幕間 あなたは誰 後編
以前も彼女は同じ質問をした。
違うのは、前回は本人の独り言に終わったが、今度は明確にリオスの答えを待ち続けているところだろう。
沈黙を経て、リオスは乾いた唇を一度舐めた。
「……朕が、リオスじゃない?」
確認のような質問のような言葉に、スフェリは静かに言う。
「あなたがもし、わたくしの知っているリオスドレイクなら――」
彼女は一度言いよどんで、ふっと視線を逸らした。
「あの時。わたくしが弱っている間に何もしなかったのは、おかしい」
「何もしなかった」
おうむ返しに呟いた後、彼はついうっかり閉めておくべきだった口のチャックを忘れた。
「朕、君が気絶してる間に着替えさせたけど。コルセット剥いたけど。つーか上裸にしたんだけど」
気が抜けたからだろうか。心の中でとどめるはずだった言葉はするすると喉から舌へ、そして空気を伝ってもれなくスフェリの元に届く。
空気が変わった。具体的に言うと、冷たくなっている。比喩でなく。室内にビシビシと音を立てながら氷が発生し始めていた。家具がみるみるうちに凍っていく。
すうっと黒い瞳が細まり、剣呑な光を宿し始める。すっと彼女の片手にどこからともなく扇子が出てきて収まった。さながら構えられた武器のように。
「やはり、あなたでしたか」
「……おや?」
「ええ、そうでしょうとも。服は変わっていたのにサウィンもジェスカも覚えがないと言うのですから」
失言に気が付いた国王はとりあえず困った時の外交的爽やかスマイルで乗り切ろうとする。
あとさりげなく自分の周りは凍らないように防御術も展開する。
「えっと、スフェリさん? ほら、無意識の間に朕を撃退して、自力で帰って自分で着替えたのかもしれないよ?」
「不可能です。そして仮にそのような事があったなら、あなたの態度はもっと異なったものになっているはず」
しかし相手はスフェリアーダ、カウンターに目が笑っていない口角だけ皮肉げにつりあげた笑顔を貰ってリオスの表情が軽くひきつる。
「状況からして第一容疑者、いえ、犯人はおのずと絞られますわよね」
「怒ってる? ああやっぱ怒る? そっかあ、あっはっは――」
笑いで適当にごまかせないことを確かめると、一度深呼吸してから、王は待て、と言うように両手を前に出した。
「よしわかった。落ち着いて話をしよう。被告人には弁護の権利がある。そうは思わないかね」
「どうぞ」
「わあなんて冷たい声――いや、なんでも」
裁判官、あるいは検察官と言ったところだろうか。公正に判断してくれるかはともかく、一応聞いてくれる意思はあるらしい。
ただし声音からして情状酌量が認められる望みは相当薄い。
それでも男には、男にはやらなければならない時がある!
リオスの無駄な抵抗が始まった。
「……ごほん。コルセットってほら、ぎゅって内臓圧迫してね、具合悪い人にはよくない装備じゃないですか。と言うわけで、正当医療行為だ。感謝されこそすれ怒られる筋合いはないと思わないか」
「部屋まで運んくださったことには一応感謝いたしますわ。ですが、それからメイドを呼ばなかったのはなぜでしょう」
「……あ、そうだ。ほら、服従の契約の印を見られる可能性があったから。まずいじゃんそれは」
「魔術の素養も知識もない者達です。見たところで意味を理解できません。第一、仮にそこで問題が発生したところで、あなたもわたくしもその程度の隠蔽工作は簡単にできるでしょう。ところで本気で真面目に自己弁護するおつもりでしたら、思い付きで適当に答えることはやめて頂きたいのですが」
空中の羽虫をぴしゃぴしゃと叩き落とすかのようにスフェリアーダの言葉は鋭い。淡々と、静かに怒りを表明している。
怒りの程度は視覚的な情報でも確認できる。室内の家具はもはやそのほとんどが氷のオブジェになりかけていた。リオスの周辺数メートルだけが原型をとどめている。
なるほどここが死地か。
彼は早くも諦めた。もともと自覚のある無駄な抵抗である。
さながら探偵に崖に追い詰められた犯人のごとき雰囲気が周囲に漂う。実際犯人なわけだが。となればこれから始まることは一つ。
窮鼠猫を噛み、追い詰められた変態は悟りに至る。諦めたのはそう、自らを少しでもかっこよく見せようとする美意識。人間ありのままが素晴らしいのだと前世のヒットソングでも言ってた気がする。ゆえに。
「だってメイド呼んだら朕、確実に部屋から追い出されるじゃん。着替え見られないじゃん」
彼は一切の望みを捨て、露出プレイもとい自爆芸に走った。
「当たり前です!」
もちろん、反応は手厳しい。だがその程度で勢いは止まらない。
「そしたら医療行為と言う大義名分のもとのラッキースケベができないじゃん。それは困る。実に困るよ、君」
「何を言いだすのです!? そしてやはり下心があったのではございませんか!」
「あるに決まってんだろ! 朕はなあっ、谷間のある美乳が大好きなんだよっ、悪いかっ!」
「誰もあなたの性癖なんか、聞いておりませんわ!」
今夜は月が綺麗だ。男の力のこもった野太い叫び声が美しい冬空によく響く。そのほとばしる情熱は周囲の氷を早くも融かしていく。
ドン引きさせていると言った方が正しいかもしれない。
「だが安心しろ、何も問題ない。服は剥いだが、かつてないほど紳士的だったことを保証する」
「気絶している未婚女性の服を剥ぐことのどこが紳士的なのですか!?」
「逆に考えるんだ、それ以上は何もしてない。はい紳士証明終了」
「あなたって、人は――」
「あと言わせてもらえば、朕の前でうっかり気絶した誰かさんも、非があるとまではもちろん言わないが、まあ仕方ない状況だったとは思わないかね。膳が出されたら静かに食らうのが漢だ。チャンスがあったら突っ込むのが漢だ。脳は偉大だが、下半身には逆らえない。そういう生き物なんだ、諦めてくれ」
「なんという、こと……」
形勢はゲスの暴露戦法により逆転した。
あまりに清々しい屑っぷり(しかもこの間真顔なのである)に、さすがのスフェリアーダもとうとう言葉が続かなくなったらしい。絶句した後、めまいを覚えてふっと両手でこめかみを押さえる。
「大丈夫? 頭痛が痛い?」
言いたいことを一方的に言い終わった王はやけにすっきりした顔をしている。
「……最低、です」
「自覚はある」
「最低のさらに下です!」
「反省はしている。悔いはあまりない」
「ケダモノ」
「褒め言葉かな?」
「……」
相手が全然罵られても堪えていない、むしろ心なしか喜んでいる風を見せているので、少しずつ落ち着いてきた彼女は一度黙ってゆっくり、割と一生懸命考えてから罵りなおした。
「……変態!」
「ありがとうございます!」
どうやら逆効果だったようだ。なぜならリオスはマゾを内包するサドだからである。真の変態は常に二面性を隠し持つ。
と言うのは冗談にしても、彼にとって一番キツいであろう反応はもちろん無視、ノーリアクションである。何か反応された時点でもれなくすべて行動強化の報酬となる。どうやらスフェリアーダには未だにその辺のことが理解しきれていないらしい。あるいは敵の不意打ちが成功して、うまく考えがまとまりきっていなかったのかもしれない。
それでも戦略的撤退を選ばないのは、たぐいまれな勇気と懐の深さゆえか、単に意地っ張りが過ぎるのか、それともやっぱりあの妹にしてこの姉あり、うっかりの遺伝子からは逃れられないのか。
ともあれ、スフェリアーダは時間を置くと気を取り直して王に向き直ったようだ。室内の氷はすっかり融けて、と言うよりはどこかに消え去っていた。二人が最初に来た時の状態に戻っている。さすがにずぶ濡れの大惨事にすると後が面倒だから、どちらかがなんとかしたのだろう。
そんなことよりも注目するべきは一点変わった室内の配置だ。つまり二者の距離である。明らかに、スフェリはリオスから遠ざかっている。
「なんか遠くない?」
彼女の中で、厄介な頭の回る馬鹿から救いようのない変態に見事昇格されたリオスが、部屋の対角線の隅に位置する二人の関係図に思わず声をかけるも、納得のスルー対応である。
「……でも、だとしたらなおさらおかしいわ」
「何が?」
さすがに遠くて会話がしにくいとでも感じたのか、リオスがさりげなく窓から離れた。同時にスフェリもさりげなくじりじりと横に移動する。二人の間のテーブルを中心にするようにして、円の直径の両端の位置をキープしている。あわよくば近づきたいと、できる限り近づきたくない。直径の長さはちょうど二つの心の平衡点のようだった。
「服を脱がせたんですよね?」
「うん。着替えさせたの朕だから」
「それ以上は、何も?」
リオスが止まると、スフェリも止まる。エメラルド色の光と漆黒が交錯し、絡み合う。
「……それとも、してほしかった?」
「…………」
「だと思ったよ」
彼女の表情を見て、彼はふっと笑う。どこか寂しげに見えたのはきっと目の錯覚だろう。
「朕に寝てる奴に襲い掛かる趣味はないし、まして無理矢理はしない主義なんで。屑には屑なりの仁義があるんですよ」
彼が背後の壁にもたれかかって笑い交じりに言うのを、彼女はじっと聞いている。
「だけど、お前の知ってるリオスはそうじゃないのか」
再び空気が緊張する。目を逸らしてはじっと見つめてを交互に繰り返すスフェリだったが、今は彼の顔を見ようとしない。
「……ええ」
「どうしてそれを知っている。やっぱり前世の知識って奴なのか」
じっと注意深く相手を観察しながらリオスはゆっくりと言葉を発す。彼女は左手で握り右手で先端を受け止めるようにして扇子を持ち、その両手に視線を落としている。長い睫の下の瞳が揺れていた。
「リオス様にはそれがあるのですか」
「ある。朕だけじゃない。アデラリードにもだ。あいつは昔お前にそれを話そうとして止められた。……そんなことを話していた」
聞き流しているのなら、つまらなそうに手遊びをしているはずだ。それが彼女の癖なのかサインなのかは知らないが、今までの経験でそうと知っている。
扇子はかたく握りしめられたままだった。
「……お前はどうなんだ」
一拍おいてから、彼女はかぶりを振る。少し眉根を寄せて視線を落としたまま。
「……なおさらわからない。腑に落ちません」
「何が?」
「もしもあなたがそうだと言うのなら。覚えていないのはなぜ?」
すっと下ろされていた視線が上がる。だがリオスは反応ができなかった。覚えていない? 彼が考えている間にも彼女の言葉は続く。
「……あなたはわたくしと違う。アデラリードもそう。ほら、そうやって首を傾げる、戸惑う。心当たりがない証拠なのでしょう。だったらどうして転生だなんて言葉が出てくるの?」
それはリオスでない、と言われた時の彼の応答に似ていた。自分の思考をまとめるための独り言のような、目の前の相手に対する問いかけのような。
「それに――あなたはあなたではない。けれど確かにあなたであることもある。それは一体――」
ガシャン、と急に何かが割れる音が響いた。半分ほど夢心地のように小さな声を続けていたスフェリアーダははっとする。
音源はリオスだ。今の今まで手に持っていた晩酌用の杯を落っことしたらしいが、そっちは割れていない。どうも家具に彼の身体が当たって、その上の物を落っことしたらしかった。
「リオス様?」
どうも様子がおかしい。男は壁にもたれかかり、両手で顔を覆うようにしている。スフェリは少々迷ってから、一歩足を踏み出して声をかけようとした。
「どうかなさいましたか――」
「来るな!」
瞬間、鋭い声が飛ぶ。はっとしたように止まるスフェリの前で、男は顔を、頭を掻きむしるようにして呻いている。
「――ああくっそ、ここ最近全然来なかったのに!」
顔をこわばらせたまま硬直している彼女に、リオスは荒い息の下から呼びかける。
「頼む――行け。行ってくれ。まだ間に合う」
「――ですが」
「構うな。……それともまた、嫌な思いをしたいのか」
彼女は一瞬だけ迷うそぶりを見せたが、目が合うと瞬時に何かを悟ったようにはっと息を飲む。口元を引き結んで二、三歩下がる。それから身を翻した。扉が閉まり、出ていく音が遠ざかると同時に、リオスの身体は壁をずり落ちていく。最終的に床に座り込む形になってから、彼はびっしりと汗の浮いた額に掌を当てて自嘲のような笑みを浮かべた。
「……よう、相棒。随分久しぶりに暴れてくれたじゃないか。オレとしちゃ永遠におネンネしててもらって構わなかったわけだが、どういう風の吹き回しなんですかね」
口調はおどけているが顔色はすっかり青ざめている。手はわずかに震えていた。
「――うるさいな。お前がそうやって耳元で喚くからうまくいかないんだっつの。大体お前のせいだよ、わかってんのか」
ぜいぜいと自分の息がうるさいが、もっとうるさいものが耳の奥、頭の中でぐわんぐわんと鳴っている。足音が遠ざかっていくのにつれて多少はマシになったようだが、それでもまだ結構な痛みを伴っていた。
「誰、か。それはオレが聞きたいぐらいだよ、スフェリ」
月はまだ明るかった。ふと彼が脇を見下ろすと、落としたものが目に入る。鏡だ。誰かが置いて行ったのだろうか、顔を確認できる程度の大きさの鏡が落ちていた。ひっくり返すと粉々にはなっていないが、ひびが入っている。構わずに彼はそこを覗き込んだ。
「お前、一体誰なんだ」
鏡にはオレンジの髪、エメラルドの瞳の男が、ひび割れているせいだろうか、歪んで映っている。その目にはぞっとするほど冷たい光が宿り、口元は笑っているようだ。
彼にとってはまったく笑えない状況だと言うのに、その男は確かにこちらを向いて笑っていたのだった。




