幕間 あえて溝を深めていくスタイル
「アデラリード様!」
「……アデル?」
うつ伏せに倒れこんだアデラリードを前に、なんとか上着で下半身を隠し終わって振り返ったキルルは困惑の声を上げる。それよりも早く反応したディガンは、草の上に倒れた小さな体に駆け寄って手を伸ばし――一度顔をこわばらせるとさっとひっこめた。
「何があった!?」
「……わかりません。アデラリード様、聞こえますか、アデラリード様」
キルルが駆けつけた段になって、ようやく思い直して呼びかけながらその肩に手をかける――一瞬だけ、手が何かを拒絶するかのように震えた。けれど臆したのはそれが最後、覚悟を決めたディガンは迷わず異常の起こった主を救うために行動を開始する。
反応がないことを確かめると手早く自分の上半身の服を脱いで草の上に敷き、慎重に仰向けにひっくり返して下顎を突きださせる。いつもの元気いっぱいに跳ねまわっている様子とは一転した、力のなく目を閉じている顔はすっかり蒼白になっていた。キルルが息を呑んだのと同時に、ディガンは素早く自分の顔を開けさせた口元に近づけ、次いで指をその細い首筋に這わせた。それが終わると強張った顔立ちのまま、一度身を起こして自分の腰元にある小さなポケットのようなものに手を突っ込み、その中から素早く丸薬を出す。アデラリードの持っていたものと同じような形状をしているそれを自分の口に含み、倒れている彼女の上に覆いかぶさった。
「ちょっ――!?」
慌てたのはおろおろと見守っていたキルルの方である。が、所詮純情ヘタレ犬にできたことは、青くなったり赤くなったりしながら奇声を発し、顔を覆う指の隙間から大胆な救命行為(?)を見守ることだけだった。んく、とやがて小さく嚥下する音が聞こえるが、アデラリードが目を覚ます様子はない。依然としてぐったりと生気のない顔のままである。
「アデラリード様」
肩のあたりを軽くたたきながら呼びかけるがピクリとも反応しない。背中に手を入れようとして、やはりディガンは一度ひっこめた。
「おい、どうかしたのか――」
その妙な動きに声をかけたキルルだったが、睨みつけられるように見上げられると思わず黙る。ディガンはキルルの顔からすぐ、周囲へと視線を移し――ある一点で止めると、今度はしっかり両手を背中と膝裏に差し込んで主を抱え上げた。
半裸の頼りない武官が何か言う前に、忠実な従者はすぐそこに出現していた扉に主の小さな体を抱えて進む。なるべく衝撃を与えないように、けれど素早く。外開きの扉に気が付いてキルルが半ば飛びかかるように開けてやると、物も言わずにその中に飛び込む。一瞬だけ驚いた顔になってから、すぐにキルルもその後に続いた。
闇の中をしばらく走る。音もない光もない、かろうじて走っている感覚がするから地面のようなものはあるのだろうと判断できる。こんなところにずっといたら頭がおかしくなりそうだ、とキルルが思う一方で、ディガンは迷いなくその中をまっすぐに走り続けている。この男は走るときに音がしないな、とキルルは気配の後を追いながらぼんやりと思った。
永遠にも続くように思われたその不気味な空間は唐突に終わりを告げ、何の脈絡もなく二人の前にゆらっと景色が立ち現れた。どこか武官の訓練場に似ているが、それに比べると妙に殺風景で開放感のない、見覚えのない室内の様子に、ディガンは立ち止まって警戒の姿勢を示し、次いで追いかけてきたキルルはそこで待機していたらしい人物に思わず声を上げる。
「リオス先輩、じゃなくて陛下――ぐっ、がっ、うぐ――ぎゃんっ!?」
が、見覚えのありすぎるその男は、二人が現れたのを認識すると同時にぎっと目を吊り上げて大股でキルルに歩み寄る。そのまま何気ない挙動でふわっと飛びかかると、頭に肘鉄を打ち込み、前に落ちてきた頭に下から膝を打ち込み、くらっと後ろに倒れかけた胸倉を両手でしっかりつかみ、さながら円盤投げの要領でくるっと左の踵を支点に一回転し――抵抗できずに空に浮かび遠心力がかかったキルルの身体を、部屋の向こうの壁に向かって容赦なく投げ飛ばした。
どう見ても暴力でありながら、実に流れるような美しい挙動だった。
男はぱんぱんと手を払って達成感のようなものを示しつつ、壁にめり込んだ後輩に人差し指をつきつけ言い放つ。
「いいか、反省会は後でしてやる――そっちでお座りしてろ、正座でな!」
「ひゃい!」
「何だその間の抜けた返事は!」
「はい、すみません!」
瞬時に起き上がって言われたとおりに正座をしているキルルである。相当派手なやられ方をした割にはピンピンしているようだった。
一連のある種お約束のような光景に、そうとは知らずすっかり顔を強張らせているディガンを他所に、リオスは訓練場もどきの唯一の入り口に取って返し、その向こう側に向かって吠える。
「師匠!」
「はいはい、わかってるよ。連れておいで」
向こうからこの緊迫した空気に全くそぐわないのんびりした返事が返ってくると、彼はディガンの方に近づき、ぐったりと抱えられるままになっている存在に手を伸ばした――その瞬間飛んできた殺気にほとんど反射的に手をひっこめる。
殴られて飛んでいった遠くで言われるがままに正座中のキルルは、これは仲裁をしに行った方がいいのだろうか、いや今までの経験からして自分が出張っても無意味に終わりそうだ、それでもやっぱり止めに行くべきなんじゃないか、と冷や汗をかきながら葛藤を繰り広げている。その程度に、男二人の間には隠しようもない冷気が広がっていた。
いかにも不機嫌そうに先に言葉を発したのはリオスの方だった。
「……そのへばってるチビをこっちで治療したいんだけど?」
「どいてください。我が主に今必要なのは医務官か神官――他人に癒しの術を使えないあなたではない」
聞いた瞬間明らかに不機嫌になりチッと舌打ちをしたリオスだが、ディガンが引く様子はない。イライラと首を振りながら再度口を開ける。
「その状態だと、あいつらには手におえん。うちの師匠に任せる。……朕の命令が聞けないのか、侍従職」
「ご自分の首に未練がないのでしたらどうぞ。私の主はあなたではないのですから」
遠くで腰を浮かしかけたキルルだが、即座に飛んできたお前は座ってろと言う視線のメッセージにしゅんと初期位置に戻る。しかしディガンにしてみれば、この男はそもそも彼の敬愛する二人の主がこんなところで望まぬ生活を強いられている元凶で、しかも実際に目の前で横暴を働いたこともある前科持ちである。どう考えても、ぐったりと動かない彼女をはいどうぞと差し出せる相手ではないのだ。
リオスもその辺りの事情を思い出したのか、しまったとでも言いたげに目を開いてから、がしがし猛然と頭を掻きだした。
「あーそーわかった、お前なんかにうっかり任せられないってね。そりゃそうだね、だーもー、めんどくせーな――」
「リーオスー。早くしないと手遅れになるよー」
そこにやはり緊迫感のない声音で、空気をさらに硬直させるには十分すぎる内容のフラメリオの言葉が投げ入れられる。リオスはきっと顔を引き締めると、再び手を伸ばした。
「わかった、リオスドレイクの名に誓って、渡して何かあったら朕を煮るなり焼くなりしていいから。あっちにいるのは大賢者だ。そういう呪い系に関しては大神官と同じかそれ以上に詳しいんだよ」
「でしたら私がお運びします――」
「あー、悪い。あいつすげー人見知りだから、あんたを自分のテリトリーに入れたくないんだって。……いや、うん、気持ちはわかる。わかるんだけど、頼むよ。朕だって、そいつにこのままぽっくり逝かれでもしたら色々困るんだってば。あんたと同じ。助けたいんだよ、そいつを」
ディガンは冷たい視線のまま頑なに主を抱え込んでいたが、見下ろしたアデラリードの顔が次第に悪くなっていく様子についに耐え切れなくなったのだろうか――瞳に隠し切れない怒りと憎悪を滾らせながらも、足を踏み出した。
「――主に何かあった場合、私はどんな手を使ってでも貴様の息の根を止める。それでいいんだな」
「おう」
リオスは気軽に答えつつもしっかりと受け取り、フラメリオの待つ空間にチビ助を運ぶ。ただ、その短い間にも、手の中の存在に小さくぼやかずにはいられなかった。
「アデルさんよ、あんたの身内には壮絶な猫かぶりしかいないのかい……?」
リオスは師の指定した場所に弟弟子の身体を横たえると、速やかに訓練場の方に戻った。師にお前がいても邪魔なだけだと追っ払われたのと、彼自身も沸騰寸前の侍従をそのまま放置するのはどうかと思ったのだろう。
案の定、戻った瞬間飛んでくるのはやはり明確な殺意である。いっそのこと清々しいなと生ぬるい気持ちになりながらも、リオスは静かに訓練場でアデラリードを渡したときのまま立っている男に声をかけた。
「少し時間はかかるけど、なんとかなるってさ。はい、それ着替え。……あとキルル、お前はこれでも着ておけ!」
「へぶっ」
キルルやアデラリードのために幾分上半身が涼しくなっていたディガンの足元に侍従服を放り投げてから、ついでに衣服を包んだものをこれまた流れるようなフォームで振りかぶり、キルルの顔面にクリーンヒットさせる。リオスが再び侍従に向き直っても彼はピクリとも動かず、足元の服に着替えようともしない。うわめんどくさい、と一瞬顔に出しかけてから、頭を掻いてリオスは口を開く。
「……一応説明しておくか。朕とあいつは大賢者フラメリオ=ニーラの兄弟弟子で、あいつが弟子入りしてからはそれなりに仲良くさせてもらっている。あと、オフモードの時はこんな感じにいつもと雰囲気違うかもしんないけど、素が出てるだけだから。ま、あんたはその辺もう知ってるのかもしんないけどね。ああ、多少気を抜いてるとは言っても、易々殺されてやるつもりはないからな? これでも一応、この国の王様も兼業してるんでね」
最初はあくまで爽やかなだけだったが、後半になってくると明らかな敵意に対して少し棘が混じる。ディガンの目がふっと細まった。
「なるほど。アデラリード様を唆したのはあなた方でしたか」
「言っておくが、大賢者フラメリオは本気で気に入らなければ弟子になんかしない奴だ。あんたやスフェリがどんだけ大事にしようと、元からアデルにはそっちの道に行ける気があったってことだよ。それに最初にあいつを探してうろちょろしてたのはあっちの方。本人が望んで選んだ道だ。今更そのことにお前がどうこう言ったって、どうしようもねーっつの」
「……お二人を気安く呼ぶな、下郎」
「嫌だね、こっちの勝手だ」
リオスの顔はニコニコとした爽やかスマイルのままであった。棘と言うよりこうなってくると挑発だ。着替え終わったキルルはハラハラしながら様子を見守り、早くも胃の辺りを押さえている。高まる緊張の中、きらきらとリオスのエメラルドの瞳が輝き、ディガンの灰色の瞳は燃えていた。一際いい笑顔に、派手な顔立ちの男の顔がゆがむ。
「この際だから言っちゃおうかな。朕さ。あんたみたいな自己犠牲精神にあふれる死にたがり人間、大嫌いだから。ああそう、あんたの事は少し調べさせてもらったんで悪く思うなよ。どーせそっちだって同じことしてるんだろうし、おあいこだよな。随分な経歴の持ち主じゃないか――『梟』さんよ」
時折手を動かしたり重心を変えたりと動きのあるリオスと異なって、ディガンの方は表情すら微動だにせずに立っている。突如投げ放たれた言葉にやや驚きの表情になるも、即座に伏し目に戻って静かに相手を見守った。リオスは返事が返ってこないと知ると、微かに眉根を寄せながらも続けることにしたらしい。
「だからさ、素直に祝えないんだよね。ほんと残念。あのネンネさんにはさっさと巣立ちしてほしいのに、相手がこのザマじゃあな。しかも向こうは向こうで、なんか知んないけどめんどくさい意地は張ってるっぽいし。あーもー道のりが遠いわー、まったく」
「……何の話でしょうか」
「あんたの話。でも嫌いだから解説なんかしてやんね。自分で考えろよ」
向こう側に見える静かな炎をもっと滾らせようと、明らかに意図を持って言葉は放たれる。今度はエメラルドの方が剣呑に細められた。
「いいよ、言いたい事あったら言っときな。今は完全なプライベートだ。ただのリオス相手だったら多少生意気言っても大丈夫だよ。あんたも朕もただの男。そのつもりで喋ってみな」
では、と一呼吸おいてからディガンは滑らかに言葉を繰る。――向こう側で、やめとけって! とジェスチャーしているキルルのことはやはり二人とも視界にすら入れていない。
「私もあなたのような、力に任せて不誠実に振る舞う輩は嫌いです」
それに対するリオスの返答は――唖然とした顔をした後、急に声を上げて笑い出した。
「不誠実、ふ、不誠実――ぶっ、あっははははは!」
さすがに虚を突かれたのかディガンがピクリと動くが、突如別の声が響いた。
「リオス、リオス。ちょっと今すぐ来てくれないか」
「わかったわかった、ぶひゃひゃひゃひゃ――」
フラメリオの呼ぶ声に、リオスは涙目になるほどむせこんで笑いながらも応じる。腹を抱えながら出て行くかと思えば、捨て台詞を残していった。
「ばーかばーか、勘違いの大馬鹿野郎が!」
そう侍従に言い捨てて、大賢者の弟子は師のもとに向かったらしい。ディガンはその姿が完全に見えなくなってからようやく、足元の侍従服に手を伸ばして身支度を整え始めた。
そのはるか後ろの方では、未だ胃を両手で押さえたままのキルルが、こちらもようやく安堵の息を盛大に吐き出していた。




