3-ep7.進む関係 中編
すっかり恐縮している、と言うか縮こまっているゼナさんを前に、眼鏡はやっぱりしかめっ面のまま言うのです。
「……今日ではない。一週間後。資料を持ってきただけ」
「あ、あれ? そうかやっぱりそうだよな。はい、えっと?」
「そ、その、け、けして急かすつもりでは、なく、たっ、たみゃ、たまたまし、資料が、てに、手に入ったので」
あ、今こいつ噛んだぞ。というか自分は冷静ですよ、みたいな顔しておいて超どもりまくりだぞ。
じっと見ると、眼鏡はふっと逸らします。……モアイにも羞恥心はあるのか。ほう?
「でもガールシード卿にわざわざご足労いただくなんて――」
「さ、散歩が趣味だからいいんだ」
「……そうでしたっけ?」
「さ、最近、趣味に、し、した、んだ」
「なるほど」
やけにどもる眼鏡と逆に、普段の調子を取り戻したらしいゼナさんはきりりと澄ました顔で応対していましたが、はっと思いついた感じの顔になって早口で言います。
「あっ、でもちょっと待っててください! できあがった分だけもう持ってきちゃうので! もーすぐに、持ってきますので!」
「ユディエ、そこまでは――」
「いえいえ、わざわざ来ていただいたんですから! ちょっと失礼します、では!」
そう叫ぶように言い捨ててから脱兎のごとく(って表現するんだろうかこれ。逃げていくようではあった)どこかに行ってしまいます。なんか、普段の彼女らしくないと言うか、ちょっとテンパってると言うか。
……まあ、良かろう。都合よく眼鏡と二人きりになれた。
「キルル様、はい、あーん」
「あー――えっ、何それ!?」
「お口を開けてくださらないと食べさせて差し上げられませんわ」
「さ、差し上げたいのか、差し上げたいのならしょうがないな、えっと、こ、こうか――?」
背後からそういう会話が聞こえてこないこともないんだけど、あんな調子だから実質二人きりとカウントしてよかろう。呆れた顔で眺めていると、フィレッタが一瞬こっちに顔を上げてオロオロと私と先輩を見比べる。ちょいちょい、と手を振って「そっちに専念しなさい、いいから」、とジェスチャーしてあげると、パッと顔を輝かせて先輩のおっきな口にお菓子をそそくさと詰め込もうとしています。ああ、孤高の銀牙のなんて情けない顔――。
つーかなんなんだよその「差し上げたいのならしょうがない」ってどういう事なんだよ、私にはさっぱり理解できないよワンさん。通常恋人の蜜月と呼ばれる三か月の期間はとっくに過ぎたはずでしょうに、なんで二人ともますますイチャイチャ具合が悪化してるんですか。これもう新婚なんかになったら周囲が中てられて倒れるんじゃないのか。
……いや、大丈夫だな。今は完全プライベートモードだから二人とも互いにデレデレを隠そうともしないけど、さすがに怖い侍女の皆様の前とかうるさい武官仲間の前とか、さらに怖い人たち(某朕とか某侍女長様とか)の前ではちゃんと自粛してるもんな。
そりゃね。特に某怖い人達と来たら、鶴の一声どころか鶴の一睨みで空気動かしますからね。もうこれ鶴じゃなくて蛇じゃない。いかんいかん、朕はともかくお姉さまにそんな。
まあだから、きっと私は心を許せる友だと認識されているんだろう。そういう風に都合よく解釈しといてやろう。
あと、今はモアイさんの案件について取り組む時だった。
正直あまり触りたくないですけどね。犬の時といい、なんで私こんな役回りばっかりなんだ。まあでもお姉さまから裏付けは取れていて、そしてこの場面への遭遇である。諦めて、やるしかないか。
「モッさん。モッさんや。ちょっとこっちいらっしゃい」
とりあえず、ゼナさんがいなくなってから若干の放心状態に陥っている眼鏡を手招きし、隣の椅子をポンポン叩いて促します。眼鏡は大人しく座ってから、訝しげに眉を寄せました。
「モッさん?」
「あだ名ですが何か」
「……」
「はい、3秒以内に反論の声がなかったので異議なしとみなしますね」
「ず、ずるい」
「文句あるならなんか言いやがれってんですよ。黙ってても何もわかんないんです、この藻草野郎が」
藻草と言われてさすがに眼鏡の顔が引きつったらしいので、私はふんわり営業スマイルを浮かべておきます。
「あ、武官って罵り言葉のレパートリー豊富ですから。試してみますか? いろいろありますよ、あなたのあだ名候補。動けぬモアイ、緑藻ハーモニー、モヤシっ子、今晩のおかずかっこ前菜的な意味でかっことじ――」
「モッさんで、いい」
「平和的解決にご協力いただき誠に感謝いたします」
既にげっそりしているモアイとなんだか調子が出てきた私。脳内で一瞬、「ゲスの道がわかってきたじゃないか、弟弟子よ!」と誰かさんのゲスマイルが浮かんできた気がしますがスルー。お前の相手は一番最後だ。心配しなくても順当にレベルアップを重ねていつかきっちりお礼参りしてやりますので。
私は咳払いしてから、びっと眼鏡に指を突きつけます。
「で、あなたねえ。あれ、どう考えても悪手ですよ? 馬鹿ですか? 書官長なのに頭回らないんですか?」
「……説明を、求める」
さすがにいきなり言われても何のことかわからんらしい。言えと。全部言えと。わかりましたよ。
私は頭を振って、一度だけその辺のバカップルをチラ見してから――。
「美味しいですか?」
「お、おう――おいひい!」
「キルル様、泣いてらっしゃるの? そ、そんなにお嫌だったのですか!?」
「いや、これは嬉しすぎる涙で……くっ」
「まあ……」
よし、あっちは私が制止しないのをいい事に相変わらずいちゃついている。同時にこっちに気を払ってない。多少プライベートにぶっこんでも大丈夫だ。
クリアリングが達成されたところで、いよいよ私は用件を単刀直入に突撃することにしました。
「いやだって、いくらゼナさんに会いたい口実作りだからってあれはない――」
「待て!」
瞬間、今までにない速度の反応が返ってきました。亀がウサギに進化したぞ。こいつ本当に眼鏡か。
私が一瞬だけ驚きつつ、しかし直後にすぐ訳知り顔のニヤニヤ笑い(どこかの誰かそっくりなゲスマイルにはなっていないと、信じたい)に顔が変化するのを感じます。
ほほーう、これは? 似合わぬ裏返りの大声などあげてしまいまして、明らかに動揺していらっしゃいますなあ?
「……てっ、ててて、撤回を求める」
すごいどもってるし。
私は余裕の笑みで答えます。
「言ってください、どうぞ? ご意見お聞きしますから」
「あ、あああ、あい、会いたいから、来ている、わけ、では、ない……断じて」
「ふーん」
「だだだだだ、断じてないっ! ひ、必要があるから……!」
「へー必要。ただね、休日に仕事持ってくるってどういう嫌がらせなんですか? 残業持ち込みとか普通に考えて異常ですからね? そこのところ、ちゃんとわかってます?」
私がさっき眼鏡がゼナさんに渡そうとして、今は机の端っこに置かれている本の束を指さします。途端になぜか眼鏡の視線の泳ぐこと泳ぐこと。
「……あ、あれは。仕事では、は、ない」
「じゃあ、なんなんです?」
「ふっ――ふふふふた、ふた、りの。ひひひみ、ひみちゅ……秘密だ」
あ、ダメだこれ笑いが止まらない。
ごめんなさいお姉さま、最初はあなたのような天使のスマイル(威圧)を目指していたんですが、私が腹黒っぽい笑みを浮かべようとすると小者系ゲス笑い(朕曰く)になるらしく、その域からしばらく抜けられそうにないです。まあでも、当分は雑魚風味のゲスでいいや。眼鏡が私の顔見てドン引きしていることすら楽しい!
「ひみちゅでしゅか」
「……」
「ひみちゅでしたか」
「二回、も、言うな!」
「すみません」
「……馬鹿に、してる、のか」
「あ、わかっちゃいます?」
「性格悪い」
「シアーデラ姉妹がなんとやらと言っていたのは、どこのどなたでしたっけね」
「……根に持ってる、のか」
「キルル先輩が言ってた通りでしょ?」
そこでいったん笑みをひっこめて、私は文官の襟首を両手でひっつかんでぎりぎり締め上げます。
「と言うかあなたまだ、私のこと仔馬だのチワワだの思ってません? 舐めてません? まさかその程度の演技力で私をごまかせるなんて思ってませんよね? 私なら鈍いから大丈夫だと思いました? 違いますからね? 私アホですけど人並みには気づきますからね? 優しさと自己防衛のためにスルーしてるだけですからね? あなたとはコミュ力が違うんですよ? 大体こちとら笑顔で喜怒哀楽を表現してくるお姉さまの守護天使なんですよ? あなたの似非ポーカーフェイスごとき普通に読み取れますよ? その辺わかってるんですか、あん?」
「は、早すぎ、て、聞き取れない、が、すごい舌さばき、だ――ぐえっ」
「あと私学んだんですよ。説得(弁論)が通じないなら説得(物理)しかないんだなって。兄弟子は正しかったんですよ。これが一番手っ取り早いですもん。さあ、観念して貴様の秘密を吐くが良い」
「――ぼっ、暴力、反、対」
「思わせぶりにしといて隠そうとする方が悪いんですよ。仕事じゃないならなんなんですあの書類の束は。あんたいったい何をゼナさんに強いてるんですか。気になって夜しか眠れません、教えてください。返答次第によってはただじゃおきませんよ」
「強いてない、何も強いてない!」
「言いますか?」
「そっ、それは――わかった、わかったから!」
眼鏡が降参のポーズになったので、一度緩めて差し上げます。ちらっとバカップルを見ると、さすがに乱闘の気配には敏感なワンコが少し気にしているそぶりを見せていたのでしっしと追い払う。……口だけ動かしてるけどなんだあれ。
「あ、ま、り、や、り、す、ぎ、る、な、よ」
かな。わかってますって、そのくらい。
……あれ、ビッと親指立ててウインクしたのにあっちの反応が不安げなんですけど。解せぬ。
ともあれ、ぜーはーぜーはー言ってた眼鏡に視線を戻すと、目が合った奴は観念したように息を吐き出します。
「……趣味、だ」
「趣味? どんな?」
「……か」
「はい?」
「笑わないって、誓うか」
「そんなん実際に聞かなきゃわからないじゃないですか。なるべく真剣には聞きますけど、堪え切れなかった場合はもうどうしようもないかと」
「だっ、誰にも言わない、か」
「善処はします」
「……」
「別に黙っててもいいですけどね。でもそれだと私、モッさんのこと誤解してゼナさんにあることないことうっかり喋っちゃうかもなー」
「……悪魔」
眼鏡は「くっ、殺せ!」みたいな顔でこっちを睨んできましたが全然怖くない。
ああ、いけないとわかってても兄弟子プレイが止まらない。結構楽しいぞ、これ。
モナモリスは一度だけ助けを求めるようにキルル先輩の方に目を向けますが、私が同時に邪魔すんな、とモッさんの後ろからささやかな身振りで意志表明すると、しばし迷ってから、すまん、とモッさんにジェスチャーしてフィレッタとのイチャイチャタイムに戻ってしまいます。
見捨てられた眼鏡の哀愁の漂い方が何とも言えない。まあでもあなたより私達の方が付き合い長いですし、あの駄犬なんやかんやあって私に頭上がらないんで。恨むなら作戦ミスしたご自身を恨みなさい、モッさん。
そしてついに、唇を噛みしめ、俯きながらも、彼は白状しました。
「……く」
「はい?」
「創、作」
ピンと来なくてまだ首を傾げていると、半ば投げやりな感じで眼鏡は補足します。
「書いたものをお互いに渡して、読んで、意見を交換して……だから、そういう、趣味だ」
「え、じゃああの辺の難しそうな本って」
「だから、資料と言っただろう」
私は思わずうへえ、と言わずにいられません。何の創作なのかまでは現物を見てないから知りませんが、こりゃ相当ガチだぞ。
「でもなんか前に添削みたいなことしてませんでした?」
「そういう時も、ある」
「モッさんが添削係なんですか?」
ぎゅっと眉をひそめて黙り込む眼鏡ですが、いつの間にか白い肌はすっかり紅潮しています。私は今度こそゲスマイルではなく慈愛の微笑みで言いました。
「ここまで来たんならもう全部喋っちゃいましょうって」
眼鏡はそわそわとあたりを見回し、生温かい眼差しの私とこっちを気にしてない二人組しかこの場にいないと悟ると、ぼそぼそ喋り出しました。
「その……最初は偶然、見つけて」
「ゼナさんが書いてる所でも見たんですか?」
「そう。……何を書いてるのかと、見せてもらって」
「正直におっしゃい」
「……上司権限を使った」
「んなこったろうと思いましたよ、野暮天」
「うっ……まあ、それで、その」
「あー、なるほど。一目ぼれですか?」
「なっ、何の話だ!」
「作品にですよ」
「あ、ああ……それなら、当たらずとも、遠からず。正直、いかにも趣味、素人が書いた感じの、粗だらけだった。が――」
「気になったんですね。ゼナさんは添削なんかされて怒りませんでした?」
彼は私が聞くと、一度黙り込んで、薄紫の目をこっちに向けてきます。
「……嫌がらなかった、んだ。自分が率直に意見を言っても、少しだけ落ち込んだそぶりをしてから、じゃあ、今度はもっとうまくやる、って」
「結構きつい事言ったんでしょ?」
「お世辞にも優しくはなかったと、思う」
「でもへこたれなかった。しかも本当に書き直してきた。それも何度も。違いますか?」
「……アデル」
「魔術なんか使ってませんてば。単なる推測ですよ、推測」
正確に言うと私じゃなくてお姉さまがね! まあでも眼鏡とお姉さまは正直まだ微妙な関係だろうから、彼女の名前はあまり出さないでおこう。私がそう思っていると、モナモリスは感心したような口ぶりになります。
「お前、実は馬鹿じゃなかったりするのか……いたいっ!」
「裏表がないのは美徳かもしれませんが出す言葉は選べってんですよ」
「だ、黙っててもわからないって、言った」
「ああ、そっか。ではこれからもバンバン失言を続けられるといいでしょう。私はそのたびに怒りますから、ちゃんと反省して直してくださいね」
眼鏡は私に足を踏まれて縮こまっていましたが、不意にまじまじとこっちを穴が開く程眺めてきます。
「……アデル」
「はい?」
「お前、やっぱり変な奴なのか?」
「はあ?」
「昔。うまく喋れないぐらいなら、黙っていろと、言われた。人を傷つけることしか言えないなら、何もしゃべるなと。だから、自分は、ずっと――」
ああ、そっか。そう言えば口下手の理由そんなんだったっけ。くだらない。
私は息を吐いてからモアイを睨みつけます。
「最初からうまく喋れる人もいないとはいいませんけどね。大抵は、何度も失敗を繰り返して学んでいくんですよ。あなたの大好きなお勉強と一緒です。もともと喋れないのに黙ってたら、いつまでも喋れないままに決まってるじゃないですか、アホくさ」
「だ、だけど。喋るのは、失敗したら、相手が傷つく――」
私がばん、と机をたたくとモアイは若干驚いた表情になります。
「モッさん。確認しておきたいんですけど、私達、お友達になったんですよね?」
「……そう」
「言ったはずです。あなたは好きに喋ればいい。それで気に入らないことがあったら私はいつでも怒ります。あなたも私が怒ったことにびくつくだけじゃなくて反論していい。時々それは喧嘩になるかもしれない」
身体に思わず大きく力が入っていたことに気が付き、私は頭を振って緩めます。
「だけどそれでいいんですよ。で、それが友達ってものです。それにね。私がただやられっぱなしで終わる奴に見えますか? 心配しなくちゃいけないのはむしろあなたの方だと思いますよ」
彼は私を何とも言えない顔で眺めていましたが、ふっとその顔が緩んで。
「そう、だな」
初めて見るかもしれない、自然で柔らかな微笑みを浮かべて見せたのでした。
私達の空気がどこか今までより軟化してから、そわそわと眼鏡が距離を詰めて囁いてきます。
「ところでアデル」
「なんです」
「と、友達は、その、そ、相談など」
「恋愛ですか。まあ仕方ないのでお聞きしましょう」
「違う!」
「違うんですか」
「……違うと、思う」
「ゼナさんのこと、気にはなってるんですよね?」
「……多分」
「ゼナさんとは今、友達なんですか?」
「……上司と、部下?」
「なるほどね。それじゃ無難に、まずはお友達作戦から行ってみましょうか」
「と、友達」
「何か文句あるんですか」
「な、なっていいのだろう、か。ユディエと、その、友達に?」
……。
あーこれあれですか。まだ確定はしてないんだけどなんか接近はしたい的なそういう微妙なお年頃ですか。芽生え始め的な。
うわ、面倒になりそう。犬の時も大概だったけど、こっちもこっちで時間かかりそうだな。今回は恋愛のプロ(笑)がいないし。
まあでも、なんとかなるだろう。
私はようやくと言うべきかもうと言うべきか、紙束を両手に帰ってきたゼナさんの顔が、心なしか随分と晴れやかなのを見てそんなことを思います。
しばらくお留守になっていたお菓子に手を伸ばすと紅茶に浸してから口の中に放りこんでみます。ほんのわずかに甘くしっとりとした味が、舌の上に広がっていきました。




