4-5.予兆
「以前からまさか、とは思っていましたが。ひょっとしてあなたは本気で、私がスフェリアーダ様に恋慕の情の類を抱いているとお考えだったのですか」
私がどうすればいいのかおろおろしてあーだのうーだの言っているうちに、彼は一度深く息をつくと、ふとかがみこむようにしてきました。
……ん?
な、なんでここでわざわざ私に目線合わせてくるんですか! 聞き分けの悪い小っちゃい子に言い聞かせる保父さんか! こんな微妙に目力ある保父さんじゃ安心できないよ! と言うか自分で言っておいてなんでこの例えにしたんだろう、わからない!
相変わらず混乱したままの私ですが、気圧されるように思わず一歩下がってしまいます。ディガンは特に気にした様子もなく、私の目をじっと覗き込んで静かに話し出しました。
「この際ですからはっきり申し上げさせておきますが、あの方にそういった感情を持ったことはございません。もちろん、この命を助けていただいた恩義を忘れたわけではありませんが……言ってしまえば、それだけのことです。忠義ですとか、憧れですとか、そう言った感情ならばおそらく確かに持っているでしょう。しかし、それ以上何か特別な、まして男女の関係になりたいなんてことは一度も思ったことが――想像したことすら、あの方に対してはない。この先もそのような感情を抱く事はないでしょう」
彼はゆっくりと、噛みしめて噛みしめさせるように、勘違いなど起こりようがないように言って聞かせます。
ようやく声が戻ってきたので、私は震える声をなんとか発しました。
「で、でも――あなた昔絶対にリトルプリンセスって呼んだよ」
「スフェリアーダ様をですか?」
「そーですよっ! まさか忘れたってんですか!?」
「……いつの話ですか、それは」
「初めて会った時!」
ディガンがあくまで静かに淡々と語る一方、私はどんどん頭に血が上っていくのを感じています。
だって信じられない。彼にとってすっごく大事な事だったはずなのに、そんな軽い物みたいな。
でも、なんだろう。怒り? 怒りも確かにある。私はとぼけたような彼の態度に苛立って怒ってる。
だけど、それ以上に湧いてくるこの感情は――。
熱くなる額にじわりと何かが浮かび、頬を伝って落ちていく。汗。心臓が高鳴り、せかされているようなもどかしいような、そんな感覚が。
……焦り? どうして。私は一体何に焦っているんだろう。
ディガンは一度身を起こして考え込んでいましたが、ふと何かに思い当たる顔になります。
「……ああ、あの時の事でしょうか」
「よーやく思い出しましたか、この薄情者!」
私になじられても、ディガンはいつものようにはなりませんでした。こう言ったことがあると大体ばつの悪い顔になってもごもごと口を濁らせるのに、今日はどうしたことだろう、だんまりを決め込もうとしない。困ったように眉根を寄せてから、またなんとも表情の読めない静かな顔になって、淡々と低い声で喋るのです。
「あの頃はお二人ともお小さかったし、高貴なお方でしたから私には姫君同然でした。ですからそうお呼びした。それがなぜ、私が今スフェリアーダ様をお慕いしていると言う事に繋がるのです?」
「え、ええ? だって、命を助けてもらったから一目惚れで初恋でただ一人のリトルプリンセスで――」
憑き物が、あるいは、目からうろこが落ちると言った感覚に似ている。言葉を交わしているうちに、何かがパラパラと剥がれていくように。私は虚ろに呟きながら、今ようやく気が付いたのでした。
私の中には二つの当たり前が存在する。
一つは、転生した私の当たり前。前世の常識、前世の知識と言い換えてもいい。
何か起こるとこれは前世では、と咄嗟にやるのは自分で転生者であることを自覚した時からの癖だ。変な事が起きると大抵私は一度は咄嗟にこっちの常識を持ちだす。たぶんこれをやりだすのは、メタ風に理解しようとすると言うか、ある種客観的に状況を把握して落ち着こうとしている部分があるんだと思う。一人称視点から三人称視点に移していると言うか。自分の視点が相当狭くてバイアスかかりまくりなのは自覚してますらかね!
だけど、前世前世と言っているだけでは矛盾や不都合が生じてしまう。この世界は前世の私が嵌ったゲームにとてもよく似ているけど、けして同一のものではない。あくまで類似している程度、一致することもあればしないこともある。
だからもう一つ欠かせないのが、この世界で生きている私の当たり前。現世の常識と言い換えてもいい。
前世の設定では原作では、とか言う事をいったん忘れて、今起きていることを考える。前世知識は使える時はそれこそ素晴らしい効果を発揮するのでどうしても咄嗟に頼ってしまうのですが、そちらに比重が寄り過ぎると実際の現場で起きていることと事情が乖離してしまったりする。
私は今までその場その場で二つの当たり前を使い分けてきた……つもりでした。まあ、多少のうっかりはあったかもしれないけど、大体それで今まで乗り切ってこれたはず。
でもディガンの事に関しては、ずっと前世の感覚ばっかり使っていたんだ。気が付いてみれば、少し不自然なくらいに。
この人模範生だし。ゲーム唯一の良心だし。すっごくわかりやすいし。朕がわけわかんないのは中の人が違うから仕方ない。でもこの人はそのままだから――。
そう、思いこもうとしていた。最初っからゲームと違う事が起きていたのに、まだゲーム風にこの人を当てはめようとしていた。
そのことに気が付いて、それだけのはず。ああまたやっちゃった、私って本当に馬鹿だなあ、って少しだけ落ち込んだら、気を取り直して軌道修正すればいい。
それがどうしてこんなに動揺しているんだろう。
私は一体、何を。
「アデラリード様。10年近くも前の話ですよ。私はともかく、あなた方はまだ学校にも通っていない幼さだった」
ディガンは相変わらず静かに喋っているけど――その曇り空の瞳の向こう側に、何かちらちらと蠢くものがある。燃え残った薪の下でくすぶる火のような何かが、見え隠れしている。
「……私がその時のお二人に何か感じることがあったとしたら、むしろ問題だと思いませんか」
苦笑だろうか、自嘲だろうか。曖昧な笑みを浮かべて言い切ると、彼はそっと目を伏せます。
私は陸に打ち上げられた魚のようにはくはく口を動かしているだけでしたが、つられるように俯きます。
何と言えばいいのかわからない。自分の足元を見つめている視線をもう一度上げるのが怖い。
……怖い? そう、怖い。
なんだろう、この正体不明の嫌な予感は。
喋った方がいい。何か喋らなくちゃ、フォローしなくちゃ、と思うのに、何も言わない方がいい気もする。
「……怒ってるの?」
この唇からもれていった言葉は誰のものだろう。なんで私、そんなこと聞いてるんだろう。
さっきからまるで身体から半分魂が抜けているみたいな変な感覚だ。制御の取れない私を、私自身でどこか遠くから眺めていると言うか。
「なぜ?」
「……そう見えるから」
「怒っていませんよ。ただ――」
さわさわと中庭を春の風が吹き抜けていく。途切れた言葉の沈黙に耐えられなくなって顔を上げると。
「我儘を一つお許しいただけるなら。あなたには――あなただけには、そう思ってほしくない」
灰色の、どこか熱を持った瞳から、目が離せない――。
おい待て。なんだこれは。なんなのだこれは。ダメだこんなの早く軌道修正しなくちゃ、きっと私頭がおかしくなっているのよ、そうこの頭を正常に戻していつもの路線に戻さねばならぬ、たとえ力技でも、むしろいつもやってる物理的解決法で――。
「そおい!」
「えっ」
ゴッ。
「いったああああああああい!」
「アデラリード様!?」
咄嗟に私は地面を蹴るとディガンの脇をすり抜け、一番近い木に頭から突っ込みました。その時の掛け声が「そおい!」、それに呆気にとられたディガンが思わず発したらしい声が「えっ」、無事に木に顔面から突っ込んだ音がゴッ。
その後の二人分の悲鳴はもう説明するまでもないですね――ってそろそろこの辺で実況終了させてください、自分でやったことだし予想できてたけど痛い痛い泣きそう!
「なんで、急に木に――」
突如なされた主の奇行にさすがの侍従さんも若干引いているようだ。シカタナイネ!
「ちょっと今までの自分にセルフパンチを入れてやりたくてですね――あいたたたた!」
頭を押さえながらなんとか爽やかスマイル(歪)及び爽やかボイス(震)で言うと、侍従さんは絶句しました。そのままくるっと方向転換していなくなってしまう展開も考えていたのですが、強靭なメンタルを持っている彼はとりあえず見捨てるまでには至らなかったらしく、うずくまっている私のそばにやってくるとそっと頭を覗き込みます。
「どこですか、打ったのは」
「お、おでこかなあ。……あたた」
「血は出ていないし……痙攣もない。意識ははっきりしていますね。吐き気はしませんか。頭痛はどうです。頭の奥に重く響くような感じはしますか」
「き、気持ち悪くはないです。普通に打ったところが痛いですけどたぶんそれだけです。私石頭なんでだいじょーぶ――」
私が笑いながらさっと立ち上がろうとすると、とたんに心配そうだった顔が般若に変わります。
「急に動かしてはいけません、安静にしてください」
「お、おう……はい、ごめんなさい」
思わぬ断固とした声に、咄嗟に謝りつつ従ってしまいます。彼は私を目の端で睨んで牽制しながら(たぶんこれ以上変な事するなよって言ってる、目が)、服を漁っています。何してるんだろうと思ったらどこかのポケットから手のひらサイズのスティックみたいなものを出して、こちらに先端を向けます。パチッと音が鳴ると、光がついて眩しい――ってことはペンライトみたいなものか。
「動かないで」
「ふぁい」
間抜けな答えになったのはあれだ、少し近づかれてビビ――ってなんかないし? なんで私がディガンにビビらないといけないんですか、はっはっは――くそっ、近い。回避した意味がなくなるじゃないか。早く終われ。
よし別の事考えよう。ちなみにこの世界観なので電池式じゃなくて魔術式ですよ。おい世界観どこ行ったっていつもの事です。
しかしなんでそんなものが咄嗟に出てくる、と言うかそもそも持ち歩いてるんだ。さすがNINJAか。
彼は光をちらつかせて私の瞳孔の様子をチェックしていたようですが、気が済んだらしくほっと息をつくとペンライト(仮)をまたどこぞにしまっています。
「……帰ったら、ぶつけたところを冷やしてください。今日はもう遅いですから、明日医務室に行って念のため診てもらいましょう」
「いや、そんな大げさにしなくても――はい申し訳ない、行きます行きます」
が、ディガンはそこで立ち去ろうとせず、何か言うべきかどうか迷っているように視線を彷徨わせています。私は仕方なしに、頭を押さえながらぼそぼそ喋ります。
「いや、その。あなたは昔からお姉さまを主従として? 敬愛し続けてくれてるってことなんですよね、うん。ちゃんと理解しました。だからこう、わかったらすごく失礼な事言ってたなって気が付いたと言うか、そりゃそうですね、ペドフィリア呼ばわりされたら怒りますよね、うん。だからそう、その、勘違いしていた自分が猛烈に情けなくなってですね、ついこう、発作的にやっちまったと言うか……」
「あなたって方は、何と言うか――」
ディガンは呆れきった顔で聞いていましたが、最終的にふっと表情を崩して呟きます。
「本当に、私の予想もつかないことばかりだ」
……いや、自分で言うのもあれだけど、今の行動予想されてたら引きますよ? と言うかもっと引くと思ってたのにあんまそうでもないことに軽くビビ――ってない、ビビッてなんかない。
「先ほどのことは、少し驚きましたが……わかっていただけたのなら、良かった」
苦笑して、それでもどこかすっきりしたような顔のディガンと、作り笑顔を引きつらせている私。念が通じたのか用事が済んだからなのか、ディガンはそれ以上深入りはしてこず(ただし医務室行くことはもう一回言われた)、去っていきます。
私は彼と別れると最短経路で自室まで戻り、さっさと適当な布を出してきて水で濡らして頭にぴたっとくっつけます。ほっと息が吐きだされるとともに、どっと冷や汗が噴き出る。
「さすがに強引過ぎましたかね……」
汗をぬぐいたいけど、ぶつけたところだから触ると痛い。濡れタオルを額から目の辺りに当てたまま、ベッドの上にドサッと寝っ転がります。
「……主従で、尊敬してる。それだけなんだ、私もお姉さまも。うん、それだけなんだよ、ね」
両手でひんやりした感触を押し当てながら、私は何度もうわごとのように呟いている。すっかりうるさくなった鼓動を鎮めるように。
「違う。そうじゃない。それだけにしなくちゃいけないんだ」
手を離して大の字型に広げると、顔から濡れタオルがずるっとすべって天井が目に映る。見慣れたそれを睨みつけながら、私はもう一度自分に言い聞かせました。
「だから気のせいなんだ、全部」
曇り空を見ると落ち着かない気持ちも。曇り空の向こうに見えたなにかも。
アデラリードは馬鹿だから気が付かない。気が付けるはずがない。
そういう設定だから、気が付かなくていい。
心臓がうるさい。まるで内側から身体を叩いているかのように。
わすれてはいやよ。なんのためにうまれかわったの?
うらぎりものにはしを。そういうやくそくだったでしょう。
「うん、わかってるよ。大丈夫」
もう一度濡れタオルを目に当てると、そっと瞼を閉じます。
「約束は忘れていないよ。ちゃんと果たしますよ……」
身体はほどほどに疲れているけれど、暗くしてもいつもはすぐにやってくる眠気が今日はどこかに出張中らしい。
いつもより時間はかかったけど、ぐるぐる回りそうになる思考を打ち切って静かに深呼吸を繰り返しているうちに、私はなんとか眠ることができた。
ただ、普段はそれこそ泥のように眠ることができるのだけど、今夜は眠りが浅いらしく、何度か寝ては覚めてを繰り返しているみたいだ。それでもベッドの上で騒がず大人しくしていると、最終的に意識は夢の中に落っこちていきました。寝苦しい夜に相応しいような、なんとも嫌な夢に。
誰かの泣き声がする。泣いているのはわたしだ。
場所は屋外だ。見たことがあるけど、見たことがない。たぶんだけど……王宮の中か近くなんじゃないかな、と思う。
生憎の曇りなのか、辺りは真っ暗でほとんど何も見えない。わたしが片手に持っている明かりが光源だった。……と、思っている間に雲がどいて空が顔を覗かせる。それと同時に、目の前の光景もそれなりに見えるようになった。
「しっかりして。目を開けて」
星が綺麗な夜だった。わたしは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、倒れている男の人に縋り付いて揺すっている。見覚えのある人だった。髪が青い。
ようやく、うめき声を上げてその人がゆっくり身を起こす。わたしはほっとしたけど、すぐに顔を引きしめた。
「待ってて、すぐに――」
「いけません」
けれど彼はわたしが治療にとかざした手を拒み、ふらふら壁をつたい、立ち上がろうとする。脇腹を押さえている手の下から、こうしている間にも染みが広がって地面に落ちていく。
「どうして」
「あの方が、待っていらっしゃるのでしょう」
「でも」
「そのために、ここまで来たのでしょう」
わたしを宥めるように、あるいは諭すように彼は言う。言われなくてもわかっていた。何のために自分がここまで来たのか。この人は正しい。見捨てていくべきだった。
それでも、置いて行きたくなかったのだ。エゴだとわかっていても足が動かない。
「……でも!」
駄々っ子のように言い張るわたしに、辛抱強く優しく、彼は言って聞かせる。
「大丈夫です。少しここで休んで……後を追いかけます。ですから、お先に」
「……わかったわ。じゃあ、わたしが戻ってくるまで待ってて。いいえ、待つの。これは命令よ!」
「……はい」
わたしはぐっと色々なものを飲み込むと、やわらかな微笑みを浮かべる彼に背を向け、走り出した。
視界が滲む。嗚咽を殺しながら、闇の中を走る。
わたしは知っていた。彼は来ない。もうすぐ死んでしまう。わたしはわかっていて見捨てたのだ。彼は最後の命令だけは守ってくれない。申し訳ありません、とつぶやいてそっと目を閉じるのだ。その光景すら、知っている。
ああ、また一人になってしまった。
くじけそうになる心を奮い立たせ、震えて止まりそうになる足を叱咤する。
それでも、ここで立ち止まるわけには行かない。行かなくちゃいけない。あの人が待っている。
――ずっとわたしを、待っている。
はっと目を開けた時、辺りはまだ暗いままでした。私は軋む身体を起こして、鏡を見に行きます。
……うわ、酷い顔。
ため息をついて、そう言えば寝る前にできていなかった歯磨きやシャワーを手っ取り早く済ませます。顔を拭いてからもう一度確認すると、少しだけ目が赤くなっていたものの、ずいぶんマシなものになっています。
そしてその時には、寝る前に考えていたことも、寝ている間に見た夢ももくろみ通りに、都合のいい私の頭はちゃんと忘れてくれていたのでした。




