3.王様と書いて空気と読む……って、違うからね?
「レガラ・ユビクタ・グゼノ・エセレール――」
神殿の結界が効いている区域に立ち入る前に、朕は立て続けに小さく呪文を唱えた。
一つ唱えるごとに身体が薄い光に包まれ、すぐに元に戻る。
まあ、アウェイな場所でこれから面倒事を起こすにあたっての下準備みたいなものだ。
防御を重ね掛けした上にちょっとした隠蔽工作を施して、おまけに万が一のときのための対策をつけておくだけの簡単なお仕事である。
小さめでも一応声に出してるのは、簡単な呪文ばかりだけどミスって不発にしたくないから。無音詠唱は言葉に出す奴よりもコントロールが効かないし、失敗率も高い。
重ね掛けの最中に後ろから、「それはやりすぎなんじゃないか?」とでも言いたげなため息が聞こえてきたが、特に気にせず続行する。
もともと朕はかなりの小心者だ。師匠には、
「君って全然気にしないように見せかけて、案外石橋を叩く方略が好きなんだよね。変なの」
って感じのことを昔から言われてきたし。
初期に比べて飛躍的な魔術師スキルの向上を見せている弟弟子も、
「だんだんわかってきましたけど、あなたって絶対に捨て身技を使いませんね。仕掛ける時は準備万端、余裕たっぷりだとか舐めてるように見せてる時でさえ、いつでも油断なく防御や逃げの道を作って負けに追い込まれないようにしている」
ってある時しみじみ言ってやがったものだった。あの時、少しはわかってきたのかと感動しかけたら、
「と言う事で、ここで私からの素晴らしい提案なのですが、兄弟子様は元がハイスペックの上に堅実プレイと、付け入る隙がなさすぎて面白味と可愛げが不足していると思うので、もう少し防御をゆるくして懐の大きいところを見せる必要があると思うのです。具体的には、私がその綺麗な顔を吹っ飛ばしてやるくらいに油断すればいいと思うのです。と言うか、そろそろ互いの親睦を深めるために一発、いえ二発、もうこの際ですから大サービスで私が満足するまで、殴らせてほしいなって!」
と続けるから、安心したような若干がっかりしたような。
やっぱり人間そう簡単には変わらないかと、そっと少し上がりかけた評価を元に戻したものだ。
「わかった、それじゃあ来いよ。なあに、遠慮はいらねえ。お前が殴った数だけ、きっちり朕も友情を込めて殴り返してやるから。よーしパパ久しぶりに本気出しちゃうぞー、ほーら、神に祈って歯ぁ食いしばれ、な? 大丈夫、お前もそろそろ防御が固くなってきたから、たぶん死にはしない。たぶんな」
そんな風に返してさりげなく兄弟子の威厳を示した結果、平和にも賢者の弟子の身内割れは見事予防されたのだったっけ。
うん。
痴話喧嘩の相手ならともかく、弟弟子のストレス発散サンドバッグに黙ってなってやるほど、朕は人間ができていないからね。
とにかく、それなりにビビりな朕は、挑発する時は脇をしっかり固めてから挑むことにしているってわけだ。今回もそのモットーを守ってるだけ。
だって嫌な予感が的中していた場合、いつもは使えるいざとなった時の最終奥義「偉くて力のある人に全部丸投げする」が、使用不可能になってるってことだし。猶更慎重にもなるってものだ。
幸い無駄に有り余るほどエネルギーは持ってるから、ちまちま節約しなきゃいけない事情がないのが有難い。
「ヴェルミクール」
背後から大人しくついてきていた黒にゃんこさんは、神殿を前にして厳重に防御をしている朕の挙動を呆れた眼差しで見守ってたようだが、自分は一言だけ簡素に唱えて終わった。
チラッとそっちを向いて軽く様子を確認してみる。
目を細めると、無数の光が彼女の周りを飛び交っていた。素人には見えないだろうが、ちょっと素養があったら、人魂みたいなものがその辺をうじゃうじゃうろちょろしているように見えることだろう。
光の弾は一つ一つが防御の盾にもなるし、攻撃の弾にもなる、さらには相手を幻惑して錯乱させる作用もある。
人は彼らのことを精霊と呼ぶ。けして相いれない、重なる世界の同居人として。
そいつらが、一言つぶやいただけでこれだけ集まってくると。しかも嬉々として。
おお、相変わらず怖い怖い。
ぶっちゃけ朕はたぶん今夜一番気を付けなければいけないのは、背後から撃たれることなんだよなあ。
そう言えば改めてチェックしたら、今日の服はワインレッド、ショールは黒だった。リボンも赤い。朕の記憶が正しければ、前に誕生祝いとかで妹に贈られた奴だ。
なるほど、気合いは十分ってことらしい。
「どうぞ、お進みください。邪魔はさせませんから」
スフェリの声は硬く、その瞳はどこまでもどす黒い。
何か言う代わりに、朕は肩を竦めてさっさと境界の中に足を踏み入れることにした。
まったく、お兄さんは平和主義者だって言うのに、どうして皆すぐにキレてしまうんだい。
不言だろうが有言だろうが、黒にゃんこさんはとにかくきっちり自分の仕事をこなしてくれる。
今回は宣言通り、目的地にたどり着くまで一切なんの邪魔も入らなかった。
最短経路にいた奴がことごとく全員、眠気に敗れて昏睡状態だったからだ。
まあ深夜だし、きっと皆眠かったんだよ。見張り役ぐらいは起きてなきゃまずいだろって、たぶん見張り役も三徹ぐらいしてて眠るしかなかったんだよ。
いやあ、偶然って素晴らしいね。
ちらっと目の端で、そんな偶然の犠牲者たちを拝みつつさっさと歩いて行こうとして、ふと一回立ち止まった。
スフェリが「どうかしたのか。早く行こう」とでも言いたげに向けてくる視線を感じながら、朕は素早く廊下の端に倒れていた一人の神官に歩み寄り、しゃがんで顔の辺りをよく観察する。
何が気になったって?
普通に倒れててくれたら放置したんだけど、妙に綺麗な寝方だったからな。
具体的には、片足と片腕が曲げられた横向き姿勢。ちょうどいい具合に曲がった手足が横向きを維持できるようになっている上に、ご丁寧に手は顔の下に添えられていて、まるで気絶していても喉がつまらないように配慮しているようだ。
つまり一言で言うと、お手本のような回復体位である。ひょっとしたら、寝ぼけた本人がより寝やすい体勢に自主的に励んだのかもしれない。
被害者が白目剥いてなければ、そう勘違いしてやってもよかったんだけどな。
まあ、首のない身体が転がってるよりはずっとましか。
それだけ確認すると、朕は首を振って立ち上がり、急かす視線に応えるように足を速める。
はたして、そう離れていない場所からガタン、と一度物音が、次いで小さく抗議しているらしい誰かの声が聞こえてきた。
えーと、確かここは小書庫の一つじゃなかったか。夜中の読書に押し込まれたか、なんとかして連れ出したのか。別にどっちでもいいんだけどさ。
はああ、と扉の前でふかーいため息をついてから、扉に手をかけて、入るタイミングを注意深く窺う。
つもりだったんだけど、もう一度だん、と強く何かをぶつける音が聞こえてきたのと同時に後ろの人の殺気が跳ね上がったので、色々諦めてさっさと侵入することにした。
「はいっ、そこまで、お座り!」
果たして、朕が声を上げながら扉を蹴り開けて室内に押し入った瞬間、二つの影がばっと互いに距離を取った。
まあ片方が片方を押さえこんでたのを、乱入の隙に抵抗、不届きものは舌打ちしながらいったん獲物から離れ、獲物の方はなんとか逃げ出した、って感じかな。
それにしても暗い。一応月の出てる夜ではあるが、明かりもつけずに何をやってるんだお前は。
いや、そうか。本人は暗いところでも目が利く方だから問題ないのか。
「スフェリアーダ様」
飛び退った後に警戒姿勢を続けたままの片方は、すぐに朕の後ろから静かに入ってきて、音もなく扉を閉めた黒にゃんこさんに速やかに反応する。
やっぱりと言うか何と言うか、一方で朕のことはガン無視だ。自分の視界からすら排除しようとしてやがる。もういっそ清々しいくらいに期待通りのリアクションするよね、てめえこの野郎。
「ディガン。話は聞けた?」
「……残念ながら、まだ何も」
そして黒にゃんこ、お前もか。お前も朕のことは空気のようにふるまいたいのか。もう少し優しい態度になってもいいんだよ。朕、そろそろグレたくなってきたよ。
「何何、なんなの、なんなわけ?」
そこで、たぶん現状一番事態を把握できていない奴が苛立ったような声を上げた。
視線を向けてみると、見覚えのある神官が随分と息を荒げ、穏やかでない顔つきで侵入者たちを見渡している。
腕を庇うようにさすったってことは、捻られたかな。ご自慢の綺麗な頬にも一本線が入っている。この時だけはほんの少し、忍者よくやったと思った。
おっと、雑念が交じってしまってはいかん。
一度咳払いしてから、朕はこの険悪なムードを癒し、目的を達成すべく、いつもの対外交渉爽やかスマイルを浮かべ、朗らかな声を上げた。




