63.着替えました
脱いだジーパンにシャワーを当てて取りあえず揉み洗いしてみた。二度ほど繰り返してみて、布地に顔を近づけて嗅いでみる。
うーん……落ちたような、落ちないような……。
しかし伊都さんを待たせている以上、あまり時間を掛けられない。ハンガーに濡れたままのジーパンを掛けて浴槽の上に吊るしておく。これは帰って来てから改めて洗濯機ででも洗った方が良いよな。
ついでに自分の脚の濡れた部分にもシャワーを当てて流したが、こっちも後でシャワーを浴びて念入りに流そうと心に決め、ほどほどにしてバスタオルで拭い新しいジーパンに履き替える。
「伊都さん、お待たせしまし……た」
脱衣室を兼ねている洗面所の扉を開けて、居間に一歩踏み出す。
そこで俺は立ち竦んだ。
伊都さんは、其処に立っていた。
それはいい。それはいいんだが―――居間に居たのは伊都さんだけじゃない。
小柄な伊都さんを見下ろすように腕組みをして向かい合っている人物。それは―――
「みのり……?」
髪型は変わっているが見間違えようが無い。長かった髪がバッサリと切られ、うなじが露わになったショートカット。その横顔は、一見きつく見えるくらい整っている。
みのりは腕組みをしたまま、ゆっくりと顔をこちらに向けた。その能面のような白い顔からは、彼女が何を今思っているのか全く察する事が出来なかった。
「みのり、お前……東京にいるんじゃなかったのか」
「……知ってたの?」
返事が返って来て、何故かホッとした。何となく言葉が返って来るような気がしなかったのだ。
「……風間に聞いた。つっても知ったのはごく最近だけど……」
「そう……」
「……」
聞きたい事も言いたい事もたくさんある。あった筈なんだ。
顔を見て直接話がしたい、一体どういう事なんだって問い詰めたかった。誤解もあるかもしれない、いやそれは全くの誤解で俺は潔白なんだって弁解したいと何度頭の中でシミュレーションしただろう。
だけどそれ以上言葉が出て来なかった。そしてみのりも、それ以上口を開こうとしなかった。
「あ、あの!」
気まずい沈黙を破ったのは、第三者である伊都さんだった。ギュッと両こぶしを握り込み、今にもダラダラと冷や汗を落としそうな表情で、オドオドと俺とみのりを交互に見る。それから如何にも勇気を振り絞って……!と言う風情で口を開いた。
「わ、わたし……その、帰りますねっ!」
ああ……そうだった、と役割を漸く思い出す。俺は伊都さんを送る為に着替えたのだった。
「そうですね。じゃあ、行きますか」
「え?!」
テーブルに放置してあったスマホを手にし、更に鍵と財布も手に取る為にと立ち尽くす二人の女性の間を大股で横切る。すると伊都さんはギョッとして慌て始めた。
「だ、大丈夫です!一人で帰りますからっ……そのっ」
「いや、さっき言いましたよね?方向音痴な人をその辺に放置できないですから」
「いや、ほら!携帯もありますし!」
そう言ってゴソゴソ自らの体を探り出し、ポケットから取り出したのは明らかにスマホより小さい携帯機器だ。
「……ガラケーじゃないですか。地図見れないでしょう?」
呆れて思わず声が低くなってしまう。目を細めて睨むと、伊都さんはガラケーをズイっと持ち上げて弁明し始めた。
「地図は見れますよ!えーとその………………ホラ!」
と小さな画面を開いてズズイ!と差し出した。
確かに彼女が主張する通り、地図は表示されている。ただ非常に画素数が低くて見難いが。
それ、小さすぎるだろ。その地図見ながら歩くって……絶対無理だろ。
苛立ちを感じて舌打ちをしたい衝動に駆られたが、何とかその衝動をを抑え込む。
「いいから、行きましょう」
「えっ……いやいやいや!だめです!」
強引に腕に手を伸ばすと、怯えたように手を払われた。
「あっ……すみません。あの、でも……」
伊都さんは俺を払いのけた手を、抑えるように片方の掌で押さえて俺を見上げた。
「ええと……彼女さん、ですよね?」
と、俺を肩の後ろに視線を向けてから、また不安そうに俺を見る。
「彼女さんを置いて行くのは……その、駄目ですよ」