3-ep8.進む関係 後編
その後は眼鏡とゼナさんのやり取りを(事情が分かってるがゆえに生温かく)見守ることになりました。
ゼナさんが創作のことがばれて微妙に怒ってたり、まあでもアデルならいいかと開き直って見せてくれたり。
……ちなみにうきうきしながら見せてくれたページが、ちょうどなんか心構えのない時に見ちゃいけない感じのイチャイチャシーンだったもので、中身を把握してから即座に返却しました。なんつーもん書いてるんですかあなたは! 返したら普通のシーンを見せてもらえましたけど。さてはわざとか。からかったな、ゼナさん!
つか眼鏡の奴、同じページを眉ひとつ動かさずに読んでたんだが。そして今にして私は眼鏡が分厚く積み上げていた本の一番上にあった「人体の仕組み」の資料がどう活用されたのか若干理解してしまった気がする。小声でゼナさんが説明してくれるんだけどいろんな衝撃が大きすぎてあまり入ってこない。なんかもう突っ込み疲れたから私休んでもいいですよね。
あとは犬と親友が戯れているのを見てさらに生温かい気分になったりしつつ、その日の午後は過ぎ、すっかり辺りは暗くなりました。皆で片づけをしてから解散になります。
うん。有意義な休日って言うんだろうか、コレ。全然動いてないのになんか疲れたぞ。もうなんか色々お腹いっぱいだよ。眼鏡は今後もよろしくって感じで握手してくるし。
軽めの虚脱状態になりながら、帰っていく眼鏡を見送りゼナさんを見送り、バカップルに目を向けると――なぜか先輩がフィレッタに何事か囁いてから、一人で歩いてくるのです。
「アデル」
「あれ、先輩。フィレッタはいいんですか?」
先輩と離れたフィレッタは何か心得た顔で、笑顔で私に手を振るといなくなってしまいます。首を傾げてそれを見送りながら聞くと、キルル先輩は苦笑します。……おいなんだその意味深っぽい困り顔は。やめなさいよ、なんか無性に不安になるでしょうが。
「なんですか」
「いや、その」
「私に話があるんじゃないですか? ああ、またフィレッタに何か贈り物でもしたいんですか?」
「そうじゃなくて……」
先輩はなんだか物々しくやってきた割には歯切れ悪く、困ったように眉を下げてしどろもどろにどもっています。私は少しだけ待っていましたが、だんだんとはっきりしない態度にイライラして口を開きます。
「何もないなら私これで帰りたいんですけど? フィレッタと久しぶりにゆっくり過ごせて満足したでしょ」
「いや、うん。そうだけど、俺はその、お前にずっと話したいことがあってだな……」
「じゃあ、言えばいいじゃないですか。モナモリスにも似たような事散々言いましたけどね、私は朕だのお姉さまだのうちの師匠だのみたいに人の心を覗けるような術は使えませんよ。黙ってても通じる相手じゃないんです。ちゃんと喋ってもらえないとわかりません」
冷たくぴしゃんと言い放つと、先輩は何事でしょうか、はっとした顔になりました。
「……そうだな。黙ってるだけじゃ、何もわからない。そうだよな」
私の言葉の何かが琴線に触れたとでも言うのでしょうか? 彼がいつになく真剣な、それこそ婚約者を語るときなみに緊張感漂う空気を醸すので、私も半日でろでろ空気に浸ってすっかりたるんでいた身体を引きしめます。
「なあ、アデル」
「やっと本題ですか」
「お前さ」
彼は一度だけ覚悟を決めるように言葉を切り、
「ディガンのこと、どう思ってるんだ」
そんなことを、言いました。
「――デル、アデル! おーいっ! ひょ、ひょっとして話題に出すのもダメなくらい嫌ってるのか!?」
先輩に目の前で手を振られてはっと意識が戻ります。
いや、そうじゃなくて、ね。
「あれか、今でもまだ、顔も見たくない話も聞きたくないとか思ってるのか?」
違うってば。私がフリーズしてるのは、その。
「どうしてあなたの口から彼のことが出てくるんでしょうかね」
ようやくちゃんと口を動かすことができました。声が震えないように、擦れないように、裏返らないように気を付けるけど、ちゃんとできているかはわからない。どこか威圧混じりになってしまうのはもうこの際仕方ないと思う事にする。そこまでの余裕はない。
「それに。顔も見たくない――当人同士しか知らないフレーズだと思うのですが、まるで知っているような口ぶりなのはなぜでしょう」
先輩は私の顔を見て少々狼狽えたようですが、「あー、だよな。んー、どこから話したもんかなー……」と独り言のように発しながら頭を掻きます。少し沈黙してから、ちらちら横目に私を窺いながら言う事には。
「そこはその、ほら。友人のよしみって奴だ。……あいつ最初は捕まえるのも大変だったけどな」
「ゆうじん」
ってなんだったっけ、と私の思考はやけに緩慢にしか動きません。
「あー、うん。まあ、なんだろう。あっちはちょっと微妙なのかもしれんが、少なくとも俺はそう思ってる。……アデル? その、大丈夫か?」
先輩が気づかわしげに覗き込んでこようとします。私はぐつぐつと煮えたぎるだけだった何かがかっとなって弾けるのを感じました。
「大丈夫なわけないでしょ!? なんですか。なんでいきなりぶっこんで来るんですか。お姉さまと仲直りできて眼鏡もなんとかなりそうで完全に油断しきってたところにこれか。落ち着いていられるわけがないじゃないか――」
頭が痛い。本当にやってくれたよ駄犬め。完全に不意打ちだったからクリティカルヒットですよ。
ずっと考えないようにしてたのに。だって考えたって怒りとか悲しみとか強い感情の波がやってきて最終的に虚しくなるだけだし。
それに、喧嘩してた間のお姉さまと一緒。思い出すとどうしても――頼りたくなって、しまう。
だからずっと会わないのをいい事に奥の奥にしまって忘れようとしてたのに。うまく行ってたのに。
こんな形で掘り返されるとは思ってもみなんだ。
「どういうことなのか聞かせて、先輩。なんでこんな、急に……頭がおかしくなりそう」
いきなりの情報が多すぎて混乱しそうだ。なんとか深呼吸を繰り返し、言葉を絞り出す。
先輩は相変わらず眉を下げた表情のまま、ぽつぽつと話し始めます。
「ウルルがさ、前にお前のことすっぱり諦めるって言いに来たことあっただろ?」
「……あったようななかったような」
確かモッさんやらお姉さまのゴタゴタがある前だったな、と私が記憶の意図を手繰っていると、
「あれな。ディガンなんだ」
「え?」
意味が分からなくて思わず間抜けな声が上がる。彼は省略した部分を補うように話をつづけました。
「あいつなんだよ、ウルルの決闘相手。お前あの時三日ぐらい寝こけてたじゃないか。その間にさ、ふらってあいつがやって来たと思ったら……えーとなんつってたっけ。『うちのお嬢様を本気で嫁にしたいならその心と力を見せてみろ。できないなら本人困ってるし邪魔なだけだからすっぱり諦めてくれ』だったかな。そんな感じのことを言ってくるもんだから、ウルルも俄然その気になってさ。知ってるだろ、あいつ挑発に簡単に乗るから。で、なんかその場にいた俺が成り行きで立会人になって、止めようかとも思ったんだが二人とも乗り気だし好きにしてくれってなって、三本勝負になって」
私は口をあんぐり開けたまま先輩の言う事を聞いています。
「……見事なまでのストレート完敗だった。つかお前の従者、えげつないにもほどがあるぞ? 一本目で手首砕いて二発目で極め技ってどんだけ殺意高いんだよ。頑丈なディザーリオじゃなかったら微妙にやばかったからな、あれ。まあ油断してたウルルもウルルだが。ともかく、だからあいつはああやってすっぱり諦められた。お前の従者も倒せないのに資格なしってな。俺もまあ、あれだけ強い従者がいたらそりゃあうちのウルルも霞むって理解し――」
「あの、あの。全然聞いてないんですけど、そんな大事なこと」
色んな思いを込めて強く訴えると、キルル先輩は申し訳なさそうな中に不満げな表情を混ぜます。
「だってあいつ本人がだんまり決めてるし、俺にもアデルだけには言うなって何度も言うし」
私は絶句しそうになる一方で、そうかだからか、と納得していた部分もありました。
思い起こされる昔の記憶の違和感が今にして解消されたと言うか。
「男と男の約束は。あなたそんなこと言って確か前は詳しいこと話しませんでしたよね。どうしたんですか」
「あの時はまだ、こんな状態になってなかっただろ」
こんな状態、に心当たりがあり過ぎる私は思わず黙り込みます。
「前に、俺がお前に花渡したことがあったよな。黄色いバラ。お前が確か姉ちゃんと喧嘩したばっかりですげー落ち込んで鍛錬にも身が入らなかったような時。覚えてるか?」
私はもちろん、とうなずいてからはっと目を見開きます。キルル先輩は頷きました。
「そう。あれもあいつだ。落ち込んでるようだからなんとか慰めてやってくれって渡されてだな。あの時は色々困った。……これも本当は厳重に口止めされてたんだけど」
様子からして、先輩の立案じゃないことはわかりきってた。恋人に贈るならともかく、落ち込んでる友人に花を贈るなんてこの人っぽくないし。てっきりフィレッタの入れ知恵なんだと思ってた。後でありがとう、ってフィレッタに言ったときに「何のこと?」って返されたのは、彼女にうまくとぼけられたんだとばかり。
鈍器で頭を殴られたような感覚に私は茫然とします。
「……まあ、お前らに何があったのかはなんとなくしか聞いてないし、余計なお世話かもしれないけどさ。少なくともあいつはまだお前のことすっごく気にしてると言うか。……だから、許してやってくれないかなって」
自分の身体が震えたのがわかる。握りしめた拳が痛い。
「あいつもさ。俺が何か言おうとすると、『悪いのは自分だ。アデラリード様は何も落ち度はない。自分の自業自得でこうなってるんだから自分には当然の処遇だ』の一点張りで全然聞きやしないんだ。だけど俺は、その、なんて言ったらいいのかな……」
彼は何度も頭を掻きむしる。そうしたいのはこっちだっていうのに、私はうまく身体が動かせない。表情もどうなってるんだかわかったもんじゃない。
「あーだから。俺が聞きたいのは、あいつはどうもお前に許されないことをしたって信じ込んでるらしいが、お前からは仲直りするつもりはないのかって、ことをだな――」
「許されない? 仲直り?」
「うん。姉ちゃんとだって、その……ちゃんと話し合ったら、修復できたんだろ? あいつとも、話を――」
「今更何話せってんですか」
私の低い声に先輩は目を見張ります。
「私は、ちゃんと、話そうとした。それを聞いてもくれなかったのは、ディガンの方じゃないか。悪いのは自分? よくわかってるじゃないですか。勝手に無視して勝手にいなくなって、それで何? ウルルのことだって全然教えてくれなかった。なのに、花? なんなの――」
片手で顔を覆う。頭はひっきりなしにガンガン鳴っている。
「私、あの人のことが全然わからない! わけわかんない! どうしろって言うんですか」
声を荒げる自分に気が付いてはたっと止まると、先輩がやけに優しい声音で私に言います。
「アデル。じゃあ……もし。もしもだぞ。お前が怒ることをあいつがしたんだとしても。あいつにも理由があって、それをお前に説明して、それで許してほしいと思ってるとしたら……話を聞いてやってくれないか?」
黙り込んでいる私の肩に、先輩はそっと手を置きます。
「……あと一回だけ、あいつにチャンスをやってくれないか」
長い長い沈黙の果てに、私は目を閉じて答えます。
「話す意思と話す内容があるのでしたら……聞きます。聞きましょう」
今度こそ、すっかり喉が渇いてしまったせいか、声はしわがれて裏返っていた。
気が早い先輩はその夜のうちに作戦を実行に移すことにしたようです。でも、それがかえって私にはよかったかもしれない。悶々と悩まずにさっさとケリをつけられる。
落ち着かないので木の上で空に足をぶらぶらとさせながら待つ。時間がとても長く感じられました。ようやく中庭にその人が入ってくるのが分かった瞬間、私は先手を打って声を上げます。
「久しぶりですね」
彼は私の声を聞くとぎょっとしたように一度立ち止まりましたが、私がじっと待っているとやがて観念したように歩いてきます。
「……お久しぶりです」
久々に見た侍従服の彼は、前と全く変わらないようにも思えるし、どこかやつれているような気もした。
「とりあえず来てくれた事に感謝します、と言っておきましょうか」
「――いえ」
私は枝の上から少し勢いをつけて飛ぶと地面に降り立ちます。彼は一歩だけ足を引きましたが、それ以上は動こうとしない。私たちの間に沈黙が落ちる。
「……何から話しましょうか。とりあえず、一番最初に教えてほしいんですけど」
彷徨わせていた視線を上げると、懐かしい曇り空が見える。伏し目がちな灰色の目が揺れていた。
「あの時なぜ、私は投げ技をもらわなければならなかったのでしょうね」
そして私が静かに尋ねると、大きくその灰色が揺らいだのでした。




