39.風間の不機嫌
「花井さん?」
「ったく要領良いよな。女の乗り換えもスムーズってか?」
「いや、あれは違うだろ」
別に花井さんと待合わせている訳じゃない。と言うか、最近花井さんとはほとんど会社で話していない。頻繁にあったSNS攻撃も最近パタリと止んでいる。正確に言うとあのカフェで偶然会って一緒に食事をした時以降、仕事以外で彼女から接触してくる事が無くなったのだ。
「他の人を待ってるんだろ?飲み会とかあるんじゃねぇの?」
きっと俺はあまり頼れる相手ではないと判断されたんだろう。彼女の誘いをすげなく断ったから『使えないヤツ』と思われたに違いない。若い子ってドライだよな。まああれだけ可愛けりゃ、ちょっと小首を傾げて上目遣いでお願いすればホイホイついて行く男には困らないハズだ。愚痴でもなんでも聞くから一緒にいたいって男は多いだろう。俺もどうでも良い愚痴に付き合うのはソロソロ疲れたから解放されてむしろホッとしている。まあ、今はそれどころじゃないってのが本音なんだけど。いろいろあり過ぎて、他人事にかかずらわっている心の余裕が無い。
「後ろ暗いからってコソコソするなよ」
「おい、風間……ちょっと言い過ぎだぞ」
「お前だって言ってただろ?モテるからって調子に乗ってるって」
「いや、おい……」
宥めようとした佐渡に、興奮気味の風間が食って掛かった。佐渡は図星なのか言い訳もできずに言葉を失い視線を彷徨わせる。……いや、別にね。毒舌の佐渡なら言いそうな事だからショックとかそう言うのはナイけどさ。この場合、陰口を目の前でバラす方がルール違反だろうよ。頭に血が上ってそんな当り前のコトすら消し飛んだ様子の風間に呆れてしまう。
「昼だって部長とコソコソ連れ立って行っただろ?早速取り入ったのか?仕事に女に、本当に節操無い奴だな!」
「風間!おまっ……ナニ言ってんだ!」
流石に佐渡も蒼くなった。顔を真っ赤にして手を握りしめている風間の肩を強引に抱いて、佐渡は強引に幕引きを始めた。
グイグイと風間を乱暴に引っ張って行く一方で、佐渡はチラリとこちらを振り返り「行け!行け!」と声に出さずに身振り手振りで指示を出した。俺も口の形だけ『ス・マ・ン』と動かし、合掌のアクションで謝意を示した。佐渡は大きく頷いてから前を向いて風間の耳に口を寄せた。
「ホラ行くぞ!せっかく買った珈琲がぬるくなっちゃうだろ?!」
風間は諦めきれずにゴチャゴチャとそれに反駁しているようだったが廊下で大声を出してしまって少しは頭が冷えたのか、それ以上俺に突っかかる気は無くなったようだ。引き摺られるように廊下を歩いていった。
「はぁ……」
思わず溜息が出た。変な所で足止めを食っちまったな。気を取り直して俺は正面玄関に向かって歩き出した。
しかし風間は最近おかしい。頑固な堅物だが、酒の入っていない状態で妙な絡み方をする奴じゃ無かった筈だ。それにみのりと俺が別れる前提で話しているのも妙だ。俺がその可能性について口にしたのは今日、亀田部長が初めてだったのに。
そう言えば部長があの部屋を見て気付いていたというなら、一緒にいた卯月さんも気付いていると言う事だろうか?それから伊都さんも……と言うか伊都さんはそう言う事、全く気にも留め無さそうだな。いや、いまはそっちは置いといて―――風間のことだ。
風間の台詞、あれは―――あれじゃまるで、みのりが出て行った事まで承知しているみたいじゃないか?
考えに沈む俺は、入口近くで人待ち顔で立っている花井さんをスルーしてしまった。それに気が付いたのは、自動扉を過ぎて風除室を抜けた所で声を掛けられたからだ。
「戸次さん!」
振り向くと、花井さんが俺を追いかけて来ていた。
そこでやっと彼女が玄関に立っていた事を思い出した。もしかしてそこで挨拶されたのにも気付かなかったのかもしれない。風間の不審な態度について考えを巡らせるあまり、周囲に気を配れなかったようだ。
「もしかして俺、花井さん無視しちゃってた?」
「はい……あ、やっぱり聞こえていなかったんですね」
やっぱか。あー俺の信条に反するな。常に自分中心にならずに周囲に目を配ってバランス良く、を職場では心掛けて来たのに。俺は周りが見えなくなるほど自分の事に夢中になるヤツってどーなの?って思っている。プライベートなら良い、でも職場で空気を読むのがイコール仕事だろって。
「ゴメンね。そんなつもり無かったんだけど―――お疲れさま」
だから今のは俺に非がある。むしろ自分より年下のヤツとか立場の弱い派遣さんには特にこっちから声を掛けなければならなかったのに。
花井さんに向き直り、努めて笑顔を作って挨拶した。
「お疲れ様です」
花井さんもホッとしたようにニコリと笑う。ホント、可愛い子が笑うと花が咲いたみたいだなぁ。うん、上機嫌って良いよな。やっぱ人間関係に置いて不機嫌は諸悪の根源だ!……と確かお札になった偉い人も言っていたハズだ。
風間の不機嫌ストームに巻き込まれた俺としては気分を緩めて貰う機会を貰えて、大変有難い。これ言ったらセクハラになりそうだから言わないけど、若い愛想の良い女の子はいるだけで良い。仕事はホドホドでも、彼女達の笑顔はストレス緩和に有効だから。
しかし大分時間をロスしてしまったな、急がないと。
「じゃ、また明日ね」
はやる気持ちを抑え、軽く敬礼をする。
それからクルリと背を向け、一歩踏み出した。
「待ってください!」
そこでグイッとスーツの裾を掴まれて、つんのめる。
んん?―――この状況、前にもあったな、なんて思いつつ俺は振り向いた。