4-2.見た目は美少女、中身は腹黒
ようやく長いお祈りの時間が終わり、周囲の人たちが次々に立ち上がって退出していきます。この後すぐに仕事だからと飛んでいったキルル先輩のようにさっさと出て行く人もいれば、知り合いの方と少し談笑してまだ神殿に残っている感じの人もあり。
神官たちは儀式が終わると一列になってしずしずと出て行きましたが、私は一応辺りを見回して再度確認します。と、ちょうどお姉さまが前の方ですうっと立ち上がったのが見えて、私も横の駄犬二号と親友に一言声をかけてから彼女の所へ行こうとします。
「お姉さま――」
私がその言葉を言おうと口を開いたまさに瞬間、割り込むように誰かの声が響きました。
「お待ちなさって、お姉さま」
途端にどこか緩んでいた空気がはっと引き締まるのを感じますが、その一瞬後には女性たちの押し殺した悲鳴とともに色めきだす。
上から降ってきて――いや、本当に文字通り上から降ってきた。あそこにある二階の窓から飛び降りたのか、こいつ!?――着地も軽やかにパタパタと駆け込んで来た人物に、呼びかけられたらしいお姉さまが足を止めるとふっと目を細めました。
「……あなたは、確か」
「あら、これは失礼いたしました。もう何度もお姿を見ているから、つい」
彼女――じゃない、彼はやけに高く響く声で笑ってから、両手を胸に当てて会釈する神官式の挨拶をお姉さまに致します。神官でなければ服の裾をつまんでお辞儀してもまったく違和感なかったでしょう。結構な運動をその直前にしていたはずだけどあまりそうは見えない。青紫色のおさげが動きに合わせて揺れました。
「正式には初めましてでしょうか、侍女長シアーデラ様。わたし、タルトレット=レヴァンドラと申します。こちらの神殿の神官を務めさせていただいています。以後お見知りおきを」
「そう。では、レヴァンドラ様――」
「嫌ですわお姉さま。どうぞお気軽にタルトとお呼びください」
「……レヴァンドラ様」
わあい、この空気どうしてくれようか!
早くもツンモードに入ったお姉さまと、それでも全然めげた様子なくニコニコ笑うタルトレットの間に何か見えない火花みたいのが見えた気がする。
「わたくしには妹が一人おりますが、弟はおりませんのよ」
「まあ? 女学校では後輩は先輩をそのようにお呼びすると聞きましたが」
「あなたは神官であって女学生ではありませんでしょう」
「お慕い申し上げているだけでしたのに。いけませんか?」
ちょ、ちょっと待って私完全に出遅れた! でもなんか、入るタイミングがわからん!
タルトレットの甘えるような言葉に早くも観衆のご婦人方が騒ぎ始めていますが、そこはやっぱりお姉さま。常人なら(たとえ本性を知っていてもつい)反射的にいいよと言ってしまいそうになりそうなところを、余裕を持った冷たい無言の笑顔ではっきりと自分の意志を表明していらっしゃいます。
曰く、あなた様ごときがわたくしの妹を名乗らないでくださいませ、鬱陶しい。
ああん、勝手に脳内アテレコしたけど、なんだかんだツンモードも痺れます、お姉さま! 一生ついていきます!
タルトはしばらく無邪気な子どもの顔できょとんとしてましたが、ふっと目を細めます。
「なるほど。わかりました、スフェリアーダ様」
そして彼は少しだけ声の調子を下げ、そう言ってみせたのでした。
勝った、お姉さまが勝った! さすがお姉さま! タルトのチャーム攻撃を全然ものともしてないや!
お姉さまは相手が一歩引いたからでしょうか、見ず知らずの口もききたくない人から一応喋るつもりではある人に対する態度へと雰囲気を少々改め、目の前の問題児にゆっくり広げた扇子の下から一つため息をつきます。
「それで、本日は一体どのようなご用件でしょうか」
「ああ、もしかして急だったから驚いちゃいました? ご無礼を申し訳ございません。ですが、なかなか他に機会を見つけられなかったもので」
私の優れた地獄耳は、タルトが照れたようなしぐさで頬を押さえながら言った直後にものすごく低い声で発した早口を聞き逃しませんでした。
「と言うか、接点がなかったから作りに来たんだし」
しかしそれはほんの一瞬の幻、次の瞬間にはずずいとお姉さまに近づき、小動物よろしく下から上にくりくりと大きな目を瞬かせてアピールをしているのです。とても同一人物の発言とは思えない。
「わたし、前からずーっとずーっと、お話ししたいと思っていましたの。でもなかなか神殿にはいらしてくれないですし、ようやく来たかと思えばさっさと帰ってしまう。だから今日はちょっと強引でしたけど、お誘いしようと思って。こうでもしなければ取り付く島がないんですもの」
「お誘いですって?」
タルトが近づくと、お姉さまがその分だけ少し下がる。やーいやーいバーカバーカ、わかりやすく嫌われやがって、そのままめげていなくなればいいのに! いなくなってくださいお願いします!
でも腹黒はこの程度の拒絶ではやる気を失わないようでした。よく響く中性的な声を効果的に響かせます。
「今度の休日はわたしが聖句の当番ですの。だからぜひともスフェリアーダ様に聞きに来ていただきたくて」
そして静まり返る場。
……ぶちっ。同時に何かが私の中で切れる音がした。たぶん血管。
もうここまでの間に十分イラッと来てたんですけど、頑張って冷静に対処冷静に対処、猪突猛進よくないと言い聞かせていた私の良心の努力が泡と消えました。
はい、今の地雷。
一瞬で頭が沸騰し、私の身体は前に飛び出していました。
「ちょっとっ、黙って聞いてれば、さっきからなんなんですかあなたは!」
電光石火で歩み寄り、ビシッと指をつきつければ、「おおっ、やっぱり病的姉偏愛者が飛んできたぞ!」「あの子何、タルト様に生意気!」「シッ、今の彼女は暴れ馬よ。蹴られるから近寄っちゃダメ」「なんだまた仔馬か」と後ろがどよめきます。
オール、無視! こっちにだって色々都合があるんじゃ!
私の登場にお姉さまは何とも言えないお顔を、タルトは少しだけ目を見開いてからすうっと細めます。
――な、なんだ一瞬ぞわっとした! でも、めげない。さっきの発言のせいで守護天使的危険信号が黄色から完全赤に行った。貴様は有罪だ、タルト。今日はいい天気ですね、ぐらいだったらまだ情状酌量の余地があったけど、あいつがさっき言ったのって要するに前世風に翻訳すれば、「今度の日曜日にライブやるから来てよ! チケットもあげるね遠慮はいらないぜ(押し売り)」ってそう言う事だから。黙っていられるわけねーだろ!
私が仁王立ちで肩を怒らせ唸っていると、タルトは少しだけお姉さまから身を離してこちらに向き直りました。
「あなたはアデラリード様と仰いましたっけ」
「そうです、急に現れた似非妹とは違うんです、私がリアル妹です。初めましてレヴァンドラ様。と言うわけで、挨拶は済みましたのでこちらの用事を済ませますね。さっきからあなた、お姉さまに馴れ馴れしいんですよ! と言うかお姉さまって呼ぶな!」
「アディ」
控えめにお姉さまが声を上げましたが、大分頭に血が上ってる今私の勢いは止まりません。
背後で「また始まったぞ」とか、「いや、これは面白くなってきたな」とか野次馬たちが盛り上がっているけれど気にしない。
「どうしましょう、ちょうどキルル様が行ってしまった後にこんなことになるなんて」
「義姉ちゃん、そんな心配しなくて大丈夫だって。本当に喧嘩になりそうだったら責任持って俺が取り押さえるからさ」
「あの、ウルル様。私の方が年下です……」
「兄貴の嫁なんだから義姉ちゃんでいいじゃん」
……なんか駄犬弟と親友の会話もその中に交ざってたけど。後だ後、この騒ぎが収まってから突っ込みにいけばいい。
しかし周囲はともかく、私の吠え声に肝心のタルトはけろりとした様子、そよ風が吹いているわねみたいな雰囲気を崩しません。
「まあ、ご気分を害してしまったのなら申し訳ございません! お許しくださいな、そんなつもりではなかったの。まさか、栗毛の仔馬と名高いアデラリード様がそのように繊細なお心の持ち主でいらしたとはつゆ知らず」
口元に手を添え、しなっと身体をくねらせて美少女(に見えるだけで中身は男)は目を潤ませます。
事前情報がなくたってわかる。絶対こいつ演技だ! なのになんで後ろの野次馬から歓声上がってるんだよ、あなたたちの目は節穴か!? 今どう聞いても可愛い声の中に毒が隠しきれてなかったじゃん!
「常々噂でうかがっていましたが、大層仲のよろしいご姉妹でいらっしゃるのね」
少しだけ背後に気を取られていた間に、まああの憎たらしい口が回ること回ること。お姉さまが落ち着きなさいオーラを横で出してなかったら、今すぐにでもそこの冷たい床に押し倒してやってるのに! 関節技的な意味で!
「そうそう、アデラリード様はお姉さまよりは神殿に何度かいらしてくださいましたよね。ほら、書官長のガールシード卿と一緒に」
がるるるる、といよいよ前傾姿勢になっていた私はタルトがパンと両手を叩き、何やら意味深な微笑みを浮かべて放った言葉にピタッと戦闘に備えていた身体の動きが止まります。
タルトの出したキーワードと、光るターコイズブルーに沸騰した身体のどこかが冷える。
まさか。いや、そんな。
落ち着けアデラリード。なあに、少し索敵が足りていなかっただけだ。私たちから見えない位置にタルトがいたとか、きっとそんなことだったんだろう。でなければ仲間の神官連中から伝え聞いたか。
タルトは先ほどとは違い、野次馬には聞こえないような抑えめのボリュームでどこか質量を持った言葉を投げかけてきます。
「――ねえ。あの時は随分と、面白いことをなさっていたじゃあございませんか」
いやいやアデラリード。これはきっとあれだ。単なる偶然の一致なんだよきっと。意味深に聞こえるのは主に私のせいであって、タルトは別にきっと私たちが小突き合っていた(と言うか私が一方に小突いていた)様子のことを言っていて。ビークールビークール、落ち着け私。
一生懸命自分に言い聞かせながらうまい返し方を考えている間に、タルトレットは一際笑みを深めるとふっと一際声のトーンを低くして、私に囁きかけます。
「あの日はとても珍しい白い鳥が神殿の中を飛んでいたから、印象深くって。よーく、覚えていますのよ」
そしておしまいには、二人の秘密ね、とでもいうようにウインクして見せたのでした。
……。
無邪気な笑顔が飛んでくるのでこちらも無邪気な笑顔を取り繕ってとりあえず返しておく。
あらあらうふふ、ふふふふふ……。
おい、冗談に出来ないほど真黒じゃないか、どういうことだ!
いや、真黒なのは知ってたけど、想定以上に黒いと言うか、なんでよりにもよって、よりにもよって、こいつに! その情報が!
と言うか知ってるのか? やっぱりこれは知ってるって事? お前の師匠うちの神域荒らしてたよな、ああん? ってそう言うアレ? それとも全部は知らないけど鎌をかけてる?
――ダメだ、こちらのあっちに対する情報が足りない。この場では何も断定できない!
わなわな震えている間に、どこか勝ち誇った顔のタルトが再び私たち姉妹を見つめながらころころと声を張り上げます。
「そうだわ。わたし、アデラリード様ともお知り合いになりたいと前から思ってましたのよ。仲良くできそうですもの」
どういう意味で!? と出そうになった言葉をすんでのところで飲み込む。
もうなんでだろう、蛇に締め上げられてるネズミの図がさっきから頭の中をぐるぐる回ってるんだけどどうしよう! な、なんか言わなくちゃいけないけど、さっきのあれで完全思考回路がショートさせられた!
その時今まで静観なさっていたお姉さまがすっと私の前に進み、もうなんか笑顔が黒にしか見えない神官と向き合います。
私を前にしていた時より、タルトレットはさりげなく身構えたようでした。
彼だけでなく、後ろの野次馬たちもいつの間にかわいわいがやがやがすっかり収まってお姉さまの次の言葉を聞こうとしています。
彼女が、ゆっくり唇を開けて――。
「レヴァンドラ!」
けれどその前に、別の人の声で場の緊張は破られたのでした。
はっと声のした方を見れば、神殿の奥の方から一人の神官様が歩いてきています。……あれは、どう見ても怒っているな。さっきの声も怒鳴りつけるような感じだったし。
と、タルトがんべっと舌を出し、肩を竦めました。
「あら、いっけない。時間切れかあ」
ふわりと彼の動きに合わせてゆったりした神官服の裾が広がる。おそらく彼の先輩であろう神官は不良の後輩を捕まえようとしたようですが、その横を巧みに彼がすり抜けたため、バランスを崩してしまいます。その間にタルトは神殿の奥の方まで駆けていくと、くるっと一回転して優雅に腰を折り、それから私たちの方に大きく手を振りました。
「では皆様、お騒がせして申し訳ございませんでした。このお詫びは次の休日に、誠心誠意務めさせていただきますので。スフェリアーダ様、アデラリード様、次の休日ですからね。姉妹で神殿まで絶対にいらしてくださいね。タルトとの約束ですよ。わたし、お二人の事、お待ちしておりますから!」
その場の全員にしっかり聞こえるような声で呼びかけてからとどめの愛想笑顔を振りまき、再びふわっと身を翻して駆けていく。その後を、「待ちなさい!」と先輩神官が追いかけていきました。
しばらくの間、神殿は静かでした。徐々に徐々に、人々の声でその静けさは乱れる。
さすがに大声でわめき散らす人はいませんでしたが、誰もが興奮したように囁き交わしながら、私達の方にちらりちらりと視線を投げかけてくる。
私はタルトが消えていった方を向いたまま呆然としていましたが、はっと振り返る。お姉さまは静かに考え事をしていらっしゃったようですが、私の視線に気が付くとにっこり微笑みます。
「……びっくりしたわね」
私は何かを言おうとして、結局ぎゅっと口を引き結びました。
――完全に、してやられた。
私の頭の中はその思いでいっぱいでした。
爪が掌に食い込むほど拳を握りしめながら、「帰りましょうか」と優しくかけられた声にかろうじて頷いたのでした。




