幕間 運命よりも呪いに似た
「うーん、弟弟子は今のところツン成分が高いらしい。そんな敵視しなくてもいいのになあ」
転移で部屋から訪問者がいなくなると、白いカラスはカチカチと嘴を鳴らした。
フラメリオは止まり木に飛んで行ったそれを追うように机に向かい、椅子に座って背もたれにどっさりと身を預ける。
「あんな態度取っといてよく言うね、リオス。君ならもっとうまくやれるだろう。かつての夢のハーレム時代のように――」
「だから黒歴史を掘り返すのはやめろってのに」
カラスが鋭く制すると、賢者はくすくすと笑った。
「吾輩は人の感情には疎いが、客観的に見てあれはそれなりにうまく行ってるように見えたけど? 何がそんなにお気に召さなかったのかな。神聖帝国の婚約者さんだって、話を白紙に戻して本国に送り返しちゃったしね」
「あーうん、うまく行ってたね。主に朕の忍耐と努力とスケジュール管理のおかげでな。だからやめたの。あそこまで気を遣ってあの状態を続けていきたいとは思えなかったもん。癒されたくて始めたけど、結局面倒事が増えただけだったからな」
狭い止まり木の上を鳥は器用に端から端まで、行ったり来たりを繰り返しながら話している。
「あと、あの皇女様は何てーの。再教育がえらい手間かかりそうだったし、そこまでしてやりたいと思うほど入れ込めなかったし、まあ正直あそこと結婚したがってるのは大臣連中で朕は別に――って、こういう話だったか?」
賢者は弟子の長い独り言を興味深そうに聞いていたが、カラスが首を傾げると口の端をゆがめた。
「懐かしき思い出話はそのくらいにしておこうか。吾輩が言っていたのは、君は女性とのお付き合いが皆無なわけではない、むしろ複数人を捌いていた経験の持ち主だ。だからアデルにだってもう少し、紳士的に接して警戒を緩めてやれることができたんじゃないのかねってことだよ」
「ああそうそう、それ、あいつのことだった。いーのいーの。今までさ、朕のこーゆー素を見せられる相手ってなかなかいなかったじゃん? まして前世用語が使えるのは師匠相手だけだったし。転生者仲間なんだから朕も肩の力抜いて接したいわけよ。できれば仲良くしてほしいけど、まあ包み隠さぬありのままのこの態度で嫌われるんだったら、それはそれで仕方ないと言えばそうでもあるわけで」
軽い調子でカラスが話していると、フラメリオは椅子からすっと身を起こす。
「リオス。そろそろ本音を喋ってもいいんだよ? いつもやっているように、吾輩に話して考えを整理したらどうだい。彼女が帰ってもいつまでもその上でくさくさしてるのは、そのためなんじゃないのかね」
カラスはピタッと立ち止まると、止まり木の上でくるりと回る。賢者の目を見据えてしばらく沈黙してから、再びゆっくりと口を開いた。
「……どっから始めたもんかって迷っててさ」
「ほう。では糸口をあげようか。まずは君が吾輩を介して彼女に会いたがった――それにもかかわらず、わざわざその恰好を選択した理由。その辺りからでどうだい? 君だったらいくらでも、こんな面倒な魔術を使うまでもなく、抜け出して直接会いに来られる手段はあっただろう」
フラメリオが机に頬杖をつくと、カラスはぴょんと飛んで机の端にやってくる。着地の拍子に積みあがっていた紙束のいくつかを散らすと師匠が残念そうな声を上げたが、荒らした方は特に気にする様子はない。喋り出したカラスの声は、それまでの飄々と軽いものとはどこか雰囲気が変わっている。
「当然の疑問だよな。答えは簡単だよ。ずばり、直接会いたくなかったから。……ほらな、単純。何のひねりもなかっただろ?」
「……ほう? まさかとは思っていたが、本当にその通りだったのかい。それで? 続きも話してくれるんだろう?」
促されると、カラスは考えつつも言葉を紡ぎ出す。言いながら自分の思考を、中身を整理しているのだった。
「あの姉妹にはできるだけ迂闊に近寄りたくなかった。でもアデラリードの方は――まああんだけいろいろおかしいことはやってるし、ちょっとピンとくることが何回かあったから、もしかして同類かなって。そこはどうしても確かめたかったわけ。……つか確かめないといけないじゃん? 先輩としてさ」
カラスが喋っている途中で手遊びのつもりなのか、近くの水晶玉に悪戯をしかけようとしたので、フラメリオは手を伸ばして阻んだ。妨害された方は若干不満げに頭を振っている。
「でもこれで一つ安心できるよ。あいつの方は事情も分かったし、大丈夫そうだ。直接会ってないから確定したわけじゃないけど。ああ、だからさっきの質問にも戻るけど、あっちもこっちに警戒してくれていいんだ。むしろ下手に懐かれて付き纏われる方が怖いから、あの態度でいてくれた方が気が楽――」
思わずと言った感じで聞いていたフラメリオが笑い声を上げると、考え込むように下を向いていたカラスは不満そうにそれを見上げる。
「なんだリオス、また随分と慎重になっているみたいだね」
「師匠知ってんでしょ。リオスドレイクは怖いものなし、そういうキャラ。だけど中の実際のオレは前世からごくごく普通の一般人。人並みにビビりなんだって。大体、あんな経験させられて警戒しない方がおかしいっつーの」
「……アデルも言ってた君の奇行とやらのことかい? では今度はそれを話してごらんよ。――どうやら本題らしいしね」
賢者は机の右手に両手を置き、四本の指を組んで親指だけくるくると動かしている。カラスは机の上をほんの少し荒らしながら徐々に徐々に移動し、賢者が弄んでいる指の前までやってきた。そこから真正面を見上げれば、いつも通りどこか人を不安にさせる目で師は微笑んでいる。一度深呼吸してからカラスは言った。
「最初はさ、キルルが――いやウルルの方か。あいつらが可愛がってるアデルって、どんな奴なんだろうって、そういう純粋な好奇心だった。度々話題で上がってたからな。まあウルルの様子からして女だろうってのは見当ついてたから、余計にな。ねーよ、いくらそんな格がないったって、伯爵家の令嬢がガチの軍人学校に特待生で入るとか。しかも卒業後の進路は姉と一緒に田舎にこもりたいって、意味わかんねーよ面白すぎんだろ。――で、デビューするって聞いてたパーティーで、あいつを予定通り見つけたわけだけど」
「――続けて?」
フラメリオが促すと、カラスは心底忌々しそうに吐き捨てる。
「……声が聞こえた」
「声?」
一度言うか迷っているらしい風を見せてから、どこか自棄のこもった声が続く。
「うっせーんだよ、こっちが思ってもないことを、人の耳元でわんわんと。誰があんな山猿に欲情するかっつの。だからとりあえず中庭に逃げて落ち着こうとしたわけだが――痛恨の選択ミスだったな。つかなんで中庭に行こうとあの時思い立ったのかもわかんねー」
フラメリオは一度何かを言おうと口を開いたが、思い直したようにそれをやめると、代わりに椅子ごと動いて近くの松明を弄りに行った。少し暗くなってきているそれを呪文を唱えて再び明るくしてから、考え込んでいる鳥の元に戻ってくる。
「……アデラリードの方はまだ、声が聞こえてもうるせーって思えばなんとかなった。問題はあいつのねーちゃん、スフェリアーダの方。東屋で休んでた彼女と目が合った瞬間――鼓膜破るつもりかよって大音量が来た。で、それ以降身体が言うことを聞かなくなった――」
ぶるり、とリオスはその時のことを思い出してか身を震わせる。珍しく本気で怯えているらしい弟子に、静かに聞いている大賢者はふっと目を細めた。
「ぞっとする体験だったよ。何やってんだ朕って思ってる間に、勝手に口説いて押し倒してるんだ。自分がロボットになって、誰かに操作されてるみたいな感じだった。反抗してたからなんとか保ててたが、下手すると意識ごと乗っ取られてたかもしれない。……あの従者に飛びかかられた時とか、アデルと遊んでた時とか、途中途中で多少は自分が戻った。だけど、あの時から度々そういうことが起こる。自分のことなのに、制御ができなくなる時が来るんだ」
「なるほどね。つまり、アデルも指摘していたスフェリアーダに絡んだ普段の君らしからぬ行動は、すべてそれが原因だったってわけか? 君は君自身とは異なる意志によって彼女に迫り、侍女長にまで任命した。――ああそうか。それで君は、吾輩の鑑定眼に頼ろうと思ったわけかな」
「話が早くて助かる。……で、あんたにはどう見えてるわけ? 誰か仕込みがいて、超強力な錯乱魔術をかけてきてるってのが一番望ましいんだけど?」
大賢者が笑みを深めどこか興奮した目になる一方で、弟子は露骨にその反応に不快を隠そうともしない態度になっている。
松明がどこかの風を受けたのか、それとも何かに震わされてか、ボッと音を立てて揺らぎ、それに合わせて薄暗い地下室に伸びる二人の影か揺れる。
「君にとっては残念かもしれないがね。仕込みと言うのを具体的に存在する人間に求めているんだったら、違うよ。君にそんな強力な錯乱がかけられる人間なんて存在しない。いたとしても君はちゃんとその後の痕跡をたどれるだろうさ。だから君に声を飛ばし、君の行動を強制したのは――吾輩が天と呼んでいるものだ。そう、天の声が君に囁き、命じた。……吾輩にしか聞こえていなかったらしいあれが、ついに君にも届くようになったというわけだ。ああ、なんと素晴らしい事か――」
熱く粘るようなフラメリオの言葉に、カラスはさっと羽毛を逆立てた。
「ざっけんな! ……で、対処法は?」
「対処法? なんのことだね?」
「師匠いつもあれを――天の声だっけ。あの毒電波を受信する時に――じゃなくて、聞く時にさ、ミュートとかかけらんないわけ? 百歩譲って声が聞こえるだけならまだ空耳幻聴で済ますけど、身体が乗っ取られるとか、普通に実害出てるんだけど」
カラスは言いながら猛烈な勢いで身づくろいを――自分から何かをふるい落そうとするような動作を始めた。
見つめる賢者の顔は笑っていたが、揺らめく黄金の瞳は、思わず目が合った弟子が咄嗟に飛び立つほどどこか冷たい光を宿していた。
「……吾輩はあれを拒んだことはない。勝手に来るから勝手に聞いている。そんな付き合い方をずっと続けているよ。君はもっと強い干渉を受けたようだが、それに対する抵抗ならサンプルはないね」
「わーったよ、だったら自分で解決策を探す。もともとそこまで期待はしてなかった。はあ、しっかしどうすっかなあマジで。やっぱもうちょいアデル騙しとけばよかったかなあ――」
再び止まり木に戻ってぼやいている弟子に、フラメリオはふと緩めていた表情を引き締めて向き直った。
「リオス、こうは思わないか? 姿を見ると自分でないような感覚になる。普段の自分がしないような愚かな行動を取ったりする。それはまさしく人が恋と呼ぶ現象そのものじゃないか。いやだいやだと思っていても惹かれる。避けようと思っても必ず出会う。それは人が運命と呼ぶ現象じゃないか。だから君のそれはまさしく、運命の――」
遮るようにカラスは大きく羽を広げて威嚇の声を上げた。暗がりの中に翼とともに白が広がる。鳥の目には、その内側に宿る男の強い感情――怒りがぎらぎらと燃え上っていた。
「朕は絶対に認めないぞ、あんなものをそんな言葉で片づけられるのは。これは運命だの恋だのなんかじゃない。ただの呪いと一緒だ。冗談じゃないぞ! せっかく自由に謳歌してた二度目の人生なんだ。乙女ゲー原作? だから何だ。天が、世界が望むってんなら歯向かってやるさ。――オレを決めるのは、オレだ」
言葉が終わると同時にカラスの目からふっと強い光は消え失せ、それは羽をたたむときょとんと自分や周囲を見回し、それからどこか困ったようにフラメリオを見つめる。賢者が椅子から立ち上がって近づき、そっと嘴を叩くと嫌そうに避けた。中にいた意志の塊は、本来の持ち主の元へ帰ったらしい。
すっかりただの動物に戻ったカラスを撫でながら、フラメリオはつぶやく。
「勇ましいことだ。だけどすでに吾輩たちには全員、あの麗しい魔性との縁ができてしまっているんだよ。特に君は中心人物だ。動かないと話が進まない。だから君に対する強制は誰よりも強く働くよ。既に経験したとおりにね。一体どこまで抗えるものか――」
賢者は椅子に座った時に近くに立てかけていた杖を手に取った。コツコツとそれを鳴らしながら歩き、部屋の奥の壁を叩いてそこに扉を出現させると、その先の暗がりへ、更なる闇の中に続く道を、歌うように言葉を繰りながら歩いていく。
「さて、アデル。もう一人の特異点、そして悪魔の羽の持ち主よ。恐れず、驕らず、誤らず。我らを、彼女を、そして君自身をも――その力を使いこなして救うことができるかな――?」
やがて完全に床に響く杖の音も聞こえなくなった倉庫のような地下室で、取り残されたカラスがぼやくように一声鳴いた。




