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67.みのり2

 俺が仕事においての自分の限界を感じ、結婚に対する無言のプレッシャーに耐えかねて逃げ回っていた頃、みのりはみのりで俺の不誠実な態度に苦しんでいたのだろうか。だからこそ花井さんと俺に何もないと言う事を信じつつも、焦りから電話を取ってしまったのだろうか。


 それを思うと自分ばかりが悩んでいると思い込んでいたこれまでの時間に、違った側面が見えてしまう。俺は自分の息苦しさを注視するあまり、みのりの気持ちを無視していたのだ。いや、その時だってみのりの気持ちをないがしろにしている自覚はあった。


 だけど結局甘えていたのだ。


 みのりはしっかり者で口が達者で察しが良い。そんな彼女が、俺のように自分を見失うようなことあるわけがない、彼女は悩む側では無く俺を悩ませる側なのだと……思い込んでいたのだ。




「俺が……もし俺が結婚に前向きだったら」




 既に『戻らない』と断言されているのに『もしも』を口にせずにはいられない。


「みのり、お前は東京へ行こうとは思わなかったよな?」


 俺の問い掛けに、みのりはお茶のペットボトルに向けていた視線をゆっくりと上げた。細めた瞳、そのみのりの長い睫毛を目の当たりにし、思い出す。いつかこの長い睫毛が落とす影に見惚れた事があったのだと。




「『結婚』?―――広斗、私との結婚なんて考えたことがあったの?」




 パチパチと瞬きを繰り返し如何にも意外そうに尋ねるから、拍子抜けしてしまった。何故か体がカッと熱くなって慌ててしまう。


「いや、違う。違わないけど……そうじゃなくて、お前が結婚したいって考えているのかと思っていて……だから」

「ああ!それで……そうなの」


 みのりは勝手に合点が行った、と言うように頷いている。


 俺の体は益々カッカと火照って来て、顔まで朱くしてしまう。どうやら俺は何か致命的な失言をしてしまったらしい。しかし何処が失言ポイントなのか全く分からないので、どう反論して良いものか分からない。彼女は一体何を了解したのだろう?まるで高い所に付けられた防犯カメラで、自分の目の届かない背中に張り付けた文字を読まれたような気分だ。大変居心地が悪い。


「何が『そう』なんだよ」

「うん、分かった。それでずっと、私と話すのを避けていたのね」


 腕組みをして、みのりは頷いた。


「私が結婚の事を言い出そうとしていると思って?」


 その屈託のない態度を見て、俺は疑問に思った。


「……違うのか?友達の結婚式の後『三十は子供を作るリミット』だとか『ご祝儀払う側ばかりで金欠』だとか言っていただろう?」

「それは別に……当り前の話でしょう?どうしても結婚式の二次会ではそう言う話題になるのよ、独身同士って。既婚者の同級生は小さい子供がいるからって、一次会は出席しても二次会まで出席しないから」

「じゃあ、何を……ああ」


 やっと腑に落ちた。みのりが何か言いたげだったのは―――


「転職しようかどうか、迷っていて。専門学校の先輩が会社を立ち上げて、人が足りないからってずっと声を掛けてくれていて。もし転職するなら……引っ越さなくちゃならない。でも起業したばかりの会社だと、転職しても直ぐに失職するかもしれないし」


 彼女が何か言いたげだったのは、結婚では無く転職のことに悩んでいたからだった。そう言えばみのりは元々デザインの仕事をしたくて専門学校に入ったのだと言っていた。けれども就職できたのは地方の印刷会社で……『でも職場の人間関係も良好だし、そこそこ忙しいものの自由な時間も確保できるし安定しているから結果オーライなの』なんて言っていたのを思い出す。


 そうか、そうだったのか。

 だとすれば―――ああ、あれもこれも。急にパズルのピースがパチパチと続けてはまり始めるように、これまで抱えていた様々な懸案に答えが浮かび上がる。


「ずっと相談しようと思っていたの。だけど広斗は新しい上司が来てから、かなり余裕のない様子だったし忙しそうでゆっくり話す時間は取れないし……それに何だか避けられているような気もしたし。もしかして私の気持ちに気付いて避けられているのかもって考えたり……結構これでも悩んだのよ。そして実際避けていたのよね、思っていたのと違う理由だったけれど。それに私が悶々としているって言うのに、スマホで誰かと連絡取っているみたいだし。隠れてコソコソしてはいないから、浮気じゃないとは思っていたけど―――そしたら、風間さんに『花井さんって若い子に懐かれて喜んでいる。二股じゃないか』って言われて……」

「それは……」


 反論しようとして、口を噤む。そうだ、その時はみのりは風間を一蹴してくれたのだ。風間からそれを聞いた時、どれ程ホッとしたことか。

 風間との遣り取りを思い出し少し緊張を緩めた処に、みのりがグサリと楔を突き刺した。




「どーせ中途半端に優しくして、懐かれちゃったんでしょう?」

「うっ……」




 図星をグリグリと抉られて、思わず胸元を掴んだ。歯に衣着せない台詞がビシビシと容赦なく俺の頬に、まるで台風に煽られた鋭い雨粒のように吹き付ける。思わず眉を顰めたその時、みのりの声のトーンが寂し気に一段低くなった。




「……私の時と同じように」




 気まずさに俯き加減になっていた視線を思わず上げると、みのりの静かな瞳にぶつかった。


 その視線が誘導するように、ゆっくりと運動場の中のベージュの毛糸玉、ヨツバに向けられる。ヨツバは『我関せず』と主張するようにヌクヌクと丸くなって耳を伏せている。すっかりくつろいでいる様子を見ると、まるで柵の向こうとこちら側では時間の流れさえも違っているかのように見えた。


 果たしてみのりが転職について考えたのは、ヨツバを飼おうと決めた前なのか後なのか、と言う疑問が頭をもたげた。俺の部屋を出て行く可能性を考えていたなら、何故みのりはうさぎを飼おうと思いついたのだろう、と。

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