27.捕獲作戦2
ベッドの側面に這わせるようにペットフェンスを設置すると、壁に塞がれていない二面の内一面だけが塞がれて、出口が一方向に限定される。ペットフェンスをそのまま延長して、居間の部屋にあるケージの所までグルリと囲むように連結する事になった。
伊都さんの指示に従って、連結用のプラスチックジョイントで繋げて行く。初めての作業に少しもたついてしまったが、無言で手早く作業をする亀田部長を見ている内に発奮して俺の作業もドンドンスムーズになっていった。
違和感ありまくりだなぁ、と思う。
上からガンガン物を言う所しか目にした事のない偉そうなコワモテ上司が、明らかに自分より年下の女性の一方的な指示に従い、手足となっている。不満げな態度など微塵も見せず黙々と。
それを見て思った。この人のプライドの在り方は、きっと少し違う所にあるのかもしれないと。何となく実は分かっていた気がする。亀田部長は自分の地位とか利益とか意地などでは無く、仕事そのものにプライドを持っていて―――『ソコ』が、そうじゃない人間の気に障るのだろう。
誰だって自分の立ち位置が気になる。集団の中で人と比べて今、自分はどのくらいの場所にいるのだろうって。だけど亀田部長にはそう言う計算が一切無いように見えた。揺らぎ無い、自分に対する自信を持っているように見える。それが自信不足の周囲の人間の気に障るのだ。
ウチの課長などはまさにその筆頭だ。今は亀田部長を敵視していて『桂沢部長ならこうしてくれた』などと言って懐かしむが、当時は当時で桂沢部長を明らかに侮っていた。目の前では必要以上に丁寧に接して置いて、一歩部屋を出ると『女はこれだから』と俺達に同意を得るように必ず一言愚痴を零すのが常だった。
だけど亀田部長はそんな風に仕事と関係ない部分で彼女を貶めたりはしない。それこそ桂沢部長のこれまでの仕事のやり方を否定するような事ばかり言っていたけれど……。
「柵はこれで良いですね」
満足気に設置された柵を眺める伊都さんに、俺のモヤモヤした葛藤など知るべくもない亀田部長は通常運転である無表情のまま、尋ねた。
「どうやって追い込む?」
「先ずは穏便に、餌でおびき寄せましょうか」
そう言って伊都さんは、持ってきた大きなトートバックからタッパーを取り出した。それを手に持ったまま、俺を見上げる。
「ヨツバの食事はペレットと牧草だけですか?」
「はい。ストックにあったので……亀田部長には先ほど伝えたんですが、牧草なんかで誘っても全く反応が無くて」
「牧草ってあまり美味しくないですからね」
「え?」
そりゃあ、牧草が美味しい訳無い。と一瞬思ったが、彼女が言っているのはうさぎの話だと気が付いた。
「リーフレットにはうさぎの主食って書いてあったんですが……あれ、ヨツバにとってマズい物なんですか?」
それが何で主食なんだろう?
「マズイって程ではないかもしれませんが、ものすごく美味しいって訳じゃないらしいですよ。でも野生のうさぎの食事ならそれが普通ですし。草食動物だから食物繊維が多い食事じゃないと腸に負担が掛かるんです。人間でも柔らかい栄養価の高い食べ物ばかり食べていると成人病になったりしますよね、それと同じです」
「そう言われてみると、確かに」
舌の上で蕩ける霜降り牛のすき焼きはウマいが、毎日だと確実に体を壊すだろう。すると亀田部長が補足するように呟いた。
「それに不正咬合も牧草を食べる事である程度予防できるしな」
「不正咬合?」
「歯の噛み合わせの事です。食事習慣だけじゃなくて、先天性とかストレスでケージ齧りをするのが原因とかいろいろ言われてますけどね」
今度は伊都さんが補足する。それを聞いてみのりが出て行った翌朝の事を思い出す。ガリガリガリ……と奇妙な音がして、ヨツバの存在に気が付いた。あれはケージの柵を齧っていた音だったのだ。素朴な疑問が口をついた。
「噛み合わせが悪いと……マズイんですか?」
「食欲不振の原因になったり、怪我に繋がったりします」
「怪我?」
銀縁眼鏡がキラリと光った。
「飛び出した奥歯で、食べるたび口の中を傷つける事がある」
げっ!
「痛そうですね」
「それと前歯が邪魔で上手く食べ物が食べられなくなる場合もありますよね」
亀田部長の台詞を受けて、伊都さんがまた補足した。
それはかなり命に係わる問題なのでは。しかし取りあえずケージを飛び出してからのヨツバはケージを齧ってはいなかったと思う。あくまで俺が見ている範囲では、と言う事だが。
「なのであまりあげ過ぎては駄目なのですが……うさぎが大好きな、頻繁に食べられないオヤツでおびき寄せようと思います」
そう言って、伊都さんはタッパーを俺の目の前にズイっと突き出した。パカッと上蓋を開けると、中には小さくカットされた黄色いドライフルーツが入っていた。
「ドライパパイヤとパイナップルです。名付けて『うさぎホイホイ』大作戦!」
そのタッパーを片手で上へ掲げ、ビシッとドヤ顔で決めた伊都さん。
「「……」」
突然のハイテンションに俺は何と応えて良いか分からず、亀田部長は何を考えているのか分からない、相変わらずの無表情のまま沈黙する。
テンションの差を肌で感じたのだろうか。彼女の熱気は見る間にシュルシュルと萎んで行った。
「……取りあえず、やって見ましょう……」
少し頬を染めて声を落とし視線を外す。それからそそくさとケージの近くへ屈みこみ、静かに黄色いドライフルーツの欠片を並べ始めたのだった。