新しいきょうだい
新しいきょうだいの柾人は、何かに追われているみたいに、かいがいしく家族の、特に私の世話を焼く。家でも、学校でも。姿を見れば声をかけ、にこにこと笑いながら荷物を奪い、食べ物を与え、休日の予定を確認してくる。
我慢しきれず呼び出すと、切なそうな顔で、焼却炉の横で煤にまみれた壁に私を押し付けて言った。
「おれは、この再婚を成功させなきゃならない」
あんたが結婚するのかよと言いかけたが、切羽詰ったその目に言葉を飲み込んだ。
その日の夕方、柾人と一緒にやってきた新しい母の曜子さんと、食事の買出しに出掛けた。休日の前の日は、曜子さんと私が、そうでない日は、柾人と父さんが夕飯の支度をすると、いつからか決まっていた。
私は人参片手に今日のできごとを思い返し、野菜を顔に近付ける曜子さんを振り返った。あまり真剣にキャベツを睨んでいるものだから、話しかけるのはためらわれた。新しい母に注意を取られたまま、手近にあった商品をつかんでカートの籠に入れる。曜子さんは顔を上げて、あら、とおかしそうに笑った。
「埼子ちゃん、人参食べれるようになったの?」
私は眉をひくつかせて無言のまま籠に手をつっこみ、棚に返す。クレヨンみたいな色に、変に甘ったるくて青臭いやつ。曜子さんは野菜に向けるにしては優しすぎる目でそれを見ていた。
「柾人もね、食べれないの」
薄化粧の唇が震えるのを見て、私は人参の群れに視線を返す。相変わらずのいまいましい色をしていた。肩をつかむ力の強さを思い出して、唇を引き結ぶ。
普段ならまず通らない、上級生階へと向かう階段をのぼる。踊り場が近づくと、丁度上から来た柾人に出くわす。手すりごしに目が合った『兄』は、表情を決めかねるように眉を寄せた。私は黙ったままで段を上がりきる。結局半笑いを浮かべて待ち受けていた柾人を仰いで、話の口火を切った。
「ちょっと、付き合ってください」
柾人は困惑を乗せた唇を緩ませて、手すりに腕をかけてもたれかかる。
「どうしたの?」
埃に負けたような乾いた声だった。私は口元をゆがめて、柾人の焦りを追い立てるように言葉をつなぐ。
「妹の頼みが、聞けないんですか」
柾人は後ろを気にするように身じろぐ。いつもなら、自分から兄と妹であることをアピールして回るくらいなのに。
通りがかる人はいなかった。安堵の溜め息の後に向けられる感情の鋭さを煽って微笑むと、私は先を切って階段を降りる。背中に続く足取りに、ためらう気配は見られなかった。
焼却炉の横に積み上げられた煤色のブロックを目で撫でながら、足音が立ち止まるのを聞いた。塀の粗い肌に背を預けて顔を上げる。思いのほか柾人の笑みは近い。気を抜けばくびられてしまいそうだ。心がやけを起こさないように、なるべく静かに唇を湿す。
「曜子さんから、渡すように頼まれました」
スカートのポケットに忍ばせた白い封筒を抜き出して、無造作に突き出した。
私は曜子さん元夫妻と面識がある。その頃はうちの親も大きな諍いはなかったから、家族ぐるみで付き合っても、粗は目立たなかった。曜子さんをおねえちゃんと慕って、かなり迷惑な辺りまで付きまとった覚えもある。その後うちの離婚を期に、親権を持つ父について私はこの町を出た。父と曜子さんがその後も連絡を取り合っていたのかどうかは知らない。どういう経緯で、お互いの妻と夫を知り合うような相手とそういう関係になれるのかなんてわからない。私の管轄じゃない。考えても仕方のないことだ。私をここまで育てた父と、あの優しい『おねえちゃん』が二人同時に幸せになるのなら、反対する理由なんてない。
そうだ、曜子さんは私にとって大事な人だ。曜子さんがこいつの妄想のために悲しむのは、私の望むところではない。
「私は反対なんてしてないんです。祝福してます。……変に構ってもらわなくたって」
俯き始めた頭に手が置かれて、私は緩慢に顔を上げる。柾人が気持ちの悪い顔で笑っていた。
「埼子ちゃん」
低さは男のものなのに、その声は曜子さんに似ていた。ううん、わざとそう振舞っているのだ、柾人は。大切で、大切で仕方がない母親の皮を被って、私の名前を呼ぶ。何がそこまでこの人間を追い立てるのだろう。妹の株をあげようと、ベタベタ構って。そんなことをされなくても、私は、
「ありがとう」
「はあ?」
薄ら寒い顔が更に近づいて、私の肩をつかむ。顔が引きつる私に気づいているのかいないのか、骨ばった手は、首に回されたタイの留め具を外して、ずれを直すと元のように留めた。腰を伸ばして満足そうに微笑むと、私の手を引いて先に踵を返す。他人に、それも男子生徒に手を握られることなんて初めてで、でもそうと知られたくなくてただただ顔を強ばらせるしかない私を連れて、柾人はぐんぐん歩いた。
友達に見られたらどうしよう。ううん、いいのか、兄と妹なのだから。家族なんだから。でも、普通のきょうだいは高校生にもなって手をつないで歩くのだろうか。
「今夜、何作ろうか。埼子ちゃん何が得意?」
「なにがですか」
依然緊張の解けない私に柾人は足を止めて、振り向くと訝るように首を傾ぐ。その口が『晩ごはん』と動くのを見て、私は顔をしかめる。
「今日は父とお兄さんの番じゃないんですか」
柾人は握った封筒から便箋を抜いて私の顔の前に開いて見せた。指に示されるままに追伸を目で追う。
「……昇、さんと食事?」
「今夜は帰りません、二人で仲良くしてね」
「真似るのはやめてください」
声を荒げる私の手から便箋を奪って、柾人は顔を和ませる。
「母さん、幸せかな」
反応に困って口を噤む私に微笑む柾人の頬は、夕陽に染まって、小さな子どものように見えた。