはたくさんあるけど……とりあえずは進みますか」
早々に気持ちを切り替えて、七海は唯一の道である坂へと進んだ。
○
坂を上がると、激しい海風が七海を襲った。
それをしのぎ、顔を上げる。
そこにあったのは石を重ねて作った城だった。その側面らしい。
城といっても七海も良く知る日本の城ではなく西洋城。しかもそこまで大きくはなく、二階建てくらいだろうか。城と呼ぶにはあまりにも矮小なイメージを受ける。
「映画のセットかな」
なんてとぼける程、七海も現状を楽観視していない。
人っ子一人いない。波の音以外、何も音がしない。左方を見渡すと、崩れた石壁に、その向こうに広大な緑の大地が広がっているのが見えた。
広大――あまりにも広大だ。
西洋史劇映画でしか見たことのないような、何一つ手を加えられていないであろう大地が地平線の彼方まで続いている。果たして何日歩けばあの先にある山へ辿りつけるだろうか。
妙な緊張感に襲われ、七海はポッケの中を探った。
すると案の定、そこにはあの碧色の短剣があり、それを手に取った。
手に持った短剣に力を込め、ゆっくりと歩きだす。中庭らしきところから、石のアーチをくぐって城の正面に向かって進む。途中、作物を栽培していた様子が残る建物を横切ったが、しかしそこにあった草花は全てなぎ倒され、もはや生きた存在は草木を含め七海以外にはなさそうだった。
進む。恐怖以上に、今の七海には好奇心が勝っていた。
誰もいないが、誰かがいた気配はある。踏み荒らされた地面に、そこに落ちている剣や斧から折れた木の棒。何より、いたるところに見える争った跡と、残された血痕の数々。
「やっぱり」
ぐるりと半周回って城の正面へと辿りついた七海は、荘厳に佇んでいたであろうその西洋城を見上げて言葉を漏らした。
「ここはもう……滅んでる」
本来城の最上に位置し、その威厳を醸し出していたであろう先端部分がくずおれてなくなっている。あちこちの壁は投石でもされたのか、大きく穴があき、雨風をしのぐという建物本来の役目を失っている。
そしてなにより、そこは生気がしなかった。
誰もいない。なぜならそれはここが城として既に機能していないから。
既に滅んでいるからに違いない。
正面の階段を進み、既に扉を無くした門をくぐる。特に脇道へは入らず、大きな道に沿って導かれるように進んでいく。
血だ。血だ。血だ。
現代日本で生まれ育った七海には一生見ることもかなわないであろう壮観な景色に見とれることもなく、目に止まるのはあちこちにへばりつく乾いた血だけだ。
押し込まれたのであろう割れた木の扉から中へと進み、おそらくこの城の中心部分なのであろう大きな広間へと足を踏み入れた。ぱっくり空いた天井からは巨大な陽の光が差し込み、本来であれば荘厳とした雰囲気を醸し出すはずのこの場所を明るく照らす。
既に警戒心は無く、ただ興味のおもむくままに歩を進める。
ここには誰もいない。
そう七海が危うい思い込みに飲み込まれそうになってた時。
「っ」
七海は、視界の端に何かの存在を捉えた。
彼の本能が動きを止める。
恐る恐る、顔を動かしてその何かに向かって視線を動かした。
そこは広間の奥、中央。
おそらく玉座であろうその場所に。その椅子に、誰かが座っている。
それは藤紫の髪を持った、一人の少女だった。
高い位の御身なのだろう、まるでファンタジーからお姫様を切り抜いてきたようだ。しかし動きにくそうな格好ではなく、スカートは短く腕も曝け出していて、活発な印象がうかがえる。
「あなたは?」
七海が問うが、それは答えない。その清らかなプリンセスは微動だにしない。
七海を見ているようで、見ていない。
「死んでる? ……返事がない。どうやら屍のようだ」
恐る恐る近寄ってみる。瞬きひとつしない。彼女からも生気がしない。
しかしその藤紫色の髪、青い瞳、そして染み一つない雪肌に、目を奪われる。彫刻のように固まるこの少女に、触れてみたいとさえ思う。触れざるを得ない感情に苛まれる。
少しだけ――そう七海がその少女の肌に触れようとした瞬間だった。
ガブッ! と、その少女が七海の手にかぶりついた。
「いっ――!!」
悲鳴を上げる。容赦ない噛みつきに、指先を持って行かれそうな程だ。
しかし痛み以上に、その生き物が突如動き出したことに驚いた。
「は、離して!」
「がう!」
「イッタ! ほんとにごめんなさい!」
我慢がならず、七海はもう片方の手に握っていたあの碧色の短剣を少女に向かって振るう。
必然、短剣は少女の頬をかすめた。
「っ!?」
痛みに怯んだ少女が口を離し、その隙に七海は少女から距離を取った。
「ごめん! その! ほんとに!」
触れたことというよりは、反射的に振り回した短剣で少女の染み一つない肌を傷つけてしまったことを謝った。
少女は茫然とした表情で頬にできた一筋の傷に触れていた。
雪肌に、赤い液体がとろりと垂れる。
「あの……大丈夫、ですか?」
「……貴様は……」
「え?」
「貴様は、何者だ?」
少女は傷をさっと手で拭ってそう尋ねた。
「吉良、七海……です。白煌高校2年です」
「どこから来た?」
「あーっと……異世界です……たぶん」