幕間 動き出す物語
笑い転げながら部屋に入ってきた弟子に対して、師は振り返りはしなかったが、ぴんと眉を跳ねあげた。笑いの名残収まらずリオスが横にやってきて腹を抱えうずくまると、早速声をかける。
「随分楽しそうだけど何があったんだい?」
「いやいや、たぶんそれ勘違いとか、お前には言われたくないとか、色々相まって――あー腹いてー!」
未だ若干ひーはーと苦しげな呼吸を響かせ、だらしなくにやにやと笑いながら弟子は師を見た。
「師匠、朕の好みのタイプって知ってる?」
「なんだね藪から棒に。君はおとなしいのより気が強い方が好きだろう。あとボリュームがある方が好きだ。挟めないと絶望する、と昔よく言ってたからねえ」
やや鬱陶しそうにしながらも、フラメリオは淡々と答えた。あまり興味が湧かないであろうことは、相変わらず何かチョークで地面に文字を書いている自分の手元の方を向いていて、頑として話し相手の弟子の方に行かない視線に示されている。それでもきちんと答えてくれている辺り、気に入らない相手にはそもそも自分の姿を見せようともしないこの男にしては、ずいぶんと相手のことを気に入っていることがうかがえる。
「そーそー、まあ長年の付き合いだしさすがにわかってるか」
リオスは頷いてから立ち上がり――それでもまだ彼の中で言い足りないことがあるのか、顎に手を当ててぶつぶつと独り言を始める。
「そりゃね。好きか嫌いかだったら好きだけど、別にワンチャンしたい好きじゃないわけでさ。大体だぞ、わざわざ弟弟子って言ってる段階で気付け。ねーから、お前の考えてるよーな事。下心あったら組手なんかしねーよ、つかできねーよ。あんたはどうか知らんけど、そんな密着したら普通我慢できなくてもれなくたっ――」
「割とどうでもいい話なら、こっちの本題に入りたいんだが構わんかね?」
「あ、うん、すまん。どうぞ」
長年の付き合いの賜物なのか、それとも俗事にそれほど興味が湧かなかったせいだろうか。常人ならドン引きするか突っ込まずにはいられないであろう弟子のゲスな独り言を、どうでもいいの一言でさらりと軽く流し、自分の用事を進めるフラメリオであった。……それとも中断させて本題に引き戻したあたり、不快指数の方が勝ったのであろうか。
ともあれ、チョークを置くとフラメリオは立ち上がる。と同時に、彼の前方にある半球形の塊が動き出した。半球形の正体であった幾多の光り輝く文字列たちが、まるでかぱっと蓋が開くように中央部から亀裂を作り、地面に吸い込まれていく。
「とりあえず見てほしいんだ。君はあれをどう思うかね?」
フラメリオが指さした先にあるのは、円形の魔法陣の中に寝かされたアデラリードである。それを描くためだろうか、いつもは物が散乱している部屋がその部分だけ片づけられていた。片づけると言うよりは、どかして別の場所に一時的に置いただけ、と言った方が表現は正しいかもしれないが。
アデラリードは今まで半球形の光り輝く術の中にいたらしいが、彼女を覆っていた文字が消えたことで、床に描かれた魔法陣の上にあるその姿が見えるようになる。ここに運び込まれてきた服のまま、うつ伏せにされている。頭は苦しくならないようにか、ちょうどこちら側に顔が見えるように横向きになっていた。依然として目は閉じられたまま、頬には血の気がない。
だが、そういった彼女自身のくたびれた様子より目を引くものがある。
翼だ。倒れているアデラリードの背中から生えるそれは、うぞうぞと見る者に生理的嫌悪を催させるような気持ちの悪い蠢きを見せており、羽と言うよりもさながらのたくる蛇のようにも見えた。
三対の烏のような黒いそれは、先端の方はより黒く濃く、付け根の方にかけてはより薄く半透明になっている。服は特に破れたり乱れたりしている様子はない。どうやらそれらを透過して出現しているらしかった。
さすがにリオスも驚いたのか、あんぐりとその様子に口を開けた。
「……なんだこれは」
「縫い付けられた悪魔の羽」
「マジか、適当なこと言ってたんじゃないんだ!?」
リオスの隠そうともしない電波語に対する不信溢れた叫びに、ようやく振り返った賢者は半眼になった。
「もう少し吾輩の言葉をちゃんと受け止めるべきだと思うよ、まったく。それで困るのは君たちの方なんだからね」
「悪かったって。だってまさか、こんな風に目で見えるものだとか思ってなかったんだもん」
少し機嫌を損ねたらしい様子にリオスが慌てて言うと、賢者は首をすくめて見せた。
「……で、あれってなんなわけ? 暴走した魔性の具現化?」
「さすが一番弟子は理解が早いね」
これがあそこの弟弟子なら、ワーギャー騒いだ挙句に一から説明を求め、しかも説明したところでますますわかりませんだの言いだすんだろうね。まあそれはそれで見ていて楽しいけど。
賢者がそんな風にどこか表情を穏やかに緩ませながら続きを呟いているが、弟子はもうそちらには構わず思考の世界に入っていた。目を細めて羽を睨みつけていたリオスだったが、師が黙ると低く声を上げる。
「魔性、それは人間の中にある力だ。魔力と言い換えてもいい。普通は目に見えたりなんかしないけど、魔法――この世にありえない奇跡を起こす力に携わっていると、自然とそいつの中の魔性は大きくなっていく。だから場合によっては、それが具現化して見えたりすることもある。……ただしそんな状態になるのは大抵末期症状。制御に失敗して人間からあっち側に落ちる一歩手前か、もうすでに落ちてしまったなれの果てか――」
「そうだね。その通りだとも」
賢者は独り言に聞こえなくもないその言葉に相槌を打った。
リオスがフラメリオの弟子になってからすでに20年近い。彼ら師弟は独り言のように聞こえる言葉でも、相手のいるところでわざわざ言葉に出していると言う事は何かの反応を求めているのであり、それを手がかりに次の段階に入るのだと互いに知っていた。というよりも、フラメリオのその癖を弟子であるリオスが真似るようになったと言った方が正しいかもしれない。
フラメリオは機嫌のいい時に求められれば何かをしてくれることもあるが、基本的にはこっちは勝手にやるからお前も勝手にしろ、そんなスタンスの男である。リオスはよく、師匠のやり方を盗むように真似て覚えた。そのついでというか弊害と言うか、師の癖も幾分か受け継いでいる。
賢者の弟子は一度かがみこみ、足元の師が書いていた魔法陣の一角に注目した。
「でも、こいつのはそこまで末期には感じられない。多少暴走したのが引っこまずにいるだけの気がする。というか、末期症状だったら師匠がここまで落ち着いてるはずもないし。そこまで悪化してたら、その辺にあったチョークで書くとか適当な事しないだろ。もっと高そうなもん出してきてるはずだって」
「うん、うん。さすがリオス、よくわかっているね」
「それにしたって、あんなもん見たことがないぞ。第一、なんだあのちぐはぐさは。魔性ってのはその人間の本質が凝縮されたようなもんだ。なのにあの部分だけ、アデルの普段の魔法と全然感じが違う。まるで別人みたいだ」
ぼやきのような内容が事前知識の確認から本人の感想に変わると、フラメリオの答えも変わった。
「縫い付けられたと言ったろう? あれはもともとスフェリアーダの物だった」
「まさか、魔性の交換が起こったって言いたいのか?」
「うん、そうだよ。付け加えておくなら、交換が起こったのはちょうど君があの姉妹と出会った時だった」
「なんで、そんな――」
驚きの顔になっても呆然としたままにはならず、すぐに立ち直って思考を再開するのがリオスである。目を見開いたのは一瞬、直後にはすでに独り言を続けていた時と同じ状態に戻った。
「そうか、あれがオープニングって言ってたっけ。朕に対する過干渉が起きたのもあれが初めてだった。本格的に介入を始めたのはあの時からだったってわけか。……そのことはひとまず置いておこう。問題は魔性の交換――人間にそんな芸当できるわけない。だとしたら、それも世界の意志?」
「まあ、そういうことだねえ」
リオスはそこで黙り込む。目を瞑って静かにしているかと思えば、すぐにふと思いついたと言った体で口を開いた。
「すげーどーでもいいんだけどさ。あっちも……その、スフェリにもあんな感じに変なもんが生えたりすんの? シスコンが天使が降りてきたとか発狂しそう」
フラメリオの金の瞳が怪しい輝きを放った――ような錯覚を、見ていた方は覚える。
「スフェリアーダはアデルとは違うよ。暴走どころか完全に制御している。だからこそ、イベント不良によるペナルティなんてものが発生したのだからね」
リオスはそのことに何かコメントをしようともしたようだが、途中で考えを改めたらしい。エメラルドの瞳を揺らして、フラメリオからアデラリードの方に視線を移す。
「チビってそんなにど下手くそだったっけ。朕の見てる限りでは、まだまだ荒っぽいし雑でも、日に日に強化されてんのはわかるし、センスもあると思うんだけど。魔性に対する覚悟だって理解だってできてたはずだ」
「んー。まあこれはどちらかと言うと、彼女が転生者だから起きている不具合かな。ただでさえ危うい均衡を保っていた混沌に無理矢理手を加えたもんだから、こうやって綻びが出てしまったんだ。だから使うたびにああやってちょっと漏れる」
「なるほど」
「それと、アデルが下手なんじゃない。スフェリアーダの魔性の扱いが別格なんだ。ひょっとすると君よりうまいかもしれないよ」
微笑みを深める賢者と、聞きながらますます眉をひそめる弟子である。
「前から君は、彼女の話題を出すと不機嫌になるねえ」
「ほっとけ」
ずばり言い当てた言葉にイライラとした返答が返ってくると、彼はそれ以上の深入りを避け、同じくアデラリードの方に目を向けた。
「アデルは大丈夫だよ。今回のはなんとかなるレベルだから、三日ぐらいあそこで寝てれば元通りに復活する。むしろ目覚めた彼女の魔力は一段とパワーアップされるだろうね。下剋上の可能性がゼロの領域から進歩しそうだよ、リオス」
師が面白そうに言うと、不意にリオスが真面目な顔で向き直った。
「師匠。その辺さ、この世界のルールについてとか、やっぱりもうちょい詳しく聞かせてもらえないか。乙女ゲー原作とか知るかって思ってたけど、声が飛んできたり身体が変になったりだけじゃなく、今回のこれ――ペナルティの発生ときたもんだ。なんなんだ、ここは。何がしたい――いや、朕たちに何をさせたいんだ、世界は。……朕たちの置かれてる状況について、ちゃんと把握しておきたい」
が、それに対する賢者の反応は少々微妙である。フラメリオは珍しく、どこか困ったような顔になった。
「と言ってもねえ、リオス。アデルと君の存在といい、天の過干渉といい、今回の世界で起きていることは前例のないイレギュラーと矛盾だらけなんだ。吾輩すらも正直、完全には把握し切れていないと思う」
「はあー? 頼むよフラー、いきなりそんな頼りない事を言い出さないでくれ」
弟子に強く頼まれると、しぶしぶといった感じではあるがフラメリオは答えを返す。それでもやはり、いつもとは違ってその声音に確信がなかった。
「そうだねえ、リオス。世界のルールと言ったかね。最初は単純だったんだよ。天使の羽よ、縁を導け。悪魔の羽よ、天使に試練を与えよ。それだけだったんだ」
「……解読と聞き取りを同時進行で進めるんで、続きどーぞ」
「ところがいつからかそれが歪みだした。強い意志の介入があったせいで、ほんの少しズレが生じた。最初は微々たるものだったそれは、繰り返すごとに大きくなり――ついには取り返しのつかない所にまで発展した。それでもやめることも止まることもできない。歪んだルールのまま、物語を進めようとしている――」
フラメリオはそこで黙り込む。リオスはじっと師匠が続きを話すのを待っていたが、どれほどそうしても沈黙が流れるだけだった。そのうち賢者は呑気な顔で欠伸をし、ずるっと待ち続けていたリオスの身体がずっこける。
「……それで?」
「吾輩に語ることができるのはこの程度だよ」
「いや、朕の疑問ほとんど解決されてなくね? ものすごい混乱の渦中に自分たちがいるってことぐらいしか解読できなかったんだけど!?」
「だから言ったじゃないか。変化が訪れようとしている。今の吾輩には、それぐらいしか話せることはないんだってば」
うわ役に立たない、と顔に出して隠そうともしない弟子に賢者は呆れた顔になる。徐々に彼の呟きは、弟子に対する答えから自分の独り言になっていく。
「常識が非常識になり、異常が通常になる。それぐらいの事を起こしてでも何かを変えようとする意志。変化を拒み、あるがままでいようとする意志。世界の意志は、それらによって揺れている――」
「だー、わかった。ちゃんと電波語を受け止めるべきだとか言ってた直後にこれか、くそったれ。要するに引き続き自分で何とかしろってことな。せめてヒントぐらいくれよな」
用事が済んだと判断したのか、リオスは部屋を出て行こうとする。フラメリオも目的は済んだのか特に呼び止めようともしないが、弟子が出口に近づくとふと大きな独り言を上げた。
「リオス、抗うばかりでは芸がない。大いなる流れに身を任せよ、されど流されるままになるな。魔性の取り扱いとまったく同じさ。全面的に拒絶しようとするから、辛いだけになるんだよ。吾輩が言うまでもなく、わかっていると思っていたんだけどね」
聞いた方は止まり、弾かれるように振り返る。師はこちらを向いておらず、再びチョークを手に取って床の記号を追加していた。何度か口を開け閉めし、頭を掻いてリオスは最終的ににやっといつもの笑みを浮かべる。
「……そっか。そうだよな、サンキュ。やっぱ師匠、頼りになるわ」
フラメリオの所から戻り、侍従と再び地味に火花を散らし合い、キルルと反省会を済ませるとリオスは彼らに解散を宣言した。二人の姿はおそらく彼らのいつもいる場所へと送られ、彼自身もまた中庭に転移する。さっと辺りを見回して人の目を確認してから歩き出した。
忘れがちだが彼は一応国王を兼業している。真昼間ではなかったからなんとか抜け出しては来れたものの、フラメリオに緊急事態を告げられて呼び出された夕方からすっかり深夜になっていた。まあ、それでも空気は読める方なので、本当に優先されるような王様行事の最中には少なくともばれるような脱走の仕方はしないし、もともと逃げ癖のある王だと周囲も知っているから、どうせまたどこかほっつき歩いてるのかと思われているだけだろう。さらにもう少し事情を知っている者たちなら、大賢者関連は最優先事項なのだと言う事も把握している。いないからと言って見ていないわけではない、王の尋常ならざる魔についてだって心得ている。
それでも予告なくやらかした以上、きちんと後でフォローはしておかないといけない。さて今日はもう寝所に戻るとして、明日起きたらあれとこれを済ませなければ、と忙しく考えていた王の足が止まった。
中庭から室内に戻り、廊下を進もうとした――その進行方向に、女が立っているのだ。暗がりでも、その不気味なほど白い肌とワインレッドのドレスはよく映えていた。
沈黙と静寂。王はしばらく立ち尽くしていたが、相手が退く様子がないと眉根を寄せて女性に近づく。恭しくスカートをつまんでお辞儀をしてから、スフェリアーダは微笑んだ。
「アディ――アデラリードはどうなりましたか?」
「無事さ。三日後にはピンピンして帰ってくるよ。公には、熱出してぶっ倒れたってことにしておく。何も問題はない」
「……わかりました」
固い声で業務連絡的に言い捨て、そのまま大股で過ぎ去ろうとするリオスの腕を、つとひきとめるものがある。
「お待ちになってくださいませ、陛下。……いえ、リオス様。お話がございますの」
袖をつかむ手は華奢だが、けして逃がそうとはしない。下から見上げる彼女の黒い瞳がまるで宝石のように、けれど熱を帯びて潤み、なまめかしく爛々と輝いて見えた。寒さ対策にか彼女を覆っていたショールが音もなく落ち、胸元の大胆なカットが露わになる。
唾を飲み込んだ音が、やけに大きく響いて聞こえた気がした。




