幕間 後悔先に立たず
幕間は三人称です。
男は少しの間どちらにしようかと手をさまよわせ、やがて右の杯を取った。一口含んだだけで少々甘すぎると顔をしかめ、ところどころぴんぴん跳ねている茶髪をがしがしとこする。おそらく女性が好むような甘ったるいその酒は彼の口には合わなかったらしい。
「うえっ……なんだこりゃ。アルコールジュースじゃないか」
彼の顔は一見するとなんだか印象に残らないのだが、よくよく見てみれば相当に派手である。普段の彼なら馬鹿に明るい色の髪のせいもあって、どこにいても目立つ。今日はお忍びモードだから、他人には目立たないように見えるだけなのだ。姿を多少偽ったところで、そのやたらとでかい態度の方はあまり改めるつもりはないらしいが。
「ああでもそうか。あまり酒っぽく感じられないし、見た目もそうだから盛るのには持って来いなのか」
それと下衆な性格の方も。
小心者の彼のお供はだから、そういうことはもう少し小さい声で言っていただきたいと思っている。叶うのなら全面的に自重していただきたいとも思っている。
しばらくは、主がぶつぶつと独り言を流しているのをおろおろ見守っていたが、意を決したのかようやく声を上げた。
「やっぱりやめましょう。もう帰りませんか、陛下――あっだっ!」
間髪入れず、酒と軽食をつまんでいた男はその銀髪のお供の脛を蹴り上げる。悶絶している相方に向けられた億劫そうな瞳の色は、やけに冷たい光を宿した緑色だった。
「うるさいぞキルル。元はと言えばお前が発端だったじゃないか」
「うぐぐぐっ、いったい、このっ……あっ、えっとその、申し訳ございません何でもないです、なんでもございません。いや、あのですね。そりゃ、確かに発端は俺ですけど、別にこう、陛下と一緒に直々に出向く程のことでは……というか、あなたが例によって勝手に抜け出すから、仕方なく後をついてきたって言うか――ぐえっ!」
よく見ると派手ななりの男の右手は果実酒を優雅に嗜みつつ、左手は相方の襟首に伸びたかと思うと、すうっとその首に絡みつく。その後ぎぎぎぎぎ、と嫌な音が鳴り始めた。
「だ・か・ら、うるさい。それと何度言ったらわかる。忍んでるんだから陛下言うな。今の朕はリオス。お前もただのキルル。わかったな?」
「――ギブ! ギブです、それ頭と首が絞まってますへい、ぐがぎいいいいいい」
音がさらに悪化し、絞められている方の顔色がみるみる悪くなっていった。
「リ・オ・スだっつってんだろうが馬鹿め。次言ったらどうしてくれようか。このまま気絶させてパン一にして放っておいたらさぞかし面白い評判が――」
「本当に首があっ――」
ふっと意識が飛びかけたその直前に拘束が緩み、咳き込んでいる間にリオスと自分を呼ばせたがっている男の非常に爽やかな――およそ今さっき友人を絞め落そうとしていたとは思えないほど爽やかな――顔が目に入る。
「で、キルル。朕の名前はなんだった?」
「リ――リオス様! リオス様、わかりましたから!」
「よし」
訂正しよう。爽やかではない。ド鬼畜ド畜生の、「お前言うこと聞かないとどうなるかわかってるんだろうな、ああん?」を全面的に出した威圧スマイルである。顔の造形が無駄に整っているせいか、なぜか毎回一瞬爽やかに見えてしまうから不思議でならない。神様は間違いなくこの男に与えるべきものを間違えた。顔の良さだ。
涙目になりつつ、今のところ隅っこで飲みながら誰にも深入りせずダンスも始めようとしない主に、小声でキルルは念押しする。
「へい――じゃないリオス様。いいですか。約束ですよ。絶対絶対、ぜーったいに、ちょっかいかけないでくださいね。見るだけですからねっ!」
「わーってるって、ただの後輩見物だよ。それ以上はしないって。というか男なんだろ? なんで触らなきゃいけないんだ?」
「いやそのえーっと」
「安心しろ。どれほど顔が可愛かろうが美人だろうが、同じモノがついてる時点で萎えるから。いやだがどうなんだろう、モノがついてるが胸もある、そんな奴も世の中には存在する――いやこの世界に存在するのかは知らんが――」
「あー何も聞こえない、何も聞いてないっ!」
主の聞いていると精神的に何かが減りそうなつぶやきに背を向け、手を合わせると呪文のようにキルルは唱え続ける。
「神様、どうかいるならおチビをお助けください、お守りください。もうこの際ウルルの生霊でもいいから――」
「なあなあキルル、あいつがそうなんじゃないのか」
「ううっ!?」
ついに主が目標を発見したらしい。
キルルは思いっきり涙目になりながら、しかしちょんちょん突かれては仕方ないので振り返る。
「うっわちっせえ。本当にチビ助だな」
「……あー」
キルルは一瞬自分の目が遠くなったのを感じた。
あいつ、やっぱり――いやまあその方が好都合だとは言え――こんな時でも男の格好しているのか。さすがに16歳にもなれば多少はあのおチビも女っぽくなっているかもしれないと、一瞬でも何かを期待した自分がアホだった――。
にしても確かにちっこい。最初の印象が「うわちっさ」を思わせるんだから悲しい容姿である。よく見てみればそんな驚くほどではない、平均程度にはあるのに、なぜか小さく見える。童顔なせいと、女性陣がヒールを履いているせいもあるのだろうか。おかげであっちの方ではお姉さま方、あとおばさま方が、さっきからちやほやちやほやとあやしている。完全にちみっこ、人形扱いされているのが本人は不満らしく、時折くっと眉根を寄せて反論したそうにしている。が、一応今日がデビューの日であるし、さすがの山猿も多少はおとなしくしているつもりらしかった。
「どうなんだ。あいつがお前の後輩ちゃんか?」
「……はい。間違いなく、あいつアデルです」
「へー……」
一見単にニコニコしているだけに見えるリオスだが、その目が何か舐るような――どう見ても品定めの目に入ったのを感知し、キルルの全身がぞわっと泡立つ。
「キルル」
「ひゃいっ」
思わず応答の声を情けなくも噛むことになったが、構わずリオスは続けた。
「あのチビッ子さ。女だろ、アレ」
「なっ、なーに言ってるんですかあっはっは! 男に決まってるじゃ――」
「キルルシュタイナー、残念ながら確信させてもらったよ。やっぱり、お前と――それとお前の弟もか? 可愛がってた後輩は、女だったってわけだ。お前もう少し、自分が嘘つけない人間だってこと自覚しといた方がいいぞ、な?」
絶望的な表情になったキルルに、リオスの悪人面風爽やかスマイルと言う、矛盾しているがやはりそうとしか形容できないような笑顔が炸裂した。
「すまないアデル、そしてウルル。俺は今この瞬間から、お前らに何されてもたぶん文句言えない――ふがいない先輩で、兄ちゃんで、すまんっ……!」
あらゆる意味で涙の止まらない兄は力なく項垂れるも、恐れていたような特攻がいつまで経っても起こらないので、あれ、と恐る恐る顔を上げる。
リオスは彼にしては珍しい、微妙そうな顔で首を繰り返しひねっていた。
「んー……いやでも――うーん?」
「……はい?」
「なんだろうなー、すっごく実にいい線まで行ってるんだけどなー、なんか足りないと言うか……」
少しの間の後、ぽつりと彼は言う。
「胸囲――じゃない、背丈か?」
「アデル喜べ! お前が散々気にしてた身体的特徴が今、お前を救っているぞ! お前は色々チビッ子の自分を誇るべきだと思う、その辺もっと誇っていいと思う――!」
キルルがガッツポーズをして小さく叫んでいるのを他所に、どこか不機嫌そうな雰囲気を漂わせたままリオスは歩き出した。
「ってへい――じゃない、リオス様、どこに行くんですか?」
「ちょっと風に当たって頭冷やしてくる」
「はあ……って、はあああ!?」
一体何を言い出すのかと唖然とした後慌てて後を追おうとすれば、ちょっと一人で静かにしたいと睨み付けられた。
しぶしぶ、邪魔をしないように、けれど見失わないように後をついていくと、本当にテラスの方、誰もいない方に歩いて行こうとしている。実にらしくない。
キルルは困惑していたせいだろうか、主を追う途中で思いがけず人とぶつかってしまい、そのまましばし足止めを食うことになってしまった。
――後に、キルル――王宮近衛キルルシュタイナー=ディザーリオはこう語る。
ぶつかっても気にせず追っかければよかった。いや、その前に死ぬ気で止めとけばよかった。
テラス、そしてその先の中庭に先客がいると知っていたのなら――絶対に阻止したのに、と。




