52.ケージの中のヨツバ
「ヨツバ~」
お菓子談義もソコソコに、そわそわしていた卯月さんはケージの傍ににじり寄った。
「会いに来たよ~!」
台詞の後ろにハートマークが付きそうなネコナデ声で迫る卯月さんは、正直怪しい。いや、この場合『ネコナデ声』じゃなくて『ウサギナデ声』か?
二人の女性が現れてから、ヨツバは布を掛けたケージに飛び込んで籠ったままだ。
運動場を設置してからヨツバが自由に出入できるようにケージの入口を開け放つ事にした。そして眠る時だけケージに掛けていた布を常時掛けたままにするようにしている。これは卯月さんのブログをヒントにしたのだ。うータンが慣れるまで、彼女はうータンが籠っているケージにずっと布を掛けていた。あの天岩戸を再現したのだ。
そこにヨツバは依然として籠り続けている。いつも運動場で丸くなってノンビリしていたり、呑気に毛繕いに勤しんでいるのに。せっかく二人がヨツバに会いに来てくれたのに、申し訳ないような気がする。
「あ、これ良いですね。隠れる場所があるとヨツバも落ち着くと思いますよ」
伊都さんが早速気が付いた。特にヨツバの不義理を気にしていないような態度に俺は少し安堵する。
「ヨツバも一人になりたい時があると思いまして。卯月さんのブログを見て思いつきました」
「私の?ああ、最初うータン籠りっぱなしだったんですよね。慣れない場所で暮らすのってうさぎにとって一番のストレスですから、仕方ないんですけど」
慣れない場所で暮らすのはストレス……か。だからうータンは頑なにあの天岩戸に籠り続けていたのか。そう言えば、うータンは卯月さんに付いてはるばる東京からやって来たんだよなぁ。東京……『東京』ね。いや、今はみのりの事はどうでも良い。俺は余計な思考を振り払うように言葉を発した。
「うさぎにとって引越って、やっぱりかなり負担になりますよね」
「そうですねぇ。その子の性格にも寄ると思いますけど。うータンは慣れるまで結構掛かりましたね。……慣れてしまったらもう、別兎みたいに態度大きいですけどね」
おそらく亀田家で寛いでいるであろう、うータンを思い起こしながら卯月さんは苦笑してそう答えた。すると伊都さんがその横で腕組みをしてウンウン頷き同意を示す。
「本当にうさぎも性格ってそれぞれ、ですよね。うちはうさぎホテルもやっているんですが、預けられた途端から寛ぐような子もいる一方で、食が細くなっちゃうくらい緊張する子もいたりしますし」
「そうなんですか」
「何か心配ごとでも?」
伊都さんがしゃがんだまま、俺を振り返った。
ある考えに沈みかけた俺は、ギクリとして首を振った。
「いえ!なんでも―――それにしてもヨツバ、最近は直ぐに出迎えてくれるようになったんですが、なかなか出て来ませんね」
「嗅ぎなれていない匂いとか気配が気になってるんでしょうね。やっぱり飼い主さんと水入らずとは違いますよ。ヨツバは繊細なタイプなのかもしれません」
なら多少俺の事を飼い主だと認識してくれるようになったのだろうか……だと嬉しいが。
頭にそんな言葉が浮かんで、ちょっと我に返る。
俺はヨツバに親しみを感じ始めている。そして、それを素直に認められるようになった自分に気が付いたのだ。
『みのりが勝手に置いて行った』とか『いい迷惑だ』……なんて実際最初は考えていた。噛まれたり蹴られたり―――とんでもないヤツだとヨツバに対して腹立たしい気持ちを抱いていたのだ。理不尽なみのりの行動に納得の行かなかった俺は、ちょっと前ならヨツバに対して感じてしまうこの温かい感情を、見ないようにしてまるで存在しない物のように扱っていた。
それはみのりに対する反発心の為だ。割り切れない感情を、俺はヨツバに転嫁する事で彼女の理不尽な行いに対する怒りを誤魔化して来たのだ。
だけどヨツバ自身に罪はないのだ。何故なら、ヨツバ自身が選んでここにいる訳ではないのだから。
勝手に連れて来て置いて扱いが分からないから、思い通りにならないからと言って腹を立てられるヨツバこそ、大層理不尽だと感じているかもしれない。
ヨツバから見たら、みのりも俺も同じ人間だ。いや『人間』と言うものを個別に認識しているのかも怪しい。地震とか大雨とか―――俺達の都合で勝手に売り買いされる小さなか弱い『うさぎ』から見れば、『人間』は抗い様のない天災に近い存在なのかもしれない。