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1.気に入らない上司

スイマセン、まだうさぎは出て来ません。

「ったく、あの銀縁眼鏡ヤロー。冗談じゃねーぞ」


 同僚と愚痴を言い合いながら強かに酔っぱらった。新しい営業企画部長は前任の部長と真逆のタイプで、今まで通ったやり方がほとんど通用しなくなってしまったのだ。前任の部長は柔らかな笑顔を湛え余計な事や細かい事は言わずに概ね現場の人間に任せるタイプだったし、時には厳しい指摘をすることもあるが、それは適格な誰もが納得できるもので……そして絶妙に部下の矜持を慮る事を忘れずにいてくれたのだ。だから会議の席で頭ごなしに欠点を指摘するなんてその場を凍り付かせるような真似をされて、直属の上司は顔面を蒼白にして言葉を失ったし実働部隊の俺達は悔しさでギリギリと歯ぎしりをして押し黙るしか無かった。


 実際の所はと言うと、男のプライドややっかみやら何やらでその女性部長の下で働くことに不満を漏らす者も少なくは無かった―――だけど彼女が退職し後釜に収まった最年少部長の下で働く部下達は皆、今まで如何にその女性部長が素晴らしい寛大な上司だったのかと痛感せずにはいられなかったようだ。女性部長と大して年の違わない直属の上司は、嫉妬もあって常に彼女の事を陰で口汚くこき下ろしていたものだが、掌を返したように昔を懐かしむようになった。

 俺達に丸投げして何もやってなかったお前がソレを言うなよ!と部下である俺達は盛大にツッコミを入れたくなったが、それ以上に新しい部長にカチンと来ていたから飲み会の槍玉に上がるのはエリート銀縁眼鏡のみだ。最初から口だけは達者な実力の無い直属の上司なんて、相手にはしていない。




『言い方ってもんがあるだろう?』

『そうだ!幾ら正しい事だとしてもあんな風に皆の目の前で小さな打ち間違いを指摘するなんて。桂沢部長だったら、あんな言い方絶対しなかったよな』

『むかつくよな』

『まぁまぁ……あの人『エリート』だからさ!昇進で肩に力が入っちゃってるんだよ。なんせ敏腕な桂沢部長の後だから、どうしても粗が目立つのは仕方ないんじゃない?やっぱ若いからさ、包容力って言うかそう言うのに欠けてんのよ』

『……だからあの年まで独身なんだろ?なのにちょっと見た目が良いからって騒ぐ女が多くてやんなるよ』

『いや、その情報古いぜ!実はついこの間、結婚したらしいのよ』

『へーあんな奴とぉ~?性格悪いのに良く結婚する気になったよな?やっぱ男は顔か?顔なのか?』

『いや、金だろ。それと権力。出世頭なんだからさ、ほらあの(・・)東常務のお気に入りらしいし』

『うげ、じゃあアイツも出世街道まっしぐら……いつかは重役ってか?!』

『そう言えば銀縁眼鏡のヤツ、年上美女と同棲しているって噂あったよな。その相手と結婚したのか?』

『もしかして不倫じゃねえの?略奪愛!とか。だとしたらずっと独身だったワケも分かるし』

『ウケるわ。正論言って仕事が出来てもプライベートが爛れてるんじゃあ、今時まずいんじゃね?』

『まあ噂が本当かどうか分からんけどさ。確かにあれだけ出世するには、やっぱ結婚する暇なかったっつーのも分からんでもないな。それだけ脇目も振らずに仕事ばっかりだったって事じゃないの?……そう言う人生が楽しいかどうかは別にして、さ』


 フォローするように見せてさり気無く上司を落とす同僚の台詞に頷きながらも、何となく『結婚』に関しては前向きになれずにいる俺は、つい余計な事を口走ってしまった。


『でも『結婚』って男側にとって面倒や責任が増えるだけでメリットは少ないよな。まあ共働きなら金銭的に楽になるかもしれねーけど、子供とか生まれたら結局こっちだけ仕事の負担が増える訳だし?なのに最近は働いていても育児や家事に関わらないと欠陥品みたいに腐されるし?家のことやりゃーやったで、仕事で冷遇されるしさ。損ばっかりじゃん』

『……そんな事言ってさ、お前は同棲中だから良いよな?あんな美人とさ!なぁ、みのりさんと何で結婚しねーの?』


 風間の声が僅かに強張っているのには気が付いていた。けど、だからって外野に何が分かるんだって思ってしまったのは、やはりかなり酔っていたからと言わざるを得ないだろう。


『んーさっき言った通り、なーんか必要性を感じないんだよね。そもそももう家族って言うか空気みたいなもんだし』


 風間は応えなかった。代わりに合の手を入れたのは、さきほど上司を上げつつ腐した佐渡だ。


『出た!モテる男の余裕?!派遣の花井ちゃんからアプローチ受けてたよな?まさか今更乗り換えたいとか思ってないよな?』

『まさか。まぁ、でも……悪い気はしないよな?花井ちゃん可愛いーし、癒されるわ』

『……俺だったら、こんなトコで飲んでないで毎日ソッコーで家に帰るわ』


 風間は俺の目を見ずに呟いた。テーブルに置いたままのハイボールに手を添えたまま、ジッとその水面を睨んでいるように見えた。調子に乗り過ぎたか?とヒヤリとした俺は、慌ててフォローの言葉を探した。重くなり過ぎないようにあくまで軽口を装って。


『別に本気で乗り換える訳じゃねーし。でももうあっちも俺の事空気扱いだぞ?うさぎとか飼い出してさ、俺よりうさぎの方が大事なくらいだし。だからついつい寂しさから若くて可愛い女の子の笑顔に癒しを求めちゃうのよ?』


 とは言えあの子を結婚相手として考えるとか……絶対、無いけどね。みのりとあの派遣の子じゃー比べるべくもない。それこそあの子をうっかり彼女にしちゃったら朝から晩までSNSで連絡して来るだろうし、話も深みが無いって言うか他愛無い話ばかりだし。それにあのタイプはきっと外に飲みに行こうものならアレコレ詮索してくるのが目に見えている。ちょっとの間ちやほやされるくらいなら気分良く過ごせるけれど、実際付き合うとなったら下らない話に付き合い続けるのは鬱陶しいし面倒なこと、この上無い。

 でも遊びならアリかな?……なんて想像くらいはするけど、結局俺は真面目って言うか小心な所もあって、それを実行に移すなんて事にはならないだろうとも思う。何だかんだ言って、一緒に暮らせるみのりとはそれだけ相性が良いって事なんだよな。


 と言う本心は、照れもあって言葉にする事は出来なかった。それが風間の怒りに油を注ぐ事になってしまったかもしれない。


『くそっ。いらねーなら俺にくれよ!あんな綺麗な女の人に家事やって貰って一緒に暮らしてさ。不満があるなんておかしいよ!』


 風間に吐き出すようにぶつけられた俺は思わずカチンと来て、敢えて諭すようにゆっくりと返答した。未だに俺を見ないままの風間に苛立ちが募らせていたと言うのも、ある。


『お前はアイツの表面のお綺麗な所しか知らないから夢見てるかもしれないけど……女って色々面倒なもんだぜ?結構細かいし煩いし。毎日顔突き合わせていれば、そんな夢みたいな事ばっかり言えねぇんだよ』

『……なんだと』

『ま、まーまー!そんな事より俺達の懸案事項はアイツだろ?銀縁眼鏡の亀田!大して年も違わねーのに偉そうにさ。支店ここには支店のやり方があるってのに!桂沢部長と俺達で長年培ってきたやり方をさ、あんな野郎に滅茶苦茶にされてたまっかよ?』


 一触即発と言った雰囲気を纏っていた風間が、あからさまに肩の力を抜くのが分かった。いつの間にかヤツの目には俺しか映っていなかったのかもしれない。まるで目が覚めた、とでもいうように大きく息を吐いてグラスの中味を飲み干した。

 俺も俺で、何だか嫌な雰囲気を作ってしまったと言う気まずさを抱えてしまい。……その日はあまりスッキリせずに飲み会は解散、となったのだった。







 突っかかって来た風間に何故かついムキになって対抗してしまった。普段ならスルーできたのに……最近みのりの雰囲気が、何か張り詰めているような気がして居心地が悪く、疲れが取れない所に追い討ちを掛けるように言われたものだからカチンと来てしまったのだ。


 みのりとは知合いの知合いが何となく集まった飲み会で出合った。その場所に風間や佐渡もいて、当初風間がみのりに仄かな好意を寄せているのは感じていた。だけどその気負いに気圧されたのか、みのりは飲み会でも結局俺の傍で落ち着く事が多かった。始めはお互い友達に毛が生えたようなものだったが、居心地が好過ぎていつの間にか付き合う事になっていた。それから三年……ああは言ったが結婚するならみのりだろうって気がしている。特に相手として不満はない。だけど俺はまだ二十九歳。本社への異動でもあればそんな話になるかもしれないが、まだまだ結婚する気構えも稼ぎも出来てない。仕事もバタバタしているのに結婚と考えるだけで―――あれやこれや考えると気が重い。


 新しく来た銀縁眼鏡こと亀田部長は地方支店に短期間所属した経験はあるものの、後はずっと本社で活躍して来たエリートだと言う。ほどなく一番ハードだと言われている営業三課に配属され、そのまま最年少課長になってしまったそうだ。俺はと言えば支店に採用になってから、いまだ異動の声も掛からないような取るに足らない存在で。

 本社に引っ張られた同僚の中には忙しくて病気になってしまったり、辛くて辞めてしまう奴もいるって聞く。けど男だったら、やっぱり仕事で評価されたい、必要とされたいって言う欲は幾ら見ない振りを装っていても、やっぱり心の底には沈殿している。

 俺と亀田……何が違うんだろう?いや、いろいろ違うよな。俺はあれだけ商品にも詳しく無いし完璧主義ではない。厳しくもなれないし……いやいや、厳しけりゃいいってもんじゃない。だからアイツはこうやって部下にこき下ろされているんだ。仕事は人間関係が八割だって何かの本で読んだ。コミュニケーション能力が無いバランス感覚に欠けた猪突猛進型じゃ勤まらない。そう、ひと昔前ならいざ知らず……古いんだよ、亀田は。




 思えば『俺って駄目かもしれない』そんな風に考えたくなくて、他人を貶める事で必死にその事実から目を逸らそうとしていたのかもしれない。―――そんなツケが今、回って来たのだろうか。




 二人暮らしの筈のアパートはもぬけの殻だった。

 温度の無い暗い部屋―――いつもならベッドには寝息を立てるみのりが横たわっていた筈なのに。難しい表情をしているみのりと込み入った話をしたくなくて、飲んで帰る事が多くなった。友達の結婚式から帰って来てから、少し変だったとは思う。だから……もしかすると今後の事についてせっつかれるかもしれないと思ったのだ。


 今はタイミングじゃない。まだ支店勤務だし昇進したわけでも無い。新しい部長は分からずやで―――俺は俺の実力をソイツに見せつける事が出来ていない。こんな状態で『結婚』なんて言い出したら、それこそヤツに鼻で笑われるような気がするんだ。『実績を上げてから私生活の事に目を向けろ』なんてな。そんなのはプライドが許さない。だから結婚の話なんか、したくないんだ。


 ちょっとだけ。もう少しこの難局を乗り越えたら、ちゃんと話を聞いても良い。

 それに別に結婚しないって言っている訳じゃない。本当に今はタイミングが悪いんだ。それこそ春になって本店の異動が決まったら、指輪を買ってプロポーズくらいしたって良いとは思っているんだ。




 そんな風に逃げ回っていた俺を置いて―――みのりは出て行ってしまったのだった。


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