3-11.いっちょ、かましてやりましょう!
黄昏時の湖のほとりに、私は一人で座り込んできました。西日は普段青い水面を赤く燃やし、じっと待っていればやがて空は紫へ、そして濃紺へと染まっていくのでしょう。
私は湖畔の石を選んで拾うと、おもむろに振りかぶります。ひゅんひゅんっと、私の手から放たれたそれは水を切り、何度か跳ねてからぽちゃんと赤の中に沈む。三度くらいゆっくり緩慢にそれを繰り返してから、ふと振り返りました。
西日の中に浮かぶシルエット。少し前にやってきたらしいその人の姿はちょうど逆光になっていますが、誰かはすぐにわかりました。
「……いらっしゃいましたか」
彼は直前までどこか迷うような仕草でフラフラとしていましたが、私に見つけられると覚悟を決めたように、ゆっくりと、まっすぐ歩いてきます。
「結論は出ましたか?」
立ち止まったところでこちらが尋ねると、逆光の中でも相変わらずの仏頂面が答えます。
「正直な事を言うと、君の話を信じていいのかまだわからない。……むしろ、信じられない」
「まあ、当然のことでしょうね」
「君の話はあまりにも……自分の常識とずれている」
「ええ。むしろ信じられないのが普通、当然の事でしょうね」
苦笑しながら言うと、眼鏡はゆっくりと首を振ります。
「だけど君は……スフェリアーダとは、違った。だから……」
彼との会話に少しずつ慣れてきている私が黙って続きを待っていると、考えをまとめながらでしょうか。一度緊張で乾いた唇を舐めてから、モナモリスはゆっくりと言葉を紡ぎます。
「話すのは苦手だ。でも、話しかけてくる人間が嘘をついているのかは……それなりに、わかる……つもりだ。君は、自分に嘘をついていない。その――」
「お姉さまと違って、ですか」
そっと省略された、彼が言いよどんだらしい部分を汲み取って確認がてら聞くと、モナモリスは無表情のまま頷きます。前髪の隙間、額にうっすらと汗が浮かんでいるのが光にチラリと反射するのが妙に目に残る。
「君は……自分に選ばせてくれた。選択を……考える時間を、くれた。この三日間。だから……自分も、答えを出す」
ふと、顔に手が持って行かれたかと思うと、モナモリスの本体が――じゃない、眼鏡が外されました。
視力の悪さを矯正するものであると同時に、それは彼の顔を隠すものでもあるのです。父親とそっくりな顔を、特に目元を隠すための。
薄紫色、今は赤々と輝いているそれが揺れて、けれどまっすぐとこちらを見据える。
「シアーデラの妹。本当の事を言うと、自分は……君の姉が嫌いではないと思う。確かに、脅迫されて結んだ今の関係だが、むしろ――それを好ましいとすら、思っているかもしれない。なぜかはわからない。でも、最初に見かけた時からずっと、君たち姉妹を憎いと感じたことはない――」
私は深呼吸して自分を落ち着けながら話を聞きます。
……大丈夫、私。最後まで聞いてからアクションを起こしても遅くない。大事な場面なんだ。踏ん張れ。
モナモリスはそんな私を眼鏡越しではない、彼の直接の目で眺めつつ言います。
「だけど。同時に、微かだけど、確かな違和感を感じていた。何かが違う。何かが。……具体的には言えない。それでも、どうしても捨て去れない。この感情は、自分のものじゃない。着せられた服みたいだ。誰かが自分に、強いている。君たちと――特に君の姉と関わろうとすると、だから自分は――ほんの少し、でも確かに、頭がおかしくなる。それが――その、漠然とした気持ち悪さのようなものが。どうしようもなく嫌だ――吐き気がする」
モナモリスは静かに不器用に喋りますが、その言葉には一つ一つ、重たい意思が込められていました。
「それに。疎い自分にだってわかる。君の姉は、自分を本当に――なんとも、思ってない。なのにこの関係を続けろと言うのは……正直、辛い。自分は言葉を喋るのが下手だが……何も感じていないわけじゃない。割り切りだけの関係は……どうしても、寂しい」
ちくり、と痛む胸は一体だれのためにでしょうか。
ため息が漏れるようにふと空気をわたる本音は、普段は奥底にしまってあるであろう、彼の剥き出しの気持ち。
強い強い視線が、私を射抜きます。
「答えがほしい。今みたいな、不快であることはわかるけれど、その原因がわからないみたいな状態は――やっぱり受け入れられない。こんな酩酊してるような感覚の中でじゃなくて、クリアな頭と目で、自分のことをはっきりさせたい。君の姉とも、もう一度その状態で、ちゃんと話したい。……そうでなければ、納得できない」
一歩踏み出した彼は、ゆっくりと私に右手を差し出す。
「……自分は君を信じる。自分に選ぶ権利と時間をくれた、君を信じたい。自分に話してくれた、君の誠実さに応えたい。信じて、協力する。だから――君も、協力してほしい」
一度息を吸ってから、今度こそ。
彼は私に、言った。
「自分を助けてくれないか、シアーデラの妹。君の姉の支配を、克服したい」
最初に握った時の握手とは違う。まあ確かに若干非力ではありますが、それでも今回は掌から彼の意志がしっかりと伝わってくる。私はしっかりとそれを握り返して、微笑みます。
「信じてくださってありがとうございます、ガールシード卿」
「……モナモリスで、いい」
ぎゅっと互いに気持ちを確かめるように手ごたえを残してから、私たちは手を離します。彼のぶっきらぼうな言葉に、私はますます笑みを深めました。
「だったら私もアデルでいいですよ」
「……ア、アデ、ル」
「はい、モナモリスさん」
「……ありがとう」
「お礼を言うのはまだ早いですよ。まだ、始めてもいないですし」
私が笑みをひっこめて真面目な顔になると、彼も気持ち緩やかな仏頂面から普通の仏頂面に戻ります。
「そして始まったら、私たちは味方ではないのですから」
「一人で大丈夫か?」
「……ま、助っ人を呼びますよ。その算段ぐらいは考えてます」
明らかに心配そうなモナモリスに顔では自信満々に答えておいて、成功するかわかりませんけど、とこっそり心の中で付け加えます。そんなどうしても弱気になってしまう自分をパコンと殴って、奮い立たせる。
……大丈夫。キルル先輩の時だってうまくいった。だから、今度だって。
リオスの提案に乗って、フラメリオに確認して、お姉さまのことを考えて、モナモリスに話して。
私自身も、これが本当に正しいのか、こんなことして大丈夫なのかは半信半疑なままの部分がある。迷っていないと言えば、嘘になる。
キルル先輩の時と同じ。
相手に選択をゆだねて、責任を分散させた。――ひょっとしたら、最後の逃げ道を自分に与えるため。
でも今、私の話を聞いて、しっかりと考えて、答えを出してくれたモナモリスの言葉を受け止めて、一つ明確に分かったことがある。
お姉さま、やっぱりあなたのやり方は間違ってる。名前で、秘密で、魔術で縛って、従わせて、思ってもいない言葉をかけ合って。――やっぱりそんなの、おかしい。それじゃ誰も、幸せになんかなれない。ハッピーエンドには程遠い。少なくとも、共犯者のモナモリスは納得してない。――話を聞いてるとこれから徐々に洗脳していくつもりだったっぽいですけど、まだ彼が正気の間に間に合ってよかった。
今、私がするべきことを。
「まあ、割とびっくりするでしょうけど、前に説明した通りなので。詳しい話は後からされると思います。えーと……とりあえず、私のことは気にしないで、とにかくご自分のことを優先してください。あとついでのお願いですけど……できれば気絶しないでくださいね、めんどくさいんで」
そんな風に声をかけてから、思いっきりビビッて不安そうなモナモリスから少し離れ、私は夕日に染まる湖を前に目を閉じる。
ごめんモナさん、ちょっと今から私も自分のことで手いっぱいになるから、大変だろうけど頑張って。色々言いたいことはあるだろうけど、この戦いが終わったら、いくらでも語――あ、やめとこう。これ以上はフラグだ、縁起でもない。
少しそうやって意識を遊ばせて自分をリラックスさせながら、そっと胸に手を当てて、自分の中へと神経を研ぎ澄ませる。深く、深く、心臓の奥の奥に、潜り込んでいくように。
――続けていくうちに、次第に頭が痛くなって、気分が悪くなって、全身が揺さぶられるような感覚になった時。
私はついにそのイメージをとらえた。闇の中で蠢く三対の大きな黒い羽。
一度最後に唾を飲み込み、顎に伝ってきた汗を拭って、息を大きく吸ってから。
「もう一人の選択者、悪魔の羽の持ち主、アデラリード=シアーデラの名のもとに私は訴えます。世界よ、天使の縁は不当です」
フラメリオに聞いた通りに私が言葉を紡ぐと、ざわざわとくすぶるように互いに身を寄せ合っていた羽たちが、まるでこちらの言葉に反応するかのようにピタリと動きを止めます。
震えそうになる声を、腹筋に力を入れてしっかりと固定する。
「悪魔の羽よ、私に応えて。私は彼女の縁を認めない――このままでは、認めるわけにはいかない」
私の言う事に耳を傾けてでもいるように、私の出方を窺っているかのように、瞼の裏に浮かぶ羽の幻影は硬直している。
――そうだよ。それが悪魔の羽の本当の、本来の使い方だ。
耳に説明をしている時の師匠の声がよみがえる。
――天使に試練を与える権利。君は天使の羽の所有者が望まぬ縁を結んだ時に、異議を唱え、その新たな縁を一度だけ妨げることができる――。
「よって、私はこの身をかけ、天使に試練を望みます――」
胸にしていた手を前に掲げながら言葉を紡げば、縮こまっていた羽たちが呼応するようにゆるゆると翼を広げる。まがまがしく、けれどどこかほんの少し神々しく。
――もともとさ、お前と姉ちゃんで男を奪い合う、そう言う話だったんでしょ、このゲーム。だから、発想の逆転。シナリオに従っちまえばいいんだ。
口元を緩ませるのは苦笑と自嘲。
苦笑はもちろん、悪い笑みを浮かべながらいきいきと語って聞かせた奴に対して。
やっぱあいつ、根っからの悪魔だ。よくもまああんなこと思いつくし、私に唆すもんだよ。
自嘲はもちろん、私自身に対して。
乗っかっちゃうあたり、所詮私も同類なんだろうか。
目を見開けば、夕方の湖畔は消え失せて、暗闇の中、私の前に羽が出現している。
いつか見た、三対の漆黒の羽が。
――後方でモナモリスが何か叫んだ気がした。
「羽ばたけ!」
けれど、私の声と一斉に飛びかかってきた翼の羽音にかき消されて、全てが溶け、飲み込まれる。
――やっちまえよ。
バン、と手をピストルの形にして奴は言った。あの時はアホか、とかガキか、とか反発した気がしますけど。
――そうですね。
いっちょ、やっちまいますか。
足場が崩れ落ち、そこから深い奈落に引きずり込まれていく感覚を覚えながら。
でも私は前と違って落ち着いて――きっと口元に微笑みすら、浮かべていたのではないでしょうか。
だって今回は、私自身でトリガーを引いたんだから。
変えるために。
――変わるために。




