幕間 服従の契約
スフェリに導かれるまま部屋に入る。魔術を用いた照明で室内が照らされると、もともと仏頂面だったリオスの顔がより一層険しくなった。スフェリアーダはまるでそれを宥めるか、もしくはどこか余裕で高見の見物といった感じの調子の笑みを浮かべている。
「……用意周到だな」
貴族たちの憩いの場、もしくは談話室とでも言おうか。あまり広くはないがそれなりに豪華なしつらえの部屋には、明らかに貴人をもてなすための用意がなされていた。花瓶には今日活けたばかりであろう薔薇が、そして机の上座には酒瓶と杯がセットされている。
顔を顰めながらも無言で席にどっかり腰を下ろしたリオスの前に、すっと華奢な手が差し出された。酒瓶を持ち上げて微笑むスフェリを睨みつけたが、覚悟を決めて杯を突き出す。飲まない選択肢を選んだら負けた気がするので、あえて乗ることにしたのだ。どうせ大抵の毒は効かないし、中に何が入ってようとなんとかなる。ぐいっと一気に呷ったリオスの横でくすくすと、耳をざわめかせる忍び笑いが漏れた。
「お口に合いませんでしたでしょうか?」
「合ってるよ、気に食わないほどにな」
スフェリアーダは憮然とした答えに笑みを浮かべたまますっと目を細め、酒瓶を置いた。
赤い酒は甘くなく美味くて適度に酔える、リオスが気に入っているものだった。何かおかしなものが入っている気配はない。相手にばれないように、とりあえず盛られなくてよかった、とこっそり一息ついている。外見とキャラづくりは傍若無人だが、中身の実態は本人の自己申告通り、それなりに小者な王なのである。空になるとまた注がれる。無言で2杯くらいぐいっといったが、まだまだ余裕だ。
じっと見ると、スフェリは意を悟ったのか、一礼して脇の椅子に腰かける。杯にやや乱暴に注いでやると、さすがにぐいっとはいかないものの特に嫌がる様子もなく飲んだ。
そうやって飲みながら見回してみると、この部屋に置いてあるものといい彼女の着ているものといい、鮮やかな赤ばかりである。杯を置いてチラッと見るとどうしてもその中で特に目立つ部分――豊満な胸に目が行く。いいおっぱいです。ここまで緊張していなかったら即座にそんな呑気な事で頭の中が満たされていたかもしれない。
そこから視線を上に上げて顔を確認すると、向こうは上目づかい気味の流し目をよこし、赤い果実のような唇をふっと綻ばせた。……なんとなく、咳払いする。
あざとい。実にあざとい。
だが、わかりやすく全面的な攻撃色だ。そして一見笑っているようで、よく見ると蔑みの眼差しを浮かべている。それも(中身が煩悩と自重の葛藤中であれ)リオスドレイクと言う怒らせると怖いと評判の王を前にして、である。
アデル、こんな恐ろしい生き物を天使だと形容して、さも守らなければ壊れてしまうみたいな扱いをするのは、やはり間違ってると思うぞ。この女普通におっかねーんだよ!
頭の片隅で思い、相変わらず眉間に思いっきり皺を寄せたまま、ようやくリオスは重い口を開ける。
「で、話ってなんだ」
「本日は陛下にお願いがございますの」
狂信者曰く天使の御声だの麗しの囀りだの形容していた気がする、確かに妙に耳の中をくすぐってくる声質である。それを払うかのように首を軽く振ってから、リオスは再び彼女を睨み付ける。
「今まで朕に一切、借りどころか接点を作ろうとしなかったのが、どういう風の吹き回しだ?」
「前と状況が変わりましたの。それに避けていたのはわたくしだけではないと思いますが」
この野郎――野郎じゃなかったけど、美人だけど。反抗的で口が減らないと言えば妹とほとんど一緒なのに。あっちはチワワがキャンキャン吠えてるぐらいにしか見えないのが、こっちはドーベルマンが喉元狙ってるみたいな感じだ。かわいくねー!
びきびきと順調に何かのゲージを上げているリオスを見すかし、さらに煽りでもするかのようにスフェリアーダは笑う。
そうか、これだ。攻撃的で鉄壁すぎる。笑顔で威嚇してやがる。アデルがなんだかんだで許せるのは隙だらけだからだ。むしろ隙だらけでちょっと心配になるレベルだもんな。
一つ納得しながら、改めて比較対象の残念さを噛みしめているリオスを前に、ふとスフェリアーダの顔が変わる。外交的な薄ら笑みがすっと引っ込んで、ぞっとするほど整った真顔が表れた。
「わたくしが望むことはただ一つ。リオス様、どうかアデラリードをお守りくださいませ」
来やがった。リオスの心の中に浮かんだのはそんな言葉である。答える前に無言で空の杯を突き出すと、先ほどと同じように注がれる。口をつける。今度は飲み切らない。途中でゆっくり杯を下ろして、ついでに机に手を置いた。
「守るってのは?」
「あの子が危機に陥った時に手を差し伸べてくださいませ。また、あなた様ご自身が、けしてあの子の脅威にならぬとお約束くださいませ」
「朕は現実の王なんだが、机上の騎士にでも仕立てあげたいのか?」
にこり。スフェリアーダが微笑む。今までで一番攻撃的だ、とリオスは自分に鳥肌が立つのを感じながら思った。
「当然、このまま聞いていただけるとは思っていません。アデラリードをお守りください。代わりにわたくしがあなたの忠実な下僕となりましょう」
がたん、という音はリオスが立ち上がった時の椅子が立てた音だ。空気も何もかもが凍り付いた。
エメラルドの瞳は彼女をひたと見据え、睨み付ける。
「……あんた、自分の言ってることわかってる?」
「はい」
「つまりなんだ、自分のこと好きにしていいから妹に手を出さないでください――どころか、保護者になってくださいってか」
「はい、リオス様。その通りでございます」
スフェリアーダは相変わらず笑っていた。ガラス玉のように美しい黒い瞳だった。
リオスは一度自分を落ち着かせるために深呼吸する。
「どーゆーつもりだ。こんなん知ったらあの変態シスコン――じゃなかった、お前の妹は大泣きだぞ」
「あら、リオス様はそのような野暮な事をなさるお方ではありますまい」
「まあ確かにね、言わないけどね、リアクションが怖いから。そうじゃない、微妙に論点変えようとすんな」
ばん、と机をたたく。相手は怯えた様子は見せず、やれやれとでも言いたいように肩を竦めて見せた。
「先ほども申し上げたでしょう? 状況が変わったのです」
「……ペナルティのことか」
また空気が変わった。リオスは相手が向けている無言の刃が一段と鋭く、濃くなったのを気配で感じている。スフェリアーダは小首を傾げた。
「リオス様はどこまでご存じなのですか?」
「聞くときは自分の話をしてからがマナーだぞ」
「失礼をいたしました。では僭越ながら申しあげさせていただきます。わたくしたちシアーデラ姉妹は六人の殿方と強固な縁で結ばれていますの。リオス様もそのうちのおひとりですわ」
リオスは露骨に嫌な顔をしたが、スフェリアーダはあえて無視することにしているらしい。
「どういうわけか、アデラリードはそれを予期していたらしく、わたくしにその六名とは――いえ、五名とは、でしょうか。なるべく関わりを持たないようにと言って参りました。わたくし自身も異存はなかったのでその通りに行動しましたが――」
「今回の事があった。だから攻めに回ることにしたってわけか」
「はい、リオス様」
酒のせいだろうか、体温は上がっている気がする。その割に、すうっと身体の芯が冷えていくのを感じた。
「朕が嫌だって言ったらどうする?」
「何がお気に召さなかったのでしょう?」
「そうだな、それを話す前に――まずはそいつを片づけてからだ!」
言うと同時にリオスは素早く空を薙ぎ払う。その瞬間、今まさに飛びかかろうとしていた見えぬ敵が悲鳴を上げた。
攻撃を受けたことで露わになるのは、スフェリの背からしなやかに伸びている3対の純白な羽である。つい最近色違いの物を見た気がするが、あちらより動きが機敏で大きい。それがほんの一瞬前、姿を隠したままリオスを包み込もうとしていたのだろう。しかしその直前にリオスは掌に発動させた術式で追い払い、追撃に怯むようにスフェリの方へ戻って行こうとする羽に掌を向けて叫ぶ。
「リガートゥル!」
瞬間、光の紐のようなものが出現し、暴れて逃げようとする羽に襲い掛かる。そのままギリギリと締め上げられた羽は、一度大きく震えてからぐしゃりと握り潰されるように姿を消した。
どこか余裕綽々だったスフェリアーダの目が驚きに見開かれ、彼女もまた立ち上がる――が、歩み寄って手首をつかみ、テーブルに突き飛ばすように押し倒したリオスの方が早い。
杯が倒れ、ひょっとしたら落ちて割れた音がしたがどちらも気に掛けなかった。
スフェリアーダの美しい黒髪がテーブルの赤の上に散っている。黒い瞳は揺らぐことなく沈黙を保っている――かと思えば、リオスが倒したついでに片手を彼女の脇についてじっと見下ろしていると、案外早く諦めたように目を伏せる。どうやら降参のポーズらしかった。同時にリオスは心の中で大き目な溜息を吐き、机についた手を少し動かしてクロスで彼女に気が付かれないように掌にじんわり浮かんでいた汗の証拠隠滅を図っている。
「どうぞ煮るなり焼くなりお好きになさいませ。大逆人に慈悲はいりません」
「潔いな。それじゃそのついでに、さっきあの奇妙な羽で何しようとしたのか教えてもらえる? ……というかあの羽、何」
彼女はぎゅっと唇を噛みしめたが、先ほど向こうがやっていたように笑顔で威圧すると目を細めて答える。
「あなた様は比較的挑発に乗りやすい方ですから、あえて怒らせてその隙に付け込もうと思いました。羽はわたくしの魔性です。やや強引ですが、この魔性の力を用いて陛下と縁を結ばせていただこうと思っていました」
「……つまりざっくりまとめると、ひょっとして魅了して言いなりにでもするつもりだった?」
「はい、その通りですわ、陛下」
あっさり返ってくる返事に、それを思いつくところも実行するところもこえーよとこっそり冷や汗をかきながらリオスは会話を続ける。
「こうなるとは思わなかったか?」
「リスクを冒してでもやるべきことでしたから。このように見事な大失態に終わりましたが。……さ、惨めな敗者を愚か者と思うまま嘲笑ってくださいませ」
吐き捨てるように言った彼女に、ふーと大きな息を吐いてからリオスは言う。
「正直に喋ってくれたからこっちも多少教えてあげると、今回は元から君が不利だったんだ。朕はいつかこんな時が来るって予測できてたし、大人しくやられたくなかったからその対策だって万全にしてた。たぶん、他の攻略対象者――あ、フラーは駄目かもしんないけど――相手だったら、今ので普通に仕留められてたよ。あと、本来の王様相手でも成功したんじゃないのかな」
もともとオープニングの件から、スフェリアーダに対しては最大級の警戒心を募らせていたリオスである。中身が小心者なので何かの可能性を常に頭の片隅に置いていたし、迎撃法だって考え続けていた。加えて、彼にはアデラリードとフラメリオと言う貴重な情報源があった。本来の王だったら、普通に怒って普通にスフェリの思い通りの展開になったんじゃないのかと想像している。
朕のキャラっていかにも慢心しそうだしな、と遠い目で言う男をスフェリアーダは訝しげに眉をひそめて見上げている。目が合うと何かの意地を張っているのか、逸らすどころか強く見つめてきた。……美人はアップにも耐えるな、とそこそこ余裕の出てきたリオスの頭に一瞬雑念がよぎる。油断はするまいとすぐに彼はそれを追っ払った。
「まあだから、失敗したけどそんな落ち込むことないってこと。それよりもさっきの話に答えてなかった」
均衡を崩したのはやはり王の方――緊張の中、にっこりと急に笑ってみせたのだ。
「朕は君の取引に乗るよ、スフェリ」
言われた方は一瞬だけあっけにとられた顔をしそうになったが、直後男が片手だけついていたのを両手に、彼女の顔の両脇にさながら逃げ道をふさぐようにつくと一気に身を固くする。スフェリに覆いかぶさるようにして、リオスドレイクは囁いた。
「アデルの保護者に朕がなる。その代わり、君は朕の言う事を何でも聞く。そういう約束でいいんだよな?」
スフェリアーダが動揺を見せかけたのはほんの一瞬だった。彼女はリオスが言っていることを速やかに理解すると、すぐに黒い瞳を妖しく煌めかせ、先ほどよりも距離の近くなった王の顔を臆することなく見上げる。ほんのりと顔が上気して白い肌が薄桃色を帯び始めた。
「アディを守ってくださるのですか?」
「うん」
「本当に? けして害さないと約束してくださいますね?」
「略式でよければこの場で魔術誓約書に血判押そうか? もちろん本式も後で書き直す」
スフェリアーダは提案に、一切の躊躇なくこっくりとうなずいた。リオスは一度彼女から離れると、すぐに準備を開始する。程なくして、彼は誓約書に噛んで傷をつけた親指を押し当てていた。呪文を唱えると、文章が発光して定着する。
文と魔術の様子を確認すると、静かに彼女はリオスの前で膝をつき、胸のあたりに両手を添えて首を垂れる。まるで祈っているようにも見える姿勢だった。
『これより、わたくしのすべてを主に捧げます。いかなるご命令にも背きません。どうか忠実な下僕をお許しくださいませ』
彼女が押さえている胸の辺りが淡く赤く発光を始めた。
それは文字通り自らのすべてを差し出す、絶対服従の文句。それも古代の魔術師たちが使っていたと言う、ある人は神聖な、ある人は忌むべきと形容する言語を使っての宣誓である。
何の迷いもなく、スフェリアーダはあっさりとそれを言ってのけた。
『許す。すべてをかけて仕えよ』
むしろ答えたリオスの方が、自分の声が震えないようにと思っている。主からの回答を受けて、スフェリアーダの胸に掌大の印が浮かび上がる。
彼女がそっと両手を外すと、低い声が上げられた。
「今度からもっと大人しい服着ろよ。その服だと、かがんだ時見える」
ふわりと肩にかかるのはショールの感触だった。ここに来る前に落としたのを持ってきていたか呼び寄せたかしたらしい。
スフェリは恭しく首を垂れていたが、少しかがみこんで顎に手を当てられると契約した主人に、きらきらとした目と晴れやかな笑みを浮かべて見せる。
「はい、ご主人様。仰せのままに」
ぼちゃん、とこぼれた水滴の音が響いた。
今日は帰れとの命令に従って退出したスフェリアーダは後宮に向けて歩いていたが、人気のない場所で立ち止まる。廊下の影から、すっと一人の侍従が現れた。
「スフェリアーダ様――」
「何も変わらないわ。あなたは今まで通り、アディを守って」
向こうが何か言って来ようとするのを遮るように彼女は声を上げる。しかし、いつもは大人しく話を聞くままだった男が黙らない。
「アデラリード様はあなたを守るため、魔の道に足を踏み入れた。あなたはアデラリード様を守るため、あの男の――」
「あら、ディガン。それ以上は女の矜持を傷つける言葉なんではなくって?」
それでもぴしゃんとはねつけるように言われると、ディガンはそれ以上何も言えなかった。
力なく項垂れた侍従の胸をとんと小さな扇子が突く。微笑むスフェリの瞳にはアデラリードに向けているときの温かさはない。およそ生きている物に向けるべきではない絶対零度の眼差しを注ぎながら、スフェリアーダは言い聞かせる。
「いいこと? わかっているわね。黙って見ていることぐらいは許してあげる。でもそれ以上はいらないの。いつも通り、わたくしのことをアディに喋ってはだめ。もしも裏切るのなら、すぐにお前を殺して湖の魚の餌にしてしまうからね。お前の価値なんてわたくしにとってはその程度なのだから」
「……スフェリアーダ様」
「わかったらもうお行き」
ディガンは少しだけまだ何かを言いたそうにしていたが、スフェリが背を向けると一礼し、やがて闇の中に消えていく。気配がなくなったことを悟ると、歌うようにスフェリアーダはつぶやいた。
「早く強くおなりなさいな、ディガン。優しさだけの男に大事な子を許してあげるほど、わたくしは甘くないのよ」
そうして歩き出した彼女の姿も、徐々に暗がりの中に消えて行った。




