5.朕、ちょっと逝ってまいります!
しばらく見ていたが、案の定奴は表情から何も情報をくれない。行動は非常にわかりやすいくせに、こうやって面と向かって探ろうとすると途端に色々ひっこめられてしまうのは困ったもんだ。
埒が明かないので一度ちらっとスフェリに視線を移すと、向こうもこちらに目を向けてくる。ゆっくり数度瞬きし、やがてそっと伏せた。どこかつまらなそうな、物憂げな表情のまま、両手に握っていた扇子を一度開き、ぱちんと音を立てて閉じる。
……まあ、だよね。朕もそうだとは思うけど、一応ね。
息を吐いてから、神官の方に向き直る。
「こっちは後。先にそっちから、全部聞かせてもらおうかな」
朕がにっこりしてやると、美少年はあからさまに苛立ったように眉を顰めた。「なんで、悪いのそいつじゃん、ボクもう関係ないじゃん」とでも言いたげだ。やっぱりまだまだお子様、すぐに感情が顔に出る。でもまあ、渋々ってのを隠すことはできなくても、反論とかしてこないのはちょっとだけ評価してやらないこともない。危機察知能力が高いだけかもしれないけど。
あーあ、もうちょっとふてぶてしくしてくれたら、ボコる言い訳ができるんだけどな。絶妙にアウトラインに踏み込んでこない。そういうところだけ頭回りやがって。
「そう嫌がるなって。答えてくれたらそれで終わり、帰っていいから。別に疑ってるわけじゃないよ。むしろ朕は最初っから、お前は何も知らないと考えてる。だからこれはどっちかってと、こいつらにそれを納得させるための確認作業。お分かりいただける?」
にしてもガキ相手はめんどくせえ、と思う本心を抑えて言ってやると、多少は機嫌を直したようなので質問を再開する。
「じゃあお前はアデルとは昨日会ったきり、それ以上何も知らないってことなわけね」
「ええ、まあ。いなくなったなんて、たった今聞きました。ボクだって驚いてます。賭けに負けて逃げ出すならわかるけど、勝ったのに、なんで」
あ、そう言えばちゃんと聞いてなかった気がするけど、勝ったんだ、あいつ。とりあえず良かった、と思っておこうか。
「そういやお前らが賭けてたのって何だったの? ……あれは気にしなくていい。大丈夫、威嚇してるだけだから。続けてくれ」
朕が言った途端に、部屋の向こうから不穏な気配が漂ってきたのを無視して促してやる。
神官は殺意溢れる視線に素早く反応して首を縮めたが、ちらちらと視線を行ったり来たりさせた後、コロッと元の調子に戻ってはきはき答えてくれた。
「単純ですよ。ボクが勝ったらボクの言う事をアデルが聞く、ボクが負けたらボクがアデルの言う事を聞く、そう言うゲームだったんです」
ちゃんと見てないから後ろで何が起きたのか具体的な事はわからんが、この場で忍者の動揺した気配が伝わってきたってことは、黒にゃんこさん以外仕掛け人はいないだろう。
と言うか、忍者はあれでかなり行動が単純だから、怒る時もある程度予測がついていいんだけど、にゃんこはぐつぐつ煮えさせたまま限界まで我慢する方だから、いつ暴発するかわからなくてそっちの方が心配だったりする。タイミングもだけど、どこに矛先が向くかその時にならないとわからないんだよな。
それはそれとして、神官の言葉にふと思い至ることがあり、試しに聞いてみる。
「……一月前から、その約束してたわけ? なんでも、ってのはつまり主従関係だよな? 賭けの勝敗でそれを決めるって?」
「はい、まあ。あ、あのですね、勝ち負けしたら、ってのを言いだしたのはボクの方ですけど、しとやかな貴婦人になってお前をぎゃふんと言わせてやるから受けて立つってのは、あっちの案ですから。ボクも面白かったので、そのまま乗りましたけど」
向こうは「なんだ、聞いてなかったのかよ」とでも言いたげな視線をよこしてくる。
いや、大体予想通りなんだけど、やっぱ当事者に聞かないと確定とまでは至らないわけじゃないですか。半分狂気の沙汰にも思える女装はまさかの本人発案だったのか、とか。
あー、でも、そゆことだったのね。侍従職がここ一か月ほどずっと複雑な気配を漂わせていた理由がわかった。
勝手にほいっと自分を賭けに出しちゃった(それも見た目は美少女とは言え、中身はれっきとした男に、である)ご主人様に怒ればいいのか、ご主人様のおめかしと言う思わぬご褒美に喜べばいいのか。確かにそれは複雑だね、うん。お前の思考回路はこれでもかと言うほど単純だが。
そしてきっとアデルの方は、そんな奴の葛藤にはちらりとも気が付かなかったに違いない。もしくは、薄々気が付いていたのに、あれこれ適当に言い訳をつけて流した。
なんて言うかまあ、ご愁傷さまだ。でも逃げ道を与えるようなやり方でしかアプローチしてないんだから、ただの自業自得とも言える。壁ドンの一つでも決めてやれば後はその場のノリでなんとかなるだろうに、これだからうじうじヘタレは。
ふと何かを感じてそっちに目をやると、スフェリが黒い目を光らせて神官をひたと見据えている。
気が付いた神官が、居心地悪そうに腕をさすった。
やがて彼女は、ふっと視線を逸らす。どこか無念そうに一瞬だけ眉を寄せ、それからまた元の気配を消している状態に戻った。
そこまで見届けてから、そわそわと落ち着きなく身体を動かしている神官に、多少茶を濁してやるついでに確認の問いを投げておく。
「ちなみに、アデルと別れた後は何してた? 昨日の夜のことね」
「え? 何してた? 何って……ええっと、ちょっと遅めの晩御飯を軽くつまんで、本を読んで。それから普通に寝たって感じですよ、昨晩は」
「その時、誰か一緒にいた人は?」
「キューエル、ラヴィアスと一緒に晩御飯を食べました。読書は寝る前に自室でだったから、一人です」
黙って考えていると、神官はやや早口でまくしたてるように言葉を付け加える。
「でもボク、本当にアデルのことはそれ以上知りませんよ。まさかとは思いますけど、賭けに負けて都合が悪くなったから、なんとかしたとでも考えてません? 失礼しちゃうな。ボクはアデルのことをほんの少しだけど、確かに認めたんだ。約束を反故になんかするもんか」
少々興奮気味な少年は、思わずなのかすっかり本来の口調がはみ出している。忍者が釣られるかなと思ったが動かないのはたぶん、スフェリが睨みを利かせているせいなんだろう。
この辺が潮時かな。
朕は両手を向けながら苦笑した。
「オーケー、オーケー。そっちの事情は大体分かった。正直に答えてくれてありがとう――」
朕が続けようとするのをやや遮るように、低く静かな声が後ろからぽつっと上がった。
「それだけでよろしいのですか」
彼女が声を出した瞬間、神官の態度が今までと微妙に変わるが……まあ、ここは見逃してやろう。
「君だって確認できただろ。外れだ。こいつは何も知らない。これ以上は時間の無駄」
朕が返すと、息を漏らす音、次いで動く気配が伝わってくる。塞いでいた入り口から身体をどけたんだろう。
「と言うわけで、レヴァンドラだったっけ。邪魔して悪かったな。そっちが何も知らなさそうだってことはわかった」
「……帰っていいって事――ですか?」
「まあ、そうなるな。アデル探しは続けるから、もしかしたらまた何か聞きに来るかもしんないけど、その時はその時で。今日はこれで終わり。ほい、解散!」
神官はしばらくの間、大きな目をくりくりと動かしてあっちこっちを警戒していたようだが、突如バッと駆けだすと、あっという間もなく入り口から飛び出していく。
……お前は野生動物か。
しかし今回はギリギリ回避しやがったから、お礼参りはまた今度改めてだな、こりゃ。
っと、後を追いそうな動きをした侍従の前にあからさまに足を出して邪魔をしておく。
「待った。むしろ朕はお前に色々聞きたくて今日ここに来たんだよ。どうせ最初からわかってんだろ。レヴァンドラは無罪だ」
スフェリがどいた入り口の前に、今度は朕が立ちふさがる。片手をついてリラックス姿勢で迎えるが、相手は案の定、敵意全開の眼差しを向けてきている。朕はひゅうっと小さく口笛を吹いてから、つとめて朗らかに聞いてみた。
「で。お前はあいつに何しちゃったわけ、実際の所さ」
読みにくい曇り空の奥に動揺が入ったのを見逃さない。だって、普通に考えたら一番怪しいの、どう考えてもこいつじゃんかね。動機だってなくはないし。
――が。畳みかけようとした朕の前に、すっと扇子が出てきた。
「ディガンは確かに最後の目撃者ですが、聞きだせることはレヴァンドラ神官と大差ないでしょう。昨日はここを出てから、二人で一度神殿側の小島の慰霊碑に寄ったそうですわ」
口から出かけた言葉を一度飲み込んで、朕は大人しく傾聴の態度を示す。
「そこで少し時間を過ごしてから、部屋近くまで送っていったそうです。あの子自身が、部屋の前までではなく、ここでいいからと止めた。それから……あの子は姿を消した。それ以上は何も知りません。それは確かですわ」
スフェリは片手の扇子をもう片方の手にうちつける。バシン、と結構な音がした。
あ、これは、来るかもしれん。
少しずつ心の準備をしながら見守ると、虚ろな目を揺らしながら彼女は色のない言葉を続ける。
「だって、これがわたくしに嘘をつけるはずがありませんもの。アデラリードのたった一人の姉で、どうせよろしく言われている身なんでしょうからね」
「スフェリアーダ様――」
ズドオン、ドン、ズダーン!
今度ははっきりそう聞こえた。
いや、さすがに扇子じゃない。勝手に本棚から空に彷徨い出たいくつかの本が、侍従の足元に落下しただけだ。明らかに重力以上の力を受けながら。
……ちょっ、本がガードされてたおかげなのか無事なのは確かに喜ばしいけど、石の床にヘコミができてる気がするのは錯覚じゃないですよね。
「それ以上余計な事を言うのは許さない。馬鹿にするのもいい加減にして。それとも何かしら、包み隠さず全部喋ってくれるの? これでもお互いが不愉快にならないように、随分今まで気を利かせたつもりだったのだけど、それは無意味だったのかしら。むしろ無駄な配慮? 余計なお世話? あらそう、それじゃまず、慰霊碑の小島であなたがアディに本当にしでかしたことから詳しく説明してくれるんでしょうね。ええ、聞いてあげるわよ。さ、言ってごらんなさいな。――言えるものならね」
ぎゅっと両手で扇子を握りしめ、身体をほんのわずか震わせながらスフェリアーダはとうとうと語る。
当然、男二人は黙ってこれ以上できるだけ刺激しないよう小さくなりながら、続きを聞くしかない。
と言うかスフェリさんにここまで言わせるって、忍者ひょっとして朕の考えている以上にやらかしちゃったの? え、そうなの?
「お前がわたくしに感じているのは、昔から義務感だけでしょう。アディと会ってから、そうだったはずよ。主は二人? 嘘仰い。最初から一人しかいなかった癖に。だから昔からずっと、ずっと! 言ってるのよ。そんなものはいらないの。まだわからない? おまけの忠誠心なんか捧げられたって迷惑なだけなの。わたくしに構うな、お前の心に従え。……もう何度目になるのかしら。うんざりするわ」
侍従はなんかもう、真っ青になったまま呆然と立ち尽くしている。まあ、これは仕方ないよね。
これほど雄弁に語る無表情と言うのも珍しいかもしれない。どんな馬鹿だって彼女の顔を直接見りゃわかる。
お姉さまが激怒していらっしゃる。誰か宥めて差し上げろ。マジで。
というか妹よ、はよ戻って来いや。お前の姉ちゃん、なんかこのままだと進化しちゃいそうな勢いだよ。
……たぶん今のあいつ、戻ってきたくてもできないだろうから、この場は朕がなんとかするっきゃないんだけどね。
さて、本日の死地だ。茶化してないでとっとと逝くか。
朕がわざとらしく咳払いすると、どこまでもどす黒く闇の広がっている双眸がこちらに向けられた。




