2-07.決着の時です 中編
ここでおさらい。原作でのキルルシュタイナーの狼化イベントは、満月の夜、追うなと言われたのに先輩の後を追いかけて、森にアデラリードが侵入するところからスタートします。案の定狼になっていた先輩から逃げて森の中を走り回っているうちに、アデラリードは彼からもらった大切な贈り物を落としてしまうのです。確か市場デートかなんかで買ってもらった怪しげな恋結びのネックレスでしたね。やっぱりお揃いで、狼化した先輩の首にそれが引っかかっているのでアデラリードは狼が先輩であることに気が付けるのですが。ともあれ、襲い掛かろうとしたキルル先輩があわやと言うところで、急に輝きだした恋人との思い出の品を見て正気を取り戻す――ざっくりまとめればそれがイベント成功への流れなのです。
ですから狼化した先輩から逃げ回っている間、左腕に光っている腕輪を見てピンときた私は、それがキーアイテムとして機能してくれないかなと考え、賭けることにしたのでした。
増幅魔術を打ち込んだのは腕輪の力を引き出し、それを利用するためだったのです。フィレッタの編んだ腕輪は単なる装飾品にとどまらず、ちゃんとした魔具であったのですが、製作者も使用者も特に魔術の素養がなかったために、完全な力を出し切ることができていなかったのでした。そこに私の魔力をぶち込んで強制的に本来の力――使用者に対する加護だの、お互いの縁結びだのでしょうか――を呼び覚まし、狼の中に眠っていた先輩の意識に訴えかけたってところでしょうか。
ふふ、思いついた時は何かが舞い降りてきてましたね。さすが私。やればできる子。いや本当に自分でも驚くほど、あのときは冴え渡っていた。
さてと、第一段階はクリアしたんだから本番はここから。この説得段階で失敗すれば――さすがにもう襲い掛かられることはありませんが、先輩は苦悩の末自殺してしまいます。ここに来てそんな後味の悪いラストにしてたまるか。頑張るのです、アディ!
私は何度か深呼吸して胸元を握りしめ気分を落ち着けてから、ゆっくりと答えます。
「ようやく喋るかと思ったら、開口一番がそれですか。それともまだ錯乱中ですか。ご要望であれば気付け薬の代わりにグーパン数発差し上げますよ。今ならサービスで思いやり付きです」
私の物言いにでしょうか、ディガンが少し意外そうな視線を寄越した気がします。
まあ普段の私は召使さんに対しても物腰柔らかと言うか丁寧な態度と言うか、そこまでとげとげしい言い方とかしませんからね。明確にこの野郎と思った相手や武官系が相手だと、遠慮が薄れるのでそこそこ言い方や態度が辛辣になるんですが。彼にとって今の私は少し珍しかったのかもしれません。
狼は私の言葉にふうっと息を吐きます。……溜息のつもりだったのでしょうか。生温かい風に反射的に顔が引きつる感覚を覚えます。
「殴られるまでもなく至って正気だよ、今は。……さっきは迷惑かけた」
「お構いなく。かすり傷です。学園時代の方がもっと傷は絶えませんでしたし」
もちろん強がりですけどね! 本当は泣きそうなくらい痛かったですよ。ディガンに至っては普通に死にかけましたし。まったく、ワンコてめえこの野郎!
内心ではそんな風に罵ったりしつつも、口に出す言葉は吟味し、選んでから発します。追い詰められたワンコは思い余ると潔く心臓ざくーしちゃうんだもん。慎重に、慎重に。
「もう人間に戻るつもりはないと言う事ですか? まだ何とかなる段階ですよ――」
「仮に戻ったところで、どうするって言うんだ? これが俺だ。本当の俺の姿なんだ。生まれてきたときから、俺は人の姿をしていなかったんだから!」
先輩の叫びに私は微動だにしませんが――だってもう知ってるし――ディガンはさすがに驚きを隠せなかったようです。敏感にその気配を感じ取ったキルル先輩は、静かに言います。
「そうだよ。普通の人狼ですらない――狼男なんだ、俺は。物心ついたころにようやく人間の姿を覚え、人間の作法をまねることができたから――かろうじて処分されずに済んだ。でも本当は、あのまま死んでおくべきだったんだ」
ディガンが静かに私に視線だけ向けてきているのを感じますが、私が首を横にゆっくり振ってみせると大人しく一歩引き、以降は私に任せるように気配を殺して先輩の告白に耳を傾けています。
「わかっていた。遅かれ早かれ、いつかこうなることは。今までが異常だった。俺が周りに甘え過ぎてたんだ。だから――」
「それで本当にいいんですか?」
グダグダ続けようとするのを遮るように差し挟むと、いかにも苦々しげに狼の顔がゆがみます。
「そんな問題じゃない。……俺はもともと半分以上が魔獣である存在だ。生きているだけで人にとって脅威になる。今まではどうにか抑えてこれた。このまま一生抑え込めれば。そんな風に思ったこともあった。その驕りの結果が、これだ」
「まだ被害は出てませんよ」
「その傷で言うのか?」
私はにっかり――ちょっと不自然に見えるかもしれませんが、それでもなんてことないですよな顔をしてみせます。次に視線を向けられたディガンも、涼しげな顔で余裕な風に見せますが、鮮やかなフラグ回収が未だ頭の片隅から離れない私は思わず少し睨みつけてしまいました。
……まあこっちのことは後で片づけるとして。今は先輩の事が優先。咳払いして気を取り直します。
「我々のことはひとまずノーカウントにしておいてください。とにかく、あなたはまだ人を殺していない。ヒトの味を覚えていない。だったら、まだ――」
「もうやめてくれ、アデル! もういいんだ、これ以上迷わせないでくれ」
「では今はまだ迷ってるんですね」
私が鋭く言うと、先輩は息をのみます。
「フィレッタを置いていくつもりですか、先輩。せっかく想いが成就したばかりだって言うのに」
その名前を出すと明らかに彼は動揺しました。きらり、きらり。身じろぎするたびに、優しい銀とピンクの輝きが彼の腕で主張します。今までも十分苦渋に満ちていた先輩の声が一段と低くなりました。
「どんな顔をして会えって言うんだ。どんな言葉をかければいいって言うんだ。……本当のことを知られたら幻滅される」
「だったら、最初から声をかけるべきではなかった。そんなこともわからなかったとは言わせませんよ。あなたはいつか葛藤の時が来るとわかっていても――それでも彼女との交流を望んだ。そうじゃないんですか」
私は静かに――慎重に先輩の目を、動きを窺いながら話します。彼は私が指摘をするたびに唸るように牙を剥きますが、結局はおとなしく聞いて――そして考えている。
キルル先輩を引き留めるには、仕事の事とか家族の事とか友人の事とか、何でもいいのでとにかく自暴自棄になりかけている彼に、「諦めんなよ、まだ未練あるだろ!」って煽って奮起させることが重要なのですが、なぜネタがフィレッタ特化になっているかと言うと――まあ、もともと恋人であるアデラリードが引き留めるイベントですし。それに、フィレッタの腕輪が彼の正気を取り戻す第一段階の引き金になったと言う事は、やはり彼女の存在が今の彼にとってとても大きなものになっているはず。ここは乙女ゲームの力を信じましょう。
続きを再開する前に唾を飲むごくりと言う音が、やけにうるさく響いた気がしました。
「それとも、ずっと隠し通すつもりだったんですか? ぽえぽえのフィレッタだったらそれも可能だろうと? ……違うでしょう。あなたはちゃんと見抜いているはずです。そりゃあ、今は頼りないだけのお嬢さんかもしれませんけど、それだけじゃない。彼女はいつか、あなたを支える女性になれる資質を秘めている」
友人のことを思いながら、私は言葉を紡ぎ続けます。きらきらと先輩の腕に輝く腕輪が、妙に明るく印象に残りました。
「本当にあなたの言いなりになるだけの人だったら、あなたは途中で身を引いたんじゃないんですか。儚くて、折れそうに見えて――それでもしなやかな、しっかりした芯が見えたから、あなたは彼女をほしいと思ったんじゃないんですか。いずれは自分のすべてを受け止めてくれる、伴侶として」
キルル先輩の好みは守ってあげなければいけないような可愛い子。だけどそれだけじゃ彼とはうまく行かない。
――フィレッタなら、大丈夫だ。
「大丈夫ですよ、先輩。フィレッタはあれで私と親友できるくらい肝が太い子ですから。ちょっとくらい毛深くて生肉好きでも許してもらえますって」
少しおどけて言ってみても――先輩の顔は渋いまま、そして目には疑いの色が濃く示されています。やがて漏れ出す言葉も低く重たい調子でした。
「フィレッタのことを出されると、確かに俺はどうしようもない気持ちになる。戻りたい、戻って普通に生きたい。それができるのなら、もちろんそうしたい」
「できますよ――」
「――だけどな、お前の喋っていることにどうしても違和感があるんだ。確かに俺はフィレッタが好きだ。愛してる。彼女のことを考えると冷静でいられなくなる――。だからこそ、お前がそれを利用しているような気がしてならないんだ。なあ、なんでだアデル。いつも辛辣に突き刺してくるお前が、なんで今だけは耳触りのいい言葉しか話そうとしない? いっそ不自然なほどフィレッタのことを話題にする? どうにもさっきから、いつもと違う臭いがしてならないんだ。本当は何を考えてるんだ、お前?」
先輩が言うと、横からも問いかけるような視線は飛んできます。
……あーあ。これだからまったくもう、妙なところで勘の鋭い奴らめ。原作に沿って恋愛ネタで巻いてしまえと思ったけど、さすがにそう一筋縄ではいかないか。
私は引きつった笑顔を浮かべてから――誤魔化しきれないと悟るとぶんぶんと首を振り、そしてパンと一度頬を両手で叩きました。ギュッと目を閉じてから、先輩の――狼の目を真正面からひたと睨むように見上げます。
「では、正直に言いましょうか。ええ、フィレッタの事を出せばあなたはおとなしく言う事を聞いてくれるものだと思っていましたよ。それで一先ずこの場は全部片づけてしまおうと思っていました」
こちらが視線をそらさずに強く見つめ続けているからでしょうか。先輩も――そして横でじっとしているディガンも、私の話を最後まで聞き届けようとしてくれているようでした。私は自分を落ち着かせるように一度深呼吸し、それからそっと目を伏せます。
「……偽りなく私の考えを言うのなら。あなたは戻るべきではないのかもしれない。一度芽生えた魔性は二度と消えることはないし、愛がすべてを救うなんて到底思えない。フィレッタのことだって、本当にあなたを受け入れてくれるかは、所詮他人の私にはわからないことです。ひょっとしたらあなたにとっての生き地獄が始まるのかもしれない」
キルル先輩が何かを言おうとするけれど、その前に再び顔を上げて目を合わせる。強く、強く――私の意志を届けるために、二つの目をしっかりと見開いて彼に語り掛ける。
「それでも――たとえ私自身が信じ切れないことであっても――あなたに人間に戻れと言うし、フィレッタの愛を信じろと言うし、あなたは生きるべきだと思う――そのことをやめるわけにはいかないんです」
困惑の気配が漂ってきます。……横にいるディガンをちらっと見ると、彼もまた複雑で読み取れない顔色になっていました。再び視線を先輩に戻すと――まあ、私は信じれないことを信じろなんて超絶無茶苦茶なこと言ってますからね。そりゃそういう顔にもなりますよね。
「なぜ?」
先輩の疑問の声に、ずっと緊張やら気合いやらで強張っていた頬がふっと緩むのを感じます。
「その困難な選択が、唯一救いの道になり得ることを知っていて――そうでない場合を選んだ末路がどんなに悲惨かも、よく知っているからですよ」
私はどこか独り言を言っているように、そっと続けます。
「……誰かにしたことは全て、巡り巡って自分に返ってくる。私がここであなたに諦めろと言う事は、私自身に諦めろと言う事でもあり、同時に私がこれからやろうとしていることを否定する言葉でもある。私はまだ諦めたくないんです。だからあなたにも諦めてほしくない。……いいえ、諦めさせたりなんかしない」
一歩、二歩。私が歩くと、気圧されるように先輩がじり、と下がりました。
「先輩、だから――あなた自身と向き合ってください。今、ここで」
プランA、正規ルート丸なぞり作戦が失敗に終わったのなら仕方ない。
先輩にはある意味よりキツいかもしれませんが、プランBを発動しますよ!




