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70.みのり5

「だから転職を……?」

「たぶんそれもあったのかな。……その時は自分がそんな風に考えているなんて気が付かなかったけど。ただ試してみて―――それから考えようって。先輩もそう言ってくれたし……最近広斗は本当に私のことに関心が無いように見えたし……今思うと避けられてたからって、ちょっと自棄にもなってたかな?ならこっちも好きにやってやるわよ!なーんて」


 フフフと過去に想いを馳せるように笑うみのりの表情からは、もう先ほどあった張り詰めたようなものは消えていた。


「でも広斗から離れて……私の中から広斗の温度や匂いが遠ざかって行って、だんだんと混乱していた自分の気持ちを把握できるようになったの。でもこの仕事にチャレンジしようと考えたこと自体は腹いせとか、呪いの所為とかそう言う事じゃなくて……本当にやりたいって感じたから。ただ広斗のことが好きだったって言うのも本当の気持ちだし、ここが居心地良くて離れがたかったのも本当。だから花井さんなんかにイライラしちゃったのよね。執着の裏返し。……だから……最後までキッパリ伝えることに躊躇っていて―――でも結局いろいろあって、飛び出すことになっちゃったんだけど」


 深刻さを払拭したみのりの表情は明るかった。


 彼女の中にある葛藤も、俺への執着も―――もう過去の思い出なのだ。それがはっきりわかったのは彼女が『好きだった』と過去形を使ったためだ。俺はそのことに気が付いたが、喉が張り付いたようになってしまい、口に出して指摘することも責める事も出来なかった。




「ヨツバのこと―――ありがとうね」




 そうだ、ヨツバだ。漸くみのりの口からその話題が出た。今まで俺は、もうみのりと俺の間に残っているのはヨツバの問題だけだと思っていた。なのに今ヨツバの話題を急に出す彼女に違和感を覚えずにはいられない。




 ヨツバのことなんか、うさぎのことなんかどうだって良くないか?




 俺達の三年間が終わろうとしているこの時に、何故そんな話を持ち出すのか?と咄嗟に感じてしまうくらい、いろいろな思いが胸の中に渦巻いてしまっていた。なのに俺の口から出るのは―――やはりヨツバの話題しか無いのだ。それ以外に触れることは針の筵に踏み込むような痛みを覚える行為に感じてしまったから。


「なんでヨツバを置いていったんだ?俺がヨツバに何も感心を持っていないって分かっていた筈だ。そんな俺の手元に何も言わずに置き去りにするなんて、ヨツバのことが心配じゃ無かったのか?」

「うん、全く」


 ケロリと頷くみのりに、俺は唖然として言葉を失った。


「な……」

「『何で』って?だって広斗なら、任せても大丈夫だと思っていたもの」

「はっ……?」


 訳が分からない。俺のことを信用ならない浮気野郎だと妄想していたのではなかったのか?だから家を出て行ったのだろう?


「広斗は面倒見が良いもの。例え私に押し付けられたって、自分しか頼れるものの無い小さなうさぎがいたらアレコレ調べたり誰かに聞いたりして面倒を見ようとするでしょう?だから心配なんて、ちっともしていなかった」

「なっ……俺がどれだけ苦労して……」


 走馬燈のように、ヨツバとの苦闘の歴史が俺の脳裏に蘇る。あっけらかんと言うみのりに腹が立った、そんな一言で済むような苦労では無かったのだ。するとみのりは予想外に素直に頭を下げた。


「うん、それはゴメン。だけど私、本当はちゃんと広斗にお願いして、それで研修に旅立とうと思っていて、ずっと準備はしていたの。初めての人間でも分かりやすいように道具を配置して、お世話マニュアルも作って……。それに研修に行く前は、そこに就職するかどうかまだ決めかねていいて……結局自分は仙台に泣いて戻って来るんじゃないかって。夢は夢のままにした方が良いって広斗の所に戻って来るんじゃないかって八割方そう考えていたの。でも行きたい気持ちも勿論あって、だから敢えて勢いを付けるために荷物を整理して……背水の陣のつもりで。だけどずっといるか分からない東京だから、まだウィークリーマンションしか取ってなくて。ペット不可だったし、そんな落ち着かない場所に臆病なうさぎを連れて行けないから、もし本当に研修を終えて本気で再就職したいって思えたなら、その時にあらためてペット可の物件を探そうって。そう考えていたの」


 みのりは自嘲気味に嗤った。


「だけど広斗は私を避けまくっていて帰って来ないから、全くそんな話も出来ないし。肝心の広斗と話せないままなのに、風間さんは私の気持ちをグラグラ煽るし、花井さんは宣戦布告を仕掛けて来るし―――で、本当に直前の日、またしても広斗がいつまでも帰って来なくて……寝ないで待っていたら、とうとうぶち切れちゃって……!もう広斗なんか好きにすれば!って思ってマニュアル破って捨てて、代わりに置き書きして予定繰り上げて、ホテルに駆け込んじゃったの……!」


 言い切って、ホッと肩を落とすみのりを目にし、苦いものが込み上げる。話し合える最後のチャンスを潰してしまったのは俺なのだ。それとは気付かずに。


「もう今更だけど……さっきも言ったけど、広斗はヨツバを見捨てないって信じてはいたし、忙し過ぎて連絡も躊躇していて……アッと言う間に一週間が経って。やっぱり手紙一つで投げ出して来たのは流石にまずかったなぁって反省して謝らなきゃって思ったの。でも気まずくて連絡できなくて。だけどそこでやけに良い雰囲気の花井さんと広斗を見掛けちゃってね。そこに居合わせた風間さんがしつこく煽るような事を言って来るから―――また頭に血が上っちゃって。勢いで、そのまま東京に戻っちゃった……!」


 タハハ、と力なく笑うみのりの表情に、もう俺に対する怒りは無い。

 その執着の無さは、俺の心にポッカリと穴が空いたような気分を起こさせた。


「じゃあ今日なんでここに―――そうか」


 みのりは『戻らない』と言ったのだ。もう決めたのだ。研修は終わり、彼女は東京で再就職をする。だからここに現れたのだ。




「うん。『別れ話』をしに来ました。それとヨツバのことを話し合おうと思って。まさか―――今度は花井さんと別の女の子を連れ込んでいるとまでは予想していなかったけど。ゴメンね、邪魔しちゃって?」

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